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カトリック司祭とは一体何か?いけにえを捧げるために天主に聖別された人か?それとも??

2007年07月06日 | カトリック・ニュースなど
アヴェ・マリア!

カトリック司祭とは一体何か?
いけにえを捧げるために天主に聖別された人か?
それとも??


カトリック新聞「〝宣教する〟山口ブラザーズバンド神父ら 本格デビュー
東京・高円寺のライブハウス」
より

 音楽を通じての宣教活動を目指す、東京・赤羽教会の音楽グループ「山口ブラザーズバンド」(以下・YBB)が6月22日、東京・高円寺のライブハウスに出演。

 YBBは、街の若者を対象に〝宣教するバンド〟として本格的にライブハウスに飛び込んだ。


山口神父(左から2人目)はローマンカラーで登場

 会場では若者たちが思い思いに酒やタバコを手にステージを眺める。

 その中を、YBBメンバーの山口雅稔神父(36/コンベンツアル聖フランシスコ修道会)がギターを手に、ローマンカラーの司祭服姿で登場。あえて司祭服を身に着けたのは、若者たちが教会に来るのを待っているのではなく、信仰による音の力を信じて、自分たちが若者たちに〝教会を〟届けようという意気込みの表れだ。

8月には、東京の大塚や代官山のライブハウスでの〝宣教演奏〟も計画している。

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8 コメント

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脱力・・・ (カンパネルラ)
2007-07-06 21:34:37
なぜライブ演奏が宣教になるなんて思うんでしょう。
「愛」をうたうバンドなんて、掃いて捨てるほどたくさんあるのに。
この神父様は、ただ自分の趣味を人に披露したいだけとしか思えません。それなら、せめてローマンカラーを脱いで個人の資格でやってほしいものです。
「宣教」という宣伝文句無しで、勝負できるほどの演奏技術があれば、の話ですが(ちょっとイジワル言ってみました^^;)
でもこの神父様はライブハウスで演奏するだけマシです。わたしは降誕節の黙想会で神父様のギター弾き語りを聞かされたことがあります。おまけにその神父様は、演奏が終わった後、ご自分のCDの宣伝までして帰られました・・・
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つぶそうロックバンド司祭 (伝統防衛大臣)
2007-07-06 22:21:50
そういえば911事件で

ジョンレノンのイマジンがアメリカで放送禁止になったとき

日本のあるコメントエイタは「なんでイマジンまで!?」ってコメントしてたぞ



「考えてみよ!天国など存在しない。空があるのみ」と歌う無神論者のこの歌が放送禁止になるのは当然ではないか!

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まあ本人の意図がどうであれ ()
2007-07-07 04:45:13
ライブハウスなのですから音楽がプロとしてのクオリティーがあれば問題ないでしょう。本人のコンセプトがどうであれ、それとは別個に偉大な芸術性が存在していたというような事は美術史上よくある事ですから。この人が本業そっちのけで小遣い稼ぎしていたり、ロックの媒体を教会の式典に導入していたとしたら由々しき問題ですけども。芸術の力が人の心を多いに感化させるのは事実ですし。実際の音楽を聴いていないので無責任な論評は控えますが、カトリックを音楽で表現するならばグレゴリアン聖歌やオルガン、オーケストラ演奏の方がしっくりくると思うんだけどねえ、、、と思う私は頭が固すぎるでしょうか?
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Unknown (要削除緊急)
2007-07-07 06:42:11
 荒らしです。クリックしないように。 削除しましょう。
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まして、聖別された司祭が・・・ (フォークもロックも聖堂に持ち込まないで!)
2007-07-07 07:51:00
 カンパネルラさん!

 残念ながら、この若い(36)コンベンツアル聖フランシスコ修道会召命推進担当である、Y神父様も、数ヶ月前の黙想会で、聖堂内でフォークギターの弾き語りをし、素人レベルの安っぽい歌を、ご自分のギター伴奏で参加者に歌わせました。(修道服で)

 自分がフォークが好きだからといって、教会に来る人は必ずしも好きではない・・・指導神父様だから、文句も言わず我慢してるのですよ、と修道会の長上が教えるべきですよね。それに、好きなことに精を出す修道者の方を、私は尊敬できません。口に出されなくても、犠牲をささげておられる方こそ、尊敬できます。 
 私はミサ中、Org.席から神父様の所作を拝見したのですが、聖器の扱いやお辞儀・声の出し方など、祈りが感じられなかったです。声が大きければいいというものではないですから。

 根本的には、神学生の養成・修道会の養成に問題があり、目上の方が苦言を遠慮して言わないこと、信者の方も神父様を批判しない事が、ことを悪化させているような気がします。私は歌いません。静かに目を閉じて待ちます。

 心配するのは、カトリック新聞がこういう記事を好意的に取り上げると、これが「福音宣教」だ、とまねをする人たちがでる事です。
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難しいです。 (カンパネルラ)
2007-07-07 17:55:21
>フォークもロックも聖堂に持ち込まないで! さん

この神父様も、黙想会でギター弾き語りのクチですか・・・_| ̄|○

>それに、好きなことに精を出す修道者の方を、私は尊敬できません。口に出されなくても、犠牲をささげておられる方こそ、尊敬できます。 

本当におっしゃるとおりです!
わたしもそう思います。
文章の上手な方がそれを通して宣教するとか、絵の上手な司祭が教会報等にちょっとした挿絵を描くとか、そういうのは良いと思うのですが・・・
あまり好きなことばかりに精を出す方は、尊敬できませんね。

>信者の方も神父様を批判しない事が、ことを悪化させているような気がします。

そうなのかもしれませんが、でも神父様を批判するというのは、とても難しいです。
わたしはこのコメント欄に、黙想会でギター弾き語りをした神父様を非難するコメントを書きましたが、面と向かってご注意申し上げることは、とてもできません。
ここに書いても、その神父様には伝わらないでしょう。その神父様のご存知無いところで、悪口めいたことを書いてしまった自分は、卑怯だなと思う気持ちもあります。

ギター弾き語りに限らず、神父様が間違ったことをおっしゃったときでも、それを正すことが出来ないチキンハートなのです。
黙って避けるくらいしか出来ません(T_T)
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難しいですね。がんばりましょう! (フォークもロックも聖堂に持ち込まないで!)
2007-07-07 19:35:12
 カンパネルラさん !

 確かに、ある方のいないところで、その人のことを話してはいけません、と30年前カトリック校のシスターから教えられ、守っていた時期はあり、今40代後半の主婦ですが、基本的に、うわさ話はきらいですし、このシスターの教えは人間関係の深い知恵を含んでいると思います。

 しかし、ある現実(状態)がよくなくて、よくしたいと考える時、「批判的に分析し論考する」事は、避けられないのでは・・・? 対象が、化学や物理ではなく、教会のあり方である場合、そこに神父様初めさまざまな人間が登場しますから、その方々の行動に言及するのは、やむをえないですよね・・・と、正当化はここまでにして・・・・

 「神父様のご存じないところで、悪口めいたことを書いてしまった自分は、卑怯だなと思う気持ちもあります
」というお気持ちは、謙虚で、とても尊いと思います。いつまでも、こういうお気持ちを持ち続けてください。

 フォークとロックに戻りますが・・・このY神父様なら、黙想会の打ち合わせの段階で、限られた時間ですし年齢層が高いので、ギターよりも、フランシスコの霊性についてのお話がお聞きしたいのですが・・・とか、わざわざ楽器をお持ちになるのは大変ですから・・・とか、申し上げられる雰囲気です。 

 しかし、一般的には申し上げにくいですね。私は、教会のシスターには、こう考えますがいかがですか? と、指導を仰ぐ気持ちで、話します。問題になる事は、典礼のあり方、「福音宣教」という名のもとに行われる教会の私的利用、エキュメニズムetc.・・・ですね。
 ほとんどの場合、同感だといわれます。聖堂のありかたについては、神父様が賛同してくださり、ここ数年の悪習(?)が、変わりました。典礼もラテン語聖歌が一部復活しました。ある、お祈りは、文語に戻しました。でも、新しい妙な考えは、あとを絶たず、入り込みます。

 がんばりましょう!

 
 
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長くなりますが・・・ (フォークもロックも聖堂に持ち込まないで!))
2007-07-07 20:15:04
 カンパネルラさん !   

 ある方の「人格」と「行動・考え方」を、分けて考えればいかがですか?

 「行動・考え方」については、自分の行ったことに対して責任を持つという意味において、大人なら(キリスト者なら)、たとえ神父様であっても、批判を受けるべきでしょう。
 自分の「行動・考え方」はすべて主の目にさらされている、という信仰を、お持ちの方なら・・・・(もちろん私も含めて)

 しかし、それは、決して、その方の人格を否定するものではない、と。つまり、どんなことがあっても、主はその方を、大切に思っておられ、恵みを注がれ、愛されている。
 
 いかがですか?   人(人格)を憎まず、罪(行動)を憎む  といいますよね!(出典不明)

 がんばりましょう!
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