「しみわたり」を教えてくれたのは、新潟出身の女性だった。
春が近づくと気温も上がって積もっている雪の表面が溶ける。日が落ちて気温が下がると、溶けた雪の表面がカチカチに凍る。そうすると、田んぼの上など深雪の積もった雪原をずぼずぼと足を潜らせることなく歩けるようになる。
ぼくも子供の頃は秋田で育ったので、この凍った雪面を歩けることは知っていた。でも、秋田では何と言ってたか思い出せない。
今でこそクラスト状になった雪はスキー場でおなじみだが、子供の時分には春先に2~3度しかないめったに起こらないことだったし、「しみわたり」といった特別な言葉ではよんでなかったのかもしれない。
それでも、まるで世界が凍り付いたような神がかり的な現象にワクワクしたものだった。
だんだん温暖化して積雪が少なくなったこと、学校へ行く道すがら家が立ち並び雪原がなくなったこと、道路も除雪され、道路わきに高く圧雪した雪が高く積みあがって深雪には簡単に近づけなくなったこともあり、「しみわたり」のことさえすっかり忘れていた。
宮沢賢治の作品にも「雪渡り」がある。
「しみわたり」。「しみ」は凍み。「わたり」は渡りか。雪の表面が凍みているのは気温がまだ低い早朝だけのこと。どこへでも行ける「しみわたり」の楽しい時間はあまりにも短い。その分、その楽しみは豊かで濃い。小さなころの甘い思い出だ。
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