tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

河津@嵐の湯 湯治の館

2013-02-04 22:09:57 | 露天風呂(できるだけ秘湯)めぐり

 

なんだかわかんないけど、遠い昔からあったよね
住所 静岡県賀茂郡河津町谷津398-4
 022-397-3141
  入浴料 900円、営業時間:10:00~22:00

海まで徒歩5分。桜で有名な花の町、河津桜並木沿いにある「鉱石ミネラル嵐の湯 湯治の館 2号館」。

・・・鉱石ミネラルって何?
科学技術振興機構のさきがけ21(戦略的創造研究推進事業)でも採択されたことのある「ミネラルの構造と生体:川田 薫 理博)によれば、生命の誕生をつかさどるケイ酸っつうことらしい。
千葉のど田舎じゃあ、砂埃を毎日浴びて暮らしてるから、ケイ酸ってとくに健康に良いってことはないと思うが・・・。
温泉の広告曰く、「15種類の薬鉱石で造られた床に50~80℃の温泉をかけ流して蒸気化し、温泉と薬石から出るミネラル成分を体内に取込んで活性化させる」とのこと。

温泉でもなく、サウナでもなく、岩盤浴でもない薬鉱石浴場は、温泉熱源の上に15種類の砂利を敷き詰めた浴場で、そこに入ると瞬く間に汗腺が全開して汗が流れだす。つまり、ウェットサウナ。

・・・確かに、浴場から出てきた後はすかっとさわやか、爽快感でまるでスポーツをした後のよう。
こうした蒸気を利用した蒸風呂って、光明皇后(大宝元(701)年 - 天平宝字4(760)年)が建設を指示した大衆浴場(法華寺の浴堂)にさかのぼる。
当時の入浴は湯に浸かるのではなく、薬草などを入れた湯を沸かしその蒸気を浴堂内に取り込んだ蒸し風呂。
風呂はもともと室(むろ)がなまったもので、密閉されている空間での蒸気浴を意味する。仏教とともに大陸から伝わってきた習慣だ。広島や山口でも、その遺跡が発見されている。

一方、お湯に浸るようになったのは江戸時代後期。庶民の暮らした貧乏長屋はもちろん、お屋敷に住む町民や下級武士の家にも、たいてい内風呂はなかった。したがって、湯屋。今でいう銭湯。
江戸時代末期になると江戸の町内に湯屋が一軒はあり、結構繁盛していたようだ。当時の湯屋は混浴で、町人や下級武士の娘も、職人たちと一緒の風呂に入っていた。
当時、板で囲まれた浴槽は、灯油皿に火が一つ灯っているだけで薄暗く、チカンが出るのも、もっぱらこの浴槽のなかだった。
「物騒と知って合点の入込み湯」
こんな川柳も残っている。
・・・鉱石ミネラル嵐の湯も歴然とした混浴。ただし、浴衣を着ての入浴(入室?)。湯気でレンズが曇って何が何だかわからない写真を撮っちまったが、ちょうどその写真は江戸の湯屋にイメージが似てた。
さて、河津桜のつぼみも膨らんできた。もうすぐ春だ。


ご訪問&最後まで読んでくださりありがとうございます。
お帰りの際、ひとつクリックお願いします。
お手数かけてすいません。
↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 写真ブログ スナップ写真へ
にほんブログ村
記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ