彦四郎の中国生活

中国滞在記

日本の国宝・曜変天目茶碗の故郷:福建省建陽❶—福建師範大学卒の趙貴昌君

2018-09-29 06:15:36 | 滞在記

 日本の国宝となっている「曜変天目茶碗」。瑠璃色の曜変と呼ばれる斑紋は、まるで宇宙に浮かぶ星々や星雲や天の川のように美しい輝きを放ち、品のある華やかさの中にも落ち着きがある。黒い器の内側などに大小の星のような斑紋が輝く特異な美しさがある「曜変天目」。

 「曜変」とは、元来「窯変」の言葉が当てられていたが、黒釉の下地に青く光り輝く斑紋が散在することから、「星」や「輝く」という意味の「曜」の字が用いられるようになったと伝わっている。

 天目茶碗とは、天目釉(てんもくゆう)と呼ばれる鉄釉をかけてつくられた茶碗。その中の最高傑作が中国福建省の建窯(けんよう)で宋の時代に造られた曜変天目とされる。この曜変天目は現在、世界にたった5つしか存在しない。これらのうち4つは、日本にあり、そのうちの3つが「国宝」となっている。それらは、「藤田美術館」、「大徳寺龍光院」、「静嘉堂文庫美術館」、 そのほとんどがめったに公開されることはなく、一般の人々が見ることはなかなか難しいようだ。(※藤田美術館では3〜4年に一度、拝観ができるチャンスがあると聞く。国宝ではなく、重要文化財となっているMIHOミュージアムのものは見る機会ができやすいかもしれない。)

  室町時代に中国から伝わったこれらの曜変天目は、織田信長や徳川家康をはじめとした多くの戦国武将たちらもに愛された。特に1500年代後半の日本、一大「茶道」ブームが沸き起こり、「茶道具」全般で有名な品(名物)が珍重された。その中の最高峰がこの「曜変天目」であった。戦国武将たちの垂涎(すいぜん)ともなり、「何か国」の領有にも値するとも言われた。

◆藤田美術館所蔵品:「徳川家康が水戸徳川家に与え、その伝来品を大正期に藤田財閥の藤田家が購入した。」 静嘉堂文庫美術館所蔵品:「徳川家光が乳母の春日局に与え、その嫁ぎ先の稲葉家に伝わったものを三菱財閥の岩崎家が購入した。」 MIHO所蔵品:「加賀藩主前田家に伝えられたもの。歴史小説家の大仏次郎(おさなぎじろう)が所蔵していたものでもある。」

 この曜変天目茶碗だが、記録によればもう1碗あったと考えられている。信長がこれを愛用し、持ち歩いてため、本能寺の変で他の多くの名物とともに焼失してしまったようだ。

 「曜変天目」の制作方法は全くの謎であり、偶然作り出されたものではないかとも噂されるほど再現することは不可能と云われている世界の至宝だ。中国・南宋のある時期、曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることはなく、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか、大きな謎ともなっている。

 中国で2012年、宋の都があった浙江省の杭州で「曜変天目」が地中から発見された。世界で5つ目の曜変天目だった。かなり大きく欠けてはいるものの、見事な曜変天目であった。日本や中国のみならず、世界中の「陶芸家・陶芸愛好家」たちの垂涎の陶器「曜変天目茶碗」。再現を目指す陶芸家たちも、日本でも中国でも少なくない。

 


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