1か月間にわたり繰り広げられる祇園祭は本来、山鉾の巡行は7月17日の前祭(さきまつり)と、7月24日の後祭(あとまつり)に分けて行われていた。だが、1966年から2013年までの47年間、山鉾巡行は17日にまとめて行われた。しかし、本来の2度に分けて行う祇園祭の形に戻そうという気運が高まり、2014年から前祭と後祭を実施する現在の形式となっている。
7月23日(日)の午後、祇園祭の「後祭(あとのまつり)」の宵山を巡ってみることにし、まず「大船鉾」を見に行った。梅雨明けした京都は、連日35度余りの熱波の日々が続いていたが、女性たちの浴衣(ゆかた)姿が涼し気(げ)だ。大船鉾に登ってみることにした。(登り拝観料500円)
24日の後祭の山鉾巡行では主役となる鉾の天井一面には板絵があった。大船の上から眺める景色はなかなか壮観。この大船鉾は、元治元年(1864年)の「蛤御門(禁門)の変」による戦火で焼けてしまった。そして、2014年に、150年ぶりに復活し、後祭の山鉾巡行のしんがりとして、その雄姿を披露した鉾だった。
次に南観音山や北観音山に向かう。二つとも高い鉾だ。20名余りの山伏の一団が、法螺貝を吹き鳴らしながら祇園祭の各山鉾がある町内を巡ってもいた。北観音山の鉾がある町屋に入ると、立派な書画の屏風が陳列されていた。祇園祭の各山鉾がある町内の町屋には、いろいろな屏風がこの祇園祭の期間は陳列し拝観できる。
「光琳百花図屏風」というものも陳列されていた。この屏風絵の由来は次のように書かれていた。「尾形光琳の百花屏風を、1782年に円山応挙がある人の求めに応じて写したものである。」と‥。円山応挙による尾形光琳作品の模写だが、見事な屏風絵だ。このような屏風絵が、いたるところで無料拝観できるのも、この祇園祭の楽しみの一つだ。
鷹山(たかやま)に行く。浴衣姿の小学生の女の子たちが粽(ちまき)などを売る掛け声がなかなかの風情。この鷹山もまた、蛤御門(禁門)の変による火災で本体の山鉾も完全焼失した山鉾だった。(1826年に、大雨により山鉾の懸装品が損傷したため、山鉾巡行に参加できなくなっていた。)そして、大船鉾の復活に触発され、鷹山のあった町内でも復活の機運が高まり、昨年の2022年、196年ぶりに復活し、都大路を巡行した。
この鷹山の近くの町屋の「ちおん舎」という家で、「鷹と生きる時代」という講座が行われていた。会場の家には、写真展示「雪原を征く―孤高の鷹匠・松原英俊」や絵の展示「姫川明輝絵画展」(展示即売)も行われていた。狼や鷹の墨絵は、なかなか素晴らしいと思った。(特に狼の墨絵には魅了された。)
炎天下の宵山の町中を巡っていると鷹山の山鉾の近くに「Holly,s Cafe」という喫茶店があった。喫煙席室もあるようなので入ってしばし休息をとった。たくさんある店内の席は、宵山に来ているお客さんで賑わっていた。
三条通を歩き、京都文化博物館に立ち寄る。京都市内にある星野画廊のコレクションより約120点が展示された「少女たち」展が開催されていた。博物館の一角の部屋には、「2023 うちわ展」(無料)も開催されていた。
京都文化博物館より鴨川に向かって少し三条通を歩き、「イノダコーヒー本店」へ。外にあるテラス席(喫煙可)は、暑さのためか、ほとんど他の客はなし。タバコを吸いながら店の京都新聞を読んでいると、「少女たち」展のことが一面に書かれている記事もあった。テラス席の噴水から流れる水の音が、少し涼しさを与えてくれる。噴水には2匹の亀の置物が‥。
三条通りのアーケード商店街にあった「サラセン」という名の土産物店で、中国の福建省福州市に住む王君や林君に送るものを何個か買った。三条大橋下の河原には、涼(りょう)を求める人たちが座りながら川面のに佇む。青鷺(さぎ)が魚を狙って、ずっと立っていた。時刻は午後5時頃となっていた。
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