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彦四郎の中国生活

中国滞在記

伏見稲荷神社と狐❸―お稲荷さんのキツネは神の使い「神使」・「眷属(けんぞく)」

2017-07-22 08:32:25 | 滞在記

◆いっぱんに「お稲荷さん(稲荷神社)」と言えば、狐(きつね)をイメージする人は多いだろう。この狐は稲荷大神のお使いであって、神さまそのものではない。稲荷大神にとって狐は、熊野神社の烏(からす)や八幡神社の鳩(はと)、氏神様の狛犬(こまいぬ)などと同じように「神使(かみのつかい)」「眷属(けんぞく)」などと呼ばれ、神様のお使いをする霊獣であるらしい。

 これは、中世の時代に、人間が持っている様々な欲望と願いを直接に神様に祈願するのは畏れ多いとして、特別に選ばれた動物を通して行われたことによるものだそうだ。それでは、なぜ 稲荷大神のお使いとして狐が選ばれたのだろうか。

 それは、稲荷大神が農業神であることと深く結びついているからだという。民俗学者の柳田國男も指摘しているが、日本人には古くから神道の原形として「山の神、田の神」への信仰があった。これは、春になると山の神が山から里へ降り、田の神となって稲の生育を守護し、収穫が終えた秋に山へ帰って行って、山の神になるという信仰である。

 狐も農事が始まる春先の頃から収穫の終わる秋まで人里に姿を見せて、稲を食べる野ネズミなどを食べて過ごし、田の神が山に帰るころに山に戻る。このように神道の原形である「山の神・田の神」と同じ時期に姿を見せる生態から、狐が稲荷神の「使い」となったと言われている。

※稲荷神社の「狐」が口にくわえているものは4種類があった。「稲藁」と「玉」と「鍵」と「巻物」であった。

◆お稲荷さんは、その字が示すように、稲の豊穣を守る神様だ。「稲(い)生(な)り」がその語源という。稲のような食物を祀る神を古くは「御饌津神(みけつかみ)」と言った。この神名に「三狐神(みけつがみ)」の字をあてたので、いつしか稲荷神の使いが狐になったという説もある。

◆稲荷神社の総本宮は伏見稲荷大社。かって、と言っても2000年以上も昔、この伏見の地にも狩猟民たちがいた。そこへ朝鮮半島から稲作の先端技術をもった人々が定住し始めた。この入植してきた人達は、朝鮮半島からの異民族で、この京都の地にやってきたのは「秦(はた)氏」と呼ばれる一族だった。かってこの地で暮らしていた狩猟民たちは、山の狼(オオカミ)を神の使いとしていたが、稲作の定着とともに狼は山に追いやられ、代わりに里にも住む狐が稲の神の使いになったという。北から南まで、その後 稲作文化が定着した日本列島。稲と狐の関係はますます強くなっていった。

 オオカミ信仰は、かって日本各地に点在していた。オオカミは人間を襲う獰猛な動物だが、同時に農作物などを食い荒らすイノシシやサルや鹿などの野生動物も襲うので、人間に恐れられながらも神聖化されていた。しかし、稲作の発達によりオオカミ信仰はキツネの稲荷信仰にとってかわられながら、日本列島の津々浦々まで広がって行った。

◆日本のオオカミは、明治時代になって絶滅した。イノシシや鹿などが猛繁殖し、畑や水田や森林が荒らされるのは、オオカミが絶滅したためだとも言われている。そこで、外国のオオカミを日本の山に導入するという案も何度が浮上しているが、それはそれで「野に狼を放つ」ということにもなりかねない。なかなか難しいことだ。

 オオカミの声は、何度かモンゴルの大草原の夕暮れの山々で聞いたことがあるが、それは ものすごく 大地と山々にこだまする、なんとも表現できない、神々しいような 王者のような びびきわたる 遠吠えの 声 というものだった。

 


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