第二次世界大戦において、世界各国の戦争による死者数(軍兵士と民間人)が多かった国として、①ソ連約2400万人、➁中国約2000万人、➂ドイツ約700万人、➃ポーランド約600万人、➄インドネシア約400万人。そして、次いで➅日本約300万人となっている。また、フィリピンの民間人も100万人余りもがこの戦争で死んでいる。
日本人における死者が最も多かったのは中国戦線。次いで1994年10月頃から45年2月頃まで続いたフィリピン戦線での約43万人。そして、1945年3月26日から始まって6月下旬まで続いた沖縄戦での約19万人。(東京大空襲では約10万人と推定されている。原爆投下による広島は約14万人、長崎は約8万人。当時、世界で原子爆弾を保有していたのは米国の3発のみで、1発は米国国内での実験に使用、そして、あとの2発は広島と長崎に使用された。)
1945年3月26日から7月2日までの約3カ月以上続いた沖縄戦は、日本軍約11万人、米国軍約50万人がこの戦いに参加している。米国軍は沖縄本島を囲むようにおびただしい艦船で取り囲み、空母だけでも17隻(正空母11・軽空母6)もあった。この3カ月余りの沖縄戦で、日本側の死者は約19万人。そのうち約9万4000人は沖縄の民間人だった。実に沖縄県民の4人に1人が亡くなったこととなる。米国側の死者は約1万2500人。この米国側の死者数の多くは、日本軍の米国艦船への特攻機によるものが特に多いとされる。
その沖縄戦では、沖縄県にあった21全ての中等学校と師範学校から生徒が日本軍に動員された。そして、3カ月間に及ぶ戦闘の中で約2000人が亡くなっている。
女生徒は主に従軍看護婦代用として従軍した。そのうちの一つの隊として、よく知られている「ひめゆり学徒隊」は引率教師・生徒合わせて約240人。
デェイゴの花が咲き乱れていただろう5月下旬には、日本軍の首里司令部が陥落。米軍に追撃された日本軍もひめゆり学徒隊も沖縄島南部へと移動し抵抗をつづけた。
牛島満沖縄軍司令官は、6月23日に自決し、事実上の日本軍の組織的な抵抗は完全に終わった。
軍とともに行動していたひめゆり学徒隊は、6月18日に日本軍より「解散命令」がおこなわれ、それぞれが一般沖縄民間人と同じように戦場を逃げ回ることなる。
ひめゆり学徒隊が最も多く亡くなったのは、沖縄南部の陸軍野戦病院の地下壕(洞穴/ガマ)に隠れていたところを、アメリカ軍の手榴弾や火炎放射器、銃撃などによる攻撃で100人余りが殺された。難を逃れ生き残った女子学徒たちは、「捕虜となった場の、アメリカ軍によるレイプや拷問などを受ける」と怖れて、6月22日までに、断崖などから身をなげて亡くなったり、手榴弾などでの自決した人も多い。
この3カ月間余りの沖縄戦で、ひめゆり学徒隊約240人のうち、約半数の136人が亡くなった。その亡くなったひめゆり学徒隊の人のうち、86%は6月18日の「解散命令」~6月22日の間に亡くなった。
悲惨なまでの地上戦が繰り広げられた沖縄の1945年の3カ月間。アメリカ側は、フィリピン戦線における米軍の死者約2万人に次ぐ死者数ともなった。これにより、米軍による次の日本本土上陸作戦の展開は、どれほどの米国側の死者数を出すことになるのか‥と、躊躇(ちゅうちょ)せざるを得なくなったとされてもいる。
■沖縄本島を米艦隊は包囲し、4月1日に上陸作戦を開始した。4月6日、山口県沖から戦艦大和は沖縄に向け出撃。ほとんど航空機の援護もなく、特攻的な出撃となった。7日、鹿児島県西方の海で、多数の米軍飛行機による襲撃を受け、3時間余りの戦闘の末、同日14:23分に沈没した。
大和乗組員3332人のうち、3056人が死亡。この沖縄戦では、1900機余りもの特攻機が九州各地から沖縄の米国艦隊に向けて飛び立っている。
この日本軍の特攻機攻撃で、米国側艦船は多くの被害を受け、数千人の米兵たちが亡くなった。終戦後、アメリカ政府・軍の統治下におかれた沖縄は、ようやく1972年に日本本土復帰がなったが、極東最大の嘉手納米軍基地などが残り続けている。
■「島唄」を歌い続けている宮沢和史は、「沖縄には借りがある」ということを言い続けている。宮沢自身が沖縄の音楽から学び「島唄」を作詞・作曲したこともあるが、「米軍の本土上陸戦」を思いとどまらせたことや、戦後の沖縄の基地に日本の安全保障は大きく依存していることなどもまた、「日本人は沖縄に借りがある」という思いになっているのかと思われる。
■6月23日は、旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日で、沖縄県が「慰霊の日」と定め、最後の激戦地となった糸満市の摩文仁の平和祈念公園では、戦没者追悼式が行われている。1945年6月23日以降も、散発的に日本兵の抵抗戦は8月15日の昭和天皇による終戦の「音玉放送」まで続いた。また、宇垣纏海軍中将は8月15日の終戦を宣言した「音玉放送」後に、11機の飛行機「彗星」(800kg爆弾を搭載)とともに、沖縄方面の米国艦隊への特攻を行っている。
元気に思考されていますね。安心しました。