彦四郎の中国生活

中国滞在記

「あゝ野麦峠」―女工たちが辿(たど)った道を訪ねる➊—製糸工場のあった諏訪方面から野麦街道を「野麦峠」へ

2024-08-03 08:36:32 | 滞在記

 2泊3日の信州(長野県)と飛騨(岐阜県)への旅。7月23日(火)の夜、伊那谷地方(長野県南部)に暮らす友人と会って再会の乾杯。友人から、長野県と岐阜県の県境にある「野麦峠」への行き方を詳しく教えてもらった。(※私は車にナビを掲載していないので、地図を頭に何度もたたきこみ[ナビゲーションして]、目的地に向かうやりかた。長年、車に乗らずバイクばかり乗っていた習性かと思う。)

 7月24日(水)の宿泊予定地は飛騨高山市(岐阜県北部)。長野県駒ケ根市から飛騨高山に行くのには、ちよっと遠回りになるが、「野麦峠」越えを行くことになった。この峠にはぜひとも行ってみたかったのだ‥。駒ケ根市から中央アルプスの峠の一つ「権兵衛峠」(※現在は「権兵衛峠トンネル」ができている。)を越え木曽谷に下り、そして北アルプスの峠の一つである野麦峠を越えて飛騨地方に向かうルートとなる。そして、明治時代から昭和時代初期にかけて、信州の諏訪地方(岡谷市など)から野麦峠を越えて12歳~25歳くらいの製糸女工たちが、故郷の飛騨地方に向かう道をたどりながら(※女工たちの道をたどる最終目的地は、白川郷に近い飛騨地方の古川町や河合町など)行ってみることとなった。
 24日(水)、この日の朝はあいにくの雨。ホテルを早朝7時に出発、友人に教えてもらった権兵衛峠トンネルに至るためのメモ書きとバイクツーリング用地図を頭でナビしながら農道を進む。山々は雨で煙っていた。権兵衛峠の標高は1522m。現在はこの峠道を車で通行することはできないようだ。権兵衛峠トンネル(全長4.5km)を通過して山を下っていくと木曽谷の木曽街道に入った。そしてここから、さらに山間の道である飛騨に至る野麦街道に向かう。

 午前11時頃、野麦峠に至るための山岳道路を標高を上げながら車で登っていくと、野麦街道のワサビ沢というところに「野麦街道の旧道」を示す看板が見えた。車を停めて、雨の中だがその「旧野麦街道」の古道(山道)を傘をさして歩いてみる。「野麦峠まで1300m」の木札もみえる。旧道の入り口には『あゝ野麦峠—ある製糸女工哀史』(山本茂美著)の文章の一節が書かれた碑石があった。

 その碑石の文章には次の文章が書かれていた。「しかし雪道の前進はなかなかはかどらなかった。いくら川浦衆の男衆でも腰まである前夜からの積雪を足でけちらして進むのでは、そうはかどるはずがなかった。そうかといって行列の先頭に足の弱い者を立てるわけにはいかない。 

 先頭は元気の者が選ばれて、川浦衆と一緒に工女は雪を踏み、第一に行く人の足跡を第二番手がまた踏み、その上をさらに元気な工女たちが続く。こうして三百人、五百人と踏んではじめてそこに道ができる。

 吹雪がひときわ激しくタイマツを襲って、いくつかを吹き消して通り過ぎた。もうだれも一言も発する者はなかった。吹雪はタイマツと共に工女衆の歌声も吹き消してしまったのである。

 ピューッ、ピューツと、鋭い刃のように吹雪が梢を通り過ぎる音が聞こえるだけだった。」

 この冬期の野麦峠越えの場面は映画「あゝ野麦峠」でも描かれていた。この文章に出てくる「川浦の男衆」とは、野麦峠の信州側の麓の村の人たちのことである。工女たちは「正月休み(10日間余り)」の12月末にこの峠を越えて、それまでに得た賃金を懐(ふところ)に入れて故郷の飛騨を目指していった。そして、また、正月休み明けからの仕事に就くために、故郷からこの野麦峠の難所を再び越えることとなる。

 (※工女たちの雪の峠越えスタイルは、・頭巾・わらの靴・私物は風呂敷で包んで背負う・手袋はなく素手・強固な防寒具は特になし、半纏[はんてん]のみ)

 野麦峠に向かって標高をあげながら車道を登る。ようやく雨が上がってきて、山々に山の煙が見える。高山植物らしき花々。

 野麦峠付近から山々を眺める。藤袴(フジバカマ)の花がたくさん咲いていた。高山アジサイらしき白い花も多い。

 「乙女地蔵尊」と書かれた標識があったので、細道を歩いて行くと可愛らしい顔の立ち地蔵があった。紫色の蛍草(ホタルグサ)も所々に花を咲かせていた。

 車道のそばに、再び「旧野麦街道」の道が見える。「乙女泣きし 野麦峠や いま若葉」と詠まれた石碑の周りに可愛らしい夏草花が咲く。野麦峠に着いたようだ。「➡野麦峠のお助け小屋」の標識も見えてきた。峠の供養塔がひっそりとあった。

 「旧江戸街道」と書かれた板の説明版。この峠道はかって、江戸と天領支配地であった飛騨高山を結ぶ道でもあったので、「江戸街道」とも呼ばれる時代もあったようだ。峠の頂(いただき)には、これより「岐阜県・高山市」や「長野県・松本市」の道路標識。峠付近は少し石畳の道もある。その石畳の小道を「お助け小屋」の方に向かって行くと、途中、「ああ、飛騨がみえる‥」の像があった。映画で、「結核になり体がやせ衰えていた妹を、飛騨から製糸工場まで迎えに行った兄。背負われて野麦峠に着き、"ああ飛騨がみえる‥"とつぶやき、この峠で息を引き取った妹と、そして兄の像」だ。

 この日は雨模様だったので、北アルプスの乗鞍岳(3026m)は雨雲に覆われて見えなかった。晴れていればここ野麦峠(1672m)から正面に美しく見えるようだ。(※北アルプス連峰にある野麦峠は、この乗鞍岳がよく見えるが、少し南方にある御嶽山(3067m)は見えないようだ。)

 そして、像の近くにある「お助け小屋」に向かった。

 

 

 

 

 


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