長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

日本語は難しい?

2015-08-18 08:50:06 | Weblog

近くに、天真庵を改装してくれたメンバーがシェアハウス兼ゲストハウスみたいなもんを

作ったので、この夏休みはそこにいろんな国からお客さんがきて、天真庵にもその流れで、

台湾人、アフリカ人、スペイン人さんたちが蕎麦を手繰りにきた。和食が世界中で人気のせいか、

みんな箸の使い方がうまい。ただヅルッと蕎麦を手繰るのは、まだまだ発展途上の人が多いような気がする。

昨日の濁点の話で思い出したけど、昔から日本語にはこんなものがある。わらべ唄のようにして覚えると

世界共通のものになるかもなんばん。

♪「日本語は澄むと濁るで大ちがい」

  ハケに毛があり ハゲに毛がなし

   福(フク)は徳(トク)なり フグは毒(ドク)なり

   ハカにおまいり バカはおかえり

   人は茶を飲む  蛇(ジャ)は人を飲む  

  ハハは美容院(ビヨウイン) パパは病院(ビョウイン)

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

明日の夜は「おんなかっぽれ」

無茶しぃの会に、茶人さんや文化人さんたちが集まってきた。昨日は茶会に出す豆腐料理を

一品開発した。夏はやっこさん、冬は湯豆腐を楽しみながらお茶会をやる。そんな凡庸で簡素

な日常が続いていくことを願う今日このごろ。今年の星野村のお茶はまたまた一楽。

 

 


今日は「福の会」  田んぼで採れた収穫物を神様にささげる。

2015-08-17 07:21:01 | Weblog

「福」というのは、そんな意味が含まれている象形文字だ。

美濃の陶芸家のおじいちゃん、そろそろ100歳になる翁が、新宿の伊勢丹で個展を

やっている時に教えてくれた。女子の店員さんにも聞こえるような大きな声で

「ついでに教えてあげるけど、「寿」というのは、田んぼで男のチンポがたっている姿なんじゃ」とのこと。

それはおめでたのはじまりだけど、昼まから、素面で、こんな話をするように、超越した世界にはやくいきたい、と思った。まさに、

白日青山に遊ぶ、の境地か?

うちの大家さんも福がつくけど、今日の易の先生も福田さん。それでこの会が「福の会」

といわれるようになった。今週末にいくけど、下関ではフグのことを「ふく」という。

濁点がとれると、毒も抜ける、そんな縁起だろう。酒蔵も濁るのをいみきらって、濁点を

名前にしないのがならわし。四季桜は、「しきさくら」なのです。

9年押上で天真庵をやってきたけど、お盆の最中に店をあけたのははじめてだった。

「逆里がえり?」というか、東京から離れた人たちが蕎麦を手繰りにきたり、恩人たちが遠く

から遊びにこられたり、あちらの世界から酒を飲みにこられたり、不思議なことがいっぱいあった。

この「現象世界」と、いつかいく「実相の世界」を自由にいききするようなところまで、生きていれれば幸せだと思う。

ときどき、酔っぱらったり、温泉の中でうとうとしたりするとき、「この世なのかあの世なのか」区別がつかなくなるような世界。

さて、これから「卵かけごはん」。とっておきの食べ方が、静かに優美に広がっていることの手ごたえを感じる今日このごろ。

たぶん来年2月の「味噌つくり」は100人を超えるのではないかと思われる。なんとか工夫して、こなしたいと思う。


もうひとりの恩人のKさん

2015-08-16 08:49:20 | Weblog

池袋時代のKさんがいないと、蕎麦打ちをやっていなかった。

Kさんの友達の建築家の白井さんが、広島の達磨の建築をやって、

そのご縁で、達磨の蕎麦打ち道場にいくことになった。不思議なえにし。

昨日は、愛媛の宇和島から大学時代の恩人のKさんの奥さまが蕎麦を手繰りにこられた。

Kさんは、ぼくが入学した時に、5回生やった。そのころ立命館の広小路校舎には法学部と

文学部が残っていて、ぼくたちは法学部だったけど、ELSに所属していて、シェクスピアやロレンス

なんかを原書で読んでいた。自分では苦学生と思っていなかったけど、大学の近くの荒神口に

「安兵衛」といううらぶれたおでんやがあり、そこでほぼ毎日のように、豆腐とうすあげで名誉冠という

伏見の酒を10本くらい飲んでいたので、下宿代がたまり、時計やオーディオが質屋をいったりきたりし、学食では

メニューにない「ごはんと卵」を注文して、食堂のおばちゃんが、てんぷらのあまったんとか、野菜のたいたん

なんかを、こそっとくれたりした。在る日、K先輩が「明日の朝三条京阪の駅にこいや」と誘ってくれた。伏見の

酒蔵でもいくのかいな?と思っていたら、淀の京都競馬場だった。臨時厩務員として、京都で開催される日に、

厩舎にはりつく仕事だった。京都大学、立命、同志社の乗馬クラブの人たちがほとんどで、そのアルバイト代

が、クラブの馬さんたちの「かいば料」になる、という日本競馬界の計らいだった。

その他に特別枠があって、「貧乏な苦学生を救う」意味で京都大学、立命館のワクが数席あった。

K先輩が、卒業していった先輩の空席を、ぼくにゆづってくれた。そのころ立命館の授業料が一年198000円だった。

競馬場から40万円もらうことになったので、まるで乗馬を趣味にするおぼっちゃんみたいに裕福になった。

最初に給与をもらった時に、Kさんが大宮通下立売下る(シモダチュウーリ、と読めれば京都通)にある

ライブハウスに連れていってくれた。coffee housu 拾得 と看板にあった。「しゅうとく」と読んだら

K先輩が「じゅっとくというんや。かんざんじゅっとく知らへんのか」と言われ、説明を聞いた。その日聴いた

音楽よりも、その寒山拾得の世界のほうが印象に残った。それから先、京都のお寺の屏風絵なんかに、

寒山拾得の絵を発見するたびに、田舎の学問より京の昼寝やと思った。時がめぐり、縁あって、愛媛の

南條先生と出会い寒山拾得のギャラリーを始めた。その直後にK先輩が仕事で上京され、天真庵にきて

寒山拾得の絵を見ながら、酒を酌み交わした。在る日、京都のKさんが下宿していたMさんから電話が

あって「Kさんが死にはった」とのこと。48歳やった。そして、息子さんたちが時々天真庵に蕎麦を手繰りにきては、

若かりしころの自分のおやじKのことを聞きたがった。昨日はふたりの息子と還暦を迎えた奥さんの「ちゃんちゃんこの蕎麦会」

になった。帰り際に南條先生の「寒山拾得」の短冊を持ってかえってもらった。まさに、里帰りみたいな話だ。

人は裸ひとつで産まれてきて、何ももたずに、ひとりで帰っていく。だから、お金も、財産も、恋人やつれあいや家族

もみんな借り物、神さまが必要な時に貸してくださる。だから必要がなくなれば、「ありがとうございました」と感謝して

かえす。そんなことを、粗衣粗食で生き暮らした寒山と拾得が教えてくれる。

「居」 今こうして、ここに、生かされていることに、感謝しない人は、日本人、人間ではない。

 

 

 


敗戦記念日

2015-08-15 08:28:17 | Weblog

今日は戦後70年目の敗戦記念日。

歴史は繰り返される、というけど、第三次世界大戦の「開戦記念日」や「終戦記念日」

がこの国の歴史に刻まれないことを願う。

そうでなくても「多死の時代」を迎え、まわりの縁ある人たちも、ずいぶん鬼籍に入り、今年

初盆を迎える。

先月友人から電話があり「Kが3月に死んだ・らしい」とのこと。

秋葉原で創業し、最初の作品のパンフやマニュアルを頼んだ会社の社長。

こちらは創業期で、地獄のような資金繰りをしていた時、うち担当の宅急便のにいちゃんだったY

さんが「池袋に貧乏な印刷屋があるのでぜひ使ってほしい」というので、親近感が沸いて

そこに印刷物を頼んだ。秋葉の事務所が狭かったので、半分くらいはその会社の倉庫においてもらった。

後日その倉庫にいくと、自宅兼の倉庫があり、敷地だけで600坪くらいあった。「貧乏?」と思ったけど

、YがぼくとKさんをつなげたいという気持ちが通じた。その後、池袋のKさんの会社にいったら「第一Kビル」

という看板があり、近くに建設中の「第二Kビル」があり、縁あって、そのビルが完成した時、ぼくの会社は

そのピカピカ新築のビルに移った。そのころYは病気で40の坂を超えずに旅立った。大きなウソをひとつついたけど、

とびっきり明るい笑顔が忘れられない。天真庵を押上に結ぶ3年くらい前、Kさんは何かのトラブルに巻き込まれ、

会社と家をとられ、消息がわからなくなった。歯医者にときどきいったりする時に、そのビルの前を歩いたりするたび

「元気にしているのだろうか」と心配していた。まだ少し早い旅立ちだったし、最後がどんな具合だったか知るよしも

ないけど、Kの春夏秋冬に緞帳が下りた。短かかったけど、盛大な人生だったと思う。ゴルフも一番やったし、

19番ホールを一番遊んだ飲み仲間でもあった。鎮魂。

 


手巻きすし パート2

2015-08-14 08:35:18 | Weblog

餅つきの時には、みんなが一体感ができる。それがすばらしい。

「おいしいものを食べる」より「おいしく食べる」ほうが、だんぜんうまい。

うちの甥っ子たちの一番人気がイクラだった。天真庵でやる気骨の鮨会では

、「このうにはどこでとれたの?」と聞くのがタブーだ。気骨の鮨職人が

「あの、ロスケがのっとった北方領土・・・」ということになり血圧があがるのだ。

ロスケ、というバカにした言い方は、70年前に終わった戦争の始まり、つまり

日本が中国や朝鮮やロシアを侵略しようとしていた時代のなごり。なごり

ではあるが、その「おごり」みたいなものが、たくさんの犠牲者をつくった。

縄文時代の途中まで、食べ物はみんなで狩猟にでかけ、獲物が採れた

時はみんなで分け合い、採れないときは、みんなで空腹に耐えた。

そんな時代に産まれた縄文土器は、生かされていることに感謝する神への畏敬

みたいなものがある。弥生になり米というものを発見してからは、「蓄える」という

ことができるようになり、「もっとほしい」・・・モアモアという欲がでてきて、争い

や貧富の差がでてきた。その時にできた器があの白い無味乾燥な器。

それが現代に至り、われわれは、同じような器を使い、解決の糸口が見えない

紛争と貧富の差ひしめく星・地球で70億の人間がどないして、喰っていこうかと右往左往している。

お米と米国を同じレベルで語りたくないけど、戦争を経済と結びつけて世界中で戦争をしかけてきた

張本人でもある。ベトナムで負け、中東で負け、兵隊さんたちも心も体もくたくたに疲弊しているのに、

また植民地よろしく日本人を巻き込んで戦争をしかけようとしている。彼ら肉を喰う時に、アゴをへび

のようにはずして喰うような姿を見るたびに、そこにアッパーしてやろうかと思う。

天真庵の建物は70年前の東京大空襲で焼けた時に、栄吉翁が建材を集めて建てたもの。

古色蒼然としているけど、「平和の70年がつけた古色」の風合いである。ひきかえに、70年もの間

、アメリカ軍の基地として犠牲になり続けた「沖縄」がある。北方領土や沖縄が他人事である日本人

がいる間は、ほんとうの「平和」は訪れないし、ほんとうの「幸せ」を感じる日本人は皆無ではなかろうか?

時々天真庵でやる沖縄の唄を聞いていると、そんな人間の悲喜こもごもの「いとなみ」が見え隠れする。

楽しい調べの中に、人間の根源的な孤独感が内包されている。

29日(土) 沖縄 Song Night

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

17時開場 17時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


手巻きすし

2015-08-13 08:46:44 | Weblog

昨日は、義理の弟くんの新居で手巻きすしパーティー。

ゆずもみうもいっしょで、弟くんの子供3人、合計5人の子供たち

といっしょにワイワイいいながの宴会。

中学2年になったゆずの成績表を見ると、「ほぼおーる5」だ。

少しおじばかになり「東大にいけるぞ」というと、「東大にはいかない」

といわれた。京大でもいい。兄弟はいないけど、ほかの従兄たちを母親

みたいにかわいがるゆずの姿を見て安心しながら美味いビールを飲む。

昨日はお盆のため、首都高はがらがらだった。

今日はこれから免許の更新にいってくる。お盆だから警察署も空いて

いるのではなかろうか。

今日の東京は朝から雨が降っていて、先週までの猛暑を少しやわらげて

くれているようだ。

先週は「炭八」が飛ぶようにでた。住み方を考えると、中心に「炭」が

あるというのは、しごく当然のような話だけど、その当たり前のことにがてん

がいる人があまたいることがうれしい。近くのブンカンの人たちが静岡から

水を汲んできてくれるのもうれしい。このふたつがあれば、健康で持続可能な生活の

8割は達成されるのではないかと思う。炭で浄化された空間で、おいしい水をわかして

お茶(もしくは珈琲)を喫茶するようななにげない日常の中に「人生の幸福」が満ちあふれている。

そんなことを教えてくれた先人や先祖たちに感謝する日がお盆。


一瞬の夏

2015-08-11 08:08:19 | Weblog

沢木耕太郎さんの作品にそんなものがある。カシアス内藤というボクサーの物語。

昨日は後楽園ホールにだいくんの応援にいく。カシアス内藤は元東洋チャンピオン。

昨日は息子さんが月間優秀賞に輝き、リングの上で表彰された。その息子の晴れ姿を

見に、カシアス内藤も後楽園ホールにきていた。緑色のポロシャツとレーガンのサングラス

がよく似合っていた。

その後のメインイベントにだいちゃんがでて、東洋太平洋のベルトをかけて戦ったけど、

健闘むなしく10回にTKOされた。

その前の試合で、熊本出身のボクサーが東洋チャンプになった。一瞬の夏ではないが、

ヨネクラボクシングジムに通っている時に、東洋チャンプだったクレイジー・キムこと

金山くんのことを思い出した。彼も熊本出身で、引退後は故郷でボクシングジムを運営している。

昨日はだいちゃんの計らいで、リングサイドの一番席、隣にラウンドガールがふたり座っている席で

観戦した。選手の汗や血が飛んでくる席でもある。ラウンドガールが3分おきにリングに上がるときに

目線に困る席でもある。紙一重。勝負の世界と同じだ。


これこそ、英語で蕎麦打ちかい?

2015-08-10 07:42:33 | Weblog

なんとなく、東京の隅のほうにいても「あ、夏休みだ」という感じがする。

正月や盆は、人通りが少なく、空気もきれいで、入道雲なんかを見つけたら、田舎の夏

を思い出す。

昨日は日曜日なので16時に閉店し、それから蕎麦打ち教室。

昨日は夏休みで東京にきた、正確にいうと、オレゴンから母親の国に里帰りしたふたりの青年

が蕎麦を打ちにきた。てておやがアメリカ人で、あちらではほとんど英語だが、時々夢は日本語で見るらしい。

DNAに日本人が組み込まれているので、ぼくのブロークンな日本語も感覚で伝わるようで、いい体験をした。

「蕎麦は、蕎麦粉と水オンリーで、シンプル イズ ベスト のワールドワイドのスローフードよ OK?」

というと、「OK」と帰ってくる。

水回しの時に「この作業は孤独よね。ロンリーチャップリンでも歌いながらやってね」・・・これには「?」だったけど、

「人の体にいいことをするには、自分を犠牲にする。これを滅私奉公ゆうねん」というと、「アイシー」

と帰ってきた。日本人も忘れかけてる精神が、オレゴンに生存しているいる奇跡に感動した。

これから「卵かけごはん」

今日は「だいちゃん」が東洋太平洋のベルトをかけて後楽園ホールで戦うので、

後楽園ホールに応援にいく。勝てばまさに「盆と正月がいっぺんにくる」日になる。

夢が実現すればいい。

昨日の青年たちもオレゴンに帰って、スタバを凌駕するような蕎麦屋の全米チェーン店のCEO

かなんかになった夢を日本語で見るかもなんばん。その店名は「スナバ」?

 

 


はちみつの話 ぱーと2

2015-08-09 09:04:50 | Weblog

昨日もそば後のスウィーツ「そばやのあいすくりん」がたくさんでた。

「夏のおすすめメニュー」になりそうだ。

昨日あたり帰省ラッシュが始まったようだ。小さいころ、夏休みになると、両親の

故郷の宮崎の「延岡」によくいった。小倉から6時間くらいかかっていたように思う。でも

その長さ、不便さがちょうど「旅」にふさわしい時間だったように思う。

延岡から日向にいく途中に「美々津」という場所がある。その名のとおり

「美しい美しい港」で、古くは高鍋藩の港として、栄えた。ぼくのおじきが

そこで「養蜂」をやっていて、延岡にいくと必ず何泊かして自然豊かな

田舎で蜂を育て、無農薬で野菜をつくり、製麺所で蕎麦をつくっていたおじきと

遊んだ。とりわけ、近くの耳川(美々津川をこう略して呼ぶのが、おしゃれでしょ)で泳いだ記憶は下関水族館に初めていった時と

同じくらい鮮明に魚の顔やかにえびの動きまで覚えている。

わけあって(病・ぐれたわけではない)、幼稚園を中退した時は、ひと夏のほとんどをこの土地で過ごした。

はちみつ好き、そば好きになったのは、この幼児体験が大きいと思う。いつか恩返しに、美々津で蕎麦会をやり、

おじきの墓に供えてみたいと思ったりする。

昨日は「インヨガ」だった。新しいHPの「卒啄珈琲塾」のところに、「違いがわかる男」が

幸せそうにほぼぶらじるを飲んでいる写真がある。ヨガをやり、蕎麦を手繰り、最後に珈琲

を飲む時、だいたいこんな表情になる。幸せな人がよろこぶ姿を見ると、こちらも幸せになる、そんな

気持ちがよくでた一枚の写真。昨日はこのモデルくんにこの写真をプレゼントした。またいい顔になった。

「幸せの連射写真」

今日は日曜日。昨日は夏休みということもあって、「親子でヨガ」というひと家族もいた。

今日は16時に終わって「親子で蕎麦打ち体験」みたいな日。やはり親子で蕎麦をうちにくる家族あり。

 


新しい人気メニュー

2015-08-08 08:25:31 | Weblog

お願いしている千葉のそば畑に先月遊びにいった。

HPに写真が掲載されている。そこにふたつのハチの巣箱を置いたら、

ハチミツができた。そばはちみつ。チーズケーキに使っているのは、

ハンガリー産のカシシア蜜。

そばはちみつは、少しクセがあるので、料理にはあまり適していないし、朝

パンにぬって食べる、というのも触手が動かない。

天真庵のメニューに「阿保守」、というのがある。アホガード。バニラアイスを

ガラスの蕎麦猪口に入れ、水出し珈琲を入れて食べる。

それを水出し珈琲ではなく、そばはちみつをかけて供するのが、新しいメニュー。

「そばちょこアイス」というメニューにしようと思った。ら、昔のあるできごとを思い出した。

友達と酒を飲んで、別れ際に「これ、そばちょこ。奥さんに渡して!」といって渡した。

蕎麦にも器にも関心のない友達は、奥さんに「これ、野村がくれた。そばのチョコレートらしい」

といった。包みを開けた奥さんが「そばちょこじゃない」と答えた。その友達がポカンとした顔で、

「そばちょこ・・・?」とつぶやいた。喰えない奴である。

そんな思い出があるので「そばちょこアイス」あらため「蕎麦屋のあいすくりん」にした。昨日は

初日だけど、5個でた。夏バテした体を蜂の巣みたいに広がって、癒されるような味。

今日は「インヨガ」。ヨガをした後のみんなの顔がいいん、ヨカヨカ、という感じ。

静かなストレッチみたいなインヨガを二階で一時間半くらいして、下で蕎麦と珈琲(この日は半分以上

の人が黒豆茶)で締める。2000円。東京に4000件くらい?蕎麦屋があるけど、落語をやったり

するとこはあっても、ヨガとそばの組み合わせは4000分の一ではなかろうかしらん?「よば」

とかいう名にたら流行るかもなんばん。