久しぶりに八郷にいってきた。昨年11月に「しげふじ」という蕎麦屋が緞帳を下げた。
うちの珈琲豆の石臼と同じ石職人の石臼で大豆を挽き、自家製豆腐を毎日つくっていて、
それを酒肴に「渡り舟」を飲みながら、眼の前の渡り舟という酒米の春夏秋冬を見ながら酒を飲む、
という贅沢な時間がもてる蕎麦屋だった。今年の連休明けに、この店が後輩が注ぐことになった。
「た辺」いや「田なべ」という看板。豆腐はないけど、地元野菜が前菜につく。それを酒肴に「渡り舟」を
飲む。人がかわっても、前に広がる田んぼの風景や里山の風情はそのまんまだ。
帰りに鹿島大社に寄って参拝し、お店にもどったら、久保さんから新作の酒器が届いていた。
薄ての焼き締めと斑唐津のぐいのみ。煎茶にも使えそうなくらいの大きさと品が具わっている。
さっそく玉露を入れてみた。口当たりがすっきりしていて、口の中に清風が吹くごとし。
斑唐津のほうには「死神」を入れて、一献。「備前と徳利に斑唐津」というのは、昔から左党のあこがれ。
昔から、急須は「美しい乳房」を連想しながら陶芸家も焼いてきたし、茶人もさもありなん、という傾向がある。
徳利は「ちんことっくり」というがごとく、「おとこ」の体を連想させるものがある。久保さんの「ちんことっくり」は
勢いよく酒がでて、しかもきれがいい。いつまでもかくありたい、という願みたいなものを彷彿させる。
最近は「夏吟」とかいって、飲みやすい酒をグラスに入れて飲むのが流行りらしいが、やっぱり、
ちんこをさすってもらったり、しながら好きなぐいのみで飲むほうが、粋ではあるまいか。
そんなことを久保さんと電話で話ていたら、二階で「蕎麦遊び」の予約が入った。
煎茶や普茶料理というのは、「喫茶」と「酒席」と「食事」の三要素が含まれている。文人たちが書斎で、
茶を飲み、酒を酌み交わし、季節のものでさっと食事をつくる、ような無類の楽しみがそこにある。
今回の「茶器」兼「酒器」と新しいちんこ徳利が加われば、天下無敵の普茶の会が、できそうである。
日々自分を磨く。器も磨かれる。「あのひとは器が大きい」なんていう器は、日常に使う陶器などを愛でて
きた日本人の美しい日常会話。大切にしていきたいものだ。
今日は天橋立で「出舟祭り」がある。三輪福さんがアマテラスさまになって踊る日。
明日は「隅田川花火大会」 ライブをやるのでお店は15時閉店。