長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

書をしよう会

2010-01-20 07:39:30 | Weblog
昨日は「書をしよう会」だった。
世の中のカルチャースクールみたいなところは、
壊滅的なくらいに受講者が減っているらしい。
でも、うちの勉強会の中で、地味な会だけど、
「書をしよう会」は、増えていて、会場がいよいよ
手狭になってきた感がある。でも、いろいろな意味で、
この会は、天真庵がお似合いだと思う。

天真庵の二階は、いつでも煎茶が楽しめるような「設え」
になっている。今は黄檗山の木庵の書を飾ってある。
黄檗山を開いた隠元和尚は、中国から、黄檗禅と、禅
とは切ってもきれない、お茶やお花の文化をもってきた。
それとまたきってもきれない、普茶料理、つまり精進料理の
根本みたいなものももってきた。木庵は隠元和尚の意志を受け継いだ。

天真庵の1階のピアノの脇に「生」という書がある。建築家の
白井晟一さんの書だ。白井さんは京都に生まれ、幼いころに
黄檗山で書を習った。成人してドイツに留学して、建築を学び、
松濤美術館や芹沢圭介美術館などを設計した。また彼の「書」
は、文人の書としては、最高峰にあるといわれている。

書家の書、禅林の書に比べ、文人の書というのは、おおらかな
中にも、融通無碍な世界を遊ぶ自由さみたいなものがある。
書をやろう会を主催している貞本さんの「書」は、そんな意味では
この世にふたつとない世界をもっているように思う。

世界中が、ものすごい勢いで、混沌としてきた。
じっとしていては、大変化の洪水に流されそうな勢いだ。
こんな時は、じっとしてはいけないが、あわててもいけない。
ほんとうに自分の行きたい方向、やりたいことを、
見つけ、腹をくくり、命がけで、その道を歩く、みたいなことが
それぞれ、大事になってくるのではなかろうか。

お茶を飲んだり、書をしたりするのは、「自分をみつめる」
という意味では、とても大切なことだ。
お茶・お花・書・蕎麦・日本酒・・・日本には、いい文化がいっぱいある。

今日は「かっぽれ」。ばかになりきる訓練をする会だ。

書をしよう会

2010-01-19 07:24:23 | Weblog
今日は書をしよう会の書初めの日。
今日から始める人が、もうひとり増えた。
昨日、昼そば、と昼酒を楽しんでいるところに、
女性がきて、蕎麦を所望された。あまりに
カウンターで、酒を楽しんでいるので、その女性も
「お酒いただけますか」ということになり、「花」
を飲んでいた。そして、カウンターに座りなおしたら、
いつものように、不思議な文人さんたちが、あまたやってきた。
そして、いろいろな話をしているふちに、「明日の書の会に
参加します」ということになった。
今日の「書の会」は、不思議な新人さんたちがやってくる。
「生やまだ」くんも、やってくるのだ。

この人は、おとうさんが「不思議エネルギー」を研究していて、
途中で「21世紀に花開く」と遺言して、その意思を受け継いだ
やまだ君が、がんばって、花が開くエネルギーの研究を花開かせ
んと、がんばっている。
15年くらい前に、そのエネルギーをペンに入れてぼくが、「元気ペン」
となずけ、アメリカで売り出したことがある。

明日は「かっぽれ」。

九州に里帰りしたようなイタリアン「オルト」

2010-01-18 07:10:10 | Weblog
そんな名前のイタリアンが、板橋にあると。
JR板橋駅の西口から歩いて、ワイナリー和泉屋の
すぐ近く。
ぼくはイタリアンとかは、ほとんどいかないけど、時々
オルトだけはいきたくなる。熊本の清和村あたりの農家がつくる
野菜をつかった料理などが、とても美味くて、「田舎に帰ってきた」
という気持ちになる。

オルトのシャフたちが、昨日蕎麦を食べにきてくれた。実をゆうと、
このシャフが、ぼくの一番搾りならぬ、一番弟子なのだ。
2年前に天真庵で、密かに蕎麦打ちを伝授した。彼はそれから、
週に3度くらい打ち続け、だいぶ上達した、らしい。
石の上にも3年、というけど、そろそろ「師範代」クラスの蕎麦が
打てるようになったのでは、なかろうか。

昨日は、鳥取砂丘で取れた長いもをうすくスライスして焼いて、
「がんつけ」をのせ、それを「花泉」のにごりをぬる燗にして、
出した。「ワインに似合う味ですね」と褒められた。
次回、板橋のオルトにいった時は、メニューにない「そばの創作料理」
を食べたいものだ。

今日は「ダメから始める中国語」だった。
先生の体調が、ダメになったので、今月は急遽、おやすみ。

明日は「書の会」。
書初めの日だ。「今年から書を始める」という決意をした新人さん
たちもくる。なんでも「始める」ということは、いいことだ。

明後日は「かっぽれ」
「今年から、かっぽれをやりたい」という人は、どうぞ
この指とまれ。
お花とかっぽれとお茶のお稽古は、天真庵の二階でやる。


がんつけ

2010-01-17 07:01:09 | Weblog
昨日、九州から「がんつけ」が届いた。
昔からある郷土料理だ。ちいさなかにを、からごと
つぶして、塩で味をつける。小さくつぶしているけど、
歯が強くないと、噛み砕けない。
酒の酒肴に最高だが、九州では、ごはんの上にのせて食べたり、
味噌汁のかくし味にした。アンチョビ風に最近ではパスタなんかに
使うひともいるみたいだ。

小さいころは、「こんなものどこがうまいんだろう」と思っていたが、
大人になり、酒を飲むようになったら、「たまらない」と思うように
なった。

今日は初煎会なので、これから、それようの蕎麦をうちに出陣。
いろいろな「はれ」の舞台に、そばはよく似合う。
今年の自分のテーマは、「茶」。
昨日は、角居くんに頼んでいた「錫の茶托」が届いた。
涼やかな風の下の清流に、若鮎が泳いでいるような風流な茶托だ。
病気療養中のワカも、若鮎のように元気になって、また天真庵に
泳いでくればいい、と願いながら、新しい玉露の封をあけて、
久保さんの織部の玉露茶碗にいれて、飲んでみた。
一瞬の中に永遠を感じるような慈悲深い味がした。

初煎会

2010-01-16 07:07:45 | Weblog
明日は、自分が習っている織田流煎茶道の初煎会だ。
雅号を「南九」にして、初めての初煎会だし、着物を
着て颯爽といきたいものだが、お店があるので、今年も
蕎麦だけが、初煎会に参加することになる。
うちでやっている「一滴の会」というお花のお稽古も、
料理人や芸術家など多士済々な人が多いが、煎茶の
会のほうも、陶芸家や音楽家など、「かわった人」が多い。

かわった人といえば、うちのお店にくる、しかもカウンターの
ほぼきまった場所に、座るひとも、「かわったひと」が多い。
昨日は、初めてのい人も含めて、「この辺で、カフェをやりたい」
という人が、いっきにカウンターに座った。まるで、時間をきめて
集まってきたみたいだった。

ひとりは、この道のことを熟知している人だ。
彼と焙煎とか、珈琲の話をしながら、
「これからのカフェは、珈琲がまずいけど、人がくる」
くらいの、人間力、つまり人を呼び込む人間の魅力みたいな
ものがある人でないと、店の経営はなりたたないのではないか、
という結論になった。背反することだけど、そうだと思う。

ぼくの蕎麦の師匠、達磨の高橋さんに、「師匠がもし中近東の
砂漠で店を出しても、お客さんがおいかけてくるのではないでしょうか」
と辺な質問をしたことがある。ちょっと間をおいて、「くるかもしれませんね」
といった。世界一周する飛鳥の中でも蕎麦打ちをしている師匠。ますます元気で、
蕎麦の伝道を、世界に向けて発信し始めた。すごい人だ。やはり「達磨」
なんだろう。でも彼の蕎麦は、やはり「うまい」。
人間力をもった人が、うまい、と思ったものをだすお店が、これからの
いいお店、かも。


慈悲深い蕎麦

2010-01-15 07:24:06 | Weblog
昨日は休みだったので、時々いく蕎麦屋に
酒を飲みにいった。
そこの「かえし」は、大豆が使われていて、しかも
国産の大豆で、その出汁がら、つまり「大豆のたいたん」
が、とても美味い。お酒を所望すると、女将さんがそれを
益子の豆皿にいれて出してくれる。徳利とぐいのみは美濃の作家もの
で、徳利の首をつまんで、手酌で大豆を酒肴に飲む「そば前」の
うまいこと、うまいこと。
お店を出して、日曜や祭日は、休みでないけど、人が休みでない平日に、
いきつけのそばやで飲む昼酒ほど、うまいものはない。

そういえば、来月の「伝授の会」では、味噌作りを伝授する予定だ。
お店をつくる前、つまり池袋時代から、味噌は自家製、もちろん
国産の大豆を使っている。
昨日はそばを食いながら、「蕎麦全書」なる古書を読んでいたら、やはり
そばやの酒肴としての、「味噌」が文語体で書いてあった。
蕎麦全書とは、江戸の文人・友蕎子が寛延4年に書いた本だ。

それを昭和になって新島という早稲田を出て、蕎麦屋をやりながら
蕎麦の研究者になった人が、現代版をつくった。
「蕎麦の唱」という本も彼は書いた。地方に残る蕎麦の唱を
旅をしながら、ひろいあげた。
「蕎麦屋の二階」というと、すこし艶冶な感じがするが、昔から
蕎麦というのは、そんな場面にときどきでてくるものだ。
「夜食に大豆を食べる」というのは、つまりは、そうゆうことらしい。
朝から解説はできないけど、少し頭の血を、下半身に流してみたら、「ピン」
とくる。こない人は、あちらの感度もそれくらいかもしれへん。

今日から「お仕覆の会」が始まる。
日本人が昔から大事にしてきた「つつむ」という文化。
とても楽しみ。

夜は「スケッチの会」だ。
先週、先生のわかなさんが、元気の年賀状をもってきてくれた。
写真はいっぱいあるけど、絵になった元気を見て、元気をもらった。

人を使うは 使われる

2010-01-14 08:25:01 | Weblog
よく経営学の本なんかに、そんなことが書いてあった。
二律背反することは、世のなかにはたくさんある。
また見かけとは、まったく違う人もたくさんいる。
たくさんのボクサーたちと、ふれあってきてわかったのは、
彼らひとりひとりは、普段はこころやさしい男子が多い。
孤独なリングの上にたつと、根源的な闘争本能がむっくと
鍛えぬいた肉体に憑依するいたいに、あらわれてくる。
草食系の男子が、都会の草原にあまた生息する昨今だが、
草が枯れ、食べ物が枯渇するような時代になると、彼らも
きっと、また新天地に、狩をしにいく野獣みたいな本能が
でてくるのではなかろうか。

昨日は、「伝授の会」だった。
初めてのお使い・よろしく、初めての蕎麦打ちをしに、
新人さんが、天真庵の店員専用門を、茶室のにじり口を
くぐるように、そうろうと入ってきた。
普段は、リングの上のボクサーみたいに、ひとりで蕎麦をうっている
のだが、昨日は解説をしながら、「水まわし」とか「菊なり」とか
「へそだし」とか、「切り」までの全行的を説明しながら、蕎麦
を打った。

さて、いよいよ新人ボクサーたちのデビュー戦だ。ゴングが鳴ると、
蕎麦粉を計り、水の量をじゃかり、恐る恐るこねばちに
水を入れる。「ほんとうに粉が水だけで、繋がるのだろうか」
「菊ねりが、自然にできるようになるの?」「猫手?こんなの
人間ができるの」「こんな大きな包丁で、あんなに細くきるの]
・・・・誰もが1度は味わう「?」を、みなさん素直に感じて
いるようだった。

できあがった、多士済々な表情をした蕎麦をゆで、
お昼にみんなで味わってみた。普茶料理みたいに、
大皿に蕎麦をもり、みんなで分け合って食べる。
デビュー戦は、生涯一度だけのものだ。それぞれの
蕎麦が一期一会の禅味にあふれていた。
これから。プロとしてやっていくには、まだまだ
練習が必要だが、ひとつの出発点にたったことは確かだ。
どの道も、いばら道だけど、楽しく歩いていってもらいものだ。
「人を使うは、使われる」

人にものを教える も 教わること多しだ


ご近所CAFE

2010-01-12 07:27:50 | Weblog
天真庵と同じ「文花一丁目」に、SPICE CAFEがある。
うちより先輩で、CAFE好き、カレー好きの人には、全国区の
CAFEだ。昨日は、今年初めてのカレー食べ始めを、SPICE
CAFEで食べた。
まずは、自家製のホカホカのパンが出てくる。かめばかむほど慈悲深い味い
味がする。それを酒肴?に生ビール。
「どうしてよそでビールを飲むと、こんなにうまいのか」・・・
といった感じの幸福感が空中にめぐってくる。
夜はそれから、盛り合わせの前菜か、今日の一品になるわけだが、
昨日は「シーフルドサラダ」を頼んだ。それをつまみに、ハイボールを
飲む。学生時代に大学の近くにシャンクレールという、
有名なジャズ喫茶があった。そこにハイボールがあったのでよく飲んだ。
ハイボールを飲むと、京都の味がする。ミルキーを食べると、ママの
味がするようなものだ。
そして、最後はチキンカレー。もちろん、日替わりや季節のカレーもあるけど、
ぼくは、小学校のころから、チャコレートはガーナ、お好み焼きは、ブタタマ、
カレーはチキンが定番だ。SPICE CAFEのチキンカレーを食しながら、
グラッパを飲むと、盆と正月と成人式がいっぺんにくる、そんな感じだ。

住んでいるとこや、通う学校や職場の近くに、素敵なCAFEがあると
ほんとうに幸せな気分になる。そんな環境にいない人は、チャンスがあると、
素敵なCAFEの近くに引っ越すか、自分で素敵なCAFEをつくる、と、
自分もまわりの人も幸福にすることができる。

今日は「英語で蕎麦会」
明日は「伝授の会」のため、お店はおやすみ。
いよいよ、蕎麦・煎茶・珈琲の寺小屋がスタート。
条件は、「本気で、それらを身につけたい人」
月謝は、一万円也。

おでん熱燗 昔の仲間

2010-01-11 07:33:45 | Weblog
昨日は大学時代の友達が蕎麦会にきた。
仁和寺の近くの古色蒼然としたアパートに
住んでいた。界隈は「京都魔界スポット」
に必ずでてくるところで、彼のアパート(4部屋)
の東南の部屋のベッドに寝ると、ときどき
「金縛りにあった」ということを友だちたちがいった。
「まさか・・・」と半信半疑だったが、やはり気持ちが
悪いので、なるべくそこには寝ないようにしたけど、
あるとき酔っ払って、そこに寝た夜に、でた。
みんなは、その部屋にでる女性らしき幽霊に「たみちゃん」
という名前をつけた。

そのアパートは古くて、太いロープで耐震というか、
かろうじて支えている、といった感じだった。
天真庵の建物を最初見たとき、その仁和寺のアパート
の印象がだぶった。

その友だちとは、大学の近くにあった「安兵衛」
といううらぶれたおでんやでよく、名誉冠の
徳利を並べた。バイトの金が入ったときには、
ふたりで20本くらいは空になった白い磁器の徳利が並んだ。

大学では「法律相談部」というのにお互いが属し、机を並べて勉強し、
夕方になると、徳利を並べて、人生の勉強をした。
そんなふたりが昨日は、エリカ庵で、ベッドを並べて、エリさん、リカさん
に、整体をやってもらった。「寄る年波」というやつだ。
でもまだ枕を並べて、討ち死にするわけにはいかないので、
「まだまだがんばろう」ということになった。
人生の「中じきり」みたいな50代というのは、いろいろな
意味で、半生を反省したり、悔いたりすることしきりだけど、
残りの人生こそ人生だと思うと、希望もわいてくる。
「お金をもらっても、若い時代にもどりたくない」
というくらい、おもしろい50代、60代を生きていきたいものだ。

エリカ庵

2010-01-10 07:25:28 | Weblog
今日は「エリカ庵」が二階に結ばれる。
えりさん、りかさんが、ヤンマージーゼルよろしく、
♪動かす力だ、エリカ庵!
みたいな感じで、体の凝っている部分を、ほぐしてくれる日だ。
12時から6時くらいまでやっているので、ストレスや運動不足や
加齢疲などを感じてる人は、きてみるのもいいかも。
今年のテーマは、「迷うより、行動」

昨日は「わぶ庵」で、オープニング?新年会?お披露目?
みたいなパーティーがあった。天真庵を改装してくれたメンバー
が、明治通りに面した元・喫茶店を改装して、いよいよカフェ
を始める。昼の責任者・夜の責任者、日替わり店長たちが、
いっせいに集まった。みんな、料理好き・人好き・酒好きのメンバー
だ。年も「親が団塊世代」の人たち。
お店の仕込みがあるし、今日はエリカ庵なので、早めにきりあげて
かえってきた。今朝6時過ぎにジョッギングをしながら前を通ったら、
まだ電気がこうこうと光っていた。みんなで夢を語りながら、夜
を明かしたのだろう。
そんな状態が長く続いていくことを期待したい。
企業もお店の経営も、「毎日毎日、同じことをあきずに続けていく」
につきる。