長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

人を使うは 使われる

2010-01-14 08:25:01 | Weblog
よく経営学の本なんかに、そんなことが書いてあった。
二律背反することは、世のなかにはたくさんある。
また見かけとは、まったく違う人もたくさんいる。
たくさんのボクサーたちと、ふれあってきてわかったのは、
彼らひとりひとりは、普段はこころやさしい男子が多い。
孤独なリングの上にたつと、根源的な闘争本能がむっくと
鍛えぬいた肉体に憑依するいたいに、あらわれてくる。
草食系の男子が、都会の草原にあまた生息する昨今だが、
草が枯れ、食べ物が枯渇するような時代になると、彼らも
きっと、また新天地に、狩をしにいく野獣みたいな本能が
でてくるのではなかろうか。

昨日は、「伝授の会」だった。
初めてのお使い・よろしく、初めての蕎麦打ちをしに、
新人さんが、天真庵の店員専用門を、茶室のにじり口を
くぐるように、そうろうと入ってきた。
普段は、リングの上のボクサーみたいに、ひとりで蕎麦をうっている
のだが、昨日は解説をしながら、「水まわし」とか「菊なり」とか
「へそだし」とか、「切り」までの全行的を説明しながら、蕎麦
を打った。

さて、いよいよ新人ボクサーたちのデビュー戦だ。ゴングが鳴ると、
蕎麦粉を計り、水の量をじゃかり、恐る恐るこねばちに
水を入れる。「ほんとうに粉が水だけで、繋がるのだろうか」
「菊ねりが、自然にできるようになるの?」「猫手?こんなの
人間ができるの」「こんな大きな包丁で、あんなに細くきるの]
・・・・誰もが1度は味わう「?」を、みなさん素直に感じて
いるようだった。

できあがった、多士済々な表情をした蕎麦をゆで、
お昼にみんなで味わってみた。普茶料理みたいに、
大皿に蕎麦をもり、みんなで分け合って食べる。
デビュー戦は、生涯一度だけのものだ。それぞれの
蕎麦が一期一会の禅味にあふれていた。
これから。プロとしてやっていくには、まだまだ
練習が必要だが、ひとつの出発点にたったことは確かだ。
どの道も、いばら道だけど、楽しく歩いていってもらいものだ。
「人を使うは、使われる」

人にものを教える も 教わること多しだ