長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

風が吹くと桶やが儲かる

2008-12-21 06:37:18 | Weblog
昔から風が吹くと桶やが儲かる、なんてことをいう。
昨日はお昼にいつものように杉浦酒店さんに電話して
「いつものようにお酒を6本お願いします」といったら、
いつものように、必ずやってくる人たちがいる。
ぼくの大学の後輩で、日経BP社で副編集長をやっているのだが、
くろうとはだし、というよりも酒に詳しい。まるで、くろうとはだかか・・・?

昨日は、「どぶろっく」「鍋島」「陸奥八仙」などを飲みながら、杉浦さんの登場を待っていた。少しまわってきたころに、まってました、という掛け声に、花道から登場する歌舞伎役者よりしく杉浦さんが、やってきた。
その中から「南」という高知のお酒をあけてみた。初めてだけど、たいへん
きれがよく、飲めば飲むほど飲めるようないい酒だ。
あまりにも酒が美味いので、いつも使っている、通称、「ちんことっくり」
を、古備前の徳利に変え、久保さんの斑唐津のぐいのみに変えたら、また
酒がうまくなったらしく、あいぼうのともやんとふたりで一升を少し超える
くらい、飲んでいかれた。しめの供した蕎麦は、下総農業高校の生徒たちの
蕎麦だ。彼らは、種を蒔いて、収穫して、製粉して、蕎麦を打って・・・
という全工程を学ぼうとしている。ぜひ卒業のお祝いには、「そば前の酒」を
ごちそうしたいものだ。未成年?そんなやぼなことをいっちゃいけない。
ちゃんと順番を踏んでいけば、お茶がお酒と繋がるように、おそばがお酒と
きりはなせなくなるもんだ。「茶味禅味蕎麦味」・・それらを味わう瞬間瞬間が
人生ではなかろうか?




忘年会

2008-12-20 07:27:55 | Weblog
忘れたいことがいっぱいあるような今日このごろ、
きっと忘年会は盛り上がって(荒れて)いるのではないかしらん。
でもそこまで飲む予算がなかったりして・・・

昨日はIT業界の社長が蕎麦を食べにきた。もう25年くらい
つきあっているので、四半世紀をともに旅したようなものだ。
普通に考えても「寄る年波」を迎えている。
いろいろな辛酸をなめ、会社がつぶれそうになっても、なんとか
ふんばってきた。最近遊びにくる社長たちは、年だけでなく、
少し元気がなくなってきている。
でも「元気のないときに元気にならないと、人はついてこない」。

身近かな人たちを、元気にする。「やさしさ」とか「元気」を
ひろげていくひとが活躍する時代だと思う。

夕方は、Kさんが「個人的な忘年会です」といって、カウンターで
「鍋島」を飲んでいった。
彼は昨年離婚して、この街に移り住んでいた。でも縁あって素敵な女性
と再婚して、今は、2度目の新婚。
いつも酩酊すると、「三度目の正直はないように」と釘をさす。
でもそんな冗談が通じないくらい、今は幸せそうだ。

青山の器やの女主人からハガキがきた。「吉田明さんが、旅立った。
また寂しくなります」とのこと。
彼の三島茶碗でそばがきをだしてみたい、なんて思っていたけど、
かなわなかった。ご冥福をお祈りしたい。 合掌

銀座の骨董や

2008-12-19 06:26:54 | Weblog
羊頭狗肉みたいな器やに翻弄されたので、気分をかえて
昨日は銀座のなじみの骨董やさんのところへ、
年末の挨拶にいった。少し主人に借金があったので、
それを手渡すと、いつものように丁寧に玉露を入れてくれた。
「いい染付けですね」と答えると、「清水六兵衛です。いいでしょう」
と主人。お菓子はぼくの大好きな山田饅頭だ。
この骨董屋は、来年80歳になる。古色蒼然としたその店で
生まれ、ずっと銀座で生きてきた。人は彼のことを「銀座のななふしぎ」
とか「都会の仙人」とかいう。本人も「変った人」や「古いもの」をこよなく
愛するので、彼のもとには、変人やボロが全国から集まってくる。

ある日、骨董仲間と酔っ払って、不思議な掛軸を買ったらしい。
絵も書も書いてなく、ただ古い和紙が表装された掛軸らしい。
それを奥さんに見せたら、「かなり酔っ払ってましたね」といわれた
らしいが、数日後に「これはいい」と買っていったお客がいたとか。
昨日はそんな話や、いつものように京都の寺や奇僧の話をして
いたら、あたりが暗くなった。主人のイスの後に張り紙があって
「二時間以上は話をしないようにお願いします」と書いてある。
だいたい本人が一時間半くらい一方的に話をして、ガラス越しの
公園の木々などを見ながら、おいとまする、というのがならわし。

「一服のお茶を楽しみながら冬枯れの木々を愛でる」
人間の尊厳を無視したような不当解雇みたいな事件が
毎日報じられているけど、ぼくたち日本人には、
お茶のようなすばらしいものを先人が伝えてくれている。
せめて、1日に一回くらいは、そんな時間を持ちたいものだ。










昨日は師走みたいにあせって走った。

2008-12-18 09:46:38 | Weblog
昨日は朝から雨だった。
傘をさして、豆やまで豆を買いにいった。
正月用の黒豆ではない。味噌をつくる大豆でもない。
珈琲の「生豆」。いつもは、電話して宅急便でおくって
もらうのだが、ときどきは気分転換と情報収集をかねて
現場にでむく。

帰りに駅前のガード下の古色蒼然とした器やの建物の玄関に
「建物が老朽化したので、閉店セールをします。
古伊万里、唐津など原価でお譲りします」みたいなことが
書いてあった。ちょうど隣のブティック、というかブチック
みたいなお店の主人がお店を開けようとしていたので、
「隣の器やさんは、まだやっていますか?開店は
何時ですか?」と聞いたら、不機嫌そうに、「張り紙に
書いてあるでしょう」と答えられた。
ここで切れるとせっかくの縁がきれるので、気をもちなおし、
張り紙を見ると「10時半から」と書いてあった。
30分くらいあったので、鳥肉をかったり、野菜を買ったりして
10時25分くらいに戻ってきたら、お店はまだ、うんともすんとも
していない。たぶんお店の二階に住んでいるのだろうと思い、張り紙
に書いてある電話番号にかけ、「今日は何時ころあけるのですか?」
と聞いたら、「十一時には開店します」と不機嫌な声。
しかたないので、近くの「なかう」でうどんを食べ、11時5分
前にもどると、やっと店を開きかけていた。
「さっき電話したものです。奥を見せてください」というと
「開店の準備にあと30分かかる」という。
かなり「きれ」かけたけど、ウィンドウ越しに中を見る。
古伊万里や「骨董」らいきものは、どこにもない。そんじょそこらに
ある大量生産ものばかり・・・・
お店の人たちだけが骨董だった。荒唐無稽な話だけど、それから
自分のお店の開店のために、走ったこと、走ったこと。
師走を実感した1日。

箱根

2008-12-17 07:06:13 | Weblog
昨日の夕方、箱根の有名旅館の美人女将が蕎麦を食べにこられた。
どちらかというと、地方の名もない温泉が好きなので、有馬とか
下呂とか草津とかにはいったことがない。
ゴルフをやらない人が、「あんなもの年とってからできる」
みたいまこというように、「年とってからいけばいい」と思っている。
だから、近場の箱根は、ほとんどいったことがない。

帰り際に「ぜひ一度きてください」というので、「正月は空いていますか?」
と聞いてみた。ら、やっぱりこんな時代ではあるけど、正月は満杯らしい。
もうすぐクリスマス。都内の有名ホテルは、かなり空き部屋があるみたいだ。

今日は「かっぽれ」。
続くかな?と思っていたけど、来年までやっていけそうだ。
着物もなんとかひとりで着れるようになった。
春に招待されている結婚式には、着物ででようと思っている。

経済も政治も混沌としてきたけど、「原点に返る」「日本人らしく生きる」
「自分らしく暮らす」みたいなことを、温泉でも入りながら、ゆっくり
考える時かもしれない。
「温泉」「熱燗」「湯たんぽ」「おでん」・・いいね~!






老後の趣味

2008-12-16 07:04:29 | Weblog
定年になると、「毎日が日曜日になる」けど、毎日が日曜日
というのもすごく大変みたいだ。よくいわれるのは「ひとりで
やれる趣味をもつ」ことが大事になってくる。
「老後は旅行やゴルフ三昧をやってみたい」なんていう人が
いたけど、こんな時代になってくると、経済的にままならぬ
ことは、老後に継続するのはむずかしくなってきそうだ。

「お金があまりかからなくて、ひとりでできて、ボケ防止になり、
健康にもいい」ことがいい。
そうなると、昨日やった「スケッチ」なんて最高だ。
朝おにぎりとお茶とおやつと、スケッチブック、サインペンを
バッグに入れて、歩きたい街をブラブラしながら、気にいった
場所をスケッチすればいい。時々は遠出して、好きな場所をスケッチ
すればいい。「写真」よりも、気持ちが投影されやすいし、ひとりひとりの
思いが表現しやすいと思う。

今日は「書」。書も筆と紙があれば、いつでもやれるし、
これまたひとりひとりの人格が投影されて実におもしろい。
お金もあまりかからない。でも昔から墨や硯や文鎮や水滴は「文房四宝」といわれ、ピンキリではある。いつも稽古に使っている硯なんて、貞本先生が
骨董やで買ったものだが、成年男子の冬のボーナスではおいつかないくらい
高級なものだ。

「かっぽれ」も、あまりお金がかからなくて楽しめる。
でもこれは「体力」がいる趣味だ。




ホホバオイル

2008-12-15 07:10:03 | Weblog
厨房の片隅にホホバオイルの原液をおいてある。
アリゾナのインデアンたちが「奇跡のオイル」として、怪我
ややけどをした時に塗ったり、薬にしたりしてきたものだ。
今は高級化粧品の原料として珍重されたり、心臓のペースメーカの
潤滑油として使われたりする。
ぼくは、それを蕎麦包丁の手入れに使っている。

冬になって10℃を下回ると、ホホバオイルが白く凍る。
そうすると、天真庵では毛布を用意したり、ストーブや
炭の冬支度が始まる。

昨日の朝は初めてホホバが凍った。ので、カウンターの上の胴の熱燗器や火鉢に炭を入れ、
ガスストーブにやかんをかけ、イスには毛布をかけた。

古い日本家屋は、冬が寒い。サッシではないし、隙間風が冷たいのだ。
でも、それが季節感でもあるし、自然につつまれているみたいで
心地いい。春夏秋冬、エアコンで管理されているというのは便利だけど、
よくよく考えてみると、動物園の動物であったり、水族館の熱帯魚みたいな
ものと変らないかもしれない。「人間だもの・・」を感じながら生活するには
やはり、古民家がいい。

なんてことを、ヨッシーと話していたら、福島から「古民家の再生」
に尽力している友だちがやってきた。
ヨッシーはベルギーで、ビオラの修行をし、最近帰国して、近くの
通称「おめかんさんの家」に移り住んで、音楽活動をやている。
将来は「古民家」に住んで、その土地でとれたものを料理したり、
自分の仲間たちとそこでコンサートをやったり、お茶会をひらい
たりするのが夢らしい。

という塩梅で話が盛り上がり、ざるそばを食べにきただけの人たちが、
ざるのように、日本酒を酌み交わしながら閉店まで、まるで北国の
囲炉裏端で座を囲んでやるような飲み会になった。

今日は「スケッチのお稽古」。
明日は「書をしよう会」
明後日は「かっぽれ」

26日の「天真庵の忘年会・もにじんライブ」も、残りわずかに
なってきた・・




断食をやめた?

2008-12-14 07:27:23 | Weblog
池袋からこちらにお店を出して、家も引っ越して二年近くになる。
その間、新聞を読まなかった。長いこと「日経」とか「朝日」とか
をとっていて、もちろん「BCN・コンピュータニュス」(今も
とってる)とか業界の新聞もとっていた。
お店を出して、忙しいということもあるけど、新聞や広告の整理なんかが
面倒だし、あまり明るく前向きで文化的な紙面も少なくなったので、
「情報の断食」みたいに、新聞はやめていた。

昨日から朝日新聞を解禁した。「天声人語」も久しぶりに読んでみたら、
1日断食した後に、うどんを食べるみたいに五臓六腑にしみるような
感動があった。いろいろな意味で、毎日やっていることを中断するのも
いいことだと思う。
「毎日通う道を変えてみる」「毎日降りる駅を変えてみる」
「毎日通う会社を変えてみる」「毎日顔をあわせる女房(夫・恋人)を変えてみる」・・・・

なんてこといいながら、これからまた「毎日やっている焙煎をする」「毎日やっている蕎麦打を」しに、お店にむかう。 感謝。


みんな「みよこ」になろう!

2008-12-13 07:03:18 | Weblog
昨日は一週間ぶりに店をあけた。
まず、寒山拾得の拾得(ぼくのメルアドはjyuttokuなのです)のように、
ほうきで外を掃く。毎日の7倍のゴミがある。タバコのポイステ、いろいろな
メーカーのコーヒーの空き缶、ヤクルトの容器(近所のパチンコの景品の交換所
でもらえるらしい。それを捨てるのをならわしにしているのがいて、同じ場所に
捨ててある。ただし毎日ではない。玉がでた時だけ)、街路樹の落ち葉(これは
ゴミというより、自然な落し物)、マスク(これは、老人が多い場所がら・・?)
、表の陶器の甕の中には、空になった塗料のあきかんも捨ててあった。
拾得が、お寺のまかないをしたり、食事の用意をしていたというけど、
掃除をしたり、料理を作る、という工程の中に、ほとんど修行する材料が
いっぱいある。そんな人たちを、天座(テンゾというけど、それでは変換できない)といって、昔から上等の位においたらしい。
座禅をしたり、お経を読んだりするのが修行ではない。日常の中に
あるのだ。

みんなが「みよこ」になると、おかまが世の中にあふれそう。
昨日は、それから蕎麦をうつ。昨日は、千葉の下総農業高校の人たちが
丹精こめて作ってくれた「新そば」。一粒一粒に、彼らの汗とか夢とか魂
がこめられている。昔からよく禅の坊さんが「粒粒皆辛苦」と揮毫した。
お米も、大豆も黒豆も枝豆も、みないろいろな人たちの辛苦の結晶なのだ。
それがまた石臼でひかれ、水をぶっかけられ、菊練りされ、のし棒でのされ、
人の首をも切りそうな蕎麦包丁できられ、沸騰したお湯にぶちこまれ、
そして人間に食べられるのだから、ほんとうに「身を粉にして働く」
わけだ。だからそんな命を紡ぐぼくたちも、昔の人がそういったように
「身を粉」(みよこ)にならなくてはいけない、そんな時代に
なった。別に「大変な時代」になったわかでなく、昔から日本人は
そうやって生きてきたのだと思う。だからみんなが、みよこになると、
この国はまた日本にもどると思う。

下総農業高校では、これから、蕎麦の種を植え、収穫し、製粉し、
蕎麦を打つ、までの全工程を学んでいくらしい。
昔から「一物一体」ということがある。部分的ではなく、全部やらないと
わからない、みたいな意味だ。
庶民的な感覚をもたずに庶民を語る政治家、あの世にいったこともなく
あの世を語る宗教家、料理ができずに、うんちくだけを語る料理研究家・・・
世の中には、「はりぼて」みたいなんがあふれている。

一に健康二に健康三四がなくて五に遊びのような仕事

2008-12-12 06:42:33 | Weblog
都会の仙人ではないけど、ほとんどお店にいるので、
携帯を使わなくなった。もともと、かばんの中に入れていたり、
どこかにうっちゃっているし、留守番機能にしていないし、着信が
あっても、電話がきらいなので、ほとんど折り返しの電話はかけない。
ので、「携友?」はほとんどいない。携帯での「メル友」は、「セカチュウ」
ではないけど、世界に3人といない(いまどきちょっとおかしいかも?)

でも休みのときに、2年ぶりくらいに着信があった。
ソフトバンク時代の友達の名前だ。「?!」と思って
めづらしく電話をした。
「ひさしぶりに電話があり、それが普通より早かったり、普通より遅い
時間だったりすると、だいたい、ほとんど、いい内容ではない」
が、やはりあまりいい話ではなかった。
「難病がすすんで、代々木のJR病院に木曜日まで入院している。
もう余命が5年くらい」とのこと。

「余命5年」という言葉にひっかかった。誰も「余命」なんか
わからないし、50を超えると、50を超えられなかった友だちも
でてくるし、ガンや成人病や難病やぼくみたいに慢性の金欠病に
おかされている人間があまたある。しかも明日は会社やお国が
つぶれるやも、という時代。「余命5年と宣告されたくらいで、
へこんではいけない」。
「よし、渇をいれてやろう」というわけで、久しぶりに代々木にいった。
昭和が平成になるころ、事務所が代々木にあったので、
目をつぶっても歩ける街だけど、久しぶりにいったら
まったく変っていた。病院にいったら、やはりソフトバンク
時代の友達が見舞いにきていて、三人で一階のカフェで
談論風発。
見舞にきていた友だちの名刺に「ソフトバンクモバイル株式会社」
とあった。潮留にあるらしい。車椅子の友だちを、押しながらエレベータ
を待つ友達の後姿を見たら、「過ぎ去った時間の長さ」みたいなものを
痛感した。

一日一生。人間は毎日毎日、生まれたり、死んだりしながら、
まるで生・滅・生・滅・・とお経みたいに繰り返しながら、
あの世とこの世を往復しているようなものかも知れない。

今日はひさしぶりにお店をあける。
蕎麦は、下総農業高校の人たちが、丹精こめてつくった「しもっこ蕎麦」
の新そばだ。
ワカも遊びにくるらしいし、夜もおもろい連中が蕎麦を食べに
くるので、楽しみな金曜日。