長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

元気なじいちゃん

2014-03-11 08:09:04 | Weblog

昨日は、東京大空襲69周年。

お昼に素敵なおじいちゃんとおばあちゃんが、蕎麦を手繰りにこられた。

おじいちゃんは幼いころ、十間橋の近くに住んでいて、その空襲でお母様を亡くしたといことだった。

小学校は、十間橋通りの踏切のところにあった「請地(うけち)小学校」(今は廃校になっている)に

通っていたので、毎日天真庵の前を往復していたということだ。今は所沢に住んでいて、今朝思いたって

池袋経由できたということだった。お年を聞いたら82歳。うちの母親も昨日で82歳になった。

帰り際に「もう足が悪くてこれないと思しますが、いい見納めができました」といって、かぶっていた帽子を

丁寧にとられて、一礼されていった。「きちん」と礼節をわきえた昭和の日本人をひさしぶりに見た気がした。

その後、なんとなくクラシックが聴きたくなって、シューマンなどを聴いていたら、なんかの拍子で、3年間

近く動かなかった柱時計が動いている。その隣には、掛けてまもない「おかげさん」という大徳寺さんの

墨絵が笑っている。芹沢光治良先生の晩年の著書の「神の微笑」から始まる「神シリーズ」「人間シリーズ」

の中にでてくる伊藤青年(後に大徳寺さんになる)の書。すごく不思議な縁で知り合って、この現象世界と実相の世界をたくさん学ぶ

ことができた。先週青山の古品屋に積まれた本の中に「神の微笑」を見つけた。「あの人に読ませてください」と声

がしたので、勝手にその人に郵送した。

夕方に蕎麦を手繰りにきてくれたアコーディオン奏者の岩城さんにそんな不思議なことを

話したら「時代が動く始めたのかもしれませんよ」と、美人貯金が満額になったようないつもの笑顔で答えてくれた。

今日は「大震災から3年」になる。ちょうど三年前のその日は、お仕覆を二階でやっていた時に揺れた。

ぼくはチーズケーキを均等に切る作業をしていて、二階から降りてきて「火をけして」という女将さんの血相をかえた

顔を見るまで地震に気付かなかった。あの日の夕方は「おでん」をカウンターに座った音楽家たちとつつきながら、

「これから」の話をしながら酒を酌み交わした。今日は「タイムドメイン」。みんなで「今」を語りあいながら、酒を酌み交わす日。

おいしいものを食べる(飲む)、のではなく、「おいしく食べる(飲む)」ほうに、重心を置く日。その条件は「気のおけない仲間

たち、いい友達を持つことだ。いい友達を持つには、まず自分がいい友達になる訓練をすることだ。いつでも、どこかれでも、

なんの道具も使わずできる訓練。失敗してもやりなおすことができる訓練。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」