長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

おじいちゃんやおばあちゃんに助けられ・・・

2014-03-10 07:29:05 | Weblog

天真庵のある古色蒼然とした建物は、69年前の今日、つまり東京大空襲の時に焼けて、

その年に立てられたものだ。一日に10万人が亡くなり、界隈でも逃げる方向や風向きなどに

よって運命を左右したらしい。床を掘り返した時に、焼夷弾によって焼けただれたビール瓶か醤油さし

のようなものなどが、あまたでてきて、その日の阿鼻叫喚な世界を垣間見た気がして、一部を神棚をつくり

祀らせてもらっている。この建物は25年くらい使われていなかったのだが、そこの大正14年生まれのおばあちゃん

が「栄」というぼくの名前と、彼女の父(その建物をつくったひと)が栄吉という名である縁に好感をしめして契約してくれた。

駐車場の大家さんは、新潟からガラス職人のところへ嫁入りにきた昭和1ケタのおばあちゃん。お金を払いにいくたびに、

苦労話とか応援話を最低1時間はしてくれて、開店にまにあわなくなりそうなこともあったけど、帰り際に新潟の酒をもたせて

くれて、背中に「がんばりなさいよ」と元気に声をかけてくれた。親戚の人たちと蕎麦を食べにきてくれると、

「一万円おいていって」といって、おつりをとらないことを強制していく上に、自分をすきを見て、こそっとお敷の下に一万円を

偲ばすような、粋なはからいをしてくれた。どちらも天国に召されたけど、恩人だ。

この春は85歳の「たまちゃん」が三味線をひいたり、奴さんを踊ってくれそうだし、毎日のように赤い自転車でくるsさんも91歳

で暮れに92歳だ。元気なおじいちゃん・おばあちゃんがイキイキワクワク暮らせる国は幸せな国だと思う。

まだまだ「おじいちゃん」と呼ぶにははやいけど、今月も鮨を握ってくれるKさんも75歳。般若くんが立派なまな板を

つくってくれたり、竹の清水さんが大分で、こはだなんかを仕込む竹の笊をつくってくれたり、久保さんが魯山人に負けない

くらいの、焼き締めのまな板皿を焼いてくれたり・・・舞台装置が整ってきた。

鮨というのは、主人の人間性まで食べる、のを良しとする。それと「おいしく食べる」には気のおけない仲間といっしょ

というのが最低条件である。蕎麦の「つなぎ」でいろいろな人と縁が広がってきたけど、鮨の「むすび」によって、今後

どんな人たちと繋がっていくか、また楽しみである。

これから「卵かけごはん」夜が「易の勉強会」

明日の昼が二階で「お仕覆の会」夜が「タイムドメイン」

12日13日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

15日が昼が「お花のお稽古」夜「クラシックコンサート」(満席御免)

4月の京都のお茶会にくることになった奈良の「デルベア」の主人(ぼくの修行したからふね屋の後輩で、先月たまたま店にきた人)

から、バームクーヘンを喰わへん、とばかりに昨日日本一安全なバームクーヘンがやってきた。ちょうど「たくみ」くん

らが来たので、みんなで試食した。これは、筆舌が及ばんもんやね。

今日は少し焼いて食べてみたいと思う。珈琲につけて食べても美味いと書いてあったので、それもやってみたいと思う。

彼のHP「デルベア」を見たら、精しく材料や作り方を説明しているけど、これは一度食べてみて、味蕾と五感で味わってみるのを

お薦めいたす。未来がパーっと明るくなるね、こんなホンモノに出会うと。