長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

BCNの吉若徹さん 旅立つ

2010-02-04 07:48:26 | Weblog
ワカがいった。BCNを奥田さんといっしょに立ち上げた。
雪のそぼふる節分の日の夜にワカが旅立った。

♪風にふるえる 緑の草原
たどる瞳かがやく 若き旅人よ
お聞き はるかな空に鐘が鳴る
遠いふるさとにいる 母の歌に似て
やがて冬が 冷たい雪をはこぶだろう
君の若い足あと 胸に燃える恋も埋めて
草は枯れても いのち果てるまで
君よ夢をこころに 若き旅人よ

赤い雲ゆく 夕陽の草原
たどる心やさしい 若き旅人よ
ごらん はるかな空を鳥がゆく
遠いふるさとにきく 雲の歌に似て
やがて深いしじまが 星をかざるだろう
君のあつい思い出 胸にうるむ夢を埋めて
時はゆくとも いのち果てるまで
君よ夢をこころに 若き旅人よ
ん、ん……

飲むとよく「旅人」を歌った。彼の人生みたいな歌だ。
はもるところがくると、マイクを渡された。そして自分は
はもるむずかしい部分を歌う男だった。万事がそんな感じで、
自分をいつも、ちょっとひかえめのところに置いて、考え、行動
する男だった。だからあまり目立とうとしなかったけど、細かな
こころ使いが見事で、どんな場所にも彼の居場所がしっかりあった。
でもいつも「自分」ではなく、人の「出番」や「居場所」を探して
いるようなやさしい男だった。

天真庵にくると、いつもカウンターの端っこが彼の「居場所」だった。
お客さんが混んでくると、すーと立って「じゃ お勘定お願い」
といって、席をゆずった。ゆっくりできる時は、目を輝かせ、
手をくにゃくにゃさせながら「夢」を語った。天真庵の開店一周年
の日に、荒武裕一郎くんというジャズピアニストが、演奏してくれた。
ワカが応援していた若手のホープだ。そしてワカが「天真庵にピアノ
をカンパしよう」と叫んだのが縁で、近所の方が、古いピアノを
くれた。それから、天真庵には、いろいろな音楽家たちが、集まってきて、さながら「ライブハウス」みたいなカフェになってきた。

そして昨年の春には、「墨田ぶらり下町音楽祭」が、音楽家たちと町のひとと
ボランティアの人たちの協力で開催することができた。秋には「三丁目のジャズ祭り」というイベントを3日やった。どこの町にもある普通のシャッター通りにある、壊れかけた長屋を改装し、骨董のような少しくたびれた主人が、古いピアノや、道具類を並べただけの話だけど、そこに「居場所」を見つけた人たちが、蘇生していろいろな「出番」をつくってくれた。

よくワカと話をしていたのが、「こんなことが町おこしの源流ではないか」「ここでできること」というのを、全国の町で、それぞれ、こころざしをもった人がたちあがったら、国とか政治とかに寄りかかることなく、新しい雇用や芸術や農業やものつくりなどをするひとたちが、
いきいきと暮らしていける「未来」を、手づくりでやっていけるのではなかろうか、というようなことだ。彼のふるさと熊本の人吉に、「ログハウスをたて、毎朝蕎麦を打ち、自家焙煎のコーヒーをいれ、時々音楽家
たちがコンサートをやってくれる・・・そんな夢を見ています。」
というのが、彼からきたメールの最後だった。彼が食道ガンに
羅病してから綴ったブログがある。「恭福庵」
短い一生だったけど、たくさんの友だちの「居場所」と「出番」
をさしあげた、素晴らしい旅人生だった。
そして、ぼくたちも、この星にやってきたつまのまの旅人。
「旅の途中で終わるかもしれないけど、やりたいことがあったら、
後まわしにしなくて、すぐにやっておくほうがいい。」
と話していた言葉がこころのしみる。 天恩感謝