天然居士の独り言

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松ヶ崎萬長・・・

2015年02月14日 19時53分49秒 | 日記
 昨夜は、久しぶりに友達と酒飲みをしていました。
 独居生活になってから、飲み過ぎる事がなくなりました。
 帰宅してからの風呂や火の始末などを考えると、
 どうも飲む量をセーブしてしまいます。
 帰宅して、そのまま寝てしまう手もあるのですが、
 そこまで踏み切れないでいます。

 昨日の毎日新聞に、東京駅と台湾の新竹駅が姉妹駅の提携をしたとの記事がありました。
 新竹駅を設計したのが日本人である事が縁との事です。
 新竹駅は、1893年(明治26年)に開業し、
 現在の駅舎は、日本統治時代の1913年(大正2年)完成したもので、
 台湾に現存する駅舎の中では最も古いとの事です。
 辰野金吾が設計した東京駅が開業したのは、1914年(大正3年)ですから、
 共に100年を超える建物の訳です。

 この新竹駅を設計したのが、松ヶ崎萬長(まつがさき つむなが)です。
 1858年(安政5年)、孝明天皇の侍従長堤哲長の次男として生まれていますが、
 孝明天皇の御落胤との噂がある人物です。
 1871年(明治4年)12月、岩倉使節団に加わり、ドイツ(当時のプロイセン)に渡り、
 1883年(明治16年)から2年間、ベルリン工科大学で建築学を学び、
 1884年(明治17年)7月、男爵を賜り、同年12月、帰国しています。
 1885年(明治18年)4月に皇居造営事務局御用掛、
 1886年(明治19年)に内閣臨時建築局工事部長として官庁集中計画に携わり、
 1886年(明治19年)3月15日、辰野金吾、河合浩蔵、妻木頼黄とともに
 造家学会(のちの日本建築学会)の創立委員となりました
 1901年(明治34年)5月に仙台に転居し、仙台の七十七銀行本店の設計を行います。
 1907年(明治40年)、台湾総督府鉄道局に勤務するため、日本を離れ、
 基隆駅や新竹駅などの建築を行い、
 1921年(大正10年)2月3日、東京府で死去しています。

 七十七銀行本店は、現存していないため、
 松ヶ崎が設計して日本に唯一残っている建物が、
 栃木県那須塩原市にある旧青木家那須別邸です。
 1888年(明治21年)に竣工し、現在は重要文化財になっています。
 この建物について詳しくは下記をご覧下さい。
 http://blogs.yahoo.co.jp/tennnennkozi/54410182.html

 台湾の駅がどうなっているのか、気になっていましたが、
 昨日の新聞で、保存されて利用されている事を知り、嬉しくなりました。

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