1932年(昭和7年)年5月15日、当時の内閣総理大臣犬養毅が、
首相官邸で、海軍の青年将校に殺害されると言う事件が起こりました。
所謂5・15事件です。
護憲派の旗頭とも目されていた、犬養首相が暗殺され、
この事件により政党政治が衰退したと言われています。
犬養首相が「話せば分かる」と言ったのに対して、
将校が「問答無用、撃て!」と言って殺害したとのやり取りは有名ですが、
どうやらこれは事実ではないようです。
しかしながら、官邸に押し入った兵士を応接間に通し、自分の考えを話し、
裏口から押し入った兵士に銃撃されて
顎とこめかみに弾丸を受けた後も意識があり、
「今の若造を連れて来い。俺が話をしてやるから。」と言った事は事実のようです。
新聞記者から政治家となった、犬養の面目躍如たるものがあると思います。
5・15事件の犯人達は裁判に掛けられますが、
禁固刑と比較的軽い刑に処せられ、後に恩赦で釈放されます。
この事件以後、軍人の総理大臣が続き、一直線に戦争へと向かいました。
最近の日本は、どうもきな臭い感じがしています。
そんな事から、昔の事を思い出していました。
首相官邸で、海軍の青年将校に殺害されると言う事件が起こりました。
所謂5・15事件です。
護憲派の旗頭とも目されていた、犬養首相が暗殺され、
この事件により政党政治が衰退したと言われています。
犬養首相が「話せば分かる」と言ったのに対して、
将校が「問答無用、撃て!」と言って殺害したとのやり取りは有名ですが、
どうやらこれは事実ではないようです。
しかしながら、官邸に押し入った兵士を応接間に通し、自分の考えを話し、
裏口から押し入った兵士に銃撃されて
顎とこめかみに弾丸を受けた後も意識があり、
「今の若造を連れて来い。俺が話をしてやるから。」と言った事は事実のようです。
新聞記者から政治家となった、犬養の面目躍如たるものがあると思います。
5・15事件の犯人達は裁判に掛けられますが、
禁固刑と比較的軽い刑に処せられ、後に恩赦で釈放されます。
この事件以後、軍人の総理大臣が続き、一直線に戦争へと向かいました。
最近の日本は、どうもきな臭い感じがしています。
そんな事から、昔の事を思い出していました。
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