MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

日本初の聖書翻訳『約翰福音之書』

2005年01月23日 | 翻訳研究
風邪直らず。昨日は大学院の瀬田先生最終講義と懇親会へ。卒業生も参加して大いに盛り上がっていました。
ところで、乾杯のときの小ネタ、瀬田先生が登場する本は宝島編集部・編『VOW王国笑う広告』(宝島社)です。2003年発売の本ですからまだ書店にあるかも。71ページに「テキトーなキャラクター」というキャプションで問題の似顔絵の写真があり、似顔絵の下には瀬田信哉委員(財)国立公園協会理事長とあります。コメントは「この肖像画はおそらく10秒くらいで描かれています」。要するにどこかの役所の広報に載った似顔絵につっこみをいれているわけですが、まあまあ似てます。
「ハジマリニ カシコイモノゴザル コノカシコイモノ ゴクラクトモニゴザル コノカシコイモノワゴクラク」
これは1837年に日本初の聖書翻訳、『約翰福音之書』の冒頭部分だ。現代語訳では「初めに<御言葉>があった。<御言葉>は神とともにいた。<御言葉>は神であった。(ヨハネによる福音書)」となる。翻訳したのはドイツ人宣教師カール・ギュツラフであるが、協力した3人の日本人がいた。尾張(現愛知県知多郡)の廻船の乗組員だった音吉以下3名である。この翻訳について『にっぽん音吉漂流記』(晶文社)を書いた春名徹さんは、「無学な水夫に頼ったために語学的過ちをおかしたなどという誤解もあるので、はっきりしておく必要がある」としてこの部分の訳を擁護している。(春名徹「日本語訳聖書第一号」)つまり「かれ(ギュツラフ)は日本語の「神」という言葉を知ってはいたが、キリスト者としては偶像崇拝者の信仰の対象と神(ゴッド)を区別するために「ゴクラク」の方が好ましいと判断したのであろう」というわけだ。「カシコイモノ」(logos)の訳については三浦綾子が『海嶺』(角川文庫)の中で次のように書いている。
「むずかしいな。舵取りさん」
音吉が頭を抱えた。(・・・)
(よその国の言葉を、自分の国の言葉になおすって、大変なことやなあ)
音吉は、ギュツラフの顔をまじまじと見た。ギュツラフは今までに、何カ国語にも聖書を訳したという。僅か一語でも、これだけ時間をかけて考えねばならない。音吉は改めてギュツラフの偉さを思った。
と、久吉がひょうきんな声で言った。
「な、昔。良参寺の和尚さんな、善悪のわからんもんは、愚か者やと言うたわな」
「ああ言うた、言うた、よう言いなさった」
懐かしい良参寺の境内を思い出しながら、音吉が答えた。
「したらな、善悪をわかる者は、愚か者の反対やろ」
「そうや。それで?」
「したらな、愚か者の反対は、賢い者やろ。どうや、舵取りさん」
今、ギュツラフは、善悪を判断する智恵と、確かに言った。
「なるほど、賢い者か。それがええな」
岩吉がうなずき、ギュツラフに言った。
「かしこいもの」
「カシコイモノ?」
ギュツラフは、ノートにその言葉を書いた。」
もちろんこの場面は三浦綾子の想像であるが、事実もこれとさほど違わなかったろう。
音吉についてはこのサイトが詳しい。

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