MITIS 水野通訳翻訳研究所ブログ

Mizuno Institute for Interpreting and Translation Studies

「通訳研究」5号送付

2005年12月29日 | 翻訳研究

一昨日はぴいぷう冷たい風が吹く中を、大きな旅行用キャリアと買い物車を使って「通訳研究」5号を郵便局まで運んだ。(目次とアブストラクトはここ。)一回に50冊も運べないので5回往復するはめに。とりあえず国内会員分は発送を終えました。海外会員の方はもう少しお待ち下さい。著者贈呈分もまだ送っていません。年明けに送ります。

論文の方は、修士論文の原稿が五月雨式に送られてくるので一向にはかどらないが、その過程でいろいろと面白い素材に出会えた。そのひとつが横光利一の小説「日輪」の文体。

「我に爾があらざれば、我は死するであろう。我の妻となれ。我とともに生きよ。我に再び奴国の宮へ帰れと爾はいうな。我を待つ物は剣であろう。」
「待て。我の復讐は残っている。」
「我は復讐するであろう。我は爾に代わって、父に代わって復讐するであろう。」

この文体は生田長江訳「サラムボウ」(大正二年)の引き写しである。どこから引用しても同じ調子だ。

「我は彼女を連れて帰るであらう!若しも彼等が出て合ふならば、我は彼等を毒蛇の如く殺してやらう!スパンディウスよ、我は彼女を殺すであらう。」「然り、我は彼女を殺すであらう!見よ、我は彼女を殺すであらう!」

長江は「サラムボウ」の「訳者の序」で「…会話の文章なぞは、日本に於ける特定の時代と、特定の階級とを聯想させることの危険を恐れて、出来得る限りの普遍的なる日本語を用ひることにした」と書いている。彼によればこれが過去の「小日本語」と違う将来の「大日本語」なのだという。もちろんこれは錯覚だと思うが、この錯覚が面白い。この種の文体はマンガか何かでどこぞの王族なり神の眷属の語りの荘重な感じを出すために使われていたような気がする。日本の文学論争史では有名な話だが、生田長江はこのあと、堀口大學訳「夜ひらく」(ポール・モーラン)の翻訳を巡って、「文壇の新時代に与ふ」という文章を書き、新感覚派批判を行うのである。
それにしても大正時代の「サラムボウ」や「夜ひらく」(大正十二年)の翻訳が(復刻ではなく)簡単に手に入るのには驚いた。大正二年は1913年だから90年以上前の本になるわけか。「サラムボウ」などまだ天金が残っている。「日輪」は岩波文庫で読める。



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