(以下、朝日新聞【島根】から転載)
=============================================
出雲のブラジル人 ―上― デカセギ
2009年10月07日
写真
出雲在住のブラジル人ら約500人が一堂に会した交流イベント=昨年8月、出雲市今市町
◆景気の波にほんろう◆
肌寒さを感じる今月初めの午前7時過ぎ、朝日が差し込む出雲市中心部の路上。薄緑色の作業着姿の日系ブラジル人らが一人、また一人と集まってくる。ポルトガル語で談笑したり、ヘッドホンで音楽を聴いたりしながら歩道に並び、迎えに来た派遣会社のマイクロバスに10人が乗り込んだ。バスは2カ所で数人ずつを乗せると国道9号を東へ走り、斐川町上直江の「出雲村田製作所」に入っていった。
電子部品を製造する同社の正社員は約3千人。派遣社員の数は「生産規模にかかわる情報なので非公表」(人事担当者)だが、多くの日系ブラジル人が派遣労働者として働く。製品の「積層セラミックコンデンサー」は大きさ数ミリ程度。同社によると、ブラジル人作業員は同じ製造ラインに集中させ、現場には派遣会社の通訳を置く。主に昼夜2交代で製造機械のパネル操作などにあたるという。
■ ■
出雲市と斐川町に外国人登録するブラジル人は9月末現在で974人。昨年末の県などの統計では県内のブラジル人の約9割が両市町に集中していた。多くはこうした「デカセギ」の派遣労働者とその家族とみられる。
両市町のブラジル人登録者数は、改正入管法=キーワード参照=で日系人の就労が自由化された90年度にはわずか3人だった。その後、景気の動向に合わせて急増と急減を繰り返す。IT不況のあおりを受けた01年度と、世界同時不況となった08年度は前年度の半分に減ったが、07年度は過去最高の1238人に。出雲市内にはブラジルの食料品や雑貨を扱う店もでき、昨年8月にはブラジル人と、自治体や派遣会社の関係者約500人が集まる交流イベントも開かれた。
人材派遣会社「アバンセコーポレーション」(本社・愛知県一宮市)は、ブラジル国内に採用面接をする社員を置き、来日した労働者が母国に残した家族との連絡役も務める。斐川町内の営業所にもブラジル人スタッフがいて、アパートの借り上げや行政手続き、地域とのトラブル解消までを引き受けている。同社の林隆春会長は「安心して働きに来てもらうため、生活面全般をケアしている」と話す。
■ ■
出雲市に住む派遣社員の畑パウロ・マサキさん(21)は父が北海道出身、母は福岡県出身の日系2世だ。高校卒業後、父親が営む花屋を1年ほど手伝い、大学に進学する学費をためようと、派遣会社のサンパウロ事務所の募集に応募した。
来日してちょうど1年たった昨年12月、不況のあおりで派遣契約を打ち切られた。それでも、職業訓練校に通いながら貯蓄と雇用保険で食いつなぎ、先月中旬から再び同じ職場で派遣社員として働く。勤務は休憩を含めて1日12時間、週5日。「長い時間の仕事なので、体はやっぱり疲れますね」とよどみない日本語で話す。休日の息抜きは、仕事で知り合ったブラジル人らと居酒屋やカラオケへ行くことだという。
一人暮らしのアパートの卓上には、日本語の辞書や小学校低学年向けの漢字テキストが並ぶ。12月の日本語能力試験を目指して勉強中だという。「ブラジルに帰りたいと思うこともあるけど、今はしっかり働いて、自分の生きていく道を決めたい」。あどけなさの残る笑顔で話していた。
◇
母国から見れば地球の裏側の日本で働く日系ブラジル人たち。言葉や文化の違いに戸惑いながらも出雲で暮らす、彼らの姿を追った。
◎日系ブラジル人◎
主に1908年からの移民事業でブラジルに渡った日本人の子孫。1990年の「出入国管理・難民認定法」改正で、日系2、3世とその家族は就労制限のない日本滞在が認められ、国内への移住が増加した。法務省の統計では08年末現在、全国で約31万人のブラジル人が外国人登録し、国籍別では「中国」「韓国・朝鮮」に次いで3番目に多い。
(この連載は3回の予定で、玉置太郎が担当します)
=============================================
出雲のブラジル人 ―上― デカセギ
2009年10月07日
写真
出雲在住のブラジル人ら約500人が一堂に会した交流イベント=昨年8月、出雲市今市町
◆景気の波にほんろう◆
肌寒さを感じる今月初めの午前7時過ぎ、朝日が差し込む出雲市中心部の路上。薄緑色の作業着姿の日系ブラジル人らが一人、また一人と集まってくる。ポルトガル語で談笑したり、ヘッドホンで音楽を聴いたりしながら歩道に並び、迎えに来た派遣会社のマイクロバスに10人が乗り込んだ。バスは2カ所で数人ずつを乗せると国道9号を東へ走り、斐川町上直江の「出雲村田製作所」に入っていった。
電子部品を製造する同社の正社員は約3千人。派遣社員の数は「生産規模にかかわる情報なので非公表」(人事担当者)だが、多くの日系ブラジル人が派遣労働者として働く。製品の「積層セラミックコンデンサー」は大きさ数ミリ程度。同社によると、ブラジル人作業員は同じ製造ラインに集中させ、現場には派遣会社の通訳を置く。主に昼夜2交代で製造機械のパネル操作などにあたるという。
■ ■
出雲市と斐川町に外国人登録するブラジル人は9月末現在で974人。昨年末の県などの統計では県内のブラジル人の約9割が両市町に集中していた。多くはこうした「デカセギ」の派遣労働者とその家族とみられる。
両市町のブラジル人登録者数は、改正入管法=キーワード参照=で日系人の就労が自由化された90年度にはわずか3人だった。その後、景気の動向に合わせて急増と急減を繰り返す。IT不況のあおりを受けた01年度と、世界同時不況となった08年度は前年度の半分に減ったが、07年度は過去最高の1238人に。出雲市内にはブラジルの食料品や雑貨を扱う店もでき、昨年8月にはブラジル人と、自治体や派遣会社の関係者約500人が集まる交流イベントも開かれた。
人材派遣会社「アバンセコーポレーション」(本社・愛知県一宮市)は、ブラジル国内に採用面接をする社員を置き、来日した労働者が母国に残した家族との連絡役も務める。斐川町内の営業所にもブラジル人スタッフがいて、アパートの借り上げや行政手続き、地域とのトラブル解消までを引き受けている。同社の林隆春会長は「安心して働きに来てもらうため、生活面全般をケアしている」と話す。
■ ■
出雲市に住む派遣社員の畑パウロ・マサキさん(21)は父が北海道出身、母は福岡県出身の日系2世だ。高校卒業後、父親が営む花屋を1年ほど手伝い、大学に進学する学費をためようと、派遣会社のサンパウロ事務所の募集に応募した。
来日してちょうど1年たった昨年12月、不況のあおりで派遣契約を打ち切られた。それでも、職業訓練校に通いながら貯蓄と雇用保険で食いつなぎ、先月中旬から再び同じ職場で派遣社員として働く。勤務は休憩を含めて1日12時間、週5日。「長い時間の仕事なので、体はやっぱり疲れますね」とよどみない日本語で話す。休日の息抜きは、仕事で知り合ったブラジル人らと居酒屋やカラオケへ行くことだという。
一人暮らしのアパートの卓上には、日本語の辞書や小学校低学年向けの漢字テキストが並ぶ。12月の日本語能力試験を目指して勉強中だという。「ブラジルに帰りたいと思うこともあるけど、今はしっかり働いて、自分の生きていく道を決めたい」。あどけなさの残る笑顔で話していた。
◇
母国から見れば地球の裏側の日本で働く日系ブラジル人たち。言葉や文化の違いに戸惑いながらも出雲で暮らす、彼らの姿を追った。
◎日系ブラジル人◎
主に1908年からの移民事業でブラジルに渡った日本人の子孫。1990年の「出入国管理・難民認定法」改正で、日系2、3世とその家族は就労制限のない日本滞在が認められ、国内への移住が増加した。法務省の統計では08年末現在、全国で約31万人のブラジル人が外国人登録し、国籍別では「中国」「韓国・朝鮮」に次いで3番目に多い。
(この連載は3回の予定で、玉置太郎が担当します)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます