多文化共生なTOYAMA

多文化共生とは永続的なココロの営み

府内外国人アンケ 孤立低い防災意識

2013-11-22 09:38:49 | 多文化共生
(以下、読売新聞【京都】から転載)
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府内外国人アンケ 孤立低い防災意識

 地域との交流が少ない外国人ほど、防災意識が低い傾向にあることが、府国際センターなどが府内に住む外国人を対象に行ったアンケートでわかった。同センターは結果を参考に、府内に約5万1800人いる外国人と地元住民との交流イベントを充実させ、防災情報の発信を強化する。(南暁子)

 同センターと外国人の防災教育に取り組む市民グループ「『やさしい日本語』有志の会」が2012年11月から今年1月、20歳以上の966人を対象に初めて実施。52・4%にあたる506人が回答した。

 この結果、災害時の指定避難所がどこかを「知っている」と答えたのは24・5%、地域の防災訓練などに参加したことがあるのは34・5%にとどまった。訓練に参加したことがない人は、「あることを知らない」「参加の仕方がわからない」などと答えていた。

 また、災害への備えを「していない」と答えたのは、社会人(290人)で48・3%、留学生(201人)では64・2%に上った。

 このうち社会人について、町内会行事の参加や地域住民とのあいさつの頻度などを元にした「交流度」の平均点を算出。「(備えを)している」と答えた150人は2・28点と、「していない」と答えた140人の2・02点を上回った。「していない」と答えた人の半数近い67人が、在住歴1年未満だった。

 同センターは「日本の在住歴が長く、住民とのかかわりが強いほど防災意識は高まる」と分析。

 全体の約8割が会員制交流サイト「フェイスブック」(FB)を活用していることを踏まえ、センターのFBページで災害情報を発信するほか、地域の防災訓練に外国人が参加しやすいように、通訳を派遣する態勢を整えることにした。同センターの担当者は「外国人は、地域活動の担い手でもある。多くは自治会に加入せず孤立しがちなので、住民側からも歩み寄ってほしい」と呼びかけている。

(2013年11月22日 読売新聞)

外国人の子をどう教える 教員合格者向けに県立大が研修

2013-11-22 09:38:21 | 多文化共生
(以下、中日新聞【愛知】から転載)
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外国人の子をどう教える 教員合格者向けに県立大が研修

2013年11月22日


教室の後ろに立ち、英語の授業を見学する県立大生ら=豊田市太平町の衣台高で
写真
 県立大(長久手市)は本年度から、外国人の児童生徒への指導の仕方や教育現場の課題を学ぶ研修に力を入れている。言葉の問題などから指導に悩む教諭が少なくないためで、教員採用試験に合格した学生らに、教壇に立つ前に必要な知識や現状を理解してもらう狙いだ。来年度からは研修を本格的に教職課程に位置付け、充実させていく考え。
 文部科学省によると、日本語指導が必要な外国人の児童生徒は、全国に二〇一二年五月現在で二万七千十三人。県内は五千八百七十八人で最も多く、一〇年九月と比べ二百五十五人増えている。
 教育現場では、授業の進み具合を外国人の児童生徒に合わせるべきか、それとも日本の児童生徒に合わせるのがいいのか、生活指導などで日本語が苦手な保護者にどう説明し、理解を求めるかなどの悩みがあるという。
 研修は、学生らにこうした課題を知ってもらい、どう対応するのが良いかを考えてもらう。本年度は大学での講義と、外国人生徒がいる高校での実地研修を企画した。
 実地研修は今月中旬、豊田市の県立衣台高校の協力を受けて実施。同校は、日本語が不得意な外国人生徒らに配慮した「入学者選抜」枠を設ける県内四つの公立校のうちの一校で、一~三年生の外国人生徒約二十人が在籍する。
 学生十三人が同校を訪れ、余合昭彦教頭から個別に教える「取り出し授業」や、通訳などを担う「語学支援サポーター」を置くといった同校での取り組みの説明を受けた。
 その上で「取り出し授業を増やすと、外国人生徒の孤立化を招くので難しい」「現状では、教え方は担任に任せているが、教員も試行錯誤している」などの課題があることを聞いた。
 教室にも出向き、英語の授業や、外国人生徒だけの数学と化学の授業を見学した。
 四年生の熊谷紀孝さん(21)は「現状を事前に知ることができて良かった。外国人、日本人双方の文化を尊重できるような授業を考えられたら」と話した。
 県立大教育支援室長の池田周准教授は「支援が充実していない学校の教壇に立っても、国際的な視点で自ら考えられるような教員を育てていきたい」と話す。
 外国人の子どもの教育に詳しい同大非常勤講師の松本一子さんも「言葉の壁や経済的な理由で進学を諦める子がいる一方、高校や大学の進学を目指し、定住する子が増えてきた。現状を理解する教員が必要になっている」と指摘している。
(古根村進然)

自分が「発達障害」だなんて認めたくなかったけど

2013-11-22 09:37:17 | ダイバーシティ
(以下、BLOGOSから転載)
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2013年11月22日 07:30

自分が「発達障害」だなんて認めたくなかったけど

「問題児」というレッテルを貼られ、いじめられた自身の経験を、赤裸々に描いた『ニトロちゃん』。「〈発達障害〉がよくわかるコミックエッセイ」として、じわじわと注目が集まっている。今回は『ニトロちゃん』文庫化を記念して、作者の沖田×華氏にインタビューを行った。(聞き手・構成/山本菜々子)

「このまま飛び降りて死んでやる」
―― 『ニトロちゃん』文庫化、おめでとうございます。

ありがとうございます。こんなに反響をいただく本になるとは私も思っていませんでした。

―― 『ニトロちゃん』は沖田さんの実体験を基に、いじめを受けるなどの過酷な学校生活を描かれています。なぜこのようなテーマを選んだのでしょうか。

もともとは、いわゆる「エロ雑誌」に、自分の風俗嬢だった体験を描いていました。そこからどんどん仕事が入るようになってきて、『こんなアホでも幸せになりたい』(ぶんか社)というコミックエッセイ本を出したんです。ずっとアホな話を描いているんですが、最後の方を少し泣けるような話にしたら「すごくいい」と言って下さる方が沢山いて、光文社の方から「悲しい話を描いてみませんか」という声がかかりました。

そこで、テーマが「いじめ」になったのですが、正直気は進まなくて。こんなもの描いても引かれるだけじゃないかと感じたんです。私はアスペルガーなので、いじめられた記憶が、スライドショーのような感じで、昨日あったかのように思い出せるんです。だから、描いている時も、あんまり直視したくなかったですね。

―― よく描かれる「いじめ」は、クラスメートのものが多いと思いますが、この本では先生のいじめについて描かれていますね。

子供の「いじめ」って、移り気なんですよ。ある程度の時期が過ぎたらターゲットが変わることが多い。自分がいじめられっ子だったら、次はいじめっ子になっていたりする。私はある意味、軽い部分があると感じていました。

でも、教師のいじめは違います。まず、証拠を全く残さない。「教育的」とされている体罰もあるので、境目があいまいで、個人的な感情で何時間も攻撃することが可能です。私の場合は、勉強ができないことや宿題をやってこないことで怒られて、注意されてもボーっとしているので、次第に殴られたりするようになってきました。

教室という空間の中では、先生は神のような存在です。殴ったり、叱ったりするのに根拠はいりません。外側からみたら非常識だったりすることも、教室の中ではあいまいになってしまいます。

昔は「弱いからいじめられる」「いじめられる原因があるからいけない」と言われていました。だから、「強くなろう」とは思うんだけど、何の基準で「強い」のかわからない。言い返したらもっといじめられるし、本気でやり返したら怒られるし、どうしたらいいんだろうって。

―― 衝撃的だったのは、中学一年生の時に当時の担任の先生に、部屋に閉じ込められて「頭の検査」と言われ身体を触られていた場面です。こんな性的な虐待が許されるのかと、怒りを覚えました。

「変なことをされた」と同級生にも言えないし、もんもんとしていました。当時は、勉強ができないし、そんな私が大人に何を言ってもわかってくれないという思いがあったんです。学校で先生にひどいことをされても、家では普通に過ごしたいから、親に言うこともできませんでした。不登校になるとか、仮病で休むことも頭になくて、毎日「風邪ひかないかなぁ」と思っていましたね。インフルエンザの子によりそったり(笑)。

保健室も不良の溜まり場だし、私みたいに勉強が出来ないけどまじめな子の居場所ってなかなかないんですよ。ああ、もう、死にたいって思って。でも、飛び降りようにも、田舎だから2階以上の建物はないし、海は漁師がすぐ助けてしまいそうで。困ったなぁって。

ある日、その先生にぼこぼこに殴られたことがあって、「このまま飛び降りて死んでやる」と衝動的に思ったんです。目撃者もいっぱいいたし、先生が悪いってわかってくれるんじゃないかって。

あの時の私にとって、飛び降り自殺することは最大のパフォーマンスだったんですよね。でも、ニュースで飛び降り自殺をした生徒の報道を見ても、もみ消されたりうやむやになって終わっています。学校で死んだところで何も変わらないのかもしれないし、ここは社会と遮断されている場所なのかもしれないと感じました。

当時の私は、学校には期限があるから「あと何年か頑張ったら解放されるんだ」と自分に言い聞かせていましたね。

―― 先生に対して許せないという思いはありますか。

私にひどいことをしたはずなのに、今では校長先生になったり、教育委員会で出世しているような人もいて、悔しいですね。

先生に執拗に怒られたり暴力を振るわれたりしたので、未だに、後遺症のようなものがあるんです。「場面緘黙症」といって密室に二人っきりになると「怒られる」「叩かれる」という思いがよぎってしまい、喋れなくなってしまいます。

大人になっても治らずに、怒られて喋れなくなっているのを「逆ギレしている」と思われてしまって。仕事の人間関係に支障をきたしたりしました。普段よく喋っているので、喋れなくなっていることをわかってもらえないんですよね。

それくらい、私にとっては辛かったはずなのに、当時の同級生と話をした時に、「あの先生良い人だったよね」という話も出てきたりするんです。私からしたら暴力を振るわれたひどい先生のはずなのに、同級生は私がいじめられたことさえも全く覚えていない。記憶に残らないような些細なことだったのか、とびっくりしました。この違いはなんなんだろうと。もしかしたら、大したことは無かったのかなって、時々気持ちがゆらぐことがあります。



―― 『ニトロちゃん』では語りの文がすごく優しくて、大人の沖田さんが「ニトロちゃん」に話しかけているような感じがしました。

うーん。そこはあまり意識していないですね。わかりやすく伝わるようにと意識はしました。今、昔の自分と会っても、「よしよし、辛いね」と優しくできるかわからないですね(笑)。でも、大人になって楽しいことは沢山あるよ、とは言ってあげたいです。

―― 実際に学校に行くことが楽になったのはいつごろですか。

中学2年の時ですね。すごく良い先生が担任になったんです。ダメな先生とケンカをしてくれる熱血な先生でした「虫ケラ以下だった私にも、先生は優しく接してくれる」と、感じました。他の先生からは「変な子」だと思われていたので、認められている感じがしたんです。先生にはすごく懐くようになりました。

高校などでもそうだったんですが、先生が大好きになると、性的なことをしたくなるんです。今思えば、中1の時に性的な虐待を先生にされ続けていたから、どこか、「認められるためには自分の性的なものを差し出さなければ」と感じていたのかもしれません。根深いところで影響があるのかもしれません。

―― 学校生活で、こういった配慮があれば過ごしやすかったと感じるものはありますか。

場面緘黙症になって固まっていた時に、いろいろと言われてさらに混乱していたので、別の空間で一呼吸おければよかったです。保健室のような場所でお話ができるまで待ってもらって、お互いの意思疎通ができる状態にして欲しかった。理想は、本があって、大人はいてもいいけど、教師じゃない人がいて、児童館のように自由に出入りできるような場所ですね。

それと、成績以外の評価基準で、「あなたのこういうところが良いから、頑張りましょう」と言って欲しかったです。それは、草むしりでも掃除でも、なんでもいいんですよ。もし勉強以外の所で認められていたら、もっと明るく学校にいけたのかなと思います。

障害のせいじゃない
―― 読者の方から反響はありましたか。

「私も同じ経験をしました」という声がけっこうあってびっくりしました。中には、私よりもひどいいじめを受けた方もいて。大人になっても覚えているということは、嫌な記憶なんですよね。こんな暗い本は誰も手にとらないと思っていたので、沢山の方に読んでもらえたことに驚きました。

―― この本では「みんなとは違う、発達障害の私」と、副題がついていて、沖田さんが学習障害、アスペルガー症候群、ADHD(注意欠陥・多動性障害)の3つの発達障害であることに触れています。

小学校3、4年生の時に「学習障害」という診断をもらいました。その当時は「学習障害」といっても、発表されたばかりで、あんまり浸透していなかったんです。「学習障害」=「勉強ができない」という認識でした。

勉強ができないだけなのかと思っていたら、大人になってわかったのですがADHDもアスペルガーもあったんです。授業中は大人しくしているんですが、休み時間になったら時間の感覚がわからなくなって、戻ってこないとか。衝動的なところがあって、「問題児」だったようですね。先生は内心「おかしいなぁ」と思いながらも、どうにか私を皆と一緒にしないといけないから、厳しく怒ったり殴るようになっていきました。

この本では発達障害について描いているんですが、実は、自分を「発達障害」だと認めることがすごく嫌だったんです。

―― どうして嫌だったんですか。

弟が二人いるんですが、一番下の弟も同じ障害で、それがすごく嫌だった。弟とは似ているところが多くて、声も好き嫌いも一緒、発達障害どうしだからか考えていることも一緒で、相手の思っていることがわかってしまう。そこに嫌悪感がありました。

弟は私よりもひどいいじめをうけて、5年生の時に不登校になりました。同級生の子が弟の足に石を落とし、骨折させたのに、先生も笑って見ていたということがあって……。母親が激怒して「こんな学校には行かせない」と学校に乗りこみました。

その時、不登校になった弟を見て「休んでもいいんだ」と私はすごく衝撃を受けたんです。そして、弟が憎たらしくなりました。いじめを受けたのがわかった時、弟は親が助けてくれましたが、私は助けてもらえなかった。だから怒りが湧いてきたんです。

弟が嫌いだったこともあって、「私は病気じゃない」とずっと思っていたんですよね。こんな変な奴と一緒なわけがない。頑張って学校に行って、社会に出たらこいつよりも幸せになってやるんだと思いました。そうやって頑張って来たんですが、やっぱりうまくいかない部分がありました。

―― どんなところがうまくいかなかったんですか。

一番はじめに看護師の仕事についたのですが、アイコンタクトができないんですよ。アイコンタクトは看護師にとってすごく大事で、患者さんに悟られないように、目線で会話するようなことがよくあります。それがまったくできなくて、目があったら「なんですか」という顔をしてしまうんですよね。患者さんにバレバレです(笑)。でも、みんなは目を合わせただけで、会話が出来るんですよ。なんで、みんなわかるんだろうって。不思議でしたね。

それと、指示がわからないこともありました。「あれをしてください」と言われても具体的に言ってくれないとわからないし、「沖田さん」と名前を呼ばれないと、私に言っているのかもわからない。だから、指示を無視していると思われてしまったり。基本的だとされていることができないんです。同業者とはウマが合いませんでしたね。

―― 発達障害を認めるきっかけはなんだったんでしょうか。

東京に来て、ネットをやりはじめた時に、発達障害のコミュニティを見つました。私の症状と一致していると思って、「私だけじゃないのかも」と気付きました。今までは私と弟しかいないと思ってたから驚きましたね。

でも、自分が頑固だったから、認めるのに時間がかかって。看護師の仕事をしていたので、国家試験も受かって仕事も好きだし、病気の人を支える立場だったし、健康だし、「障害者」という見た目でもない。これで、「障害」というのは変じゃないかと。

うまく行かないのは障害のせいじゃないってずっと言い聞かせてきたんです。そう信じたかった。認めるのが本当にこわかったんです。でも、どこかで「全ての謎が解けた」という思いもありました。今までは血液型がB型だから大雑把なんだと思っていたんですよね。

ある日、発達障害コミュニティのオフ会に行った時に少し印象が変わったんですよ。発達障害にもいろんな形があって、お互いにわかり合えることはなくても、一緒にカラオケに行ったりするのがすごく新鮮で。まぁ、会話にならないことの方が多いんですが、とても楽しかったんです。障害だからってビクビクしなくてもいいんだ、変なことを言って相手の怪訝そうな顔を見て悩まなくてもいいんだと思うようになりました。

私はずっと、一生懸命仕事をやることが認められるとだと思っていました。「頭が悪いんだから体はいっぱい動かさなきゃ」と考えていたんです。自分の価値を示すために、お金をためることに執着していた時期もありました。常に仕事をしていないと落ち着かなかったんです。働き過ぎて身体を壊すこともありました。疲れて動けなくなったら「私はなんの価値もない人間だ」って思ってしまうんです。

でも、頑張らなくても、認めてくれる人が周りにも増えてきて、身体を壊すまで働く必要はないのかもしれないと、少しずつ思うようになっています。一方で、「障害だからできません」とは、言わないでおこうと思ったんです。幅がせばまってしまう気がするんですよね。

『ニトロちゃん』で障害について描くことになった時、周りの人からの印象が変わったらどうしようとドキドキしていました。いままでは「エロ雑誌」に下ネタを描くような人だと思われているはずなのに、「障害」という単語を出したことで引いてしまわないかと心配でした。でも、大きな反響をいただいて驚いています。この本は自分の一番隠したかった部分を出したので、そういう意味ではすごく思い入れのある本です。

多くの「ニトロちゃん」に
―― 沖田さんが漫画を描くきっかけはなんだったのでしょうか。

たまたま、恋人が漫画家だったんです。なんとなく描いた絵を見せたら、「絵が面白いから、売れるかもしれない。漫画を描いてみたら」と言われたんです。

―― それまで、漫画などを描かれていたんですか。

描いたことも、描こうと思ったこともありませんでした。だから、そんなことを言われてかなりびっくりしましたね。はじめは「4コマ」からはじめてみたんですが、描いてみるとストーリーになっていたんです。「何も教わっていないのに、ここまで描けるのは素質がある」と言われ、どんどん描いていくことになりました。

―― 漫画のような話ですね。

そうですよね。でも、はじめは絵が全然うまくならなくて。4コマ漫画を描いていても、同じ人が描けないんですよ。1コマ目から出ていた人が、どんどんやせていって別人になる時もありました(笑)。

本では修正したのですが、ニトロちゃんも、描く時は少し右下がりの顔になってしまうんですよ。未だになかなかうまくならないですね。

今は漫画家なので、対人関係のトラブルが極端に減って精神的には安定しています。でも、今日のようなインタビューの時に人を不愉快にさせないスキルが欲しいから、積極的に女子会をやって、女どうしの受け答えを観察して、「こういう時は相槌を打っておけばいいんだ、あんまり突っ込んだ話をしてはいけないんだって」勉強しています(笑)。私は何事もストレートに言い過ぎて、友達がいなくなってしまいがちなんです。

これからは、どんどん幸せになっていきたいと思っています。発達障害を抱えている人は、二次障害としてうつ病や、過食症・拒食症などになってしまいやすい。自分はダメだと思ってしまって、考え方が後ろ向きになりがちです。

「発達障害だから」「病気になってしまったから」「いじめられたから」、という理由で自分はこれからも不幸だと考えるのは違うんじゃないかと感じていて、私は過去が悲惨な人も幸せになっていいと思うんです。

―― 最後に、読者のみなさんに一言お願いします。

世の中には、頑張らないといけないと思っても、頑張れない人が沢山います。そんな「ニトロちゃん」は私だけじゃありません。特に子どもの時は、うまく自分のことを喋れない子が多いと思うんです。そんな時は、『ニトロちゃん』を親や先生に渡してみて、「私はこういう子どもかもしれない」と伝えてもらえたらいいですね。周りの大人も、この本を読んでその気持ちを受け止めて欲しいと思います。そんな橋渡しが出来る本になればいいですね。


ニトロちゃん: みんなと違う、発達障害の私 (知恵の森文庫)
著者/訳者:沖田×華
出版社:光文社( 2013-09-10 )
定価:¥ 600
Amazon価格:¥ 600
文庫 ( 160 ページ )
ISBN-10 : 4334786332
ISBN-13 : 9784334786335


沖田×華(おきた・ばっか)
漫画家
1979年生まれ 富山県出身。看護士、風俗等、様々な職業を経て漫画家に転身。自身の経験や発達障害をネタに他誌でも連載中。

性同一性障害への学校対応、文科省が初の調査へ

2013-11-22 09:36:46 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
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性同一性障害への学校対応、文科省が初の調査へ

 文部科学省は21日、体と心の性が一致しない性同一性障害のある児童生徒への学校の対応に関する調査を初めて実施することを決めた。

 今年度中にも、全国の公立小中高校などを対象に実施する。

 調査の実施や対応の充実などを求めて同省を訪れた団体「gid.jp日本性同一性障害と共に生きる人々の会」に回答した。

 各都道府県教委などを通じ、児童生徒からの相談の状況や学校側の対応について調査する。調査結果は、専門家などと検証し、性同一性障害の正しい知識や対応する際の注意点などをまとめた資料を作成。学校の受け入れ態勢や相談しやすい環境づくりに役立てる。

 同会は「性同一性障害の子は、制服の着用やトイレ、修学旅行など様々な局面で苦悩し、不登校になったりいじめを受けたりすることも多い」と指摘している。