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政府、外国人板前増加へ在留資格緩和

2013-11-19 09:51:51 | 多文化共生
(以下、SankeiBizから転載)
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政府、外国人板前増加へ在留資格緩和 修業支援、農産品輸出拡大狙う
2013.11.19 06:05

 政府が11月末に取りまとめる「農林水産業・地域の活力創造プラン」(仮称)に、国内の日本料理店で修業する外国人の在留資格の要件緩和が盛り込まれる見通しになったことが18日、分かった。海外で和食の普及を担う外国人を支援することで、日本の農水産物の輸出拡大を後押しする狙いがある。

 留学ビザを取得して来日し、国内の専門学校などで和食を学ぶ外国人は、卒業後に給与をもらって国内の日本料理店で働くことはできず、留学期間終了後はすぐに帰国する必要がある。また、海外で健康志向などを背景にした日本食ブームにあやかり、外国人の料理人が和食とはほど遠い料理を日本料理と称して提供する店も少なくない。

 そのため留学生からは、実務経験を積むためにも国内の日本料理店で修業したいという声が上がっていた。

 要件緩和は、働きながら一定期間滞在して異文化を体験できる「ワーキングホリデー」や外交官の家事使用人など、法相が個々の外国人の活動について在留資格を指定する「特定活動」に、日本料理店での修業を新たに含む方向で検討する。

 期間は2年間が軸となり、法務省は出入国管理・難民法に基づく告示を来年にも改正する。関係省庁は今後、対象となる和食の種類や受け入れ人数、受け入れる側の日本料理店の条件などの詳細を決める。

 和食は、12月にも国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録される見通し。6月に閣議決定した成長戦略でも、農林水産業を成長産業とすることを目指し、農産物や食品の輸出額を現状の4500億円から2020年までに1兆円に倍増させる目標を掲げており、調理師専門学校などで構成される全国調理師養成施設協会は「和食や日本の食材普及、情報発信のための海外の人材育成が必要」として、緩和を国に要望していた。

 政府は今回の要件緩和で、外国人が日本で本格的に和食を学べるような環境づくりを進め、和食の質の向上と和食ブームを支える人材の育成につなげたい考えだ。

痩せなきゃ愛されない―摂食障害の現実

2013-11-19 09:50:46 | ダイバーシティ
(以下、WOMAN Onlineから転載)
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痩せなきゃ愛されない―摂食障害の現実
2013年11月19日

第12回 母との関係から心のバランスを崩した「真里」の変革STORY

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 こんにちは! 食欲が止まらないりょうっぺです! 年柄年中食べてるので、もはや「秋だから……」という言い訳も通用せず。丸くなるのは人間だけにしたいと思っております。

 さて今回は、バレエとボディメンテナンスの指導をされている真里さん(31歳・既婚)のSTORY。今や優しい旦那さまと暮らしながら、好きなお仕事で独立している真里さんですが、20歳のころから過食と絶食を繰り返す摂食障害に陥り、つらい日々を送ってきました。

 摂食障害の奥にある感情とどう向き合い、克服していったのか? 山あり谷ありのSTORYをご覧ください!

●舞台の前後に急激な減量と過食。ついにうつ状態に

真里:7歳からバレエを習い始めたんですが、将来はダンサーになりたい! と思うほど、バレエが大好きになりまして。大学に入学した後も、東京のバレエ団に入って、毎日必死に練習してました。

 それが半年ぐらい経ったころでしょうか。

 過食と絶食を繰り返すようになっちゃったんです。

りょ:いわゆる摂食障害というものかしら。具体的にどんな食生活だったのかな?

真里:バレエの舞台の2週間前ぐらいから食べるのを控えて、飲み物だけにするんです。固形物をとると太るような気がして。食べたとしても一日におにぎり一個ぐらいでした。

 そして本番が終わると同時に一気に食べまくるんです。ご飯やパン、コンビニで買ったお菓子を次から次へと口に入れて、常に何かは食べている状態。いくら食べても満腹にならなくて。

 で、あとからなんで食べちゃったんだろう? って後悔して、その後吐いたり、下剤を飲んで出したり。私、病的でしたね。

りょ:それはかなりつらかったね……。身体も相当悲鳴を上げていたのでは?

真里:そうなんです。でも、1年ぐらいはその状態で頑張ってました。母がバレエをしている私を誇らしく思っていたから、なんとなくサボりにくくて。

 親には「バレエの練習に行ってから帰るね」と嘘をついて、夜中まで近所をうろうろ徘徊してから帰宅してました。

 そんな毎日を何カ月か続けていたら、ある朝ベッドから起き上がれなくなって。カーテンを開けるのもおっくうで、部屋に引きこもるようになってしまったんです。

 いわゆる「うつ」状態でした。

りょ:そっか……。大好きなバレエだったのに、うつ状態になるほど自分を苦しめる存在になってしまったのだね。

真里:はい。小さいころは純粋に好きだったんですけどねぇ。バレエにも大学にも行けなくなってしまったので、これはもう限界だと感じて、バレエ団を辞めました。

 実は摂食障害のことは母にずっと黙ってたんですけど、辞めるときに打ち明けたんです。そしたらショックを受けてて、母も病気のことを色々調べてくれたりしたんですけどね。

 バレエ団を辞めたら、少しずつ摂食障害も収まり、うつ状態からも脱出して、外に出られるようになったんです。それからだいぶ元気になって普通の大学生活に戻ることができました。

●アメリカでのダンス留学で心身ともに解放! しかし帰国後は……

真里:それから就職活動が始まって、とりあえずリクルートスーツを着て面接に行ったりしたんですけど、「ぜんぜん私らしくない!」と気づいて。「私、やっぱり踊りたい!」って体がうずうずしちゃって、就職するのを辞めて、アメリカにダンス留学することにしたんです。

りょ:な、なんと! 真里ちゃん、うつ脱出の一年後に海外留学とは、あまりに急激な変化では?

真里:めまぐるしい変化ですよね。でも、海外での勉強はホント楽しくて! タップとかジャズとか、初めてバレエ以外の踊りに触れられて刺激になったし、あちらはみんな身体が大きいから、体型もそんなに気にせずにいられて解放感があったんです。自分が自分でいられる感覚が心地よかった。

りょ:心も身体も解き放たれて、思い切って海外に出るのもいいもんなんだね。

真里:ホントいい経験でした。それから日本に帰国して、大きな劇団やテーマパークのダンサーのオーディションを受けてたんですけど、なぜか最終で全部落ちちゃって。

 それからは子どもたちにバレエを教える仕事をしながら、月1回イベントで踊る、“舞台生活”が始まりました。

りょ:またバレエを再開したんだね! やっぱり大好きなバレエからは離れられないってことか。その後は順調だったのかな?

真里:それが、舞台活動をするようになったら、また摂食障害が始まっちゃったんです……。

 舞台の前になると痩せるために絶食して、終わるとまた過食に走る。

 前とひとつ違うのは、ドヨンとした「うつ状態」にはならなかったことでしょうか。その代り、いつも妙にハイテンションで張り切ってました。

 でも、身体は限界だったんです。これ以上続けたら死んじゃうと思って、舞台活動を断念しました。

りょ:摂食障害は根本的に治ってなかったということかな?

真里:そうなんです。当時はそんな自分を本気で変えようと躍起になっていて、いろんな自己啓発本を読んだり、セミナーに通ったりもしました。セミナーでは、「なりたい自分になる!」をテーマに、自分の憧れの人の写真に自分の顔写真を貼って毎日眺める、なんていうのもやったんですけどね。

 「なりたい自分」と「今の自分」のギャップを感じて、かえって自分へのダメ出しが激しくなってしまいました。

 その後、セミナーで出会った人から、健康食品を売るネットワークビジネスに誘われまして。

 ダンサーだけじゃ食べていけないし、これで稼げるようになったら好きなこともできるなと思ってビジネスを始めることにしたんです。親には内緒で……。

●母に「ありのままの私」を認めてほしかった

真里:ところが、ノルマを達成したいがために自分でも商品を購入するようになり、どんどん在庫を抱えるようになっちゃったんです。当時、ひとり暮らしを始めたところだったので、部屋の中は商品でいっぱいに埋め尽くされ。

 ついには借金まで抱えるようになって、家賃も光熱費も払えず、いよいよ夜の世界に足を踏み入れることに……。

りょ:真里ちゃん、似合わないわー夜の世界。

真里:ですよね(笑)? クラブのママにも「真里ちゃんはこのお仕事はあんまり合わないみたいねぇ」と優しく諭されまして、5日間でクビになりました。

りょ:ごめん、笑っちゃいけないよね、真剣な悩みなのに(笑いこらえる)。

真里:いえいえ、笑ってくださいよー。そうそう、実はそのときも摂食障害になっちゃいまして。どうも借金を抱えた辺りから、またその症状が出始めたんです……。

 その後、ネットワークビジネスに誘った友達が「どうも私の様子がおかしい」と気づいて、私の親に連絡しちゃったんです。地元の友達だったので、うちの家の電話番号を知ってて。

 母と父から「その仕事はすぐに辞めて、早く家に帰ってきなさい!」と猛烈に怒られました。

りょ:ある意味、そこで救われたのかもしれないね。親に電話するなんて、その友達、勇気あるわ!

真里:今思えばありがたいです。私自身、相当のめりこんでいたので直接「辞めなよ」って言われても、聴く耳持たなかったと思うんですよねぇ。

 それからネットワークの仕事を辞めようとしたところ、たまたまある面白いものを見つけまして。「ストレスの根本原因を身体に聴いて解消する」というセラピーで、もしこれで摂食障害の原因がわかるなら? と受けてみることにしたんです。

りょ:いろんなセラピーがあるんだね。身体に聴いてわかるんだ……。

真里:そうですね。身体には自分が忘れているような出来事も記憶として残ってるみたいで、筋肉の反応を見ながら、そのストレスが生まれた原因を探っていくんです。

 それによると、どうやら「母との関係」に原因があることがわかったんです。

りょ:なるほど~。お母さんがバレエで活躍している真里ちゃんを誇らしく思っていたり、摂食障害のこともずっと言えなくて黙っていたり。お母さんとの関係に何かありそうだと感じてたよ。

真里:やっぱりそうですか……。実は、母は昔から、世間体や見栄えを大事にする人でした。

 特に体型の乱れが気になるみたいで、私がちょっとでも太ると、「あなた、最近太ったんじゃない?」「舞台あるのに大丈夫なの?」と、毎回お小言を言うんです。

 その代わり、痩せると「あなた、この前の舞台はほっそり痩せてて綺麗だったわよ!」って感じで褒めてくれるんですよね。

 私も小さいころは体型がスラっとしてて、地元のバレエ教室では目立って活躍してたんですけど、東京のバレエ団に入ったら、みんなレベルが高いからなかなかいい配役をもらえなくて……。

 体型も年代的にふっくらする時期だったから、みるみるうちに私の体型が変わっていくことも、母としては許せなかったみたいです。

 あるとき、母に「あなた、こんなに太ってみっともないから、この帽子かぶっていきなさい!」って、外出時に顔が隠れる大きな帽子を渡されたんです。おそらく近所の人に、「この太った子が我が子だ」と知られたくなかったんでしょうね。

りょ:お母さん、そりゃないよー。きっとはたから見たらぜんぜん太ってないだろうに。これは勝手な理想だけど、どんな我が子でも愛してあげてほしいなぁ。

真里:そうですよねぇ。母自身も細いのに自分の体型に厳しくて、母の心も相当窮屈だったのかなと思います。

 母は子どもに対して母なりの愛情を届けていたつもりのようですが、私が望むような愛情のカタチをもらうことはできませんでした。

 私はもっとありのままの私を認めてほしかった。

 認めてもらえない悲しみが、私を過食と絶食に走らせてしまったのかもしれません。

●自分で自分を愛するようになったら、心から愛せる人が現れた

真里:母からの愛情を受け取れてなかったんだってことがわかって、だいぶ気持ち的に楽になりましたね。これからは、「自分で自分を愛していこう」と心に固く誓いました。

 親にもらった大事な身体だから、粗末にしちゃいけないって。

 今までは、「こんなに太い太ももなんて嫌い」!って思ってましたけど、「いつも元気に歩いてくれる足なんだから、大切にしてあげよう」って思うことにしたんです。それから自分の身体のパーツ一つひとつに「ありがとう」って声をかけてあげたり。

りょ:身体に感謝するってことかぁ。身体もそれを聞いて喜ぶだろうね!

 ところで、お母さんには自分が抱えてきた思いを伝えたのかな?

真里:母に対しては、自分が苦しんできたことをまだ話せてはいません。

 でも、私の中で母からの言葉の受け取り方が変わりました。

 母から「また太ったわねぇ」と言われたときは、「そんなこと言わないでよ!」とか「そう言われるとつらいから、それ以上言わないで!」って言い返せるようになったんです。

 今までは母の言うことを真に受けていたので、反撃するようになったら、精神的にも強くなって。

 摂食障害に陥る不安とかも一切なくなりました。

りょ:その病気は根っこから克服できたんだね! それとお母さん自身の心も解放できたらいいなぁ。

真里:そうですよね。母自身ももっと楽になれたらいいんですが。

 いや~実は母との関係を見つめ直したころから、私の中で大切な人ができたんです♡

 高校時代の同級生なんですけど、同窓会でバッタリ再会して、それからずっと友達関係だったのが、ある日突然意識するようになって。

りょ:友達がある日恋愛対象に変わるなんてミラクル☆ なんで見方が変わったの?

真里:究極を言うと、私が本来の自分になったから、彼の素晴らしさに気づけたんじゃないかと。

 彼は、私が調子が良くても悪くても変わることなく、ずっと見守ってくれていました。

 以前はそれを気にも留めていなかったのですが、自分の心を見つめて、母への感情をクリアした辺りから、“彼の変わらぬ優しさ”に気づけたんです。心の曇りが晴れたから? なんて。

りょ:永遠の愛は、ずっと近くにあったのだね。灯台下暗しとはこのことだ!

真里:はい! 付き合い始めてすぐにプロポーズされまして、無事結婚することができました。

 もうあれから摂食障害の症状は一切ありません。二度と陥らない自分になれたと思います。

変わりたいあなたへ……言葉のプレゼント☆



何度も繰り返すパターンの根っこに
「親子関係」が潜んでいるかもしれない


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 真里さんは結婚後、バレエのエッセンスを活かした、心と体を整えるボディワークを開発し、講師として生き生きと働いています。

 人に隠したいような苦しい闇の部分は、実はその人を光り輝かせるために欠かせないもの。真里さんのお話を聴いて強く感じたのであります。

聴覚障害者の権利保護

2013-11-19 09:50:14 | ダイバーシティ
(以下、読売新聞から転載)
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聴覚障害者の権利保護


「手話は言語」認知 法で



 手話を正式な「言語」と位置づける手話言語条例を鳥取県が10月、全国で初めて制定したのに続き、北海道石狩市も12月議会に提案する。

 手話に対する無理解は日常の様々な場面で見られ、「国でも手話言語法を」とする聴覚障害者らの願いにどう応えるべきか。

 鳥取県は元々、障害者が困っている時に手助けを行う県民運動を展開、「福祉先進県」を掲げる。条例は1月、大学時代に手話通訳を経験した平井伸治知事に全日本ろうあ連盟の聴覚障害者らが陳情したのを機にトップダウンで進んだ。

 条例の柱は〈1〉手話は「独自の言語体系を有する文化的所産」と意義づける〈2〉県と市町村は手話を使いやすい環境を整備する責務を持つ〈3〉聴覚障害児が通う学校は学習機会の提供に努める〈4〉聴覚障害者が働きやすくする事業者の取り組みに県は支援する――など。県は知事に意見を述べる施策推進協議会を設け、小中学校で手話教育に乗り出す。

 「世の中の先を行く条例」とする平井知事は8日の全国知事会議で手話言語法も提案。安倍首相は「せっかくのご提案。考えて参りたい」と手話を交えて答えた。条例制定を検討する自治体も数か所出てきて、波及効果が見える。

 条例の前文には、相手の唇の動きから言葉を読み取る口話法がかつて世界的に支持され、戦前に国内のろう学校で手話が締め出された歴史も記された。口話法の妨げになるとの長年の偏見から、ろう学校で手話で教えられる教師は少なく、聴覚障害者で手話を使う人は2割程度とされる。公的資格の手話通訳士も手話を使う障害者17人に1人の3000余人しかいない。

 ろうあ連盟は全国調査で手話を巡る「差別事例」1214件を把握している。▽完全看護の病院なのに手話を看護師がわからず、家族が泊まりの付き添いを求められた▽ろう者夫婦とわかったら、不動産屋に物件を1件も紹介されなかった▽警察に突然、家宅捜査された時、頼んでも手話通訳をつけてくれなかった――などだ。特に東日本大震災では、避難の呼びかけや防災無線が聞こえず、逃げ遅れた聴覚障害者が少なくなかった。避難した人も携帯電話の不通で孤立した。

 「緊急時には命にかかわる。手話を『言語』と認められない限り、聴覚障害児が学ぶ場も広がらない」。ろうあ連盟の西滝憲彦理事は手話言語法を求める理由を話す。連盟は21条の独自の法案を策定。22日、東京で平井知事や田岡克介石狩市長、国会議員らの参加でパネルディスカッションを行い、理解を広げる。

 手話を法的に言語と認めるのは国際的には突飛ではない。2006年に国連で採択された障害者権利条約で、障害者に保障するコミュニケーションとしての言語に手話を含めた。多言語国家を中心に憲法で言語と認知したり、手話言語法を制定したりする国が増加。1995年に憲法を改正したフィンランドは無料・時間無制限で手話通訳を利用できる権利を定めている。

 今国会中に障害者権利条約批准を目指す政府は、11年に改正した障害者基本法で「全て障害者は可能な限り、言語(手話を含む)その他の意思疎通のための手段の選択の機会が確保される」と定めた。だが、具体的な施策はこれからだ。

 内閣府や厚生労働省、文部科学省は、条例を「先進的な取り組み」と評価しつつ、手話言語法には「施策を一歩一歩積み上げるのが先」とする。「手話通訳者を備えられない企業が法の制約を恐れ、聴覚障害者の雇用を控えれば元も子もない」との見方もする。

 一足飛びに手話言語法といかずとも手をこまぬいてはいられない。手話だけでなく、点字や通信機器など障害者の情報アクセスを確保するには何をすべきか。障害者の声に耳を傾けるのが条約の理念にかなう。

(2013年11月19日 読売新聞)