(以下、西日本新聞から転載)
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【リンジンとの距離 働く外国人を訪ねて】<2>研修・実習生 零細工場で生じた溝
2010年01月08日 08:44
支援者(手前)に当時の労働状況を説明する2人の中国人女性。「自分たちを守ろうと思った」と語る
王小紅さん(22)と李蘭霞さん(23)=ともに仮名=の表情は、硬く険しかった。「不公正に扱われたことは許せない」という。だが、「一人の人間として、オーナーを悪い人とは思っていない」とも繰り返した。
昨年9月、長崎・島原市の縫製工場で働く王さんら中国人女性5人が、島原労働基準監督署に労働基準法違反を申告。最低賃金を下回る350-400円で、月150時間程度の残業をさせられたと訴えた。「オーナー」とは、2人が働いた工場の社長である。
07年10月、社長夫妻は「私たちを日本のお父さん、お母さんと思ってね」と言って、2人を迎えてくれた。花見を一緒に楽しみ、県内の観光地にも連れて行ってもらった。そんな思い出も語ってくれた2人と別れ、島原市郊外へ向かった。住宅街の一角。縫製工場を示す看板さえない小さなプレハブは、明かりも付かず、静まり返っている。工場は昨年末、倒産していた。
再び2人の話に戻る。
ともに中国・江蘇省の農村の生まれで、縫製工場で働いていた。月収は約1200元(約1万6千円)。「日本に行けばもっと稼げる」と上海の人材派遣会社に誘われ、親や親せきに借りて仲介料約4万5千元(約61万円)を工面した。受け入れ先は島原地区の小規模な縫製工場15社でつくる協同組合だった。
1年間は月5万円、2年目に入ると約10万円の月給から寮費などを引いた約7万円を手にした。寮の庭でダイコンやカボチャを栽培して食費を切り詰め、2年間で王さんは120万円、李さんは170万円を中国の家族に送金した。
2人が問題視しているのは残業に対する報酬だ。
研修生側が時給ベースで不当性を訴えるのに対し、組合側は歩合制を主張する。「糸切りなどの作業1点に5円や10円を支払う内職で、時給の仕事ではない」と同組合の理事長は反論。主張は交わらず、王さんたちは民事訴訟の準備を進めている。
「こんな言葉は使いたくないが、今回は裏切られたという思いがあります」。強い言葉で心情を吐露する理事長は「少しでも手取りを増やしてほしいと思って内職を回したのに」と語る。組合が6年間で300人以上の中国人を受け入れてきたという自負もある。「私は実習生に恵まれてね。帰国してからも、毎週のように電話してますよ」。自ら経営する工場の事務所には、歴代の実習生が着物を着てほほ笑む写真や、実習生から贈られた記念品がところ狭しと飾られている。
一方、中国人の2人は今、「平静に仕事が続けられさえすればいいと思って、我慢していた」と不満を並べる。パスポートと通帳を会社が保管したこと、8畳に2段ベッド三つを入れて6人で暮らしたこと…。社長は否定するが、「トイレに行く時間を計られた」とも話す。
研修・実習生制度の本来の目的は途上国への技術移転にある。だが、「正直言えば、労働力としての認識が強い」と理事長は明かす。その認識は2人も共有している。「中国に帰っても、元の工場には戻らない。こっちでの仕事は、生かせそうにないから」
服飾産業の末端に位置する地方の下請け工場。そこで働いていた日本人と外国人の間でどんな思いが共有され、どんなズレや溝が生じていたのだろうか。「中国人のせいで倒産に追い込まれた」と憤る社長に対し、「(倒産で)払うべき給料を免れるのはおかしい」と主張する2人。距離はあまりにも遠い。
× ×
▼外国人研修生・実習生制度
外国人研修生・実習生制度は、開発途上国への技術移転を目的に1993年にスタート。1年間の研修を経て、労働関係法が適用される2年間の技能実習に移行する。2008年に入国した研修生は約10万2000人で、約7割が中国籍。賃金未払いなどのトラブルが相次ぎ、国際研修協力機構(JITCO)によると、08年に時間外労働などの不正行為が確認されたのは452機関で、過去最多だった。7月に施行予定の改正入管法は在留資格を「技能実習」に統一、来日3カ月目から労働関係法が適用されるようになる。
=2010/01/07付 西日本新聞朝刊=
【リンジンとの距離 働く外国人を訪ねて】<1>介護の現場 異文化に寄り添って
2010年01月07日 12:12
入所者の食事補助をするマエサロさん(右)とヘニさん(左から2人目)=鹿児島県南さつま市
「んまかどー(おいしい)」。焼き魚を口に入れた女性の鹿児島弁に、食事介助しているマエサロさん(23)の目元が笑った。就業前に受けた日本語研修はわずか半年。おまけに、鹿児島弁は独特な語彙(ごい)やイントネーションを伴う。「言葉が分からなくて、半年ぐらいはよく泣きました。でも、今は『してくやい(してください)』と言われても大丈夫です」。マエサロさんの言葉に、一緒に日本にやって来たヘニさん(24)がうなずいた。
インドネシア・ジャワ島出身の2人は2008年8月、2国間の経済連携協定(EPA)に基づいて来日した介護福祉士候補者だ。昨年1月末から、鹿児島県南さつま市の介護老人福祉施設「加世田アルテンハイム」で働いている。
制度の趣旨が「介護福祉士の国家資格取得と就労」である以上、2人とも仕事が高齢者の介護であることは当然理解し、知識も持っていた。それでも、現場に入ると当惑した。
ヘニさんは語る。
「インドネシアでは家族が自宅でお年寄りの面倒をみるのが普通。イスラム教は信徒同士の助け合いを重んじているし、お年寄りは地域で敬われる存在です」
対して、日本の介護は施設が大きな柱だ。「家族がいるのに、なぜ離れて暮らしているの? おばあちゃんを見て、かわいそうと思いました」とヘニさんは打ち明ける。約1年たった現在の印象を尋ねると、少し間を置いて、「慣れました」という答えが返ってきた。母国の文化を捨てることはできない。いま、身を置く異国の文化を拒むこともできない。二つの文化を生きなければならない人間の複雑な心境が、短い返事からうかがえた。
言葉、文化、生活習慣…。さまざまな壁や違和感に戸惑いながらも、2人の日本での仕事は続く。
ある時、1人のおばあちゃんがヘニさんを見つめて、「孫に似ている」と相好を崩した。ヘニさんは10歳の時に亡くした祖母の面影を重ね、「私も本当のおばあちゃんみたいに思った。同じ人間。気持ちが分かるようになったと思います」としみじみ振り返る。
入所者たちは2人を温かく受け入れ、「昭和の日本の子みたい」とかわいがっている。「たたずまいや高齢者を敬う姿勢が、日本が失ってしまった何かを思い出させてくれる」と吉井敦子園長。「外国人の介護を拒否する人がいないかと心配していましたが、取り越し苦労でした」
2人の月給は約12万円。インドネシアで働く看護師の平均月収の約5倍という。毎月3分の1を母国の家族に仕送りしている。
「母国では日本のテレビドラマやアニメが人気です。日本のイメージはインドネシアにないものがたくさんある国。『日本にはチャンスがある、働きたい』と思っても、入り口が開いてないと思っていました」と話すマエサロさんは「新幹線、自動販売機、歩くのが速い日本人。テレビの中の世界にいるみたいです」と陽気に笑った。
2人の当面の目標は2年後に国家試験に合格して日本で働き続けることだ。だが、永住を希望しているわけではない。マエサロさんは「日本で5年ぐらい働いたら、帰って家族と一緒に暮らしたい」という。
休日の2人の楽しみは国際電話で家族と話すこと。でも、「さみしい」のひと言だけは言葉にしない。
◇ ◇ ◇
9万3千人を超える外国人が九州で暮らし、さまざまな現場で働いている。身近な隣人になりつつある人々と共に生きるよりよい道を探るため、働く外国人を訪ね、現状をルポする。
× ×
▼インドネシア、比との経済連携協定
インドネシア、フィリピンとの経済連携協定(EPA)の一環で看護師・介護福祉士の資格取得を目指す候補者を受け入れている。2009年5月までに、第1陣として両国から計491人が来日。今年1月中旬から、インドネシアからの第2陣(361人)が就業する。3―4年以内に国家試験に合格すれば、引き続き滞在できるが、取得できなければ帰国となる。介護福祉士は3年間の実務経験が条件。試験は実質1回だけで「条件が厳しい」との指摘がある。
× ×
▼投稿・情報・ご意見は→西日本新聞文化部生活班
〒810─8721(住所不要)
FAX 092(711)6243
電子メール bunka@nishinippon.co.jp
=2010/01/06付 西日本新聞朝刊=
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【リンジンとの距離 働く外国人を訪ねて】<2>研修・実習生 零細工場で生じた溝
2010年01月08日 08:44
支援者(手前)に当時の労働状況を説明する2人の中国人女性。「自分たちを守ろうと思った」と語る
王小紅さん(22)と李蘭霞さん(23)=ともに仮名=の表情は、硬く険しかった。「不公正に扱われたことは許せない」という。だが、「一人の人間として、オーナーを悪い人とは思っていない」とも繰り返した。
昨年9月、長崎・島原市の縫製工場で働く王さんら中国人女性5人が、島原労働基準監督署に労働基準法違反を申告。最低賃金を下回る350-400円で、月150時間程度の残業をさせられたと訴えた。「オーナー」とは、2人が働いた工場の社長である。
07年10月、社長夫妻は「私たちを日本のお父さん、お母さんと思ってね」と言って、2人を迎えてくれた。花見を一緒に楽しみ、県内の観光地にも連れて行ってもらった。そんな思い出も語ってくれた2人と別れ、島原市郊外へ向かった。住宅街の一角。縫製工場を示す看板さえない小さなプレハブは、明かりも付かず、静まり返っている。工場は昨年末、倒産していた。
再び2人の話に戻る。
ともに中国・江蘇省の農村の生まれで、縫製工場で働いていた。月収は約1200元(約1万6千円)。「日本に行けばもっと稼げる」と上海の人材派遣会社に誘われ、親や親せきに借りて仲介料約4万5千元(約61万円)を工面した。受け入れ先は島原地区の小規模な縫製工場15社でつくる協同組合だった。
1年間は月5万円、2年目に入ると約10万円の月給から寮費などを引いた約7万円を手にした。寮の庭でダイコンやカボチャを栽培して食費を切り詰め、2年間で王さんは120万円、李さんは170万円を中国の家族に送金した。
2人が問題視しているのは残業に対する報酬だ。
研修生側が時給ベースで不当性を訴えるのに対し、組合側は歩合制を主張する。「糸切りなどの作業1点に5円や10円を支払う内職で、時給の仕事ではない」と同組合の理事長は反論。主張は交わらず、王さんたちは民事訴訟の準備を進めている。
「こんな言葉は使いたくないが、今回は裏切られたという思いがあります」。強い言葉で心情を吐露する理事長は「少しでも手取りを増やしてほしいと思って内職を回したのに」と語る。組合が6年間で300人以上の中国人を受け入れてきたという自負もある。「私は実習生に恵まれてね。帰国してからも、毎週のように電話してますよ」。自ら経営する工場の事務所には、歴代の実習生が着物を着てほほ笑む写真や、実習生から贈られた記念品がところ狭しと飾られている。
一方、中国人の2人は今、「平静に仕事が続けられさえすればいいと思って、我慢していた」と不満を並べる。パスポートと通帳を会社が保管したこと、8畳に2段ベッド三つを入れて6人で暮らしたこと…。社長は否定するが、「トイレに行く時間を計られた」とも話す。
研修・実習生制度の本来の目的は途上国への技術移転にある。だが、「正直言えば、労働力としての認識が強い」と理事長は明かす。その認識は2人も共有している。「中国に帰っても、元の工場には戻らない。こっちでの仕事は、生かせそうにないから」
服飾産業の末端に位置する地方の下請け工場。そこで働いていた日本人と外国人の間でどんな思いが共有され、どんなズレや溝が生じていたのだろうか。「中国人のせいで倒産に追い込まれた」と憤る社長に対し、「(倒産で)払うべき給料を免れるのはおかしい」と主張する2人。距離はあまりにも遠い。
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▼外国人研修生・実習生制度
外国人研修生・実習生制度は、開発途上国への技術移転を目的に1993年にスタート。1年間の研修を経て、労働関係法が適用される2年間の技能実習に移行する。2008年に入国した研修生は約10万2000人で、約7割が中国籍。賃金未払いなどのトラブルが相次ぎ、国際研修協力機構(JITCO)によると、08年に時間外労働などの不正行為が確認されたのは452機関で、過去最多だった。7月に施行予定の改正入管法は在留資格を「技能実習」に統一、来日3カ月目から労働関係法が適用されるようになる。
=2010/01/07付 西日本新聞朝刊=
【リンジンとの距離 働く外国人を訪ねて】<1>介護の現場 異文化に寄り添って
2010年01月07日 12:12
入所者の食事補助をするマエサロさん(右)とヘニさん(左から2人目)=鹿児島県南さつま市
「んまかどー(おいしい)」。焼き魚を口に入れた女性の鹿児島弁に、食事介助しているマエサロさん(23)の目元が笑った。就業前に受けた日本語研修はわずか半年。おまけに、鹿児島弁は独特な語彙(ごい)やイントネーションを伴う。「言葉が分からなくて、半年ぐらいはよく泣きました。でも、今は『してくやい(してください)』と言われても大丈夫です」。マエサロさんの言葉に、一緒に日本にやって来たヘニさん(24)がうなずいた。
インドネシア・ジャワ島出身の2人は2008年8月、2国間の経済連携協定(EPA)に基づいて来日した介護福祉士候補者だ。昨年1月末から、鹿児島県南さつま市の介護老人福祉施設「加世田アルテンハイム」で働いている。
制度の趣旨が「介護福祉士の国家資格取得と就労」である以上、2人とも仕事が高齢者の介護であることは当然理解し、知識も持っていた。それでも、現場に入ると当惑した。
ヘニさんは語る。
「インドネシアでは家族が自宅でお年寄りの面倒をみるのが普通。イスラム教は信徒同士の助け合いを重んじているし、お年寄りは地域で敬われる存在です」
対して、日本の介護は施設が大きな柱だ。「家族がいるのに、なぜ離れて暮らしているの? おばあちゃんを見て、かわいそうと思いました」とヘニさんは打ち明ける。約1年たった現在の印象を尋ねると、少し間を置いて、「慣れました」という答えが返ってきた。母国の文化を捨てることはできない。いま、身を置く異国の文化を拒むこともできない。二つの文化を生きなければならない人間の複雑な心境が、短い返事からうかがえた。
言葉、文化、生活習慣…。さまざまな壁や違和感に戸惑いながらも、2人の日本での仕事は続く。
ある時、1人のおばあちゃんがヘニさんを見つめて、「孫に似ている」と相好を崩した。ヘニさんは10歳の時に亡くした祖母の面影を重ね、「私も本当のおばあちゃんみたいに思った。同じ人間。気持ちが分かるようになったと思います」としみじみ振り返る。
入所者たちは2人を温かく受け入れ、「昭和の日本の子みたい」とかわいがっている。「たたずまいや高齢者を敬う姿勢が、日本が失ってしまった何かを思い出させてくれる」と吉井敦子園長。「外国人の介護を拒否する人がいないかと心配していましたが、取り越し苦労でした」
2人の月給は約12万円。インドネシアで働く看護師の平均月収の約5倍という。毎月3分の1を母国の家族に仕送りしている。
「母国では日本のテレビドラマやアニメが人気です。日本のイメージはインドネシアにないものがたくさんある国。『日本にはチャンスがある、働きたい』と思っても、入り口が開いてないと思っていました」と話すマエサロさんは「新幹線、自動販売機、歩くのが速い日本人。テレビの中の世界にいるみたいです」と陽気に笑った。
2人の当面の目標は2年後に国家試験に合格して日本で働き続けることだ。だが、永住を希望しているわけではない。マエサロさんは「日本で5年ぐらい働いたら、帰って家族と一緒に暮らしたい」という。
休日の2人の楽しみは国際電話で家族と話すこと。でも、「さみしい」のひと言だけは言葉にしない。
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9万3千人を超える外国人が九州で暮らし、さまざまな現場で働いている。身近な隣人になりつつある人々と共に生きるよりよい道を探るため、働く外国人を訪ね、現状をルポする。
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▼インドネシア、比との経済連携協定
インドネシア、フィリピンとの経済連携協定(EPA)の一環で看護師・介護福祉士の資格取得を目指す候補者を受け入れている。2009年5月までに、第1陣として両国から計491人が来日。今年1月中旬から、インドネシアからの第2陣(361人)が就業する。3―4年以内に国家試験に合格すれば、引き続き滞在できるが、取得できなければ帰国となる。介護福祉士は3年間の実務経験が条件。試験は実質1回だけで「条件が厳しい」との指摘がある。
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▼投稿・情報・ご意見は→西日本新聞文化部生活班
〒810─8721(住所不要)
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電子メール bunka@nishinippon.co.jp
=2010/01/06付 西日本新聞朝刊=