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クリエイティブに過去の知識は必要か?

2009-12-04 12:20:29 | 音楽・アート
知らない方のブログに対する突込みで申し訳無いのですが,「映画を体系的に理解するための7作品」というのを読んで…。
挙がってる映画はどれも有名な映画ばかりだなぁと。わたしはそこまで映画のマニアとかファンという自覚は無いのですが,さすがにここに挙がってる映画はみんな知ってるし,「用心棒」以外は全部観てます。用心棒は観て無いけど黒澤映画は5本くらいは観てるので,まぁいいたいことはわかります。一応これらの作品がその後に与えた影響を書いてあるあたりが「体系的」ということなんでしょう。メジャーな作品ばかりで,たぶんマニアが観たらがっかりするリストなんでしょうけど,実際ヒットした映画というのは多くの人に観られたということなので,その後に与えた影響は大きいし,歴史的な意味も大きいでしょう。
まぁ,でも申し訳ないけど,最初に「クリエイティブなことをしたいのなら、映画を見ることは欠かせない。また、単に見るだけではなく、それを包括的・体系的にとらえることも必要だ」と書いてるのを読んで,そうかなぁとは思ったんですよ。いやそのクリエイティブというのが映画を作ることなのか,それとも映像制作まで含むのか,それともほかの事まで含むのかはよくわからないのですが。
わたしは音楽のことしかよくわからないので,音楽で考えてしまいますが,音楽はたぶん,過去の作品を包括的・体系的に捕らえているかどうかは,その人の創造性には直接は関係ないと思います。いや,そういう人もたくさんいるんですが,中には過去の作品をほとんど知りませんという人がいて,そういう人がある日とんでもない作品を作って,そこから新しい道が引かれたりする。もちろん過去の作品を勉強しそこから新しい作品を作る人もいるけど,包括的…かどうかは疑問です。
なんか過去の作品を包括的とか体系的に捕らえるのは,評論家や学者には必要なことだと思うけど,物事を作り出す人にどこまで必要なのだろうか?という気はします。まぁ確かに過去の作品をほとんど知らなくても新しいものを作れるのは一部の天才だけで,そうじゃなければ,過去の蓄積をたくさん知ってるほうが,その知識を頼りに作れるっていうのはあるのかもしれませんが。
ただし映画は,音楽と違い,大人数のスタッフでつくるものだし,一人の感性だけではなんともなら無いのかもしれません。スタッフに何かを伝えるためには共通言語が必要で,それが過去の名作かもしれないという意味では,過去の作品を包括的に捕らえるっていうのも必要なのかもしれませんが…。
それとこれもわたしの経験だけど,自分が自分の好きな世界の過去作品はほとんど知ってると思っても,意外に若い人は,全然違うところの作品をよく知っていたりして,かえって広い世界のことを知っていたりすることもあります。あと包括的・体系的っていうのは,長年生きていて,その作品に触れていればあんまり努力しなくてもついてくるので,まぁ意図的に触れなくてもいいかもなぁ…という気はします。わたしも音楽は色んな音楽をずっと聴いてきて,別に体系的に捕らえようとかあまり意識してなかったけど,大量な蓄積があるので,それが今となっては頭のマップ上に並べられていて,なんとなくそれぞれの関係性みたいのは判ったりするんですよね。そういう意味では,若いときにそれを求めるのが本当に必要なのかはよくわからないなぁと思いました。
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