「佐々木俊尚の「ITジャーナル」:インターネットが取材を変える日」というのを読んで…。
コメントのところには「マスコミの特権階級としての意識」みたいな話が載ってますが,それも共感できるんですが,わたしはこのエントリ自体を「圏外からのひとこと」さんで見つけたので,むしろ他のことに置き換えると,こういう事ってあるよな…と思いました。つまり慣習の変化により今まで内側の位置づけられていたものが外側にディスクローズされていく瞬間っていうのは,やっぱり何かしらの気持ち悪さがあるものではないでしょうか?。
もちろん「取材過程を明かさない」という今までの姿勢があまりフェアじゃない…という事はいえると思います。しかし何がプライベートで何がパブリックかというのは時代によって変わるし,本人の意思じゃなく慣習として伝わっているので,業界に慣習の変化を求めるのはいいけど,個人がそう思う気持ちをせめても仕方がない気がします。
例えば個人的な経験を書くと,わたしは会社に入って最初に配属されたところは席がパーテーションで区切られていたところでした。当然机の中はともかく机の上も全てプライベートな空間になります。それが異動で職種が変わると,パーテーションはないし,正面1mのところには同僚がいるし,という状況,場合によっては「空いているから」という理由で私の机が他の人に使われたりもしました。この環境,そこに行く前,つまりパーテーションに囲まれた状況で,そういう職場を見ると,とても気持ち悪かったわけです。ですが人間は不思議なもので実際に行けば慣れますし,慣れたらそういう状況でも困らないように,机の上を作って行きました。
個人の机と,取材手法を比べるのもどうかという話もあるかもしれませんが,内面が外側に変わるときというのは,内面である状態では気持ち悪いと思うものでしょう。一旦公開しちゃえばその感覚は綺麗になくなるものだと思います。そういう意味では佐々木氏はそういうやり方をやる上での感覚的抵抗はなくなるだろうし,まだやってない人には抵抗はあるでしょう。まぁ個人的には取材過程がオープンになるという風潮が広まってくれることを望みます。そういう空気を我々も声を出して求めるべきでしょう。
ところで,話がそれますが,プライベートな空間をオープンにすることの抵抗は「恥じらい」という意味では重要な気がします。少なくともコンビニの駐車場の地面に座って喋っている女子高生とか電車の中で化粧する人とかそういうのを見てると,彼女らは乗り越えてしまって,もう戻れないのだなぁ…とも…。
コメントのところには「マスコミの特権階級としての意識」みたいな話が載ってますが,それも共感できるんですが,わたしはこのエントリ自体を「圏外からのひとこと」さんで見つけたので,むしろ他のことに置き換えると,こういう事ってあるよな…と思いました。つまり慣習の変化により今まで内側の位置づけられていたものが外側にディスクローズされていく瞬間っていうのは,やっぱり何かしらの気持ち悪さがあるものではないでしょうか?。
もちろん「取材過程を明かさない」という今までの姿勢があまりフェアじゃない…という事はいえると思います。しかし何がプライベートで何がパブリックかというのは時代によって変わるし,本人の意思じゃなく慣習として伝わっているので,業界に慣習の変化を求めるのはいいけど,個人がそう思う気持ちをせめても仕方がない気がします。
例えば個人的な経験を書くと,わたしは会社に入って最初に配属されたところは席がパーテーションで区切られていたところでした。当然机の中はともかく机の上も全てプライベートな空間になります。それが異動で職種が変わると,パーテーションはないし,正面1mのところには同僚がいるし,という状況,場合によっては「空いているから」という理由で私の机が他の人に使われたりもしました。この環境,そこに行く前,つまりパーテーションに囲まれた状況で,そういう職場を見ると,とても気持ち悪かったわけです。ですが人間は不思議なもので実際に行けば慣れますし,慣れたらそういう状況でも困らないように,机の上を作って行きました。
個人の机と,取材手法を比べるのもどうかという話もあるかもしれませんが,内面が外側に変わるときというのは,内面である状態では気持ち悪いと思うものでしょう。一旦公開しちゃえばその感覚は綺麗になくなるものだと思います。そういう意味では佐々木氏はそういうやり方をやる上での感覚的抵抗はなくなるだろうし,まだやってない人には抵抗はあるでしょう。まぁ個人的には取材過程がオープンになるという風潮が広まってくれることを望みます。そういう空気を我々も声を出して求めるべきでしょう。
ところで,話がそれますが,プライベートな空間をオープンにすることの抵抗は「恥じらい」という意味では重要な気がします。少なくともコンビニの駐車場の地面に座って喋っている女子高生とか電車の中で化粧する人とかそういうのを見てると,彼女らは乗り越えてしまって,もう戻れないのだなぁ…とも…。