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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

ケリーが大統領になれなかった理由

2004-11-11 14:52:10 | 時事
アメリカ大統領選が一目でわかる図」(知ったところ中里一日記)。
これを「ブッシュを支持する人は頭の悪いやつばかりだ」と受け取るのは(ブッシュ嫌いにとっては)余り前向きじゃない。ケリーが「バカでもわかるように説明できなかったから落ちた」と取るべきでしょう。(差別的な言い方で申し訳ないが)頭が悪い人に支持されない…っていうのに優位感を得るのは間違いで,(ブッシュが頭がいいから可能だったとはいいませんが:-p)頭が本当にいい人はどんなそうにでもわかるように支持できるように説明が出来るはずです。そういう意味で言うとケリーにはどういう能力が足りなかったかは良くわかります。IQで明確な差が出たって事は逆ブッシュは頭がいい人に共感を得るようなことが話せなかったとも言えますが,つまりいずれにせよどちらの候補も,みんながわかるように話すことはできなかった…って事になります。
自分が得意な相手にしか話が通じない…ってことで,まぁアメリカらしいかな…とは思いますが(別に日本人が出来るとも思わないけど…)…。

余談ですが,今回のアメリカ大統領選を見ていて「民主主義が優れた制度…ってわけじゃないのが発覚したのが今回のことではないか?」とか思いました。
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更新しないと誰も来ない

2004-11-11 13:30:38 | ひとこと
二日間,外に出ていて更新しないと,アクセス数が一桁でしたorz…。
ってことは,新規だから見にくる人っているって事かなぁ…。アンテナとかトップページとかから来るんでしょうか?…。
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中国経済は脅威なのか?

2004-11-11 13:29:30 | 時事
わたしはみていないのですが,「古舘伊知郎が石原都知事相手に馬鹿丸出し」というのが話題になっていました。要は報道ステーションで古舘氏が石原知事にいろいろ突っ込む姿が余りにも情けなかったという話です。
ちなみに古舘氏はそんなに嫌いじゃなかったのですが,報道ステーションが始まって,あまりのつまらなさにみてられなくなり,平日の夜10時はテレビ朝日はみなくなりました…。なのでこの日の番組も見てません。
で,石原氏はああいう人なので,気持ちはわかる部分と,言い方がまずいよなぁと思う部分と,そりゃちょっと危ないんじゃないの?…という部分があって,支持するかしないかは悩むところですが,TVでのやり取りを文字化しているのを読んでいて(まぁこれが話題があちこちに飛んでいて,非常に番組としてはまとまりのないものなんですが),本論と違う部分で一つだけ気になったことを…。
石原氏が中国を「経済の中流」と言っている点です。この前後で言われているのは,まぁおおむねわたしの印象と合います。しかし,かっての日本も西洋の製品をコピーして安くつくって売っていて伸びたような部分があるので,本当に中国が現在の日本のようにならないのか?…という疑問があるのです。もちろんここで言われているように現在の中国は自国の技術力を延ばすよりは,人件費の安さを使ってやすい製品をつくることに一生懸命…という風に聞きます。なんと人件費を抑えるためにスキルがついた工員を切っているというような話すら聞きます。もしそうであれば,日本は安泰でしょう。値段の中国になっても品質の日本で売っていくことが出来るからです。
しかし一方で「品質の日本」であるにしては日本には世界に通用するブランド力が不足しているのが気になります。これについては(おそらく)以前書いたのですが,ヨーロッパにあるようなブランド力のあるものが,品質が優れているといわれている割には日本には少ないように思います。今朝ラジオで「日本人は非常に品質にうるさい」と日本向けに製品を輸出している西洋人(正確には豪人)が言ってるのを聞きましたが,日本人は消費者として品質にこだわるゆえに,日本が作り出す製品も高品質なものが多いということなんでしょう。
もっともでは中国製品は?…と思った場合現在中国の製品でブランドが想像できるものはほとんどありません。タイガーバームとか…。中国特産の中国茶とかくらいか…。
まぁ特産品はともかく家電や自動車などでは今のところは中国ブランドは聞きません。そういう意味では日本はまだアドバンテージがあるし,日本はそういう方向(高品質を売りにしてブランド戦略をかける)に進むべきだとわたしは思ってます。
しかしこういうことはそのうち中国も目指しだすような気がします。そう考えるとやはり技術やノウハウが流出しないようにするのは大事だし,やっぱり何度もいうように日本の文化輸出とブランド確立を早急にやる必要性を感じます。
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死ぬ瞬間~死とその過程において(E.キューブラー.ロス/鈴木晶訳)

2004-11-08 13:05:21 | 書評
死の宣告を受けたいわゆる末期患者に対してカウンセリングを行った記録という本。大学のゼミを兼ねてのインタビュー記録だったようです。なかなかチャレンジグだと思いましたが,やはり最初は病院側に強力に拒否されたとのことです。しかし現状はむしろ望まれてやっているとのこと。特に患者の方はこのインタビューにより良い末期を迎えられたとのことです。
この本によると,死を宣告された患者は,そこから死ぬまで「否認と孤立」「怒り」「取引」「抑鬱」「受容」という段階を踏むとのことです。もちろん,最後までいかなくて途中で亡くなる人もいるとのこと。
最初はその死の宣告を受け入れられず,「間違いに違いない」と否認する。しかしだんだんそうじゃないとわかってくると「どうして わたしが…」と怒りを覚えるようになる。更に「良い行いをすれば 助かるのではないか?」というような神との取引を考える。 そして「抑鬱」になるが,最後は受け入れると…。
このどの段階でカウンセリングが有効…ということは言っておらず,どの段階でもカウンセリングは有効なようである。いやむしろカウンセリングを行わない場合途中の段階で亡くなるというのもあるのかも知れない。
この本のインタビューを読んで思ったのは,結局のところ死に瀕した人達が持つ不安や恐れ,怒りは周りの人達に「見捨てられる」という事のようだ。人間は死ぬまで社会的な生き物って事だろう。取り残される家族を心配する人もいるがいずれにせよ死ぬと決まった時点で,社会から見捨てられ, なかったもののようにされてしまうことに不安を感じる様子。ある意味,あとしばらくすると消えてしまうのであるが,それでも…,いやそれだからこそ自分の存在をしっかり残して死んでいきたいのかもしれない。
現代社会のように死を社会から隔離している世の中では,そういう恐れはますます強くなっているのかも知れない。
それにしてもアメリカのホスピスとかには牧師がいるらしい。それに比べると日本のホスピスのはお坊さんがいたりするのだろうか?。死に瀕した人達が,死後の世界を相談するような人っているのだろうか?。
さて,不謹慎を承知で言えば,わたしは死ぬことが決まったら宣告して欲しいと思っている。これは私だけじゃないと思う。世の中には死を宣告された人を描いた映画や小説がたくさんあるので,こういう考えは 結構あるのだろう。しかし実際死の宣告を受けた人は残された時間をやりたいことをやって有意義に過ごすとか,悟り得て静かに暮すとか,おそらくそういう事じゃないのかもしれない。 だいたいにおいて病院で死に至る病が発覚した場合,即入院であるし,それを無視した場合,相当苦痛が続くようである。
自分が実際にそうなったとき,どうなるのであろうか?。上記の 5つの段階を踏むのだろうか?…。それともこの本を読んだことでさっさと乗り越えられるのだろうか?。
この本は末期患者を扱うすべての医者と,すべての看護師に読んで欲しい。しかし日本には末期患者と接する宗教関係者がいないのはなんと寂しいことなのだろう…。
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精神疾患と才能

2004-11-08 12:59:08 | ココロ
先日新宿3丁目とか2丁目とか歩いて,…っていうのはいいとして。あの辺,ホモとかオカマとかが多いと聞きますが,嘘か本当かはしりません。
さすがにわたしはまだその世界には縁がない…というか縁をつくるつもりはないのですが,以前からちょっと疑問に思ってることなどを。
TVとかを見ているとちょっとホモぽい人とか良くみます。知り合いにもそれっぽい人がいるんですが,芸術関係の仕事とかやっていたりします。で思うのは,ホモの人には才能(特に芸術系?)が多い人が多い気がするんですが,気のせいですか?…ってことです。もちろんホモといっても性同一性障害の方もいれば,単なる男色の人もいて,一括りには出来ないかと思いますが…。
これには二つ解釈が出来て一つは「ホモの人は才能がある」ということ,もう一つは「才能がある人はホモになりやすい」ということ。なんとなく後者の気がしてしまうんですが…,気のせいでしょうか?…。
というのは,感受性が豊かだったり,または不安定だったひとが「ホモ」という腑の落しどころを見つけてしまった…ということじゃないかとか思ったりします。感受性が豊かな人は若いころにいろいろ感じるところがあったり,それでいろいろ考えてココロが不安定になることがあると思います。人間はわけのわからない不安を感じると,それに意味付けをしたくなります。なんとなく「自分はどうかしたのか?…。自分はどうも周りとは違うらしい…」とかいう漠然とした不安が頭中に溢れたときに,そこに「君の性は本来のものじゃない」という教えを聞いたら「それだ!」と思うとか…そういうことはないでしょうか?…。
まったくの想像なので,違っていたら御免ない(_o_)…。
…ということは別にホモにかぎっておきるわけじゃない事になります。最近鬱病予備軍とか統合失調症予備軍の子供が増えているって話(「中学生23%、小学生8% うつ病リスクの抑うつ症状」)を聞きますが,これもいわゆる青少年期の精神の不安定さをそういう病名で呼ぶことで腑に落してしまってる部分もあるような気がします。いや,本当に鬱病とかになる人には,的違いで申し訳ないんですが…。
つまりいずれにせよ概念の方が病気(ホモは病気じゃないですが)を産み出している…という事です。精神疾患予備軍の子供が増えている…っていうのは感受性が豊かな子供が増えている…というよりは 概念の増加や社会の先行感のなさが現代社会を漂っているって事の方が主な原因の気がしますが,いずれにせよ昔だったら「若いころはそんなことあるよ…」で片付けられていたのが,病気と認識されてしまっている部分もある気がします。ついでに書くと昔だったら,そういう精神の不安定さが弾けるとそういう病気とかじゃなくて「狐憑き」とかになっていた人も多いかと思いますが…。
ちょっと話がそれてしまいましたが,精神疾患や同一性障害が概念から生まれているのではないか?…,あと感受性が豊かな人は,逆にそれゆえの不安定さがあるのでは?…,という疑問をもったというお話でした…。
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海賊版にパッチを当てさせない…っていうのは,適切な処置か?

2004-11-07 09:09:38 | 時事
海賊版に業煮やし無料更新停止か」とのはなし。
要は中国で海賊版のWindowsがたくさん出回っているので,海賊版ではUpdate出来ないようにする…って話でしょうが…。それって結局ウィルスに感染しやすいPCが増えるわけで,迷惑を被るのは感染したPCからメイルとかアタックを受ける他の正規ユーザだったりするんじゃありません?…。
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利便性と音質

2004-11-05 13:13:14 | 音響
「音楽配信メモ」さんの「なかなかの名言だと思う 『利便性と音質の戦いなんて、1955年に勝負がついてる』」という言葉。わたしもなかなかの名言だと思います。
この辺の話,わたしも音楽配信とか圧縮とかメモリープレーヤが出回りはじめた5年くらい前に,ちょっと関わっていた関係でいろいろ考えました。当時はメモリープレーヤもメモリが数十~百ちょっとMBしかなく,アルバムが一枚も入らない状態だったので,CDやMDに比べて利便性が低いということで普及しませんでした。その辺の事を,LPからCDへの変化,カセットからMDへの変化等から考えました。メディアの大きな乗り換えは「音質」よりも「機能」や「利便性」という実感はあります。よくよく考えるとLPじゃなくてSPからLPへの変換もそうだったのですね…。
ただ,音質が全然求められてないわけじゃなく,LPの時代はLPというフォーマットの中で,カセットの時代はカセットというフォーマットの中で音質の改善は試みられ,ある程度は市場にも受け入れられていたとわたしは思ってます。カセットテープを選んで買う音楽ファンはそれなりにいましたから。そういう意味じゃCDとMDになった時に,投資と音質のリンクが切れてしまった…ということが一つは大きな失敗だったのではないでしょうか?。あれで通常の音楽ファンはお金をかけるといいとになる…という感覚を消失しました。そうなると残りは利便性や機能だけですね。
あと音質と購買意欲が全く無関係かというと,そうではなく携帯電話でCDMA1やJ-Phoneが当時のDoCoMoの携帯より音質がいいということで乗り換えたユーザがいたことから,ある程度の音質が維持されないと,そこから下は品質の問題になるのだと思います。
元の2chのスレッドを読んでないので,どういう話の流れなのかは判断しかねますが,たしかに音質がいいだけで売れるとか乗り換えるというのはないにしても,同じ苦労で同じ費用で音質の良し悪しが選べるのであれば,いい方を使うというユーザはそれなりにいるかも知れません。DVDやSACDがCDと同じサイズなのは,プレーヤを共有できるようになので,そのうち全てのプレーヤでどのフォーマットも再生できるようになるかも知れないし,録音の方もコーデックが複数実装されれば同じ労力で選択できるかも知れません(といってもそうならないのが,メーカの囲い込み戦略だったりするのですが)。そういう意味じゃメーカが買い換え需要を期待してフォーマットを変えるっていうのはあまり意味がなく,気が付いたらいろんなフォーマットが出ていた…っていう風にコレからは変わっていくのかな?…。
あと個人的には,上にも書いた通りディジタル化がユーザの手から音質の問題を切り放したのが,音楽ファンが音質に無頓着になってしまった原因だとおもってるので,昨今のPCとかで音楽を再生する連中が,一生懸命コーデックを選んだりサウンドボードを選んだりしている姿は多少嬉しかったりします。とはいってもアナログの高級オーディオより音質が悪いのはトホホですけど…。
結局趣味には「手にいれた感」っていうのが大事なんですよね。
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宗主国の民主主義

2004-11-04 12:43:07 | 時事
今朝,TFMの6 SenseのDIRECT HITのコーナを聞いていたら,ブッシュが勝った理由として町山氏のこのエントリーと全く同じ事を言っていた。わたしはブログの方をあとで見たので,驚いたのだけど,TFMの人がこのブログを先にみていたのかも知れません。もしくはここで言われていることは周知のことなのかも知れないが,ブッシュがケリーに勝つ理由は,たくさんあるのにここに書かれていることと同じことを集中して言っていたから,なんとなく関連か,もしくはシンクロニシティーを感じた。「南北戦争の復讐」というような表現もあったので,そう感じたのですが。
別に批判しているわけじゃなくて,単純にそう感じただけです。TFMでのアメリカで教授をやっている日本人が,コレでもか…っていうくらいブッシュを批判していたのが,なんか凄いなぁ…と思いましたが…。その先生は学生時代のブッシュに教えていたらしいけど,当時からひどかったらしいです。
今回のアメリカの選挙をみていると…,まぁどこまでが事実かわからない部分もありましたが,それでも「これが民主主義の国か?」と思うようなシーンばかりで,これだったら日本の方がまだましじゃないか…と思いました。日本も組織票とか,買収とか,やってるところあるみたいだけど,だまして投票に行かせない…とかいうのはないだろうし…。
まぁ日本は戦後,無理やり民主主義を導入したから,ある意味純粋に導入していて,本当はそれが貧困者をだまして権力者が自分の搾取を正当化するために民主主義という概念をつくりだした(部分もある)って事を理解してなく,お手本通り実行しているんでしょうね。
それにしても,ああいう国に,日本の運命の大部分を握られているかと思うと…悲しいです。とほほ…。
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ブログに「慎重さ」は必要か?

2004-11-03 17:10:16 | 時事
人気のあるブログサイトがマスコミを批判したら,反論されたって話。
本来はその戦ってる二つのサイトをあげるべきですが,両方に突っ込んでいる(?)「マスコミ批判にマスコミ人が反論」をリンクさせていただきました(_o_)。
人気がある…というか多くの人が読んでいるブログを「パワーブログ」っていう言い方をするっていうのは知りませんでしたが,「パワーブログ」に対して「慎重になるべきだ」という意見は,一見当然の様ですが,わたしはそんなこと思ったこともなかったのでびっくりしました。
ブログなんて言うものは,人気があろうがなかろうが,中身の人が有名人だろうがそうでなかろうが,同じ態度で書けばいいと思っているので,パワーブログがゆえの責任があるなんて考えたことありませんでした。
そもそもネットなんていうのは信憑性があるかないかなんていい加減なもので,それを信じるか信じないかは読む方にも責任があります。ですから,ブログであれば単体のエントリーだけを読むのではなく,それまで書かれてきている他のエントリーを読んだり,参照先を読んだりして,当該のエントリーの信憑性を判断すればいいと思ってます。
わたしはマスコミに関しては,かなりきつい意見を持ってますが,大手のブログがマスコミ並に慎重にあるべきとはあまり思ってません(「いやマスコミなんて慎重じゃないじゃん」っていう意見はとりあえずおいておいて^^;)。というのはブログにはコメント欄やトラックバックがあるので,当該ページから,それに対する意見を読むことができます。Webのサイトでも掲示板がある様なところでは,掲示板で議論ができます。それにたいしてたいていのマスコミは情報が一方通行で,受け取った人が瞬時に,その信憑性を調べることが出来ません。そこがマスコミとブログの決定的な違いなため,それゆえにマスコミよりもブログの方が自由に発言してもいいように思います。
…というかそういう反証が可能な仕組みになっているのであれば,ある程度自由さがあってもいいと思うのです。
……というわけで,ネットでもコメント欄や掲示板がないサイトは,わたしはあんまり好きではありません。…っって木村剛氏のブログはコメント欄ないですね(^^;)…,まぁトラックバックは効いているようなので,反証は可能ですが。

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自殺

2004-11-03 09:14:31 | ココロ
イラクで拘束された香田証生くんを非難する日本人の心の貧しさ」というテキスト…。
ここに書かれている詳細には幾分疑問を感じるものの,「日本には 社会から外れた人間を徹底的に攻撃するシステムがある」というのはわたしも再三書いている話で,同意です。
わたしは日本人に自殺が多いのは理由として大きく二つあると考えていて,一つが上記のように,負けに厳しいということ。そしてもう一つはこれもいつも書いているけど,「死のイメージが希薄」ということです。他にも「欝」という概念のが異常に広がっていることとか,まぁ幾つかあるんですが,「死のイメージが希薄」というのは死が苦しみや悲しみの延長上にないとということです。だいたい現在の 日本人が持ってる死のイメージってなんなんでしょう?。死ぬときにどういう目に遭うと思ってるんでしょう?。眠っていたら知らない間に死んでるとか思ってる人が自殺するんじゃないですか?。
飢えや戦争がおきているところの人が持っている死のイメージはあくまでも苦痛の延長の気がします。お腹が減って苦しくなって死んだり,銃や刃物で身体を怪我した後に死んだり…とかそういうのを 日常的にみていれば,死ぬときは相当苦しい…というイメージができあがります。そういう人が簡単に死にたいと思うでしょうか?。
そういう意味で言うと実は戦場を見に行くのは死のイメージをより現実的にするという効果はあります。他の人に迷惑をかけることを除けば…。
なので,本当はこういう極限状態にいくのは,「日本に身の置き場がなくていく」…という効果と別に,死と生のイメージを塗り替えるという効果もあるんですが…。まぁリスクが多いというか迷惑かける 方法であるので,お薦めしません:-p。
話がそれますが,「授業で自分の血を使わせる事で謝罪」とかいう話を見ても,死以外にも「血」まで遠ざけようとするのか?…, この国の教育は…とか思いますが…(余談ですが,指を針じゃなくて,器具を使って耳たぶとかの方がいいって話を聞いて,それにはなるほどとか思いましたが)…。
いずれにせよ,日本は自殺が多いとか交通事故死多いという割には,目の前で人が死んでいくのをめったに見れません。この辺の死の隠蔽も結局自殺を増やしている要因な気がします。身体感の欠落というか…。
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