たろの日記ページ,gooブログ版

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要求と怒り

2007-03-19 16:03:42 | ココロ
人が人に怒るのは人に何かを期待しているから…という場合が結構あります。期待していたのに期待通りにならなかった場合に人は怒ります。さらにその期待している相手に対して自分が何かを働き掛けられない状態の場合,さらに怒りは不平になります。分かりやすく言うと期待する対象が目上の相手の場合,期待がハズレても,何もできないので不平になる。目下の場合は叱るとか指導するとか,そういうことも可能ですが,目上の場合結局怒るか裏で文句を言うことになる。

さて,学生というのはだいたいにおいて教師に対して,一方的な力の差を感じてます。つまり対等ではないと。そして小学校はともかく,中学高校となると学生の自己意識の成長にも伴い反発心が強くなり,結果的に教師に怒っている人もいます。まぁ自立が強くて,最初から教師を相手にしてない人もいますが。
いや,教師に怒りを感じている生徒から話を聞くと,むしろ教師に期待している,つまり逆に依存しているという場合が多いように思います。期待して期待通りじゃないから,または,自分の指導を十分にしてくれない,つまりかまってくれないから怒る…というのが先生に対して不平を言う学生のパターンの様に思います。
まぁ中学高校であれば,それはそれでいいのだけど,大学生や大学院生にもなってそれはどうかね?…と思ったりもします。先生に怒っているという行為が「自分は先生に期待してます,依存してます」という様なものだと思うけど…。

実は「先生」も「人間」である。完璧な人間なんてそうそういるわけでもないし,そもそも忙しいのだからいつも自分に気をかけてくれてるわけでもない。特に大学の先生なんって教師と言うよりは研究者であることを求められれる…と自覚してる人の方が多いんじゃないか?…とすら思ってしまう。そう思うと先生に対する期待なんてそんなにないから,そこまで腹が立つようなことはない………とわたしは思うのですが,そう思わないのが学生のようです:-p。

……などと,とあるところで学生と話していて思ってしまいました:-p。

…ところで,「先生」というのは自分にかまってくれるものという意味があるのか,よくよく考えると同じように思われてるのは学校の先生だけではなく,医者や議員という「先生」もそうみたいです。粘るガン患者さんの「先生」についての文章を読んでそう思いました。そういえば,医者や議員も,患者や国民から怒りを買う場合があるのですが,それは結局怒る方が「自分に良くしてくれるはずなのに」という過度な期待があるように思います。言い換えれば,先生に完璧を求めすぎる…,さらにいうと依存してる…と。
まぁ「先生」という言葉がそもそもそういう意味なのかも知れません。「my指導者」であると…。でも,そんなに自分を指導してくれる人なんているものかしらね?…とか思ってしまいますが:-p…。
コメント
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