知り合いの日記に森進一氏と川内康範氏のことがちょっと書かれていて,「わからなくもないけど,(中略)…。好き勝手に演奏するな!と作曲家に言われても、ジャズマンだったら聞くわけがない。(中略)そのおかげで歌は遠くの国まで届くし、作った人よりずっと長生きする」と書かれていた。
それはその通りだ…と思ったのですが,わたしはそこのコメントに「著作権という考え方は,すばらしい作品を創った人が十分にみんなに尊敬され愛され大事にされていれば,必要ない概念な気がします。
みんなが感動する作品をつくって多くの人を幸せにしたのに,その人がだれかもみな知ろうともせず,他の人がまるで自分のもののように扱ってる。創った人が老いたり病気になって死んでいこうとしてもだれも見向きもしない。だからつい「権利だ」…と…。要はこじれてるんです。今回の話ではなく,著作権という概念自体が…。 」と書きました。
なんか最近,自分が好きだった作品を作ってきたあこがれの先生方が,権利期間を伸ばせとか,他にも結構厳しいことを言ってきていて,ちょっと寂しい思いをしてました。
ただ一方で,我々がそういう先生を本当に十分に敬って,なにも不安無く晩年を過ごせるような社会になってるか?…と考えるとそうでもないな…とも思います。もちろん心の中では敬愛してるかも知れません。でも,その先生たちが現在どこにいてどういう風に暮してるか?…考えたこともない。
そういう売れた先生方は十分稼いでリッチな悠々自適な生活をしてるのかも知れません。これ以上稼いでどうするのよ…とも思ったりもします。でも本当にそうなのかはわかりません。お金に困ってるかも知れない。そうじゃなくても,寂しく忘れられて暮してるかも知れない。老いた老人として誰にも知られず一人亡くなっていこうとしてることを想像してるかもしれない…とも想像できます。
だから,作者をもう少し敬う社会であれば,著作権という概念自体不要だと思うんですが…,寂しいですね。
ちなみに,弟子制度というかお家制度も,ある意味,老いた作家や芸人を弟子たちが保護し敬うシステムだったとも言えるようにも思います。
それはその通りだ…と思ったのですが,わたしはそこのコメントに「著作権という考え方は,すばらしい作品を創った人が十分にみんなに尊敬され愛され大事にされていれば,必要ない概念な気がします。
みんなが感動する作品をつくって多くの人を幸せにしたのに,その人がだれかもみな知ろうともせず,他の人がまるで自分のもののように扱ってる。創った人が老いたり病気になって死んでいこうとしてもだれも見向きもしない。だからつい「権利だ」…と…。要はこじれてるんです。今回の話ではなく,著作権という概念自体が…。 」と書きました。
なんか最近,自分が好きだった作品を作ってきたあこがれの先生方が,権利期間を伸ばせとか,他にも結構厳しいことを言ってきていて,ちょっと寂しい思いをしてました。
ただ一方で,我々がそういう先生を本当に十分に敬って,なにも不安無く晩年を過ごせるような社会になってるか?…と考えるとそうでもないな…とも思います。もちろん心の中では敬愛してるかも知れません。でも,その先生たちが現在どこにいてどういう風に暮してるか?…考えたこともない。
そういう売れた先生方は十分稼いでリッチな悠々自適な生活をしてるのかも知れません。これ以上稼いでどうするのよ…とも思ったりもします。でも本当にそうなのかはわかりません。お金に困ってるかも知れない。そうじゃなくても,寂しく忘れられて暮してるかも知れない。老いた老人として誰にも知られず一人亡くなっていこうとしてることを想像してるかもしれない…とも想像できます。
だから,作者をもう少し敬う社会であれば,著作権という概念自体不要だと思うんですが…,寂しいですね。
ちなみに,弟子制度というかお家制度も,ある意味,老いた作家や芸人を弟子たちが保護し敬うシステムだったとも言えるようにも思います。