たろの日記ページ,gooブログ版

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誰の主張が社会に利益をもたらすか?

2006-07-28 11:42:58 | 社会
弾さんが「いつから『小額納税者』は、『高額納税者』を『許す』ほどえらくなったのでしょうか?」と書いてるのを読んで,なるほどと思いました.引用の文章は確かに疑問が残ります.

いつのまにか…というか最初からかも知れませんが,マスコミが提供する視点が,いったいどこ?…っていうくらい下賤なため,それが普通だと思ってる人が多いんでしょうか?….なにもしないで妬んだり僻んだり権利を主張するのがみっともないことだ…とは思わないようですが,そのマスコミの視点に毒されて,それをいうのはやっぱりかっこ悪いと思います.
まぁそれはいいとして,そのリンク先の方がおっしゃってる「少数の勝ち組が消費を牽引することはなく、圧倒的多数の負け組みの困窮が消費を落ち込ませ、長期不況を招いたことは周知の通りです」っていうのは事実なんでしょうか.結構「へぇー」って思いましたが….というか,不況の長期化の原因が負け組の困窮だったというのは初耳でした.「負け組」って言葉は不況以前は聞いたことなかったし,むしろ不況晩期に現れた言葉のような気がします.まぁ消費者の買い控えの事をそう指しているのかもしれませんが.
というわけで,間違ってるというつもりもないけど,そうだっけ?…とも思います.ちなみに弾さんの主張を全面的に肯定するつもり無くて,弾さんは自分の立場で言ってるのが良くわかるので,そこに立ってる人の主張だなぁ…と.つまり所得税が高すぎるのは良くないとしても,相続税は高くてもいいというのは,やっぱり一代で財を築いた人の主張で,財がある家に生まれて,それを管理するために教育を受けた人は多分違う主張をするでしょう.
つまり人は自分の立場で,それぞれ主張をするのですが,ただし,イタズラに貧しい人が金持ちに「寄越せ」と権利ばかり主張するのは,貧しい人の主張ではあるとは思うけど,結果的に社会にどういう風に良い効果をもたらすか?…と考えるとやはり疑問が残ります.まぁ前に書いた話にも繋がるのですが,要は富の再分配の仕方で経済の在り方は変わるって事でしょう.

というわけで,弾さんがその前に書いていた「所得格差が仮に必要だとしたら、問題はどのようにつける」って話は,考察としてはまだ途中だと思うけど,なるほどと思いました.実際「頑張る」ことじゃなくて「成果」で格がつくからややこしいなぁ…とも思いました.まぁ実際経済も一種の進化論と一緒で,なにか美味しい方向が見つかれば,そっちの道を極めていく人が増えていくんだなぁ…と.だからシステムでそれを制限とか制御して,行くことが社会や行政の役目なんでしょうね.
コメント
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