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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

地方の私立高校事情

2009-11-15 20:27:39 | 社会
私立の高校教員が,国に支援を呼びかけたという話を観て,特に「公立と私立で格差が広がらないように国が責任を取るべきだ」とかいうことをいったとか聞くと,オイオイと突っ込みたくなります。
が,良く観ると熊本じゃないか…。で,このスレッドのコメントで「どこの国でも私立は金持ちが行く学校だよ」とかいうのを見て,ちょっと地方の状況を誤解してる人がいるのかな?と思いちょっとだけ弁解を。
関東の人は私立は金持ちか優秀な人が行き,公立はそうで無い人が行くところだと思ってる場合があるようですが,地方…少なくともわたしが出身した九州とかは違います。九州の場合,鹿児島(ラサール)を除くと各県で一番難しい高校は県立です。その次もその次も公立です。私立はどういう人が行くかというと,公立に落ちた人が行きます。私立に行きたくて私立を受ける人がどれくらいいるか謎です。女子高はあったようにも思いますが。
もちろん私立の方が授業料が高いので,公立の滑り止めとして私立に行けない人もいるので,そういう意味では私立は貧乏な人はいけないのかもしれませんが,金持ちが行くというより,優秀じゃない…もしくは受験に失敗した人が行くところです。
そういう意味でいうと,その地方においては公立に子供をやる親はお金もかからないし子供は優秀,一方私立の親は,お金はかかるし子供は…ということを考えると,単純は費用の問題じゃなくて,根本的に私立というのはコンプレックスがあるんだと思います。
ですから,これで公立が無償とかなると,ますます私立は苦しくなるので何とかしろよ…ってことでしょう。私立をただにしろというよりは,公立の一人勝ちを国が進めるな…と。
でも,これって良く見ると,優秀な学生を集められない私立が悪いともいえます。公立みたいにいろいろと制約があるわけじゃなく自由に教育できる私立なのに,魅力ある学校を作れないのは国ではなく学校にあるわけで…まぁ自己責任だと。自己責任で格差が広がるっていうのは,小泉さん的ですね(笑)。実際東京とかは公立より私立の方がいい高校がたくさんあり,そういうところはそれなりに高校が努力したわけでしょうが,そういう努力をせずに支援を要求する地方の高校って…ていうわけです。
地方に優秀な高校がほとんど無い理由は良くわかりませんが,そもそも優秀な私立の大学が無いので,その附属としての高校もないとか,優秀な学生を育てても県外に出てしまうとか,そういうこともあるのかもしれません。本当は魅力ある私立高校を作るべきなんでしょうが,その努力として学校の設備を良くしたり,制服をカッコよくしたりとか,そういうところでしか努力できなくて,ますますこのスレッドの住人に批判されているのを見ると,少し泣けてくるなぁと思います。
念のために補足するとそういう私立でも優秀な人を集めた特待クラスがあるはずなので,全員が優秀じゃない…ということは無いと思います。優秀な人もいますので,念のため。
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集食家族

2009-09-17 22:51:48 | 社会
一月半くらい前に日経新聞(紙)に「集食家族」というのが紹介されたという話を聞きました。食事だけ親元で食べる家族というか,若い夫婦が食事は親のところで取るみたいな話でした。ネットを見るともう少し詳しく書いているのでいくつか取りあげると,「潜在大家族と「集食」家族」,「現代版「大家族制度」」など。
いずれもこういう動きを好意的に捉えているようです。
わたしはこの話,最初podcastで聴いたのですが,最初の印象としてはむしろパラサイト的な印象を受けました。つまり親の方が金を持っているから,子供夫婦が食べにいく。逆に言うと若い人は共働きで働いても満足に収入が得られてない…という風に取れて,高齢者ばかりが金持ちで若い人がワーキングプアな現代を象徴してるように思いました。
確かに高齢者の子供が自宅の近くに住んで食事を一緒に取るのは好ましいことだと思いますが,なんとなく高齢者と若者に格差があるのが一因なら複雑な心境だなぁ…と。
実はわたしの姉夫婦はわたしの親の家の近くに住んでいて,食事をわたしの親の家で食べるという生活を20年近くやってます。毎日ではありませんが。遠くに住んでいるわたしとしては,姉が親の家をしょっちゅうたずねるというのは安心なのですが,まぁいろいろ思うところはあります(^^;)。
あと,集食というのはあくまでも親と子供が近くに住んでいるからできる話であって,雇用の流動化を可能のした核家族の意義からは少し外れる気がします。就職をしたら田舎から都会に出る…という人は減っているのでしょうか?。
とは言え…,子供が高齢者の面倒を見るというのは可能であればよいことだと思います。年金制度が崩壊すると結局家族が高齢者の面倒を見ることになると思いますが,そういう自体の前に既に別の意味で,家族のあり方は変わってきてるのかもしれません。
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育児休業を取れずに辞めた女性もいるはず

2009-08-21 21:22:38 | 社会
<育児休業取得率>女性、9割に 男性は1%台続く」というニュースを聞いて嫁さん曰く,女性が9割なのは,育児休業ができない女性は退職をしてる(させられている)からでは?とのこと。
あぁーなるほどと思いました。育児休職の規定がある会社が7割弱なのに9割取れるのは変だろうとのこと。まぁ会社の7割と,休職した人数はカウントの仕方が違うというか,休職制度がある会社の方が,女性の人数が多いことが考えられるので,そういうこともありえるとは思いますが,やっぱりちょっとわかりにくいです。
厚労省の資料を直接読むと取得率の分母は「調査前年度一年間の出産者」の様ですが,これだけでは,妊娠の時点で退職した人は入ってない気はします。退職が望んでの退職なのか,退職せざるを得ない環境だったのか,退職を強要させられたのか,で,それぞれ問題の重さは違うかと思いますが,実際どの人が多かったのでしょう?。
一方男性ですが,少ないですね。制度の問題もあるかとは思いますが,こちらも制度外の雰囲気の問題もあるかと思います。「男の育児休業を阻むものはなに?」という記事もありました。
ここにもありますが,やっぱり査定とかに影響しないか?という不安が結構ある気はします。社長になった人とかが半分以上取った経験ありとかなったらみんな安心して取るかもしれませんね。こういうのは査定に考慮しないといわれても,実際に査定が悪かったときに,休職したのが原因なのかなぁ…とか,仕事できない人でも考えがちで(苦笑),なかなか難しいように思います。むしろ会社の方から「厚労省に目をつけられるので,お願いだから誰かとって欲しい」とかいわれれる位にならないと,安心して取れないのかもしれません。
余談ですが,自分が手術でちょっと長めの休みを取ったときに,会社に入って長期の病休をするのは若いときがいいんだろうか?,歳をとってからの方がいいんだろうか?と少し考えたことがあります。実際に会社の人とかを見回して,色んなパターンがあるなぁとは思いました。メリット,デメリットそれぞれあるんでしょうけど,それについてはまた別途。
以前,有給休暇を使おうとしたら会社に拒否られたとかいう話をネットで読んで,「有給は権利だからその会社はおかしい」と盛り上がってましたが,休むを取ることにはいろいろストレスを感じる場合もあるようです。制度や権利としてある休みを取ることに不利益があるのはおかしいと思うんですけどね。
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文明社会の野蛮人は増えているか?

2009-08-10 11:46:03 | 社会
文明社会の野蛮人」という文を読んで思ったのですが…。つまり技術が高度になって身の回りの機械がブラックボックスになったので,ユーザはその仕組みを既に考察しなくなってしまったという話。スイッチを入れてTVが映る仕組みを今の人は考えない…と。
こういうのを「高度に発達した科学技術は魔術と区別がつかない」という言葉で表していた人もいました。
この危機感はわたしもずいぶん前から感じていて,だいぶ前に日記かどこかに書いたような気もします。ただ,その危機感は今も変わらないか?というと実はそうでもありません。
一つは昔の人はみんな機械の仕組みを知っていたか?というとそうでもないかな?ということ。そして機械の仕組みを知る人も,技術の理解しやすいところというのは時代によって変わっていて,昔も今も仕組みを考える人はいるんじゃないか?ということです。
例えば30年前は理系小僧というとラジオが聞ける仕組みを一生懸命勉強しましたが,もしかしたらお米の脱穀の仕方とか堆肥の作り方とかには興味がなかったかもしれません。また今の人はラジオの作り方は知らなくても,java scriptがかけたりwindowsのAPIを知っているかもしれませんし,ネットのパケットをみて何をやってるかを解析とかしてるかもしれません。
確かにハードウェアに関心を持つ人は減ってるかもしれませんが,それは関心のいくところが移っているだけの様な気もします。
昔のラジオ少年が興味を持っていた事に今の理系少年が興味を持たないのは今の少年の意欲が低いからじゃなく,単に世の中が話題にしないからではないでしょうか?。今の若者はネットのセキュリティとか,また脳の科学,遺伝子のこととか興味あるかもしれませんよ。
遺伝子科学というと,わたしは若い頃から多少興味があったのですが,物理とかに強かった自分には,具体的に遺伝子の解析とかをどのようにやるか?というのは未だにピンと来ません。この歳になって人間の体の中で起きている化学反応についての本とかを読んでいておぼろげに見えてきたのですが,なんか若い頃に想像していたのと解析の仕方が違っていて驚きます。なんかTVとかで解説するのを聞いてると,あたかも人体の中の化学物質や細胞とかの動きがなにか顕微鏡か何かで直接観察できるかのように表現してることが多いように思うのですが,実際は大量の細胞をすりつぶして,ミキサーにかけて,そしてその中の物質を薬品で測ったりとかしてるのもあるようです。大体動きを見るとかいっても体から体液を取り出して試薬を使って反応を見るとかで,直接ものの動きを追ってるわけでもないよな…と思います。
というわけで,一般の理系少年が,そういう具体的な解析のやり方とかをわからないとしたら,その辺の紹介の仕方とかに具体性がなくてなんか漠然とした概念ばかり紹介するから悪いんじゃないか?とか思ったりもします。わたしはコンピュータの方はわかりますが,コンピュータの方の技術の紹介も一般向けにするときにはかなり概念的になっていて,具体的にどういう風にするか?とかいうのはわかりにくくなってるように思いますから,色んな分野でもそうなんでしょう。
そういう中で先日知ったカナダの高校生がプラスチックを細菌で分解する方法を発見とかいう文章は,結構具体的にどうやったかがわかっていい解説だと思います。最新の科学も結構自宅にあるものを集めてこつこつとやればできることが多いと思うのですが,なんか一般にそういう風には紹介されないんですよね。こういう風に中高生とかがトライできるように技術を紹介していくことこそ必要なことであり,それができれば,世の中の電気製品がどういう風に動いているか?というのは,たいして知らなくてもいい様なことなのかもしれません。
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貧富と大学

2009-08-08 22:15:49 | 社会
親の収入が子の大学の進学率を左右というニュースを見て…。なんというか当たり前じゃん…という感想です。むしろ国公立大学は年収の影響が少ないということの方に,国公立大学はちゃんと機能してるんだなぁ…と感心しました。昔は大学なんて育ちがいいというか名士の子供が行くところだったのでは?。私立大学なんて金持ちが行くところ…っていうのは昔から常識でした。
まぁそういう現実はともかく建前を言うと,大学は勉強ができる人,勉強がしたい人…が行くところとでしょう。そもそも6割もの人が4年大学に行く必要があるのかね?という気がしないでもありませんが,そういうことをいうと自分の首を絞めることになるのでやめましょ(苦笑)。
収入で進学率が変わるとしたら,「収入で勉強の出来が違う」と「同じ学力があるのに進学できない」のどっちのことなんでしょう?後者だとしたら,そういう人のために奨学金があるんでしょ?ということになります。前者だとしたらもっと根が深くて,それは「塾に行かないと成績が上がらない」なのか,「私立の中高じゃないと成績が上がらない」のか,それとも「収入で親の意識が違う」のか,その辺のあたりを明らかにしないと話が進まない気がします。
まぁそうはいっても,今や大学を出たからっていい就職が約束される時代じゃないですからね。また大学も全入時代になって,昔でいう大学生のレベルに達してない卒業生も増えてます。むしろ高卒で働いたほうが早く技術がつく仕事もあるわけですし,大学出る出ないとかいうのを問題視する時代じゃないのかも知れません。
大学卒というのは大学を出たこと自体を重要視してるというより,その大学に入って卒業するだけの能力があった…ってことが重要なんですけどね。
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選挙をするのが大人なのか?

2009-08-02 23:07:18 | 社会
先日選挙年齢を18に引き下げるともに成人年齢を18に引き下げるべきという答申が出たというのが話題になってました。
まぁ成人年齢についてはいろいろと議論があるようですが,わたしが違和感を感じるのは,このような書き方をすると選挙年齢を18歳にしたいから成人年齢を18にする様に読めること。そもそも選挙年齢を18に下げるのは若者が政治に関心がないから…というような話でしたが,若者が政治に関心がない…といわれて久しいのに,あまり状況が変わってないような気がして,それって選挙年齢を下げるしか手立てがないの?,そして18に下げると効果があるんでしょうか?。
政治家が選挙制度をいじるのって結局自分達のルールをいじるってことですから,なんとなく国民のためというよりは,自分達に都合がいいようにいじりたいんじゃないか?とあまり信用できません。今の小選挙区制だって,政権交代がしやすいということで小選挙区制になったようですが,頻繁な政権交代が国民のためになるのか?とわたしは疑問に持ってますが,まぁそれは近々検証されるんだろうなぁ…。
だいたい若い人が選挙に行かないのは18歳から行けないからとかいう前に,なにかもっと手立てを講じる必要があるんじゃないですかねぇ?
というわけで,動機には不順なものを感じるものの,じゃぁ成人年齢が18歳なのに反対か?といわれると良くわかりません。20歳以上と以下でいろんな制度で扱いが大きく異なるのはいろんな法律が根拠になっているとのことですが,いろんな法律があるわりに20歳が成人だからって安易に決めてるんですかね?とも思います。選挙権の話と飲酒喫煙の話が同列に語られるってなんだか変だよなとかちょっと思いました。ギャンブル年齢とかも議論になってる様に思いますが,それも年齢自体よりも働いているか?(=納税してるか)とかの方を基準にしたほうが良いんじゃない?。あと18歳を成人にしたら,国民年金も18歳から取れるから喜ぶ人たちもいるんですかね?とか思ったりも。
学生でいる期間が長くなって社会参加する年齢が上がってるという意味では若者の成人をあげても良いんじゃない?と思ったりすることもあります。学生はいろんな年齢の人と付き合う機会が少ないので,偏った考え方をしがちで視点も狭いと思いますが,よくよく考えたら,社会人やってる大人もそういう人はそれなりにいるから,それだけじゃ理由にならないかな?。
というわけで,適切な成人年齢に対してはわたしは答えを持ってませんが,選挙=成人という考え方にはちょっと疑問を感じたのでした。
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解散

2009-07-23 21:41:58 | 社会
一昨日麻生総理が衆議院の解散しました。世の中ではいろいろ言われてますが,わたしとしては「痛みに耐えよく頑張った」という言葉を麻生さんにささげたいです。一年あまり総理をやりましたが,総理になった時から解散のプレッシャーを与えられ,その中でよく我慢したと思います。早々に解散したら,また「投げ出した」と言われたかもしれませんが,さすがに今回は投げ出したとは誰もいえませんでしたね:-p。
ここしばらくの政局の流れは,マスコミが騒いででっち上げて,混乱を大きくしてるように思います。実際の社会や経済の動きとは乖離して,マスコミがとにかく政局を起こそうとして,政権を批判してます。政権交代が起きたら良いことが起こる様な印象を一生懸命演出したマスコミは,もし政権交代が起きて,世の中が悪くなったら,どう責任を取るのでしょうか?。取らないでしょうけど。
そういう社会を混乱させて話題づくりをするのに躍起なっているマスコミの攻撃に一年間耐えたのが麻生総理であったように思います。そういう意味では麻生総理は野党と戦ったというより,マスコミと戦ったのかもしれません。マスコミの意見が自分の意見だと思っている方には,麻生総理は自分の意見と乖離していると思っていたかもしれませんが,わたしはマスコミの取り上げがフェアじゃなくて筋が通ってないと思ってなかったので,麻生総理の方がむしろぶれずに筋が通っていたように思いました。
選挙の結果がどう転ぶかはわかりませんが,わたしは今回の政権交代の
流れに希望は感じておりません。そのことは歴史のしるしとして
書いておきます。まぁわたしの予想が外れて,世の中が良くなると
良いとは思ってますけどね。
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科学無視現実無視に向かう政治

2009-07-20 11:39:33 | 社会
もうずいぶん前の話ですが,内閣府食品安全委員会の人事案を野党が拒否していたということを知りました。輸入牛肉の安全性の評価に対して,政治が圧力をかけたということになります。このことに対して,科学よりの人からはいくつか反論が出ていて,一つは科学ライターの松永和紀さんの意見,ここでは食品安全委員会の反論。そして,野党が根拠にした独立行政法人産業技術総合研究所中西先生の報告を紹介。この方の意見が政治に曲解されているとしてます。実際に中西先生自身が自分の意見を曲解されたことを不思議がっております
ここで見られる意見は,要は科学界は評価をしているだけ。もちろんデータが揃わなくて,不完全な評価を出す場合もあるが,それはそれできちんと説明している。その評価を受けて,リスクを管理し政策を判断するのは別の人の仕事なのに,なぜ評価をした人が切られるのか?ということです。
最近政治が自分達に都合がいいように科学的な事実まで捻じ曲まげようという様な行動を良く見ます。先のインフルエンザの騒ぎも,経済の影響があるから,安全宣言をしろという圧力をかけた政治家がいました。もちろんそれはその科学者ではなく行政に対してですが。
これは与党野党に限らない話ですが,どうも最近は政治が現実から離れて机上論優勢になってる気がします。現実で可能なのかを判断せず,こうすれば世間に受けがいいとか,こうすれば自分達に都合がいい…という様なことを実行しようとします。こういう無茶な方向性を実際に政策に落とし込むのが官僚の仕事だったり,そしてその際に意見として照会されるのが学者だったりするのですが,どうもその官僚や学者に対する扱いがひどすぎます。つまり自分達に都合が悪い学者や官僚を政治がかって切ろうとしてます。官僚は公僕ですから,まだそういうのもありかと思いますが,それでも優秀な官僚がいないと実際の政策は回りません。そして何よりも学者は科学的立場に対して意見を述べてるだけなのに,意見を強制されるというのはまるっきり政治が現実離れした方向に行こうとしてるように思い,恐ろしいものを感じます。
今の様な政局不安というか政権交代というゴタゴタの中,口当たりのいい理想論を唱え,そして現実から乖離した政策が約束され,そこには科学的な意見はまったく無視される…それは本当に大丈夫なんでしょうか?
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技術論を語るのに前置きをする虚しさ

2009-07-09 21:17:33 | 社会
児童ポルノ禁止法の件が結構ネットで話題になってます。いろいろと思うところはありますが,ネットで言われてることとそんなに差がないので改めて意見を書く必要はないかな?とは思ってますが,一応メモとして簡単に。
この法案については自民と民主の議論のうち,民主の方がまともな意見を言っていて困ります(苦笑)。両方とも良くないと言う人もいますが,民主党保坂議員の指摘はごもっともだと思います。
児童ポルノ禁止法の議論はもう数年前からやられている気がしますが,未だにきちんと成立しないのは何故なんでしょう?。そのつど非現実的な法案をいってくる人がいて,成立してない気もします。
今議論されている法案でよく問題とされるのが,単純所持の問題とマンガやアニメの様に現実の被写体がいない画像の問題。両方がというより両方が組み合わさって,非現実的になっているといえます。わたしは単純所持を禁止するのは,まるっきり反対でもないのですが,児童ポルノの定義があいまいなまま禁止すると,どういう場合につかまるのかが良くわかりません。今言われてるのは,親が子供が裸で泳いでいる写真を持っているだけでもつかまるとか,マンガを持っていてもつかまるとかいう恐れ。もっといわれて誰かからメイルで送りつけられてもつかまるという問題もありますが,そこは一枚持っている人と,コレクターとかというところで線とか引けないものでしょうか?と思います。
マンガファンやアニメファンは,そもそもこれらの作品には被害者が存在しないということ,あと実際の年齢がないのに児童ポルノということを決められないということを指摘します。「子供に見える」というのは主観的な判断ですから,それこそきちんと運用されないと冤罪の恐れが発生するわけです。
わたしは児童ポルノの定義がきちんと客観的な基準で実際に子供が被写体で性的な被害に遭っている場合を規定でき,単純所持もある程度の規模以上とかされれば,規制してもいいと思ってます。ただ,なぜかそういう納得感がいくような法律にうまく落とし込めないのは何故なんでしょう?。
自分が見たくないマンガとかを規制するのに一生懸命の人とかいて話をおかしくしてるようにも思います。
…ところで,こういう法律の欠点を指摘する際に,多くの人が「性犯罪や,児童への性虐待は厳しく処罰すべきだと思うのですが…」と皆さん最初に断ってから,禁止法案への批判をしています。もちろん,そのことを疑うつもりはありませんが,いちいちそういう断りを入れないと,じゃぁあなたは性犯罪を助長させる気か?」とかいう人がいるんでしょう。そんなことではなく,正しく運用できない法律の欠陥を指摘してるだけなのに。
以前わたしは輸入CDの規制法はPSE法についての反対を声を大にして書いたことがあります。あの時も結局は法律の欠陥,つまり本来の目的以外に運用できる隙があることを批判していたのですが,それを批判する際も,著作権侵害や危険な家電の使用には反対といちいち断らなくてはいけなかった…ということがなんか虚しくもあったことを思い出しました。
この国は,こういうテクニカルな議論をするときに感情的な批判をぶつけてくる人が多いように思います。だから自由に意見をいいにくい,それって民主主義かよ?と思います。
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専業主婦と扶養手当と核家族と通勤はセット

2009-07-04 07:20:01 | 社会
以下…想像であり,確信がないのですが,思っていることを。
専業主婦と扶養手当と核家族と通勤は元々セットなものではないか?,ついでに年金制度も…とか思います。
…というのはいずれも明治以降,つまり近代化が始まってから日本にやってきた形態だと聞きました。それ以前,つまり江戸時代までは基本的には人は暮らしているところで働いてました。つまり住まいが職場だったと。農業はそうですが,職人もそう。商売人も多くの人を雇ってましたが,基本的には住み込みだったと聞きます。もちろん今の漁業とか出稼ぎがそうである様に,旦那が家族から離れて長期間稼ぎに出るようなケースもありましたが,そのような場合も通勤…は無いでしょう。江戸時代に通勤していたのは侍ぐらいだったというような話も聞きます。
住まいで働いているとすると,当然夫婦のどちらかだけが働くわけではなく,夫婦ともに同じ仕事をする場合が多くあると思います。農業は今でもそうですが,商売人も夫婦で住み込みだったりする場合もあったでしょう。そのような職場では専業主婦という考え方はあまりなかったのではないでしょうか?
明治以降通勤という制度が広がったのは交通網が整備されたからというところが大きいでしょうが,それによって働く場所と子育てをする場所が別々になったので,結果的に妻の方は子育てに専念する,そのためには旦那の稼ぎだけで家族を食べさせる必要があるので旦那の稼ぎを増やしたり扶養手当みたいのができた,そんな気がします。ついでに年金制度は子供じゃなくて親の面倒を子供が見なくても住むようにできた,だから核家族が可能になったのだと思います。
つまりこれらの制度は企業や役所とかが雇用を自由に行えるように,住むところや家族に縛られずに自由に人を連れてきて働かせることができるようにでき,都市や工場にたくさんの労働力を集めることができたということでしょう。
そう考えると,今のこれらの制度は家族の中で誰か一人が給料を得れば十分に暮らしていけることが前提で,そうじゃなくなったら,これらの制度は崩壊することになります。一人分で足りなければ共働きになり,そうなると子供を育てるためには,祖父母と同居して面倒を見てもらうか,もしくは職場と住まいが遠い…というのは不可能になります。
今,共働きの夫婦が増えてますが,好きで夫婦で働いている人ばかりではなく金銭的な問題で共働きの夫婦も多いようです。そうなると結果的に子育てもできなくなり少子化になるか,職場が自由に選べなくなり雇用を自由に行うことができなくなるでしょう。
そういう意味でいうと,一人の収入が家族を養うのに十分ではない?という状況が広がると,今の労働や家族や住まいのあり方自体が崩壊することになると思います。今の日本は派遣社員が増えて,給料が安くなったり扶養手当もないような職場が増えてますが,それが企業のほうにも不都合であることをもう少し意識すればいいのにと思います。

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