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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

2009-06-28 00:03:41 | 社会
先々週のクローズアップ現代で教育の話があったのですがレジデント初期研修用資料さんがそれについて書いていました。この番組,わたしも観てました。数学の文章題を絵を描いて解かせるのを観ていて,あぁいいやり方かも…と無邪気に思ってましたよ。
それはいいとしてリンク先に塾の経験について書かれてましたが,そういえば…という風にわたしも書いてみます。
実はわたしはあまり長い間塾にいったことはありません。中学の頃に2回くらい行っただけかなぁ。中学の1年位のときにちょっと長期に…良く覚えてませんが数ヶ月か半年か一年か?。どこかの系列ではなく,誰かが個人的に教えてるのに行き,生徒も2,3人くらいしかいない私塾みたいな感じでした。その後確か中学3年の夏休みに一月くらい。これは中学三年の夏に親の転勤で引っ越したのと,高校受験とかが近かったので,たぶん学習を補おうとしたのでしょう。
塾に行った覚えがあるのがこの二つだけですが,中学1年時って,田舎の中学でしたが,数百人の学校の学年で一番をとったことがあるくらい成績良かったのですが,なんで塾とかいったんだろう?。その後,教育が盛んな県に転校になり,いきなり成績が中の下ぐらいに落ちて,そこから勉強の辛さを知りました(苦笑)。でも,その後3年になって引っ越したときは,その前の教育県教材がものすごく役に立ったんですよねぇ。他の人の倍練習問題をやったりできたので,学校の勉強以外の勉強をしたという意味では,塾的な面もあったのかも知れません。
高校は当然塾は行かなかったのですが,しっかり浪人したので,浪人のときは当然予備校に行ってます。
…とこんな感じですが,中学で転校して勉強を意識する前は,小学校中学校とあまり勉強を頑張ってするという意識はなくて,教科書に書かれていることを理解して覚えるというだけをやっていた気がします。宿題とか学校に出されたものをやっていただけ。でも教科書は漏らさず理解してたのを覚えてます。それが普通と思ってました。ですから,学校で習う以外のことを他で習った覚えはないし,学校の授業は理解していたので他で補強した覚えもありません。こういう自分からすると「学校の勉強で十分じゃないか?」とも思うのですが,今の教育はずいぶん変わっているので,今でもそういえるかどうかはわかりません。
学校の勉強が大事か?学校の成績がいい事は大事か?と問われると,頭がいい子供は結果として学校の勉強ができると思ってます。また,頭を鍛えるためのドリルは必要である…とわたしは思ってます。勉強ができるから頭がいいんじゃなくて,頭がいいから勉強ができるんですよね。頭の運動能力が高いので,勉強をやっても息切れしないのだと思います。ですから学校の成績以外になにか優れたものがあるなら,そっちに打ち込んで,そっちにエネルギーを注いでもいいけど,そういうのがないなら勉強して頭を鍛えて欲しいとは思います。
学校の成績が悪いとコンプレックスを持つし,学校に行くのが嫌になったりするので,そういう意味では楽しく勉強をするために,塾とかで補強することは有用かもしれません。子供は頭も体も鍛えれば鍛えるほど伸びるので,楽しく鍛えるための動機付けが必要で,まぁ塾もそのひとつかな?という風に思ってます。自分自身が塾が役に立ったという意識がないので,本当はどうかはわかりませんが。
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箱ものは国の姿勢の象徴ともいえる?

2009-06-11 22:32:16 | 社会
麻生さんが提唱した「国立メディア芸術総合センター(仮称)」が結構話題になってます。与党のことは何でも反対する民主党が「マンガ喫茶」とか言ってるのはまったくの的外れなんで無視するとして河野太郎も批判してるそうで。河野太郎はアニメやマンガを日本の重要なコンテンツであり,外貨を稼ぐ将来性があることをわからないのか?と思ったら,どうもよく読むと箱を作るのではなく,人材育成に使うべきだ…とのことです。
なるほどそれはそれで一理あるな…とは思います。このメディアセンターはアニメマンガファンの間でも,箱ものと批判する人は結構いるようです。ただわたし自身は,国がアニメやマンガを保護すべきものだと認識して毎年継続的に予算をつけるという意思表示として,まずは箱ものを作るというのも手ではないか?という気がしてます。育成に使うとしても単年度で終わってしまうかもしれません。それこそ箱ものは設備投資であり,人材育成は損益費用ですよね?。まぁ人材育成は将来への投資ともいえるんですが,経理的には費用のはず。冗談ですが。
今,マンガやアニメはサブカルチャーからペアレントカルチャーにまさに切り替わろうとしている時期なのか,いろんな戸惑いがある様に思います。古い世代からは,サブカルチャーがメインに出てくることを低俗と眉をしかめて理解しない人たちもいますが,逆にどっぷりと使ってる人たちも,表に出ることにより,自分達がそれを支えてきたというアイデンティティが揺らぎ,それで「国が口出しするな」という風に言う人もいるのでしょう。そういう気持ちもわからないでもありませんが,実際に海外からは注目されていて,それなりに市場性もあるのですから,おそらくほっておいても外資が入ってきたり,海外にフォロアーが出てきたりします。気がついたら,国内には何も残ってなくて海外の金持ちどうして取引されていた,という風な浮世絵の二の前にならないか?という心配があります。
そういう意味でいうと,やっぱり今の居心地がいい空間が壊れてしまう可能性がありますが,日本の社会全体が,アニメやマンガを重要な文化として捕らえ,その形して国が支援するというのもありかな?とわたしは思っています。
まぁ実際に作ってみたらひどいものになる場合もありますけど,地方はともかく都内の美術館とかはどこもそれなりにおもしろいので,少なくとも最初に作られるものは,意味があるものができるんじゃないかな?と思ったりもしてます。
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都会と田舎と東京の話

2009-05-12 23:15:44 | 社会
先日ちょっと書いた都会とか田舎とかの話を改めて。と言っても,この手の話はいろいろ思ってるので,やっぱり簡単には書けません。とりあえずいくつかつらつら思うことを。
前々回書いた話もそうだし,他に都会は刺激的だし地縁が緩いのが良いとか,都会は直線的に発展するとか,そういうのを読んで,まぁそうだよね,と思います。いずれも都会の方が好きという風に読める人が書いた文章だからかもしれないけど,一方で,田舎の方が良いと言う人はいないのだろうか?とも思います。
さて,ちょっと話をそらすと,ここで言われてる都会ってどこだろう?と思うと,たぶん東京をみな想像してるのではないでしょうか?。もしくは首都圏。大阪や京都,名古屋は想定してるのでしょうか?。個人的には東京(首都圏)は日本のほかの政令指定都市級の大都市と比べてもあっという的な違いがあると思います。人口もそうだし,マーケットもそうだし,大企業の本社や行政が揃ってるっていう首都機能もそうだし,それは日本で二番目の大都市圏である大阪圏と比べても圧倒的に違います。そういう意味では東京を想像して「都会」と書くのは少しフェアじゃない気がします。
というのは,逆にここで言う田舎というのが何を指しているかが良くわからないからです。人口が数百や数千人しかいない村や集落を指すのか?。地方の市を指すのか?。地方の県庁所在地くらいの市を指すのか?。はたまた日本にいくつかある地方の政令指定都市を指すのか?。これらはそれぞれ東京とは違います。しかも人口の差による一次元的な順列とも違います。例えば東京と東京の周辺にある小さい市とか町(昔で言うと五日市とか桧原とか,秩父とか)の違いと,東京と福岡市の違いというのは,人口と東京の距離の関係から,簡単にはいえません。福岡は大都市だから一通りの店は揃ってますし,映画館やスポーツ興行もあります。五日市とか秩父とかはそんなものほとんどないでしょうが,電車で1,2千円払えば東京に出れるという強みもあります。秋葉原にしか売ってないものを手にとって選んで買えるという意味では,東京の周辺の田舎の方が,東京を享受できます。
ついでに書くと,わたしは学生時代に一月ほど阿蘇のキャンプ場で住み込みのバイトみたいなことをしてましたが,あの辺までいくと,もっと違う生活です。
そらした話の量が大部分になったので,この話はこの辺で。
で,現在のわたしは東京23区に住んで,東京暮らしを満喫してるって事なんでしょうし,東京のメリットを活かして生活してますが,でも,上京以来ずっと思ってるのは東京というのは,どこか搾取されている気がするということです。つまり無駄にコストがかかる部分が多い。一番は家賃ですが,家賃に関してはたぶん大阪圏と比べても1.5~2倍近く違います。外食も高いです。東京は刺激的ですが,何をするにもお金がかかります。もちろん公共交通機関とかのように東京の方が安いものもありますが,最低限の暮らしをするのに東京の方が遥かにコストがかかります。そして遊ぶのにもいちいちお金がかかります。お金さえあれば刺激的に暮らせるかもしれませんが,逆にお金がないと何もできないし,生きていくのも大変です。
ところが一方で,なぜ東京にいるかというと,東京にやりたい仕事があったからですが,まぁつまり好きなことやってお金をもらおうと思ったら東京に行かなくてはいけなかった。お金を得るために東京に来たのだけど,東京にいるからお金がいる…そういう構造になってます。いわゆるGDPには貢献してるのですが,だからいって,お金がたまったりあまり働かなくても楽に暮らせるわけでは決してありません。
若い頃は刺激が楽しいので,そうやって大量に物や情報を消費することが生きてるって感じな気がします。歳を取ってくるとそこまでしなくてもと思うので,ますます搾取されている感じがします。もっとも歳を取ると東京の便利さが手放せなくなるのですが,病院とか特に。
個人的にはわたしが今まで住んだ中で一番いいと思ったのは福岡市です。福岡市のは都会の便利さと田舎の良さの両方があり,都会の不便さが少ないように思いました。個人的には理想です。ただ学生時代に住んだだけなので,仕事をする上でもそうなのかはよくわかりません。いつか住めるかな。住みたいなと思います。
都会と田舎の話は,またいずれ…。
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若者への投資

2009-05-07 23:44:23 | 社会
昨日NHKスペシャル「“35歳”を救え」というのをやっていました。冒頭20年後55歳(つまり今35歳)の人が,少子高齢化で税負担とか医療費とかが大変で暗い未来が来るみたいな話でした。で,今の若い世代が収入が少ないとか,教育費が高いとかで,結婚できないとか子供ができないとかそんな話でした。
連休の最後に暗い話をするなぁ…と思って消そうかと思っていたら,後半は逆で,若い人(といっても30代ですが)に行政が職業訓練とか,子育て支援で投資することで,将来が明るくなるという展開でした。冒頭に暗い話をして後半で希望を描くのはいつものクローズアップ現代の手法ですね…って感じで,まぁNHK的に手馴れた演出です。
で,冒頭,若い人たちが収入が少ないから子供が作れないとか,そんな話をしてるときに思ったのは,でも今から40年前とかの人が別に今より収入が多かったりしてたわけでもなくて,それでも子供を作って育てていたんだけどなぁ…などと思ってました。つまり,今の社会は収入が少ないとかコストがかかるとか,そういうのだけが子供を作る障壁になってるのではなくて,もっと別の何かがボーダーを上げているんじゃないか?とそんな気がしてました。
ちょっと話がそれますが,ちょうど今日なぜか都会と田舎の話がネットで話題になっていて,例えば「田舎は好きだが、それでも東京を選択する」とかいう文章がずいぶんブックマークされていたりするのですが,TVで地方のほうでの子育て支援とかの話とかを見てると,東京は家賃も高いし,収入も田舎より多いけど,生活や子育てコストはそれ以上に高いのではないか?とか,でも「楽しみ」や「刺激」のために都会暮らしを人々が望む場合…それって,本当に社会のせいなの?とか思ったりもしました。まぁ都会と田舎の話は,もっと別の点で思うところはあるので,また別途書くつもりですが。
TVの結論は結局は若い人に投資しましょうって話なんですが,一方で年寄りの話はまるでなかったかのように無視してました(笑)。NHKはそこまででもないにしても,民放はこれまでずっと年寄りの方に投資しましょうとばかりで,若い人に投資しようとはほとんど言ってきませんでしたからねぇ…ちょっと新鮮でした。というか,たぶん「若い人に投資して明るい未来を」と言ったら御年寄りも反対はしないだろうけど,「お年寄りの投資を減らし,若い人に投資しましょう」というとどういうんでしょうね?。賛成してくれるのでしょうか?。
あと,みていて思ったのが,終身雇用とか,社宅完備とか,そういうのがなくなって労働者が安心して子供を作れなくなったというけど,もともとそういうのって,企業が良質の労働力を確保するためにはじめた施策じゃないかしら?。別に社員のためだけじゃなかったはず。つまりそういうのをなくしたから,雇用の質が下がっているともいえて,つまり福利厚生を上げた方が,企業のためでもあると思うんですけどね…。いまの経営者はそういうの忘れてしまったのかしら?。いつからなんでしょうねぇ…,そういうものの見かたができなくなったのは。
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経済的豊かさがどこから来るかがわからない

2009-05-02 15:22:47 | 社会
ネットで話題になっていた「途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない」を読んで。
書かれている思考実験,つまり最貧国が一つなくなっても豊かな国が貧しくなるわけではない,というのは,一見正しいようにも思えます。ただし世界のすべて最貧国がなくなったらどうなるのだろうか?,という気はします。というか,豊かな国は最貧国から直接搾取してるわけでもなく,ちょっとだけ貧しい国から富を吸い上げていて,その吸い上げられている国はさらにちょっとだけ貧しい国から…という構造であれば,最貧国がなくなってすぐに影響を受けるのは,最貧国より少しだけ豊かな貧しい国なのかもしれません。
まぁ正直この辺の構造は良くわからないのですが,わたしは以前,富を生み出すのは「地球から搾り取ること」,「人から搾り取ること」,「未来から搾り取ること」のいずれかではないか?と書きましたが,人=貧しい人とは限らないし,人だけじゃなくて未来から借金をしてる場合もあるので,その中のどこかの搾取だけ取り除いても,すぐに豊かな国が傾くことはないことは容易に想像できます。
ただわたしが思う最大のポイントは,経済の豊かさはお金(的なもの)の流れから生じるのではないか?ということで,そうであれば,豊かさの偏りがないと豊かな人々というのは生まれないのでは?という疑いです。お金がどこかからどこかへ動くことで豊かさが生まれるのであれば,そのお金が出て行ったところには豊かさが残るのか?はたまだまた湧き出てくるのか?が良くわかりません。
経済活動を手放しに肯定する人たちはどうも,その豊かさが無限にどこかから湧き出てくる…という風に言ってるようにわたしには見えて,そこが腑に落ちないというか納得できません。だから,その豊かさはどこから持ってきたものなの?と疑ってしまうのです。
新しい金融工学とかいう学問で,新しい経済活動が常に開発され,一時期儲ける人たちがいますが,大抵それはどこかで破綻してます。ずっと破綻してないものってあるんでしょうか?。破綻してるものを観てるから,どうもそういう金融工学のいうことが胡散臭く感じてしまうのです。
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晩婚とか少子化とかの原因

2009-04-17 00:41:26 | 社会
晩婚とか少子化とか,結婚できないとか,長らく日本の問題になってます。最近は何でも不況のせいにするのが流行ってるので,少子化も不況のせいにする人がいますが,今の不況の前から少子化は問題です。格差は今の不況の前からあったから,って突っ込みを受けそうですが,じゃぁ高給取りは,子沢山ですか?という疑問も浮かびます。
一方で社会保障制度の問題から,日本の将来,歳をとったら暮していけないという人もいますが,歳をとったときに社会が信用できないなら,子供を作ってそれに備えるのが,これまでの社会だったのでは?と思うと,まだまだ日本の社会制度も信用されてるのだなと思います;-p。
子供を育てるのに現在の日本はかなり高コストです。三人乗りの自転車の話を昨日書きましたが,自宅の近所の託児所が一杯で子供を預けられず,また共働きなので,遠くの託児所まで子供を預けに行って,そのまま働きに出る両親。タクシーなんか使えませんよね。確かに三人乗りは仕方ないかも知れません。
収入が十分にある夫婦は子供をつくってるか?という疑問,でも都会では収入が多くても夫婦が共働きだったりします。収入的な点で共働きなら,どちらかがたくさん稼げばどちらかは専業主婦(夫)になるんでしょうが,自己実現のために働いていたら,収入が多かろうが共働きでしょう。共働きだと,子供を預けたりする必要があるので,ますます子育は高コストになります。
この辺の問題は結局のところ日本が戦後進めてきた核家族化の弊害に集約される気がするのですがどうでしょう?。もし家族が三世代で,両親が働いている間の子供の面倒は祖父母がみたり,また祖父母の生活コストも働いている夫婦がみるという形だったら,少子化の話も高齢者の話も結構片付く気がします。
結局子育も高齢者の面倒も本来は家族の問題だったのが,家族外へ押し出されたために社会問題になるし,コストも高くなってるのが現状ではないでしょうか?。
だからと言ってまた三世代家族に戻ろうって言っても無理があります。核家族が企業が労働力を効率よく集められるように,仕組まれたものじゃないか?という気はしますが,我々は職業選択の自由が人権だと教育され,そう思い込んでいるので,今更元には戻れません。特に四十くらいで隠居するような昔じゃなくて,六十過ぎても働くような現在では,労働者の親も働いてますから,ますます一緒に住めません。夫婦でも共働きだと,一緒に住めなかったり,するくらいですから;-<。
結局答えがないというか特に共働きの場合は絶望的に解決策が見当たりません。まぁ出来るだけ通勤に時間がかからないところに住んで,夫婦で子供の面倒が見れるようにすべきなんだろうけど,これも夫婦が近くで働いているとは限らないし,家賃とかの問題もあるのだよなぁ。
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みんなにいいもの

2009-04-13 22:16:58 | 社会
最近のニュースから。

毎日新聞が高速道路1000円を愚作と書いています。へぇー,じゃぁやらなきゃ良かったんだ,と言いたくなるのですが,そうなんでしょうか?。道路が渋滞してないとか書いてるけど,いいことじゃないですか。渋滞したら渋滞したと非難するんじゃないか?。トラックが恩恵を受けないとかETC非装着車が恩恵を受けないとか書いてるけど,別に他に恩恵を受ける人がいればいいじゃないですか。
…。
日経社説で自転車の三人乗りの話が書いてました。この問題は結構難しいな,と思います。確かに自転車に子供を乗せられないと困る親御さんは結構いるでしょう。まぁでも,これも子供が一人だったら関係ないし,自動車で子供を運ぶ人には関係ないし,親が外出するときに,預けるような人がいる世帯とかだとやっぱり関係ありません。逆に,フラフラした自転車が歩道を走ってると一般の歩行者には迷惑だし,そうじゃなくても転んだりしたらその親御さんもちょっと危なくないか?。今回,騒ぎになったので安全な自転車が開発されたのだけど,それでも事故は起きるだろうし,安全な自転車が買えない人がいるとか,そこまで面倒を見るべきか?というか見るのは誰?という気はします。
…。
朝日新聞曰く,団塊の世代の妻の多くが夫にがっかりした経験があるって答えたという話。そりゃー,経験があると聞けば一回くらいはあると答えるのでは?という気もする。夫は少ないって?。それはむしろ,この世代の男性は妻にがっかりしたとかそういう概念自体がないのでは?という気がします。
…。
産経新聞がいうに,送電線の電磁波が危険だという科学的根拠はないけど不安に思ってる人はいる,携帯電話の電磁波はまだまだはっきり解明されていないということらしい。まぁなんというか,電波は距離とか時間とかあるから,ヘビーユーザではない自分に影響があるくらいなら,もっと他の人が…と思ったりもします。でも,仮に携帯の長時間の電磁波が危険という結果がでても,使う人いるでしょうね。便利さは危険さに勝るという人は結構多いと思います。
…。

と,なぜか四紙並んでしまいましたが,これらのニュースを読んでいて思ったのは,みんなにいい事って,そんなにあるわけないじゃない…ってこと。あと,いい事ばかりで悪いことがないことって,そんなにないよってこと。それが基本だと思うのに,なぜか,そうじゃないと信じていて,物事の悪い面が見えると,急に騒ぎ出す人(マスコミ)が多いなぁってことです。高速道路の事だって別に全員が恩恵を享受する必要はないでしょう。そういう趣旨じゃないでしょ?。国民に施しをするわけじゃなくて,景気対策なんだから。自転車や携帯電話もリスクはそれはあるでしょう。事故が起きて危険って思ってなかったとか,自分だけは大丈夫だとか,そういう風にいう人はいそうだなぁ…と思いました。そして便利に使っているものを他の人に迷惑だと規制すると問題になるのはユーザが多い場合で,マイノリティーなものは規制があっさりされちゃったりします。どうして,使う人自身がもっと気をつけて使おうって気にならないのだろう,といつも思います。
段階の世代妻はちょっとネタ気味ですが,まぁ全体を通して思ったのは,物事の悪い面だけをクローズアップして語ってるっていう暗さと,その根拠が物事の悪い面をまるで想定してなかったっていう口調なところ。変な話だし,そんなこというから,成熟してないっていわれるのだよと思いました。
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個の物語の時代

2009-04-06 22:18:53 | 社会
漫画雑誌ビックコミックスピリッツに先週から新しい連載が始まっています。設定的には人類の生殖能力が著しく低下して,その代わり生殖能力が高い男女が選ばれて子作りをするというもの。主人公はたまたま生殖能力が高いと判断され,精子を提供したり,仕事として同じく生殖能力がある女性と子作りを強いられる。しかしその役割から本当に好きだった恋人とは別れることになるというもの。
まぁいろいろ狙った設定だなぁという気はします。男性青年誌だからエロシーンを物語の核として描けるというものもあるし,男性的には自分が望んだものではなく,社会貢献として複数の女性と関係を持つという物語に刺激を覚えるかもしれません。またその一方で好きな恋人と別れなくてはいけないという切なさ分も含んでます。
とはいえ,わたし的には,ちょっと引く設定でもあります。ただ,ふと最近,こういう設定の漫画多いような気がするな…と思いました。
ちょっと前にセックスレスを解消するために,カップルに介入する工作員の話をギャグタッチで描いた漫画もありました。たしか人類が結構滅んで,女性に対して男性がわずかしかいなくて…って漫画もどこかにあった気がします。
これらの話はいずれもエロ要素を描きやすいから選んだ題材でもあるんだなと思います。ですが,さらに思うのは,例えばイキガミの様に,24時間後に死ぬと解った人の行動を描く作品,これらもなにかこれらのエロ設定の漫画となにか似たような臭いをわたしは感じます。
いずれもありえない様な極端な設定でありながら,性とか生とかをきわめて個人的な視点で描いているという点。社会設定を極端なフィクションとして描いているものSFではなく,現代劇ですが,その極端な設定の影響が世界ではなく個人の問題に降りかかっているという点でしょうか。
なんとなく,今自分たちが生きることに対して,リアリティが得られないから,無理やりな物語を作り出している感じがしますが,それが性とか生とかの問題であるのは,みもふたも無い感じがする一方で,まぁある意味で生物的には基盤的な問題なのでしょうか?。
何が言いたいかと言うと,こういう物語に今の若者はリアリティを感じ,没入するのか?ということ。そして自分が若い頃にどうだったかというとわたしが若い頃は,世界がどういう風にできているとか,宇宙がどういう風にできているとか時空が…とかそういうのに熱中していたのだけど,そういうのは今は流行らんのかね?…ということです。
まぁどっちいいってわけでもないのですが。
ただ歳を取ると,そんなに無理やり個の物語をフィクションで作り出さなくても,性とか生とか死とかいうのは,実際の問題になるんですよ。そうなると,逆にこういう極端な設定は,あざとすぎて引いてしまうわけです。例えばわたしは実際に病気で死を意識したので,逆に死ぬ人の覚悟を描いたフィクションにはリアリティを感じなくなってしまいました。個の物語は,経験の少ない若い人にはもしかしたらリアリティを感じるのかもしれないのですが,実際に経験を重ねた人から見ると,きちんと描いてないと,すぐにおかしさを感じる。
そういう意味では若いときしか楽しめない話だなぁと思うのと,あと,今の人たちは,自分とはあまり関係ない世界の仕組みとかそういうものにロマンを感じなくなっているのかな…などとおもうと,ちょっとさびしく思いました。
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刑は何のためにある?

2009-03-20 08:32:58 | 社会
以前も書いた気がするが…。
個々の事件や裁判の内容についてコメントをするつもりはないのですが,某殺人事件の裁判判決とそれを聞いて納得できない遺族の映像を観ていて,相変わらず良くわからないなぁ…と思いました。
よくわからないのは,裁判というのは何のためにやってるのか?,特に凶悪事件の裁判…というか刑罰,つまり刑法ってどういう趣旨なんだっけ?ってことです。
真実を明らかにするっていう裁判の目的はとりあえず置いておいて,被告が犯人に間違いないとわかったときに話を絞ります。
犯罪者が刑罰を受ける目的というのは,いくつか考えられて,
(1)その犯罪者が二度と犯罪を犯さないようにする?,
(2)その犯罪者を更正させるため?,
(3)犯罪者を後悔させるため?,
(4)他の人が同様の犯罪を犯さないため?,
(5)その犯罪者の悪意を萎えさせるため?,
(6)遺族が納得するため?,
等等,いろいろ考えられますが,どれが正解なのでしょう?。そんなの法学者が考えれば良いのかもしれませんが,実際裁判員とか始まるので,どういう趣旨で判断するのかがわかってないと,なんか感情的に支離滅裂な判断をしそうです。
実際の刑法がどうかはわかりませんが,私自身は結構(1)の再犯防止が重要だとは思ってますが,精神鑑定で再犯の可能性があっても悪意がないってことで無罪になったりするのをみると,どうやらそういう趣旨じゃない様です。(2)の犯罪者の更正とか反省とかはよく判決で語られてますからこの辺が重要なのかもしれませんが,そもそも反省してるかどうかなんてわかるのか?という気もします。更正の可能性も解らないといえば解らない。自首したら刑が軽くなるというのは,反省とも取れますが,犯罪の犯罪の解明を促進するので,犯罪抑止のためともいえます。(3)はなんかリンチ的な発想です。(4)同様の犯罪を起こさせないというのは,ある意味見せしめでもありますが,そういう意味では(5)もそうですが恐怖心みたいのでそうしようというもの。(6)の遺族が納得するためっていうのはどうなんでしょう?,いやたぶんどういう判決が出ても納得なんて出来るものかな?とも思います。
仮に自分が裁くとしたら,どういう観点で裁けばいいのでしょう?。いや,上記のどれかだけが正解じゃなくて,そのバランスが大事だから裁判員みたいのがあるんだよという正解なんでしょうか?。
いずれにせよ,きちんと刑法の趣旨を説明したのを聞いたことがありません。説明するつもりはないのですかね?。
余談ですが,アメリカの議員が日本人は命で責任を取ると言ったそうですが,これって死刑があることとも関係があるんですかね?。
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民主主義の見えざる手

2009-03-14 07:51:26 | 社会
人間の活動の中で森を切ったり動物を殺したりすることを自然破壊という場合が多いですが,人間も自然の一部でしょ?という観かたをすれば,その破壊行動も自然の営みということもできます。いや,別にそれには賛同しないのだけど,物事の見方のバリエーションという話です。
キリスト教をちゃんと理解してるとは言いがたいので間違ってるかもしれませんが,聞いた話では,人間が科学や医療とかで,生命問題とか,物質生成とかそういうのに関することやっても,それもすべて神は知ってるし,神の見えざる手によって行っているということも出来る,観たいな考え方をする人もいるそうです。そういえば,アメリカとかの裁判の考え方に,疑わしくは罰せずというのがあるのは(本当にあるかは知りません),本当に罪を犯していたら,無罪放免しても,神の裁きはなんらかで受けるはずだ,という思想があるというのも聞いたことがあります。
まぁつまり人間がどういう恣意的なことをやっても,それは神の手だったり,仏様の手のひらだったり,はたまた運命だったり…てな感じでしょうか。
そういう風な感が方もあるよなぁとか思って,昨日の続きをちょっとだけ書くと,検察が恣意的に政治家の秘書を捕まえようが,マスコミが誰か政治家を拠ってかかって貶めようが,選挙活動が保証されていたら,それはそれで民主主義というシステムは保証されているのかもしれません。
昨日検察が逮捕しても,見逃しても,それは介入じゃないの?と書きましたが,だったら逆にどっちにしても,それは単に選挙民が政治家を選ぶための情報のひとつでしかないのではないでしょうか。実際,過去に牢獄から立候補して当選した議員もいます。
いや,これは屁理屈であり,それが良いなんて思ってないのですが,民主主義が大事だ,とか政治家秘書の逮捕が民主主義の危機だという意見を聞くと,じゃぁどういうのが民主主義なの?って良くわからなくなってしまいました。
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