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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

マナーを教えるということ

2005-12-16 15:16:04 | 社会
某SNS経由でわたしも行ったキースジャレットのコンサートに関する意見を知りました。
これを書いた人は20日もしくは21日のコンサートで鯉沼ミュージックがお願いをしたことに対して不快感を発してますが,14日のコンサートを見たわたしからすると,14日のコンサートを見ずに良くもそんなことが言えるな」と…。
これを書いた人を鯉沼の呼び掛けを「強要」と書いてますが違います。これは「教育」です。演奏が良ければ結果として静寂が訪れる…みたいなことを書いてますが,本当でしょうか?。わたしはそうは思いません。観客にはいろんな人がいるからです。
キースジャレットは現在最高のピアニストの一人ですが,そのおかげでジャズファン以外のリスナーもかなりコンサートに来るようになってます。もちろん,その中にはジャズよりもきびしい視聴態度を要求されるクラシックのファンもいて,ジャズよりもかえって静寂な観客空間を形成できていると思いますが,一方で有名だからこそ一度観てみたいくらいの気持ちで普段コンサートを観ない人も増えていると思います。そういうコンサート自体に不馴れな人が自主的にコンサートのマナーを守れるとは限りません。ジャズのライブですら音楽の内容により声をかけた方が盛り上がる音楽,だまって聴く音楽など一意に決まりません。その時の状況に応じて観客が判断するのですが,それをコンサート初心者が自分で判断するのは困難です。ですから,注意書をわたし,演奏が完全に終わってから拍手をしてくれ…と書くのはいいことだと思います。
それに14日のコンサートは…いえ聴いたところでは21日のコンサートでも携帯電話をならす人がいました。携帯電話については,どんなコンサートでも開演前に電源を切るようにとのアナウンスが流れます。なのにかならず守らない人がいます。今回はアナウンスに加えて,件のビラ,そして会場でスタッフが生声で叫んで注意を促すというシーンがありました。そこまでしてようやく電源を切る人もいたのです。これは単にうっかりかも知れません。しかしコンサートが始まる前に電源を切るなりマナーモードにするのを気づくことができないような人に観客の自主的なマナーを期待するのはかなり困難です。
さらに書くと14日で問題になったのは「咳」もありました。咳は生理現象…という意見もあるでしょうが,一人が始めるとみんなが始めるというのは明らかにガマンの問題です。または咳をしてもいいという雰囲気かもしれません。ですから,そういうことは極力注意しなければならないと教えるのはいいことです。
この文を書いた人は張り紙を「芳香剤」と書いてます。でもわたしは14日に雑音を出した人に対してはもっと強い悪臭を感じました。悪臭を出さないための芳香剤ならそれはそれでしかたないかと思います。
こういう文章書く人って大衆の善意を訴えるくせに,いざ現実で問題が起きたら「自分は違うが残念な人がいた」みたいなことを書くんじゃないか?…,そんな気がします:-p。
それから…「録音していることは聴衆と無関係」と書いてますが,キースジャレットはここ数年,ソロコンサートを日本でしか行ってません。文章を書く人ならばこの事実の意味を考えて,それでもそういうことを書くか…考えて欲しいです。
ということで反対意見を表明しておこう…ということで,あえて苦言をいいました。どうしてルールを教えることが強要になるのかわかりません。ルールを教えるのはむしろ善意だと思います。ルールを教えず誰かが不具合をしたら一斉に「非常識」とか言って責める文化に最近なってませんか?…,ちょっと最後は脱線してますが,最近そういうことを感じます。自由にさせていればすくすくいい人に育つ…わけないじゃない…。
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外国人とのランク

2005-12-08 13:36:36 | 社会
前のエントリを書いた後の話ですが,以前購入していた「ブエノス・ディアス,ニッポン」という本を読み始めました。まだ読み終わってないので,感想は後日別途書きますが,関連するので,さわり(要点)だけ。
この本は日本にいる外国人の案件を多く扱ってる弁護士が書いた本で,つまり不法滞在してる外国人が抱えている問題について書かれています。日本は建前では特殊能力を持った外国人以外の就労を認めてない…といいながら実際は多くの外国人が単純労働のために日本にいます。不法入国やオーバーステイ(ビザが切れた後も日本に居続ける)が実態としてはかなり行われていて,そしてそういう人たちを雇う業種もあるし,そういうところに人を派遣する会社もある…。つまり建前と実態が乖離してます。乖離しているために,この手を扱う法律が,つまり役所が一貫性のあるルールで運用されておらず,役所の気分でその人たちの扱い(強制送還されたり,長期滞在が認められたり)が決まってしまう状況のようです。
この本を買ったのはわたしが以前オランダにいって詐欺にあったときに,海外の治安が悪い…というよりは,単にわたしは日本にいるので気づかないけど,日本でも外国人に対して行われる犯罪があるのでは?…と,つまり日本が安全で居心地がいいのは日本人にとってだけで外国人にとってはそうではないのでは?…と思ったからです。
で,この本をちょっと読んで気づくのはそういう役所の問題もありますが,それ以外にも世間の目とか,仕事での扱いとか…いろいろ在日外国人は大変な目にあって…それでも日本で稼ぐために我慢して身を隠して目立たないように働いている人たちが結構いるということです。
…で,昨日の日記に書いたようなことを考えつつ週末のニュースをみると,捕まった犯人の件はいいにしても,この事件をきっかけに犯人と同じ職場だった外国人,親族などに対する報道の執拗さ…そしてその時にかなり低姿勢で記者に答える彼らをみると,ちょっと日本人じゃないってことですべての外国人に差別意識が生じてないか?…と。
結構驚いたのが犯人に9才の時に被害にあった女性(現在は成人)にわざわざペルーまで行ってインタビューしてること。もちろん本人に了承をとって(でも謝礼金で釣ったのかも知れない)るのでしょうが,小児の時に性犯罪(ただし未遂だったそうですが)にあった女性に(モザイク付きですが)映像付きでインタビューするなんっていうのは,同じ日本人に対してだったら出来るのだろうか?…とか思いました。
どうもね…。今回の扱いの中に日本側には「同じ外国人なんだからみんな怪しい」という思いと「大げさになってますます差別を受けると困る」と思って低姿勢なペルー人の構図を感じて…とても気持ち悪いのです。
もちろん,犯人の方を持つつもりは全然ありません。ただ先日のフランスの暴動のような構造が規模は小さいものの日本にもあるのだな…と。なんとも気持ち悪いし…,どうも我々に良く見えない部分があるな…って思います。
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「場」

2005-10-13 13:08:56 | 社会
掲示板が廃れている…って話。まぁ古くからやってる人はそう思うわなぁ…。
それいうと「ネットニュース」も廃れちゃったなぁ…とか,わたしはやってないけどパソコン通信…っていうのを懐かしむ人もいるでしょうねぇ…。
わたしの感覚だと,「場」っていうのは移り変わるのだと思います。これは現実の世界でもそうで,人が集まる場所…っていうのは変わっていきます。街も永遠に人が集まる…っていうのは余りなくて,完全には廃れないにしても,流行りの場所っていうのは少しずつ移り変わっていると思います。
もっともネットで掲示板からブログへの場の変化はそういう変化というよりは新しいシステムが出来たりとかネットの規模が大きくなったりとか…そっちの要因の方が大きいでしょうけど…。
まぁネットの場合現状のように馬鹿でかくなると,誰もが入ってがやがややるのはもはや2chの様な匿名掲示板じゃないと難しいし,そうじゃないのは個人サイトに分散するから,検索性が高いブログになるのでしょう…。あとはSNSですかねぇ…。
でもSNSも新規参入が盛んで,一方既に多くのユーザを獲得してるmixiはやっぱり人が多くなり過ぎてすでにSNSじゃない…って感じているユーザもいるように思うので(というかわたしがちょっとそう思ってる),また移動が起きちゃうかも知れません。まぁそのSNSで移動が起きちゃうのは,システムというよりそういう定期的な移動なのかも…。
もっとも,そういう風にどんどん場が移るのだけど,古い掲示板が無くなるわけじゃなくて,または荒されるわけじゃなくて,本人達がいいのであれば,そこでまだコミュニケーションが行えるっていうのは,ある意味面白くて,そういう意味じゃ個人サイトの掲示板は既に公共の伝言板…というよりは,窓があきっぱなしの,だれかの家の居間…ぐらいの感じになってるのかも知れません。
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民主主義

2005-09-30 14:18:34 | 社会
先日感想をアップした「痛快!憲法学」には日本で民主主義が実は機能してない…という話が書かれていて,その理由は日本が契約社会でないこと,そして神の下の平等…の意識がないことだったりしました。著者の説が一般的なものなのかわからないので,それを丸のみするつもりもないのですが,本の中で指摘されていることで,事実であることはたくさんあります。
契約社会ではないっていうのは政治に限らず経済活動でも良く指摘されます。西洋はそもそもユダヤ系宗教(キリスト教とイスラム教)が神との契約です。日本は契約ではなく「信用」の方を大事にします。つまり相手を信じて「丸投げ」。というわけで,選挙も契約(公約を守ってもらう)とは理解しておらず,信頼している人に投票してしまうと…。
もう一つこれは以前から気になっているのですが,日本は司法の力(能力も含めて)が弱すぎます。行政や世論に屈してるように思われるところが多々あります。国の政策を無効にするような判決をなかなか出しませんし,そもそも刑事起訴された裁判がほとんど有罪になるという状況もおかしいです。そして上の本に書かれてたことですが,日本は既存の法律と矛盾した法律を作れないという決まり(?)があるそうで,それゆえに議員立法が極めて難しいと…。複雑な法律を理解するのは専門である官僚は可能でも選挙で選ばれた元一般人である議員にはなかなか難しいと…。それゆえに官僚の都合が良い法律が作られてしまうわけです。
本来は複数の法律が矛盾していれば司法がどっちが正しいかを判断すれば良いらしく,そこも司法が弱いゆえに,官僚社会になっているという構図なのだそうです。
議員が国を動かしていれば,我々が契約した人がやってることで,民が国を動かしていることになりますが,官僚は「お上」であり,我々はその人事に関与できません。というわけで,どうも日本は行政等が何かをすると,文句をいうだけ…という人が多いですね。自分達が何とかしなくてはいけないという意識が無く,単に行政は国民と対立するものだ…という意識が強い気がします。
…などとイキナリこういうことを書いているのは今回の国会は自民圧倒という国民の選択の結果を受けているわけで,なるべく民主主義であるように運用されて欲しいわけで,そのためには,そういう視点で見つめる目が必要に思ったのです。まぁ新人議員を取材するのはワイドショー的には良いのかも知れませんが,それは政治とは無関係です。…というわけで,そういう視点でTVも取材報道して欲しいです。
郵政民営化は良いとして,定率減税廃止が自民の公約違反かはちょっと微妙だなぁ…と思いつつ,しっかりチェックしましょうね。
司法改革も…国民に裁判させる…というより,もっと行政に左右されない司法になる方が先だと思うけどねぇ…。
ついでに余談ですが,じゃぁ本当に西洋で民主主義が根付いているのかはわたしはわかりません。特にアメリカとか貧富や教育の差が激しいわけで,一部の人はともかく全員がそうなのか?…と言われると少し疑問だったりするのですけど…。
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経済格差と「食い物」

2005-09-16 13:23:28 | 社会
圏外からの一言さんのところに日本が外国を食い物にしているという発言をした人の話。正確には更にリンク先を直接リンクすべきなんでしょうけど,ごめんなさい。
この文章に引っ掛かったのは,日本人って外国を食い物にしている事に無自覚な人が多いんだ…と意外に思ったからです。ちょっとここからはわたしの拡大解釈というか,むしろ曲解なのかもしれませんが,こういう投資の話じゃなくて,為替レートに基づいた不等な部分というのはたくさんあると思います。例えば良く知り合いに「老後は東南アジアで暮すと貯金だけでも結構暮せる」とかいう話をされるんですが,わたしはどうもこれが為替レートに乗じた何とも不等な贅沢な気がして気持ち悪いのです。同じことは東南アジアに行って買い物したり美味しいものを食べる場合でもそうです。
もちろん,これは全然不等な話ではないとも言えます。でもその国で優秀な人が一生懸命に働いて得る収入より日本で普通に労働して得る収入が遥かに多くて,それでその優秀な人よりも贅沢出来てるっていうのは,どうも気持ち悪いと言えば気持ち悪いのです。そういう気持ちがあるからか,わたしはヨーロッパを旅行したことはありますが,アジア旅行はしたことありません。
もちろん,日本人がそういう国にいって当地としては割高な買い物することによりその国の人が潤っている事はあるでしょう。老後を過ごす日本人が雇う使用人の給料は現地で他の仕事をしている人よりも割がいいかもしれません。
ちょっと外国という話とは違いますが,こういう物価と賃金の違いによる贅沢…みたいな話は日本の国内でもあります。例えば東京の物価と沖縄の物価を考えると東京で普通に食事するくらいの金額で沖縄ではすごく美味しいものを食べられるし,東京のアパートの家賃で沖縄では広い家に住めるかも知れません。
ただ一方でわたしはこれまで「東京は地方の植民地だ」と何度も書いてきてます。なぜなら東京の山の手線の中で働いているようなサラリーマンは往復4時間程の通勤時間を使い,会社では残業を何時間もやっているのがある種当たり前なのに対し,沖縄は良く知りませんが(^^;),例えば九州とかだと通勤片道1時間以上というのはあまりない時間で,夜遅くまで働く職場は東京に比べると遥かに割合が少ないと思います。給料は額としてはやすいのですが,物価は安いし,しかも東京で払われた多くの税金が地方へ流れているというのもあります。また都会が少子化なのに対し,地方ではたくさん子供を持つ夫婦もあります。この現実を観るに東京は地方に搾取されている…という事も言えます。さっきの「食い物」とは逆の話です。
「食い物」も「搾取」も同じ話なのに双方向にそれが成り立ってしまうのは,実は一方があるものを一方に与えることにより一方から別のあるものを得ているからではないでしょうか?。この場合何でしょうか?。外国の話はひとまず置いておいて,東京と九州(九州を例に挙げるのはわたしが九州出身だからで,それ以上の他意はありません)の関係で観ると,東京の人は九州の人より辛い思いをして働いてますが,額面的には多くのお金を得てます。また多くの遊びを知ってます。九州の人は都会の人に憧れますが,実際は楽にある程度の水準の生活が出来るのは九州の方かもしれません。都会の人間が田舎の人間に比べプライドを持っているか…というのは厳密な都会人ではないわたしには良くわからないのですが。
この事を日本と発展途上国に広げると,日本人は当地にいって贅沢な暮らしが出来き,王様気分かもしれませんが,実は当地の人も日本人を単に楽に収入を得られるカモと思ってる気がします。どうもプライドと楽して儲る…というのを交換してる気がしないでもありません。
最後に,元々リンク文章は投資の話なので少し触れると,要は外国が日本に投資しようが,日本がどこかの国に投資しようが,一方的にどちらかが美味しい思いをする…というのは無いように思います。投資されることによって楽にお金を得て,働く人の生活が良くなる部分もあるかも知れないわけで。
ただしだからといってわたしは「お互い様だ」と言いたいわけではありません。冒頭にわたしが東南アジアに観光旅行することに躊躇しているようにこういう依存関係はお互いが立場を選べるわけではなく経済格差で一方的に役割が決まるわけでしょう。そうであれば,そこになりたい自分になることに制限があるわけで,それゆえに自分の大切な何か(プライドだったり,決定権だったり,美味しい食べ物だったり,住まいだったり)が得られないのであれば,その部分については持っていかれていると言えるかも知れません。
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資本主義

2005-09-02 10:15:58 | 社会
資本主義の本質の話,おもしろい話だと思う。でも消費の全部が企業のコントロールにあるわけでもないし,全部が消費者の欲求の賜物というわけでもないでしょう。あまり悲観する必要もないし,胸を張るのもちょっと恥ずかしと思います。
丁度たまたまですが,今,茂木健一郎氏の「脳と創造性」という本を読んでいるのですが,丁度今日読んだところに,資本主義が安全装置になっている…という事が書かれてました。ここでの文脈は資本主義の社会ではどんなにアナーキーな活動をしても結局は資本主義の枠組みに組み込まれてしまう。ロックやヒッピーやワイヤーヘッドの先駆者達が巨大な富を得てる…という例を挙げてそんな話をしてました。そしてそれはネガティブな話ではなく,最終的に資本主義の土台に吸収されるという安心感があるからこそ,思いっ切りやれるのではないか?…というどちらかというと比較的ポジティブな話です。もとはというと,人は安心できる領域がないとそこから逸脱する行為(創造)はあまり出来ないのではないか?,という流れから来てます。まぁこの本に書かれている話はそのうち書くと思いますので,あまり掘り下げません。
…まぁでもやっぱり元のリンクの文章を読んで思うのは,別にカルチャーとか個人とかが資本主義とそんなに反目するって話でもないよなぁ…ということです。なので資本主義のルールに個人の行動が組み込まれてしまったからと言ってそんなに悲観する話なのだろうか?…と思うわけです。いや…,そういう言動ってむしろ自分達が資本主義に護られているから,安心して反発できる…っていう甘えも感じなくもないです。別に資本主義に組み込まれたからって言ってそこで,個人の選択が無くなるわけではありません。確かに自分の行動の裏でお金儲けしている人はいるでしょうけど…。
話を自販機の話に戻すと…,日本人がお茶を好きなのは,企業のコントロール外でしょう。日本人が砂糖水にやられなかったのは,わたしに言わせると,日本人が白米を大量に食べるため甘くない糖類に慣れているからだと思ってます。ただしお茶を自販機で大量に売れてるのは,売れるレベルに企業がしたからでしょう。物事にはいろんな側面があるし,どういう理屈で動いていても,人にいい効果を作り出すものも多いとは思います。
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脳化都市住民の弱さ

2005-08-03 08:55:30 | 社会
引っ越しをした後の電話の開通関連で,昨日は宅急便でADSLモデムを受け取る…ということになってました。工事前に届かないといけない…とは思ってましたが,まぁ宅急便だし,不在届けを受け取ってその日のうちに再配達してもらえばいいや,という軽い気持ちで,会社から自宅へ帰ったのは夜7時過ぎ。最近の宅急便は再配達の紙に携帯の番号が書いてあるので,電話をかけると「今から持っていきます」といわれることも多いです…。というかそう思ってました。
ところが昨夜は7時半過ぎに携帯に電話をしても,ずっと繋がらず…。結局8時過ぎにコールセンタにかけて,それから待って配達に来たのが10時。1時間以上晩御飯も食べられず待ってたので結構イライラしてました…。

…という話は置いておいて…。

昨日のお昼羽田空港が停電で発着見合わせという事態になっていたようです。結構ヒューマンエラーで再開が遅れた部分もあったようで夜のTVを見てると結構批判的なコメント…。まぁ待たされた人達がブーブーいうのは仕方ないといえば仕方ないけど,「仕方ないね」と冷めた顔の人もいてちょっと安心しました。
さてこういうニュースを見ると,例によってわたしは「飛行機がスケジュール通り動くと思ってる方が,本当は世界の常識にあってないのでは?」とか皮肉を書いてしまいます。先日の地震の時に電車が止まって,乗客が不平をいうのにもわたしは冷ややかでした。まぁ飛行機は電車に比べれば数十分の時間のずれはあるし,運休もあることはあるので,そこまでの正確さは期待してないのかもしれませんが,それでも日本人は,空港にいったら飛行機は飛ぶだろう…という期待で,わりとギリギリに空港に行く人も多いですよね?。
世界を見渡すと交通機関が時間通り動くなんって思ってるのは多分日本人が一番多くて,他の国の人はそこまで期待してない…というか,もし本当に時間にシビアな状態だったら,余裕を見て動くとか,お金を余計に払うとか,いろいろするんじゃないかな?…とか思います。
要は,ちょっと日本の…特に都会の人間は,災害に…というより,急なスケジュールの変更に弱い。つまり普段から世の中は予測出来るように動いている…と勘違いしてるわけです。つまりこれが養老先生のいうところの脳化した都市…つーことで。
とか偉そうに書いてますが,最初に書いたように,わたしも宅急便が電話をしたら数十分で来ることを期待して,来なかったらイライラしてしまっていたわけで,偉そうなこといえません(^^;)…。
本当はもっと,「駄目なら駄目でいい」とか割りきれるようになるべきなんでしょうね…。
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イレギュラーな生活

2005-07-31 08:24:26 | 社会
ちょっとメモがわりに…。
実は今週末わたしは引っ越しだったりします。もう少し事情を書くと,7月の頭から都内にアパートを借りていて,7月の間は一部だけ荷物を運び,週末は都内,平日は横須賀…の生活でした。今週末横須賀の荷物をほぼ全部都内に移しますが,今週は数回横須賀にも仕事で来るので,寝るくらいの荷物は残してます。横須賀を完全に引き払うのはたぶん8月中旬くらいでしょう。掃除もしたいし。
…で,個人の事情は,どうでもいいのですが,週末と平日と二カ所で生活していると,普段何気なくやってることができなくて非常に不便を感じることに気づきます。
一番思うのが,ごみの問題。ごみというのはだいたい収集日の朝に出すとなっていて数日前から出せないので,その日にそこに住んでないと出せません。だいたいは平日に集めるため,週末しか住めないところのゴミを出す手段が全くないという状況になります。ゴミを出せないと気づくのがコンビニとかでお弁当とかを買うと,あまりにも大量のゴミが出るという事実。外食というのは料理を作らなくていいから便利…というより,後片付けをしなくていいから便利…という事に気づきました(^^;)。
単身赴任している人とか同じ思いじゃないのか?…という気もしますが,まぁ単身赴任の人はたいてい週末にいるところには家族がいるので,あまりそういう問題にはならないのか?…とかも思ったりも。
ごみに関してもうちょっと書くと,燃るごみとかはいいとして,不燃ごみや有価ごみは横須賀の場合月に二回ほどしか集めないので,これも非常に不便。さらに都内と横須賀ではごみの分別方法がちがうので,どっちで捨てるかで仕分けの仕方をかえないといけません。
あと,洗濯の問題…。これも不便ですね。
この辺もやっているとホテル住いの便利さ…みたいのを感じたりもします。つまりホテルというのはどういうサービスにお金を払っているのかが,良く感じられるという。

むかーし,就職したときに,役所や銀行周りをしていて,「世の中とは独身の独り暮らしの人の事を考えてない」と強く思いましたが(最近は仕事の中抜けとか,休暇を取ったりとかしやすくなったので,以前ほどそうは感じない),こういう不便さを感じると,いったい世の中がどういう人たちを「標準」として設計されているかが良くわかったりしておもしろいです。都会と田舎も違うんでしょうが。

もう一つ書き忘れてました…。
TVがない生活をすると,いかに普段TVが暇潰しになっているかが良くわかります。逆をいうと,TVがないと,いろいろ考えることとかあるか…,夜早々に寝てしまうか…。一度試してもいい気もしますが…。
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社会主義

2005-07-28 08:45:00 | 社会
数日前にアフリカかアジアか忘れましたが,どこかに国が独立しただの…そんな話を聞いた気がします。その時に社会主義国家として独立した…っていう風に聞いた気がするので(でもWebで調べても見つかりませんが),ふと疑問が。。
相変わらず政治,経済音痴なので,良くわからないのですが,なぜ革命とかで独立する時って社会主義国家なんだろう…と。
…というのもありますが,社会主義国家って「社会主義国家です」って宣言するものなんですか?。冷戦時代はアメリカ派かソ連派か…というのを明示する…っていう意味があったのかも知れませんが,いまはそうじゃないでしょうし…。日本は国名には「社会主義」とは入ってません。なので社会主義じゃないと思いますが,かってゴルビーは日本を社会主義だといったことあります,たしか…。
社会主義国家であることを宣言するとなにかいいことがあるんでしょうか?。それとも社会主義の国家運営のマニュアルでもあるんでしょうか?。そういえば,日本って今一つそういうのの存在を感じませんが,だからいつでも行き当たりばったりなんでしょうか?…。
などと思いつつWebを検索したら「、資本主義にいかに追いつくかという特効薬が社会主義なのです」などという記述を見つけ,アフリカとかアジアで独立とかする場合に社会主義が多いのは,そういうことですか?…ととりあえず納得しました。
まぁ社会主義が完全な資本主義と違い,国家が資本というか企業というかそういうのをコントロールできるというはわかりますが,それはでも自由貿易ができないという面もあるわけで…。昨今の中国での人民元のはなしとかをみてるにやっぱり社会主義はいつか卒業というものなのか?…等とも思ったり…。ただ社会主義の驚異が資本主義への福利・厚生・福祉などを導入させたなどというのを読むと,世界中から完全に社会主義的なものが無くなってしまうのは,危険な気がします。そもそもわたしは世界のグローバル経済化にも,あまり議論されてないリスクがあるように思うので,なおさらそう思います。
あと,やっぱり思うのが国家論…ってあるような気がするのですが,日本ではそういうのを全く感じません。だから政治家にしても官僚にしても,どういう理論で国家を運用しているのかが,良くわからないのですよね…。
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奴隷

2005-07-23 10:44:53 | 社会
日本は西洋の経済システムを導入してますが,ずっと気になっているのが,西洋の経済システムや宗教システムの基本的な前提を理解してないのではないか?…ということ。その中でずっと気になっているのが「奴隷」です。
先日ある人から聞いた話では「マリア=ルース号事件」を「日本に西洋で言うところの『奴隷制』が日本になく,あったのは『年季奉公』だ」という様な例として挙げてました。マリア=ルース号事件をWebで引くと売春の話で書いていて,どうもWebでマリア=ルース号事件と日本に奴隷がいないということを結び付けるのはちょっと難しいのですが,要は,マリア=ルース号から奴隷として連れていかれそうな清国人を保護したのが,そもそも日本に外国から人をさらって奴隷として扱うという考え方がなかったから…ということのようです。
…とか書くといろいろ突っ込まれそうなので,もうちょっと補強すると,要は借金の形で(たとえ期限が実現できないほど長くても)期限付きで働く年季奉公と生まれたときから死ぬときまで解放されず,更に自分の子供まで同じように扱われる奴隷というのはやっぱり違うものではないか?…ということです。
マンガの話で恐縮ですが最近読んでる漫画の中で岩明均の「ヒストリエ」というのがあり,これはアレキサンダー王の頃の話,そして最近買って読んだ幸村誠の「ヴィンランド・サガ」は10世紀前後の北欧の話。多少の時期は違いますが,両方とも目をひいたのは残虐に人を拐って奴隷にしてしまう…という表現。日本人が描いたマンガなのでこういうので認識するのは間違っているのかも知れませんが,どうも西洋というのは奴隷を使うということが当たり前なのではないか?…という気がしないでもないのです。
実際アリストテレスは奴隷は必要なものだ…と言っていたらしいですし,キリスト教も(もともとはそういう思想じゃありませんが)異民族には大変厳しいものです。
わたしのこの辺の不勉強さから自信がなく大変不安に感じてしまうのが,西洋人がイメージする奴隷のイメージを自分達はちゃんと理解できているのだろうか?…ということ。そしてもしかすると西洋の経済モデルはもともとは奴隷がその中に組み込まれていたのではないか?。つまり奴隷の機能がどこかに必要なモデルではないか?…ということです。
グローバリゼーションは世界全体を平等に潤すのではなく,一つの尺度のなかで経済格差を作っていくものとなっている様です。日本でも個人の間でも経済格差が広がっているように思います。もしそれが奴隷の機能の必要性から生まれて来ているのでないか…という危惧があったりします。
もっとも現代日本のなかに古代ヨーロッパにおける奴隷が生まれるわけもなく,かっての日本の貧民層よりもまだ生活はいいのかも知れませんけど…。
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