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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

理系離れと環境問題

2007-04-13 06:59:17 | 社会
ネットで見つけた「桜の開花と技術者問題」という文章を読みました.そんなに長くない文章の中にいくつかの重要な問題定義があり盛りだくさんです.それぞれ単独で取り上げていいくらいの問題…なので,今回は簡単に列記のみ.突っ込みどころもあるのですが,また別途,します.

一つ目,環境問題が叫ばれだして「天然物信仰」が高まっているけど,良く考えてみると,実は天然物の方が環境負荷が高い場合が多い…という指摘.これはごもっとも.昔のものの方が環境に優しいというのは幻想なのですが,そう思ってない人が結構いると.ただ,これも長期的とか環境サイクルの中で観ていくとどうなんだろう?…という感じはあります.

二つ目,ある時期に体が良いとか環境に優しい…と言われていても,時期が過ぎると逆の言われ方を言われる場合がある…って話.これもごもっとも味の素の話はわたしも記憶にあります.マスコミや企業は環境とか健康とか言いながら,単にその時売るのに都合が良いことを言ってるだけ…っていうことがよくあります.

三つ目,そしてそれから技術不信とかになり,理系離れ,国家力の減退につながるという話.アニメとか映画とかでSFがなくなり,ファンタジーが増えてるとか,科学よりスピリチュアルとかそういうのが信じられるようになってる…って事も無関係じゃないでしょう.

というわけで,理系離れとかには無責任に売るための屁理屈をばらまいてきた企業とかマスコミの姿勢とも関係あるのですが,どうも全体的に妙なサイクルが出来てる気がします.かってイースター島とかで人が滅んだのは,食料問題を神頼みにして,信仰のために森を伐採して神殿をつくったりして,かえって寿命を縮めた…という様な事があったりしたようですが,どうもそういうことを現代人もやってないか?…という気がしないでもありません.環境に優しいと信じていて逆のことやってないか?…とか,そのためにきちんと科学的姿勢で考察できているのか?…とかいう疑問が浮かびます.確かに科学は地球を汚染してきたけど,だからといって非科学的な思考が地球に優しい方針を産み出すとも限りません.

という様な事を思いました….この辺の問題は,また別途取り上げたいと思います.
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感謝と敬意がなければ,著作権は必要になる

2007-03-06 11:27:18 | 社会
知り合いの日記に森進一氏と川内康範氏のことがちょっと書かれていて,「わからなくもないけど,(中略)…。好き勝手に演奏するな!と作曲家に言われても、ジャズマンだったら聞くわけがない。(中略)そのおかげで歌は遠くの国まで届くし、作った人よりずっと長生きする」と書かれていた。

それはその通りだ…と思ったのですが,わたしはそこのコメントに「著作権という考え方は,すばらしい作品を創った人が十分にみんなに尊敬され愛され大事にされていれば,必要ない概念な気がします。
みんなが感動する作品をつくって多くの人を幸せにしたのに,その人がだれかもみな知ろうともせず,他の人がまるで自分のもののように扱ってる。創った人が老いたり病気になって死んでいこうとしてもだれも見向きもしない。だからつい「権利だ」…と…。要はこじれてるんです。今回の話ではなく,著作権という概念自体が…。 」と書きました。

なんか最近,自分が好きだった作品を作ってきたあこがれの先生方が,権利期間を伸ばせとか,他にも結構厳しいことを言ってきていて,ちょっと寂しい思いをしてました。
ただ一方で,我々がそういう先生を本当に十分に敬って,なにも不安無く晩年を過ごせるような社会になってるか?…と考えるとそうでもないな…とも思います。もちろん心の中では敬愛してるかも知れません。でも,その先生たちが現在どこにいてどういう風に暮してるか?…考えたこともない。
そういう売れた先生方は十分稼いでリッチな悠々自適な生活をしてるのかも知れません。これ以上稼いでどうするのよ…とも思ったりもします。でも本当にそうなのかはわかりません。お金に困ってるかも知れない。そうじゃなくても,寂しく忘れられて暮してるかも知れない。老いた老人として誰にも知られず一人亡くなっていこうとしてることを想像してるかもしれない…とも想像できます。

だから,作者をもう少し敬う社会であれば,著作権という概念自体不要だと思うんですが…,寂しいですね。

ちなみに,弟子制度というかお家制度も,ある意味,老いた作家や芸人を弟子たちが保護し敬うシステムだったとも言えるようにも思います。
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リサイクルのためのスケープゴート

2007-02-28 14:13:10 | 社会
サイエンスサイトークの先週と今回の回で名古屋大学の武田先生の話はかなり衝撃的です。いま世間でやられているリサイクルにかなり無意味だったり間違いが多いとのこと。

まぁ分別したごみが,実はほとんどいっしょくたんに燃やされたり埋められているとか,集めたペットボトルや他の物がほとんど再利用されていないとかいうのは,なんとなくそうだろうなぁ…とは思ってましたが,その具体的な数値(数%しか再利用されてない)には驚きます。それよりももっとショックなのが再利用することでかえって石油資源を消費してしまうという話の方が結構ショックです。
特に紙に関しては,そのまま燃やすか埋めれば,石油は一切使用しないのにたいして,再利用することで石油を使ってしまうとのことです。まぁ再利用するから,裏表使わずごみに出してしまう…という意識については,確かに我々が間違った情報を持っているという以前に意識の低さの問題ではあるのですが,確かに紙は太陽エネルギーで出来てるので,つくって,最後に燃料にすれば,石油は使いません。
ペットボトルとかその他の製品についての,再利用するより新品を作ったほうが安いというコストの問題は,本当に地球へのダメージが少ないのであればコストを税金で補助するとかが必要だとは思いますが,再利用にせよ新品にせよダメージが少ない方が順当に回るようにするべきだとは思います。
それ以前に「捨てる」のではなく何度でも使え…というのが本来正しくて,昔は生産者は自分が作ったものを長く使ってもらおうとしていたのが,今は逆にどんどん使い捨てて欲しいというのは,おかしいというのはそうだとは思いました。そういう意味じゃ最初のマイバッグの話も,ごみ袋の問題というよりも消費者が容器をもって買い物に行くことが重要な気がします。昔は米も味噌も…ましては酒も計り売りで,消費者は容器をもって買いに行っていたので,全然ゴミは出なかった。
いずれにせよ,日本人はその時々で「こうしたらいい」という妙な思い込みを持ち意味がないことを一斉にやってしまうっていうのは同じサイエンスサイトークの2006年03月26日放送分でごみ燃やしのダイオキシンがスケープゴートにされた話でも思いました。これも実はたいした量はでてないそうですが,我々がごみを燃やすのが良くないと思い込んでしまった話でした。

というわけで,どうも我々はいいことをやってると思い込んで無意味だったり結構悪いことをやってるようです。でもなかなか正しい情報を得るのも難しい。だからだれかがあることを言い出すとそれだけをやって,なにかいいことをやった気になってしまう…。難しいなぁ…と思ってしまいました。
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昆虫と工程管理

2007-02-24 09:28:45 | 社会
食品への昆虫混入が非難されるが,見えなくらい小さいのは結構入ってるらしい…。

まぁ言われてみればきつい農薬が入ってるより昆虫が入ってる方がましでしょ?と言われればそうでしょう。虫がつかない方が危ない…っていうのもあるし,別に虫に毒があるわけでもないし。
異物混入は虫だけが問題じゃなくて,髪の毛とか,あと食べられないもの,それこそガラスとか…そういうもあって,虫が問題じゃなくて,工程でそういう異物混入が起きうることに反応してる…とも言えます。野菜も虫がついているのが問題と言うより,洗ってないのか?…とも思う。

わたしの話だけど,先日スーパーでブロッコリ買って湯掻いて食べたら砂だらけで,驚いたのだけど,そういえば最近スーパーで買った野菜は洗わずに使うことも結構あって,それはそれでちょっと異常なことをやってるよなぁ>自分,って感じもしてました。今も一応見て,砂がついていれば洗いますが…。

というわけで,野菜に虫がついてるのと,工場で作った食品に虫がついてるのは意味が違うし,虫がついていること自体が問題じゃないとは思います。まぁいずれにせよ,日本人が過敏なのは認めます。工程管理とかを考えると確率的に異物が入る確率を0にはできないでしょうし。どこまで下げるのにどれくらいのコストがかかるか?…というのが作る側の事情でしょう。
でも一方で日本人のこの異常なまでの潔癖性…っていうのも,結構役に立ってるよなぁ…と思うこともあります。
この市場の無理な要求に答えてきた結果,日本の生産物は非常に精度があがってきたわけですし。「適当でいいよ」「死はしないよ」って感じでやっていくと,こうはならなかった気がします。日本人っていつからこうなったんだろう?,昔はどうだったんだろう?
まぁ品質の向上は求めつつ,そこそこ冷静にやっていくのがいいんでしょうけど…。
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国内ですべて作る必要があるのか?

2007-01-24 22:46:15 | 社会
昨日の話の後半をもうちょっと書きます。
日本にはすべての製品がある…って話です。

日本は戦後…というより明治の開国以来,近代化…という意味では大きな成功モデル…なんだと思います。少なくとも開発途上国にとっては…。西洋の技術を取り入れて,あらゆる製品を作りました。家電や家具などはわかりますが,車や楽器という生活必需品…なのかわからないものまで全部作り,日本製でないものはないのではないか?…とすら思います。実際に昨日も書きましたが,輸入に頼らざるを得ない製品ってCPUくらいじゃないですか?…。

まぁもともと鎖国で,国内のものですべて賄っていた民族とも言えますが,ここまでなんでも作る必要があったのか?…今となっては疑問です。もっとも食料,燃料,鉱石の様な原料は輸入に結構頼ってますが,それも良かったのか?…と思います。
で,日本は成功モデルなので,韓国とか中国とかのあとから来た国は,日本が作っていたものをさらに真似るわけです。車や家電が主にそうですが,おそらく楽器とかも作ってるんでしょう。ただし,日本が西洋のものを真似た頃は,工業製品というと主に工作技術…みたいのが重要だったのが,今は電子部品とソフトウェア…というわけで,必要な技術は変わってると思ってます。最近の電化製品は壊れやすい…とか言いますが,それは品質が下がったのではなくて,精密化しているからでしょう。そういう精密な機械を,積み上げがなくていきなり真似しなくてはいけないわけです。
開発途上国にそういうことができるんだろうか?…とも思いますが,意外にできてるようなので,できるのでしょう。
で,そうなると日本にあるものは,今度は近隣の国でも作ってることになるわけです。果たしてそういうすべての製品を各国で作ることに意味があるんだろうか?…という気がするし,「あれはどこどこ製」…と輸入品しか存在しない…っていう風になるものがあってもいいようにも思います。
というか,たぶんこういうのはヨーロッパはすでに数十年か数百年前に経験してるのではないですか?。あそこは各国が家電や携帯電話を作ってるようには見えないのですが,どうなんでしょう?…。
で,近隣の国が,日本の工業製品を真似ると…,これもやっぱりヨーロッパやアメリカが経験してるように,日本の製品は競争に破れてしまうのでしょう…。そのとき何が残るか?っていうのもヨーロッパをみてると,歴史があるオリジナルの製品か,もしくは何かに絞った…ものになる気がしますが,果たして日本はどれになるのか?…。
まぁ日本の落日を予想して,悲観する…っていうのもあるんですが(^^;),一方で,そんな全部の国が,そこまで作らなくてもいいでしょう?…って気もしてます。少なくとも地球は有限だから,それって環境には優しくないなぁ…と…。
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おっぱいとNHK

2007-01-05 09:15:48 | 社会
新年おめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

さて…。

今年早々はおっぱいといえばNHK,紅白(笑)。とはいえ,わたしは紅白は最初の方をちょっとみて止めてしまったので,じつはみてません。何時頃やっていたのかも良くわかってません。

で,ネットで話題になっていたので,どこかにないかなぁ…とYouTubeで探したりしたらありましたと。要は本物と見間違うようなおっぱいの形のボディースーツをつけて出たと。「全裸」という表現もモロじゃなくてキノコ型の前張りしてましたが…。
このニュースとネット上の画像を観て思ったのは,一つは本物と見間違うようなものであれ,偽物であるか本物であるかは重要なのか?(偽物ならいいのか?)ということ,もう一つはNHKとか紅白の在り方のことです。

前者については一つは性器についてはとりあえず置いておくにして,おっぱいは男性なら良くて女性ならダメっていうのも突き詰めるとなぜ?…って気がしないでもない。女性のおっぱいでストッキングの様なボディースーツならば形は本物だろうし,あと乳首さえ見えなければいいという表現も時々あるけど,あれも一体なんなんだろうか?…と。女性からしたらおっぱいをいかがわしいものの様に扱ったり恥ずかしがったりしてるのってどう見えるのでしょう?。
女性には体についてるものだし,はずかしいも何もないと思うけど。女性自身も男性の前では恥ずかしがって隠したりしますが,親しくなって一緒に暮したりしてると,そういうこともしなくなり堂々と曝して歩いていたりするのにわたしは好感を感じたりします(笑)。
まぁそれを言い出すと性器もそうじゃないか?…とか言う話になりますが,性器は排出物を出すところに近い…というのもあるので別の意味であまり表に出すものじゃない…という気はします。あと男性の場合性的興奮が外見に出る場所でもあるし…。心が外見に出るところだから隠すべき…というのであれば,それはそれでわかりやすいのですが…。

…というのが一つ。
後者については,NHK自身は謝罪していて組織としては「知らなかった」ってことになってますが,一方でNHKも込みでやっていたのでは?…という意見もあります。わたしも組織としては知らなかったにしても,ある程度はハプニングが起きることを許容してるのでは?と思ってます。紅白には紅白であることやNHKであることをコケにした演出をする人達が必ず毎年出ますし。
それでNHKが知らないというのはちょっとずるいと思うし,これで出入り禁止とかになると,いいように利用されたのだなぁ…と思ったりもしますが。
まぁ紅白というのはやっぱり普通の歌番組とは違い,スポーツでもドラマでもない文化ものの番組で,国民の半分近くの視聴を狙うわけですからいろいろと無理があるわけです。そもそも文化というのは世代の違いがあってこそ成り立つのに。過去にもいろいろと苦労してるなぁと思ったこともあります。時間帯で若い人と年寄りをわけたこともあるし,いろいろと選曲とか演出を勝てます。
現在は若い人と年寄りを混ぜてますし,あと過去のヒット曲をあえて持ってきたり,いろいろと工夫をしてる。そういう中でNHKを固い曲と嫌う人とそれを好ましいと思う人達がいて,その双方にある程度の安心と刺激を同時に与えるってことを考えると,NHKがNHKをネタにするという演出を外部に中でやらせる…っていうのも一つの手だと思うのです。

というわけで,まぁわたし的には内容はともかくある程度のハプニングは起きることを読んでいたのではないか?…と思ってます。だいたいリハをやっていて,リハ通りにやらなくても問題にしてない…っていう時点で,何のためのリハ?(まぁ時間あわせとかでしょうけど…)って気はしますし。
世間的にはNHKは固いと思われてるようですが,わたしはむしろ一番過激な局だと思っていて,そこが好きなところでもあります。民放は過激というより単に慢性的に刺激を求めてメリハリがないし,一方でスポンサーには逆らえないし。NHKが固いと思われてるのは単にNHKのシタタカさなのですよね。今年も結局釣られた人が多かったのだなぁ…と:-p。
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他人に押し付けて綺麗事を言うのはどうか?という話

2006-12-24 21:03:01 | 社会
ネットでちょっと話題になっていた,作りすぎた野菜が捨てられるのをどうしたらよいか?という話。読んでいてなるほど…と思った。

要は消費者が余ってる野菜を買って,使って,余ったら消費者が捨てましょう…という話。生産者が処分してるのを「もったいない」と言いながら,何もしないマスコミや世論の勝手さを説いているとも言えます。消費者が捨てるって言うのももったいないかも知れないけど,そういう罪悪感を生産者に押し付けるのもどうか,ということなのか。

ちょっと視点としておもしろいな…と思ったのは,今はスーパーでいろんなものが小売りされていて,使うだけ買うことができる。それは,効率的で,無駄が出ないことなのか…と思っていたら,結局は消費者が便利になって,食べたくないけどたくさん作った作物の消費を考えたり,捨てたりと言う負の部分を,他の人に押し付けている…とも言えるのか…と。余った野菜を海外に持っていっても赤字だから結局すてるしかない…としても,それは生産者や政府だけの責任でもなく,買いたい食材しか買って消費しない消費者のぜいたくの責任ともいえるわけです。
人には背負わなくてはいけない負の部分があるのは当たり前なのだから,それを他の人に押し付けて,綺麗事だけを言ってもな…とも言える…というのはどうも自分も自戒しないといけないかなぁ(^^;)…。
まぁわたしは子供の頃実家で契約農家の野菜を取っていて,作りすぎた野菜を無理やり消費していた経験もあるので,スーパーで野菜を買うことが如何に楽なことかもわかるけど…。
あと,あえて言うと,作りすぎた野菜を畑の上で壊してしまうのは,コストをかけて作った農家には気の毒だけど,野菜も所詮植物。食べなければ枯れて,次の世代の肥料になるのも在り方だとは思った。工業製品を作りすぎて捨てるのとはちょっと事情が違うよな…と。
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我々の社会認識の誤解

2006-12-18 14:18:31 | 社会
全然タイムリーなネタじゃないのですが…。
最近Podcastでサイエンス・サイトークを聴いてるのですが,そのバックナンバーで2006年の1月29日と2月5日の分を聴いて。

ちょっと驚いたのが2月のゴミの話。実は今ゴミは儲かると言うことらしいです。たしかに言われてみたら鉄が高騰してるって話は聞いてましたが,金属材料の高騰で,大抵のゴミは処分費よりも材料費の方が勝ってしまうと。例えばエアコンは家電リサイクル法で5000円処理費がとられますが,売るとその材料(銅とかアルミらしい)500円くらいにはなるらしく,業者は実は両方から金を取れると…。
なぜそうなったこというと家電リサイクル法は鉄の値段が底値だった頃に作ったとのことで,その頃と今では鉄の値段が4倍くらい違うらしく,こんなに上がるとは思ってなかったと。

実は最近自宅にいると回ってくる「ゴミを引き取ります。動かなくなった家電でも引き取ります」っていう業者を怪しい…と思っていたのですが,本当に材料として売るだけでも儲かるなら全うな商売だったんですね(^^;)…。
ちなみにそういう状況なので以前より不法投棄は減ってるのかと思っていたら,なんか現在は業者よりも一般消費者の不法投棄の方が多いようです…っていうニュースを最近聞きました。
不法投棄ということで犯罪の話にあると1月の分は犯罪の統計の話があって,興味深かったのが,犯罪の増減というのは社会が大きく変わらないと大きくは変わらないと。犯罪統計は犯罪の数自体を表しているというより,警察の取締りの数自体とか通報の数とかを表していると。例えば自転車どろぼうを取り締まる様になるかならないか…で大きく犯罪数が変わると…確かに言われて観ればそうです。ゴミの話の時も,そんな話が出てました。統計は「行政の動きを表している」と。
ということで犯罪が増えている…っていうのはどうも誤解らしい。でも110番通報は物凄く増えてるとのことで,それは何倍にも増えていて,それで警察の対応が難しくなってる…ってことは本当らしいです。ちなみに省庁が予算をとるために,取締を強化して,それで統計が変わるっていうのもあるらしい。

というわけで,統計を観ても社会は見えず,行政が見えるということで,あまりそれに慌てても仕方ない…って話でした。
ゴミの話も犯罪の話も,どうも一般の人が思ってる状況と違うなぁ…ってことで,大変おもしろかったです。
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犠牲?

2006-12-05 21:55:24 | 社会
ネットで話題になっていた「女の子が子供を産むために払っている犠牲の一例」という文章。「真意が伝わらない」と追記されてるので,内容をちゃんと読めてないのだろうな…と自分のことを思いますが,「犠牲なんだ…」とまず思いました。あと「女の子が甘受していることに関する言説はあんまりみないな」って書いてるけど,そうなんだっけ?…とも。まぁわたしの周辺に何人か,PMSがひどい人とかいたので,大変なのを全く意識してない…ってことはなかったのだけど…。PMSとか月経の辛さをわかって欲しいのか書かれてますが,特に今更驚くようなことはありません。

まぁでもわかってない…というか,対処してない職場はあるでしょうね。というか,そういう会社の方が多いか…。わたしは現在手術をしたのが完全に治ってるわけではなく,椅子に座ってるのも辛いのですが,そういうのは言わないとわかってもらえません。というか言ってもすぐ忘れられます。駅で階段をおりるのもきつくて,お年よりの気持ちが若干わかった気がしてますが,そういうのを意識してる人も少ないでしょう。女性は人間の半分だから,もう少し男性も意識してもいいのだろうとは思いますが,それでもなかなかわからないというか,忘れてしまうものだろうな…と思います。

まぁ,その話は置いておいて,一方で「犠牲」と言われるとなんのための犠牲なんだろう…と思ってしまいました。もちろん女性が社会で働いていくことに対する犠牲なんだろうと思うけど,子供を産むための犠牲…って書いてるよな…と。
ちなみに最近読んだ「人体 失敗の進化史」という本に,なんで人間の女性の生理がこんなに重いのか?…って話で,そもそも人間も社会がないところで生殖出産するとほとんど生理にならない(期間がない)のでは?という話を読んでなるほど…と思いました。

そうであれば,子供を産むための犠牲じゃなくて,子供を産むための体で産まないことに対する犠牲…じゃないの?…と。
…とか書くと,これも誤解されて女性の社会進出を是としない意見とかとられちゃうのだろうなぁ…。そういう言うことを言いたいわけではないのだけど…。
わたしは過去に何度か書いたと思うけど,社会というのは単なるシンボルで人間が繁殖しいくこと自体に比べれば間接的なもので,価値は低い…と思ってるからそう思うだけ。つまり社会的地位とかお金とかは,人間が子供を産んで育てることに比べれば価値は低いと思ってます。もっとも現在の日本では,社会的地位があったりお金がある方が,安全に子供を育てられる…という意味での価値はあると思うけど。それを生きがいにまでしてしまうと,ちょっと本末転倒気味な気がしないでもないと…。
ただ人間ってそういう生き物であることも事実で,余計なものに価値を見いだしてそれに捕らわれる生き物だから,まぁ仕方ないなとは思うけど,「犠牲」とまでいうのであれば,その犠牲がなぜ発生してるか?…というのをもう少し根本的に見直して見てもいいのではないか?…という気もします。

あぁ,なんか反感買いそう(^^;)…。



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コミュニケーションの場としてのネット

2006-12-01 14:15:46 | 社会
ネットを回っていてmixiのユーザ数が伸び悩んでいるっていうのを見つけました。良く読むとmixiの運営側が風紀の乱れを警戒して管理を厳しくしたから…って事のようで,これを書いた人はそれを批判してる様です。でもユーザ側からすると,別に構わないのですよね。ユーザ数がこれ以上増えても別にいいことない。半分に減っても別に構わないといえば構わない。こちらら数万ユーザの時から使っていて,あの閉じた空間も居心地よかったので。

で,この文章を書いた人がなんで批判してるかというと,ユーザ数が増えるという拡大路線を見越して投資した人の視点で批判してるわけです。ユーザのことはどうでもいいと。まぁ儲からないとやっていけないから結果的にユーザのためになる…っていう言い方はできますけど,あまりそういう風には書いてません。

…まぁいいや,ちょっと話を変えましょう。
最近ブログのコメント欄やトラックバックを承認制にしてるところが増えてませんか?…と感じてます。どうなんでしょう?。なぜかというと誰でも書き込めるようにしてるとコメントスパムとかトラックバックスパムとかが増えるから。コメント欄とかが荒れてないところはそうなのかなぁ…とか思いましたが…。
この手の話は以前からなんども書いてますが,インターネットはコミュニケーションの場がどんどん移り変わっているのですが,ネットニュースやメイリングリストから始まって,次に掲示板という風に変わり,そして掲示板も既に廃れている…というのが私の認識です。じゃぁ次はどこかというとブログか?…とも思っていたのですが,結局ここもスパムに荒されて,廃れていくのか?…というのが最近感じているところです。誰でも気軽に混ざれるコミュニケーションの場は,荒れるリスクも常に背負っているわけです。
で,戻るとSNSには多少そういうものも期待してるわけです。でもSNSの規模が小さいと,開かれた場という感じでもないと。mixiの場合かなり規模が大きいので,そこで,安全に書き込みがお互いにできるとなれば,それが次の場になるのかな?…とは感じております。

ですから最初の話に戻ると,わたしはmixiがこれ以上ユーザ数を伸ばすことよりも,ある程度の秩序を保ったままでいて欲しいというのが本音。なので,実は管理を厳しくしても構わないと思っております。ユーザとしてのわたしの意見はこうです。まぁそれでも,mixiがいつまでも居心地のいいコミュニケーションの場であり得るかはわかりませんが,今のところそこそこ有意義な場ではあります。
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