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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

派遣

2007-11-13 14:42:38 | 社会
昨夜,帰ってTVを観ていたらNHKで派遣の話をやってました。派遣のいい点悪い点と両方あげてましたが,全体的には悪い点というか理不尽な点が多くあがっていた気も…。疲れていたので,半分くらいで寝てしまいましたので,どういう落ちになったのかはよくわかりませんが。
ああいう番組とか見てると…,また派遣の人が書いているWebとか観てると,「社員と同じ仕事をやらされる」とか「社員が無能」とかいう話を聞きますが…,うちの職場はどう思われてるんだろう?,とか思います。うちにも派遣さんいますけど。やってる仕事はぜんぜん違うと思うけど…。向こうから見たらそういう風に思われていたりするんだろうか?。冷静に見れば同じしごとなんかぜんぜんやってないはずなんだけど,向こうからどういう風に見えるんだろか?とかは思ってしまう。
「社員は会議ばかりやってる」とかいう不満も挙がっていたけど,まぁ会議って派遣に限らず,新人社員が「上司は会議ばかりやってる」とか言われるように,「まるでしごとしてない」の代名詞の様にも言われるんですが,実際は会議ってまったく無いと大変なことになるわけで,こういう見え方すること自体,新人社員と管理職の視点の違いを感じるので,派遣さんと社員も見える風景が違うんだろうなぁ…とは思います。
さて,自分たちはどう思われてるんだろう?。
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神話の崩壊

2007-11-09 07:31:15 | 社会
最近,食品の偽装とか,建材の偽装とか…そういうのがどんどん表面化してます。なんか日本の安全神話の崩壊というか,「日本人が自信を持っていた品質なんて結局これくらいのもんだよ」っていう感じになってきてる気もします。だいたい「昔の製品は過剰品質」とかいうこと自体,どうかと思うのですが…。
まぁさすがに他の国のとある発展途上国の製品に比べれば…とは思いますが,日本人だって「ばれないよ」とか「こう書いておけば売れるよ」ってことで作る所は作るし,買う方もそう書いてあれば買う。いや,書いてること自体どういう意味かわからず,こう書いているのがいいらしい…と思い込んで買う。だからマイナスイオンでも買ってしまう,ということの様に思います。
ラベルに書いてあれば,中身がどうか…ってことを自分で確かめることもしない…という癖がすっかり身についているのではないでしょうか?。確かに建物とかは難しいけど,食べ物なんて,食べたり臭ったり触ったりで痛み具合いを確認するとかしなくなってるんじゃないですか?。赤福の件だって,知り合いに,「同じ赤福でも,硬いのと柔いのがあるのが不思議だったのが,理由がわかった」と言っている人がいましたが,本来はそういう部分でもわかるはず。食品の産地の偽装も食べて違和感があれば,買わないとかすることも出来たかもしれません。
消費者が自分で食べれるかどうかわからなくなったので,賞味期限というラベルで納得して食べてしまう。舌や鼻という体感よりも,文字の方を信じて頭で物事を選ぶようになれば,簡単に書き換えられる文字で人をだますのは簡単だし,それって脳の中に生きてるんだから,脳の中にずっといればそれは幸せ…つまりバーチャルリアリティだったりします。
ここらで一つ,自分の感覚を磨いて,自分で判断しよう…ということをみんな考え出したらいかがでしょう?。このままだと,他の国の人は,「これは腐ってるから危ない」と思って食べないののを「食べれると書いているから大丈夫」とか言って日本人だけ食べて死ぬような滑稽なことになりかねないな…とちょっと思いました。
いずれにせよ,今の日本人は自分で自分の身を守る…ってことを放棄してきてる気がします。だからすぐに国とか企業に文句を言うんでしょう。
…とここまで書いていて,「消費者保護基本法が改正されました」っていうのを知りました。もう3年も前の話ですが。ここを見ればわかりますが,「消費者の役割も次のように規定されています。(1)消費者は必要な知識の習得及び必要な情報の収集等、自主的かつ合理的に行動するよう努めること」だそうです。
もしかして,今,われわれ,鍛えられている最中なんでしょうか…?。
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死刑

2007-11-05 20:49:35 | 社会
さて,最近失言が多い鳩山法相ですが,大丈夫かしらね,この人。
ところで鳩山法相がちょっと前に法相の決裁無しに死刑が行えれば良いのに…と法相の立場のときではないのですが,発言した件で世の中は鳩山氏を批判したのですが,わたしは「あぁ,この人,死刑の決裁をしたくないのだなぁ」と思いました。この人的には死刑が嫌なんだな…と。まぁでも議員でもあるんだから,だったら法律改正を主張すべきなんですけどね:-p。
さて,死刑の是非ですが,ヨーロッパではすでに廃止している国も多く,それゆえに死刑を行っているのは遅れているといわれることもあります。でも調べたらヨーロッパの多くで死刑が廃止されたのは,近代以降ですし,そのときも是非の議論はあり,でもやってみたら,今のところうまくいってる…ということみたいです。
死刑の是非についてはいろいろいわれてますが,前提としてそもそも刑罰は何のためにするのか?というのがあまり整理されて無い気がします。刑罰には,「犯罪者を罰するため」「受刑者の再発を防ぐ(更生させる)ため」「犯罪を未然に防ぐため」「被害者を納得させるため」という視点があると思いますが,これがいつもごっちゃになってる気がします。
犯罪者が精神的に正常じゃない場合に刑が軽くなるのは,「罰する」側面を重要視してるからでしょう。もし「再発を防ぐ」のであれば,正常であろうがなかろうが,再発の可能性があれば,刑務所にせよ病院にせよ社会から隔離すべきという話になるはずです。
死刑が犯罪を未然に防ぐ…抑止力になるというのも,異常犯罪者には効果が無い…という話もありますが,異常犯罪者以外にはいくつか効果があるかも知れません。よく「被害者救済」ということもいわれていて,被害者が納得できないとTVで訴える場合もありますが,これは再発だろうが抑止だろうが関係なく被害者の納得感を重要視してるといえます。
実際どれが重要なのでしょう?。よくわかりませんが,この辺は整理して議論したほうがよいと思います。
あと,死刑廃止論と一緒に語られるのが,終身刑ですが,終身刑を行うということは,何時までも税金で犯罪者を食べさせるという話になるので,犯罪者のために,一般市民がそれだけのものを負うのか?ということも考えるべきでしょう。
さて,私の意見ですがわたしは犯罪者への罰とかよりも,刑罰は再発防止と抑止力を重要視して欲しいと思ってます。そういう意味では,凶悪な犯罪者は何年たっても社会には出てきて欲しくない…と思います。そうであれば,死刑か終身刑のいずれかは必要…と思います。ただ,現在の司法と警察を見てると冤罪の可能性がまだまだある…ってことをいうと死刑はちょっと危険すぎる…という感触が私の中にはあります。本当に犯罪を犯したのであれば,犯罪によっては死刑というのがそんなに非人道的とは思わないのですが,やっぱり冤罪が怖い…。そうなるとやっぱり終身刑なのかな…とは思います。
現状の私の感触はそんな感じです。まぁそんなことよりも,ここで一番いいたかったのは,被害者はともかく,なんか現在は大衆が納得する…という意味でも刑罰が論じられている気がしますが,本当はそれは一番どうでもいいというか,むしろそういう視点で刑罰を論じるのは危険な気がするということです。何のために罰するのかを,ちゃんと整理して論じて欲しいと思います。
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リスクとメリットは,産むほうにも産まないほうにもある

2007-09-12 16:12:05 | 社会
二回続けてはてなの匿名日記,しかもこういうネタで申し訳ありませんが,子供を女性に産めということへの反発が書かれてました。このスレッド…,もともとは,付き合ってる彼が「結婚したい」「子供欲しい」と言ってくるのが「嫌だなぁ,子供欲しくないし」という女性のつぶやきで始まってます。
まぁ子供を欲しいとか作るとかいうのは,あくまでも本人というかそのカップルの話しだし,あと欲しくても出来ない産めない人もいて,そういう人を非難するのは良くないし,するつもりもないのですが,リンクしたレスからの一連の流れを見ていて,そこで女性が子供を産んで育てることのリスクが(たぶん女性により)書かれているのですが…。いや,何で産むリスクを語るのに「産まないリスク」を語らないのだろう?と思うのです。
なんか女性に子供を作るべき…というと必ず反発する人がいて,そういう中でこういう意見が良く出るのですが,だいたい「産むリスクvs産むメリット」の比較になります。でも「産まないメリットvs産まないリスク」もあるんじゃない?と思うのだけど。
確かに短期的に観ると,仕事を辞めたり休んだり,子育てが大変,費用がかかる,遊べない,母体にかかる負担とか産むリスクが目立つのだけど,産まないと,一人で老いる,老後の面倒,あと「命」というリスクもたくさんあると思うんだけど。まぁ産むリスクをいう人は,子供を育てても子供とうまくいかなくて,将来面倒を見てもらえない,老後の面倒は行政が見るべき…と思ってるのかもしれませんが,そんなに行政に期待してるのだろうか?…とも思う。もし行政に期待するなら,今よりもっと税金か年金を上げてくれないと安心できない…とかいうべきだと思うけど:-p。
まぁ仮に行政が面倒を見てくれるとしても,それは設備と費用だけの話であり,家族に見守られるという安心感は提供してくれないのでは?という気もする。
思うに,やっぱり自分の経験で円満な家族を経験しているか?っていうのは大きくて,それが家族像のイメージになるから,子供時代家族で苦労した人は,家庭を築くに抵抗があるのかもしれません。あと子供を育てることで犠牲になることってあるけど,自分も親を食べて育ったのだから,自分が子供に喰われるのは当然のことだと思う(っていうのは昔読んだ漫画の受け売り^^;)。
あと,「命」というのは,わたしの考えで宗教じみてるけど,人の命というのは自分の中にある「命」と自分が交わった人の中にある「命」があり,自分の中の命は自分の肉体が滅びたらなくなるけど,人の中に在る自分の命は,その人が生きれば続いていくものだと思う。ついでに言うと,自分の遺伝子もそんなものだけど,遺伝子だけじゃなくて,考え方とか,思い出とかも受け継がれていく。だから,自分と深くつながった人が多いと多い人ほど,命というのは続く。家庭を持つこと,子供を作って育てること,人と交わることは,わたしはそういうことだと思う。
要は,産むリスクばかりを見てる人は,自分の命の限界みたいを実感したことないのだろうか?,ちゃんと年取って老いて死ぬことまで考えてる?…ってことなのだけど…。
まぁ,そういうことまでちゃんと考慮して,それでも子供を欲しくないというのは自由だとは思うし,自分の子供じゃなくても,自分の命はつないでいけるので,確かに自分が子供を必ずしも作らなければいけないわけではないと思います。でも誰かに手をかけないと,自分には返ってこないとも思います。
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損をする場合をきちんと説明できないのは信用できない

2007-09-06 20:13:18 | 社会
健康保険と年金の問題は現在の日本で国民全員に関わる問題としては結構重要な問題だとわたしはおもっているのですが,あまり現状の問題がはっきり議論されてないように思います。記録漏れとかは,本質の問題ではなく(ついでに書くと,横領問題も単なる犯罪なので,かかわっていた人を逮捕し,刑務所に送ってくれればそれでいいと思います。というかそうしない解決方法が他にあるのですか?),制度自体がどういう方向に向かうべきか?という問題があるのに,あまり言われてません。
というのもこの問題は整理すると国民の中に損をする層とそうでない層がいるのではないか?という気がします。良く国民の中の対立というと地方と都市とか農村とサラリーマンみたいな話は聞こえてきても,それ以外があまり出てこない。国民がいくつかのグループにわかれて,その中の受益の関係で例えば政治団体の支持不支持とかが出るのが本来ではないか?という気もするのですが,現在の政党は,自分達は「全部の国民」の味方ですというような言い方しかしない。結果的に悪者は官僚とかにしていて,それは違うのでは?という気もします。
年金については一元化とかいうのを提唱してる政党もありますが,現在支払額も受給額も異なり,さらに企業やそれ以外からのお金も混ざっている年金があったりと非常に複雑です。個人的には,確かに国民年金が大変なのはわかるけど,厚生年金で多く払ってる方としては,たくさん払った分はたくさんもらいたいと思うのが人情ではないか?という気はします。健康保険についても,同じようなことを感じます。
たくさん払っても払わなくてももらう分は一緒…ってことになれば,それはまぁ税金とか生活保護と一緒なんですが,もちろんそれはそれで在り方としてはあるのでしょうけど,それならそういうものを目指していると言って欲しい。とにかく知りたいのは,一元化とか財源とかより結局は,いくら払えばいくらもらえるのか,どういう場合に自己負担がいくら生じるのか?ってことです。そもそも年金っていくら払ったからいくらもらえるってどこにも明記されなかったりもして,うまくごまかされているようにも思います。
で,ごまかしというと,わたしの誤解かも知れませんが…先週ニュースを読んでいて,「政管健保の国庫負担削減案を提示=保険料格差の是正名目に-厚労省」というのが目に入りました。政管健保というのをわたしはよく知らないので,この施策が被保険者にいい結果になるのかはよくわかりませんが,一見国が負担する部分(つまり税金から拠出?)を減らしているようにも見えます。
結局のところいろいろ改革をやるといっても,要はそろばんを弾いて,収支のつじつまが合うようにするのが管理側(役所)足りなくなったら,まぁいろいろやったりします。
なので,改革をするとそのどさくさで,結局は全体をみると原資を削ってるんじゃないか?…という不信感があったりもします。上には国民の中にも損をする人とそうじゃ無い人がいるんじゃないか?と書きましたが,そういう中でも,全体としてお金を削られていないか?と思ったりもするわけです。
要は話が複雑すぎて全然わからないことになってますが,「(現状より)損をする人はどういう人か?」という話と「全体の原資はどうなっているか?」とかいう話だけに絞って,とりあえずこれからどういう方向に行くのかだれか説明してくれないのでしょうか?。うまく説明してくれないのですよねぇ。だから政党の支持をしようがないという。
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家を建てるってこと

2007-09-04 13:42:05 | 社会
極東ブログで「住居は賃貸か購入か」という話。というか,そこでリンクされている「『賃貸よりも、実は買ったほうがトク!』を批判してみる」を読んで…。
ここで,賃貸より購入が得というのは突っ込みどころ満載です…って話で,要はそうじゃない…って書いてます。この手の試算はわたしも考えてみたことがあり,家に住む期間を耐用年数とかローン期間とかで考えてみると,実は賃貸のほうが出費が少ないっていうのは本当でしょう。こういう話はさらに購入のほうが間取りがいいとか自由が利くとかいろいろあるのですが,個人的にはやっぱり歳を取ってからの住まいの確保とかを考えると一生賃貸にすむリスクを考えてしまいます。
実際,家を貸すほうとしてはあまり年寄りだけには住んで欲しくないって話を聞きます。子供と一緒だったらともかく年寄り一人や年寄り夫婦だけだと,やっぱりリスクを感じるのでしょう。まぁ年金生活になり,子供もいなかったら公営住宅に入れるのかもしれませんが,どうもその辺をきちんと確認したこともなく,ちょっとした不安を感じます。自分の家があれば,そういうことを考えなくても住むな…と思います。
でも,家を買っても耐用年数があるでしょ?ってことかもしれませんが,実際,マンションの耐用年数が30年だとしてしても,30年で立て直すマンションってどれくらいあるのか?。さらに一戸建てだと,たぶん耐用年数を超えても,年寄りだけだったらそのまま暮らすよね?って気がしないでもありません。
最近…というか,もうずいぶん前からですが,自分と同じ年代の知り合いが家を買ったり建てたり,マンションを買ったりしてるのを観て,どうしたものか?とは良く考えます。わたしの現状は,仕事のこととか,家庭のこととか,まだまだどこに住むべきか?っていうことが流動的なので,すぐに家を買うことはないだろうとは思いますが,そんなことを言っていても,子供とかができて家族で住むようになったら,買ったほうがいいと思うかもしれません。
まぁ田舎に実家があるんだけど,それはどうしたものかな?とか思ったりもするんだけど,そんな先のことはわからない…,でもそんな先のことが気になるから家買ったほうがいいのかな?とも思ったりと,まぁこの問題はいろいろ答えは出ません。
ただひとつだけ思うのは,なんというか家を持つのがえらく大変な国ですよね?日本は…。いや首都圏だけか…。地方に住む知り合いが一戸建てを建ててるのを聞いて,家を建てるというのは人間のサイクルのひとつなのか?と思ったりもすると,家を建てるのにこんなに苦労する首都圏の人間は,ちょっとどうなんでしょう?って気がしないでもない。
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平和と格差

2007-08-28 14:22:17 | 社会
先々週『「丸山眞男」をひっぱたきたい』という論文が話題になってるのをネットで知りました。この論文はすでに雑誌で発表されていて,それに対しての反論とかも雑誌に掲載されたようなのですが,その反論自体が的を得てなくて…って話。このことを知ったのは,例によってアンカテさんっだったりするのですが…。
要は…フリータで格差社会の底辺(という表現はあまりよくないのですが,理解しやすいように便宜的にこう書きました)にいる人の意見として,平和というのは,現在の格差が固定された世界であり,すでに底辺にいる自分たちは浮上できない…と。その不平から,戦争が起きれば社会は流動化すると,戦争を肯定的にも取れることを書いたので,その部分だけに脊髄反応した人が多く,真意が誤解されてたとの事。
ネットのほうはいろいろ冷静に反応する人も多く,上記のアンカテさんもそうですし,曹達泉さんでは左翼とかそういうのも取り上げて論じてます
わたし的には,もともとの意見の「平和」(括弧つき)に格差の固定化があるっていうのはそうだなぁ…と。で,結構そういう視点が見落とされてる…と思いました。
現在格差社会が問題だといわれ始めているので,格差が問題なんだと認識してこういう意見が出てくるのでしょう。一方で「格差というのは存在するものだ」という意見も最近は出てきます。後者は格差があるからほっておくというのではなく,あるからこそ,苦しむ人をなんらか助ける必要があるというものです。問題は問題なんだけど,「格差をなくす」…っていうこと自体には無理があるのだろう…とはわたしも思います。人が同じように報われる社会…というのはやはり無理があると思います。以前から書いてますが,日本のように階級がない社会では,社会のトップと一番下が同じような尺度で比較されて,その差が制度ではなくて本人責任のように言われてしまうという残酷さがあり,そのある格差がより重たくのしかかってきます。
わたしは本当に困っている人,食べられない人や病気で苦しむ人は経済的弱者だからこそ助けなくてはいけない…とは思いますし,ある程度格差が生まれるのは,仕方ない,というかひとつの尺度で人の差を比較すべきではないと思います。
ただ,最初の論文で,忘れがちな重要な指摘だなと思ったのは,結局,現在の裕福な層が,既得権の保持を主張していて,それが平和であるということ…。つい4,5年前の経済的に問題があった日本では国民全員に痛みを伴う改革を,小泉首相は訴えたけど,いつの間にか,一部の人たちは「以前と同じような」暮らしを確保する維持するために,それ以外が浮上することに反対していると。
現在は社会構造が変わっていく段階がまだ続いていて,不況から脱したといっても,高度経済成長時代のようにみんなに希望がある時代までは復活していません(あの時代が本当に良かったのかは疑問ですが)。ですから先に抜け出した人が,更なる良さとか,既得権を主張するのは,まだ早いのかもしれない…と思いました。
まだまだ痛みをみんなが受けないといけないのかもしれないと。
うーん,この問題は難しい。最近不況を脱したと思ってるのか,政局も浮かれていて閣僚の粗探しばかりしてますが,まだまだそういう時代じゃないように思います。
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温暖化対策は本気なのですか?

2007-08-14 11:40:15 | 社会
今発売になってるヤングサンデーの絶薬に,地球温暖化に対して市民運動をやってる人の話が,前回から続いていたのですが,そこに二酸化炭素を出している大半は地球にある百いくつかの工場だという話が確か載ってました。これはつまり発電所とかそういうところがほとんど出している…って話でしょう。
別にこの話に触発されたわけでもありませんが,現在われわれがやっている温暖化対策というと,電気をこまめに切ったりとか,ごみを分別したりとか,省エネの製品に買い換えたりとか,レジ袋を使わなかったりとか,まぁたくさんあるんですが,実際こういう草の根活動ってどれくらい効果があるんだろうか?とかいう気もします。クールビスもずいぶん定着したと思うけど,二酸化炭素の排出量はますます増えてるって話もあって,効果があるのか?という気もします。
もちろん,こういう行動が悪いとは思いません。二酸化炭素削減以外に省資源とかの効果もあるだろうし,効果以前に意識というか,考え方,個人の価値観として省エネ省資源…を実践することは大事なことでしょう。でも社会全体とした場合,いくら積み上げが大事とはいえ,市民一人ひとりの活動の広がりに頼るというか,逆にそれであたかも実践できてるような錯覚を覚えるのもちょっとまずいんじゃないか?という気もします。
なんとなく漠然と思うのは,地球温暖化対策は地球全体としてはたぶんもっと悪くなるまで抜本的には変わらないだろうと。もっと悪くなるというのはたくさんの死者がでるとか,国が荒れて難民が出るとか…,そこまで行かないと今のままのように漫然とした対策がだらだら続き,たいした効果が出ないのではないか?と。これはそう望んでいるのはなく,なんとなくそういう悲観的なことを感じてしまうのです。
まぁつまりは,日本もそうだけど,先進国があんまり真面目に,つまり自分たちが痛い思いとかをしてまで何とかしようとしてる感じがしない…という感覚でもあります。だいたい発展途上国から排出権を金で買うという発想自体が,いったいそれ何だよ…って気がしないでもないし。
で,先の絶薬の話に戻ると,技術の発達で省エネの製品は増えていて,電気とかの使用量もものすごく減らせると言ってますが,まぁそれは間違いではないのでしょうけど,製品を買い換えるのも生産とか販売とかのエネルギーを考えると,どんどん買い換えれば良いって物じゃなくて,まぁ結構微妙なさじ加減じゃないか?という気もします。
科学技術と省エネの話というと,確かに現在の日本の技術者は省エネを視点に物を開発してるかもしれませんが,結局は自社製品を売るためのアピールポイントとして開発してるので,たぶん全体のサイクルを取りまとめているわけではない。技術者の上で開発判断をしてる会社は,会社が儲かるという視点で開発を判断してるわけでしょう。
ちょっとわかりにくいけど,要は,技術開発を会社とかを超えてプロデュースする人は今のところは,あまり環境対策を重要視して判断してないだろうな…ということで,そういう人が必要…ってこところまで,まだ日本は,世界は追い詰められてないところに本気を感じないというか…。たとえばオール家電も原油採掘,輸送,発電時の二酸化炭素や熱の排出量を加味しないと,本当に地球に優しいのかはわからないですよね?。あと,製品の開発時,破棄時にもね。
というわけで,技術をいろんな境界を越えてプロデュースする人が,環境という視点でやっていくような感じにならないと,…と言うかなれば,もっといいものができると思う。今は単に自社製品を売るために省エネ製品を作ってるだけなので。
というわけで,まぁいろんなところで省エネを聞くのですが,どうしてこういう草の根の話ばかりなのだろうと,時々思います。あぁー,このまましばらくはどんどん悪くなるんだろうなぁ,どこまでいったら,本当にいろんなことを犠牲にしてまで,地球温暖化を止めようとするのだろう?,そしてその時でそれは間に合うのかなぁ…と時々思うのです。
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政党と宗教

2007-07-12 07:56:25 | 社会
毎日新聞がやっている政党診断をやってみたら,与党二党が高めに出てしまいました(^^;)。まぁそんなに異論はないというか,最近の野党のふがいなさにがっかりしてるので,そんなところだろうな,とは思いました。もっともパワーバランスとかも気になるので,与党に入れるかどうかは謎ですが:-p。
わたしの知り合いにもこれをやってみて,与党の小さいほうが一致率が上がってちょっと複雑な心境の人がいたりしてますが,その与党…支持団体が宗教団体なのが引っかかる人が割りと多い…というかよく聞きます。確かにその宗教自体を支持してない人にとっては宗教団体ばバックにあるような政党は支持しにくいのかも知れません。まぁでもその政党はそういうことも織り込み済みなんだろうな…とかとも思います。
とはいえ,一方で宗教の方がある意味志向が読みやすいというか,例えば善意の根拠がどこから来てるかとかわかりやすいといえばわかりやすいというのはあるかもしれません。そういう意味では,宗教を信じている人は,ある部分を除くと結構いい人だったりすると思うんですけどね。
ちょっと話が広がりますが,昨日だっけ?クローズアップ現代でアメリカで教会の政治活動とかが拡大してるとか熱心な信者が増えているとかいう話をやってました。そちらはアメリカの既存政党がその勢力を取り込もうとしてるというような話をしてましたが,今のようなご時勢で信者が増えているというような話もしてました。
今の世の中いろいろ不安があるのに,これまで信じてきた科学技術はどうやら人を幸せにはしないようだし,古い慣習は壊れて価値基盤がわかりにくくなっているし,ってことで,宗教に救いを求める人が増えるのはなんとなく当たり前の動きの気がします。
日本はまだあまりそういう顕著な動きは見えてはこないのですが,日本だって宗教がものすごく信者を増やす日が近いのかもしれません。と思う一方で,日本人の妙な宗教への免疫性には不思議なものを感じたりもしてるのですが…。
先日,権力をが権威を失墜して,今度はマスコミも失墜している…というような傾向を書きましたが,これから科学技術も失墜していけば,人が価値基準として宗教を求めるのではないか?とかそういうことを思ったりもします。個人的にはそこまで行くとちょっと危険性を感じたりもしますが…。
上にある部分を除くといい人…と書いたある部分とは「排他性」と「信者獲得主義」なんですが,これがなければそんなに宗教も悪くはないとは思うんですが,いかんせん宗教を宗教たらしめているものそこだったりするので,難しいなぁ…とは思います。

ところで,最初に挙げたリンク…これって,ある意味世論操作というか,
支持政党に対して「あなたはここに入れるべき」と操作できるなぁ…と
思ったりも:-p。
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eco

2007-06-10 21:54:43 | 社会
先週の木曜くらいにドイツのサミットで温暖化問題が話し合われていることもあり,NHKの夜のニュースで,ヨーロッパにおける二酸化炭素削減への取り組みを紹介していました.「温暖化ガスを出さないテレビ」ってことで紹介されていたのは,そのテレビの売り上げで畜産農家が出すガスを削減する取り組みがさているらしい.他にもなんの商品化忘れましたが,その商品の売り上げの一部でアフリカの国の二酸化炭素削減の取り組みをしている…っていうのがありました.それらの商品には,なにかエコを示すロゴが貼られていて,ユーザはそれを観て安心して購入している.そして一般市民レベルで「意識が高いぞ」って感じでした.

観ていて…「え?」って感じました.
その商品自体が環境に優しいというより,単に環境に対してお金を払ってるってだけのように見えるんですが,気のせいでしょうか?.TVキャスターも「数字合わせになってないか?」とちょっとだけ言ってましたが,そんな気もしました.いや,たしかにすべての商品で環境対策をするのは無理があるっていうのはわかるし,そういうものはお金をかければ環境対策ができるところにお金を回すっていうのはわかりますが….それってその商品が環境にいいとはいわないのでは?.単なる寄付じゃん…って思いました.
まぁそれでも国内で環境対策をするのであれば,わかるのですが,売り上げをアフリカの環境対策に使って,それを自国の環境対策として計上する…っていうのは,ずるくないか?….それって言っちゃ悪いけど,一種の搾取じゃないか?…って気がしました.

まぁ日本もやってるんでしょうし,日本のお金を熱帯地域の緑回復に使用するというと,特に反対はしませんが.でも,一人一人が環境に取り組んでます…っては言いにくいなぁ…と.

この辺の感覚はどうも日本にいるとわかりにくいのだけど,どうもヨーロッパ人におけるアフリカっていうのが…,そういうヒエラルキーの一部として組み込まれているのかな?…環境のニュースからでも感じました.日本人はアフリカに関心が低い…っていうけど,そりゃ逆をいえば,自分達の社会の層の一部として利用してない…とも言えます.アフリカって今でも政情不安なところがたくさんあり,それについてヨーロッパでは関心が高いようですが,その辺の事情もヨーロッパ経済がそもそも絡んでいるのではないか?とか.
まぁそれをいうと日本もアジアではそういうところがあるとは思うし,アジアで生産したり労働力を使ったりもしてるけど.あと,東南アジアにマングローブ植えて「環境に良いことした」って満足してたりもするけど….でもそれを日本国内の環境を良くしたっていう風な思考にはなってないと思います.よね?….
少なくとも日本は一人一人が環境対策を直接することがエコだと思ってる.まぁレジ袋の削減が環境に優しいか疑問だし,分別されたゴミも実はまとめて埋められたり燃やされたりしてると聞くと,意味あるのか?…って思ったりもしますが(苦笑)….

そんなことを思いました.TVの紹介の仕方が悪かったのかも知れませんが,どうも,そういう点はヨーロッパをお手本にすべきところなんだろうか?と.まぁでもユーロあがってるしなぁ….なんか彼らの都合の良い社会に向かってるってことなんだろうか?….
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