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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

一攫千金と階級のどちらを?

2008-02-10 11:32:29 | 社会
川島教授が脳トレの報酬を大学に寄付したという話。これだいぶ前にも出ていたきますが,なんか今話題になってます。
川島教授の選択は賢いとは思いますが,さほど驚くほどのものでないかと。
税金対策…みたいなことをいう方もいますが,そうじゃなくて…。川島教授はすでに評判という意味では地位をある程度持ってますし,さらに大学にこれだけの利益をもたらした…ということで,これからも大学とか学術分野に対しての地位はかなり向上…確固たるものになったのではないかと思います。地位を確立すると,永遠に少しずつ仕事とお金が入って来ます。研究費が安定してもらえたり,歳をとったらどこかの団体の役員とか,もしかすると大学の学長とかにもなれるかも知れません。もちろん遊んで暮らせるわけではありませんが,好きな仕事であれば,時間をもてあますよりよっぽど楽しいでしょうし,世界も広がります。発言力も増します。お金を自分で転がしているわけでも無いので,運用に失敗することもありません。ですから一時金を大量に得るより,楽しく食べるのに困らないし,そちらの方が良いのではないか?と…わたしは思います。それは,一攫千金というよりは,地位を気付いて好きなことをやりたい…という志向だからかもしれません。まぁ川島教授がそういう風に考えたかはわかりませんが。
ある意味,一攫千金して,あとは遊んで暮そうと思ってる人とは価値観が違うんだろうなぁ…。最近は株取引とかITで若くして一気に金持ちになった人も多い様ですが,財産のこととかライフプランのこととか社会保障のこととか,その辺の人たちとどうも考え方が違うように感じます。
自分の責任ですべてを稼ぎだし,その大量の財産であとは暮そうという人と,社会システムを安定させて,自分は持たずにその中で暮そうと言う人じゃ,ソリャ違うよな…という気はしますが,まぁどっちがいいかは良くわかりません。ただ今の世界を安定させてその中で安心と楽しさをえようというのは,一種の上流階級的な発想になってるのかもしれないとは思います。
まぁ,いずれにせよ一攫千金出来る人も,社会にずっと居場所がいる人も,一部と言えば一部なわけなのでしょうけど。
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年寄りの再雇用が持続可能な社会システムなんだろうか?

2008-02-08 07:17:12 | 社会
一昨日の朝podcastを聞いていると「定年再雇用の待遇改善・有能な人材確保」というのを言っていました。
飽きれた…。どうしてまだこういう団塊の世代を増長させるようなことをやるのでしょう?。確かに有能な人が定年で辞めていくのがもったいない…というのはわかりますが,やるべき事は新しい人材を育てることじゃないのでしょうか?。使える年寄りがいるから,若い人は使わなくてもいい…,もしくは使う余裕が無い…といことになるだけの様に思います。そしてそういう施策は何年続けられると思ってるんでしょうか?。
どうも,今だけよければいい…というか,年寄りが自分たちが生きてる間だけ世の中がよければいい…と思っていて,そういう施策が堂々とまかり通るということ自体に驚きます。年金とか福祉の話だって,今の年寄りの生活が不安になるのが困るというのはわかりますが,でもそのために若い人が,生活できないというのは本末転倒だと思います。
年金制度というのは,子供が親の面倒を見なくてよくすることにより,雇用を流動化させ企業の人材の確保のしやすさを増やすのが目的だったのでは無いか?と思うのですが,今の状況を観てると結局親が子供,次の世代を大事にしなくなり,自分だけが良ければよい…という世の中になるという意味で,失敗だったのでは?と思います。
結局昨日書いたことにつながるのですが,自分を大事にする動機でも,結果として子供や社会の未来を大事にする…という仕組みの方が長く持続可能なシステムの様に思います。
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文句があるのに出ていかないのは居心地がいいってこと?

2008-01-30 07:41:26 | 社会
dankogaiさんの文を読んでいて。まぁウィルス逮捕の話は言いとしてこの文章も,元の参照先の
雑種路線でいこうさんも結局日本という国というか社会に対する不平で終わってはいるんですが…。
逆にこういうのを読むと,これだけ成功して不満もあるのに日本にいるんだから,日本には捨てがたいものがあるんだろうな…と思ったりもします:-p。
よくTVとかで日本がどうのこうのとか文句を言って,さらに海外ではこうだ…みたいにあたかも日本がダメで,海外が言いという様なことを言う人が結構いるんですが,でもそういう人は日本で暮らしたり働いている人がほとんどです。中には,大橋巨泉みたいに本当に海外に移住した人もいますが,彼みたいのは稀で大体日本にいます。ってことは,海外がいいと言っていても,それはある面だけで総合的には日本がやっぱりいいのだろうとか,文句を言う人は日本ではうまく行ってるけど,実は海外に行けばうだつが上がらないかもしれない,もしくはそのリスクが高いとか…そういうことでしょうか?。言葉の問題があり海外に住みたくないというのもあるかもしれません。
まぁ別に国に限らず地域に文句を言いつつ引っ越そうともしない人って結構いるぁ…とミクシイの地域コミュとか読んでいても思いますけど。
実際日本は安全とか衛生とかの面を見ると海外のほとんどの国からしてトップレベルではないのか?。相互監視が強いとか,成功者をねたむとか言われるけど,その辺ってその安全面とか福利面とバーターというか,そうしないと,安全な国にならないのではないか?とかいう気もします。それでいて,経済的にはそこそこだし,人口も多い…というか日本語という特殊な言語だけど一応一億人いるし…みたいな…。
まぁ日本は最も成功した社会主義国…という話もあり,それもそうかな…とも思います。
というわけで,TVやネットをみると毎日の様に国や社会に文句を言ってる人がいますが…,あんまり切羽詰った感じはしないのですよね。たぶん海外で,大変なところに住んでいる人たちは,もっと命の選択をしてる気がします。文句を言うくらいなら噛み付くか逃げ出すとか…。そういう意味じゃ,まぁ日本ってそれなりに居心地いいし,ぬるいんだろうなぁ…っていう意味じゃ,あんまり不平を言う方が本当に困ってる人には申し訳ないな…という気もします:-p。
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極東発文化による共栄

2008-01-26 18:26:36 | 社会
中国のアニメ会社の話。最近世界中に日本の漫画やアニメを愛する人たちが増えてるという話はよく聞きますが,中国や韓国は産業としても注目しているように思います。韓国で新しく大統領になるイ氏も日本のアニメ産業に注目している様なことを言っていたように思います。
まぁ日本のマーケットが食われるという恐れはあるのですが,中国や韓国が日本に学べと好意的に近づいてくること自体はいいことなのだろうと思います。ここしばらく極東で日本は隣国とうまく行ってなかったのですが,少しは仲良くなり,そして欧州とは違う連合体が作れるといいのに…とは以前から良く思っていることです。こういうことを書くと大東亜共栄圏を思い出して反発する人もいるのでしょうが,日本が主導権をとるかどうかは別として,やぱり西欧とは別の価値観を世界に少しは広めるために,極東が手を組む必要はあるだろうな…とは思います。もちろん西洋と仲良くするのはいいことだし,まだまだ取り入れるべきものは多いとは思いますが,結局は向こうの物差しに合わせる限り,一番得をするのは向こうなのでしょう。特に文化面で言うと,西洋の生活様式を取り入れると言うことは常にオリジナルが向こうにあるので,向こうはブランド的に美味しい思いができるわけで…。
そういう意味ではアニメや漫画という日本の漫画が世界に広がるのはものすごく日本にとっては美味しいことのはずです。すでにアニメや漫画の古典は日本にあるわけです。
まだまだお互いが相手を出し抜こうとか美味しい思いをしようと近づいているようなところもありますが,利害関係が無いとうまく行かないのも事実です。要は継続的に関係を続け,そして一緒に新しい価値観を作っていこう…というところまでいければと思います。個人的には韓国の新しい大統領が,そういう外に目を向けてくれる人であるのがありがたいな…と思ってます。そういう意味では,極東の国際情勢に関しては,少し明るい感じになってきてるのかなぁ…と最近思ってます。
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郷に入れば郷の見方になる?

2008-01-09 08:02:44 | 社会
この年末年始,郷里に帰って古い知人と会ったり話したりする機会もあったわけですが,地方で公務員をやっている人とかとも話をしました。どの自治体か書きませんが:-p。
で,何が印象に残ったかというと,その人と話していて,その人がその地方の活性化(人口を増やすのか産業を増やすのか,観光客を増やすのか…目的がなんだったかは忘れましたが)のために道路整備が必要だと言ってるのを聞いて,へー…って驚きました。
その人は政策を検討する人じゃなく単なる一技官の様だったので,見識が狭くても問題が無いのかもしれませんが,その人が言うその地方は,わたしも暮らしたこともあるし現状も大体わかるのですが…,わたしはぜんぜんそう思わないので。渋滞があるとかも言ってましたが,地方の渋滞なんて都会の渋滞とは比べ物になりません。確かに幹線道路のとあるところでの渋滞がネックになる場合があるのですが,地方の渋滞の都会との違いは結構迂回路があって,住んでいる人は困らないのです。というか,住んでいる人も迂回路を通らずに渋滞に平気ではまったりします。そもそも利用してる人たちが,あまり急いで移動しようと思ってない様に思います。あと道路標識がわかりづらいとかいう話をしていましたが,確かにそれはそうかもしれませんが,そもそも住んでいる人に案内標識なんて不要だし,必要なのは観光客くらいでしょう。都市だって道路標識はとてもわかりづらいです。
地方の都市機能がうまく機能して無いっていうのは,わからないでも無いですが,私はあまり道路が必要とは思ってません。実際にわたしの実家のある地域も,郊外にショッピングセンタが増えて中心部が空洞化してるのですが,これは車を利用する人が増えてるということで,道路が足りないという意味では無いでしょう。それよりも交通網で感じるのは九州はJRが都市機能として機能していない。駅の周りに商店街がほとんど無いのと,職場がないので,沿線に人が住もうと思わないとか,そういうことは思います。市街地をまとめて再開発するというセンスもなぜかないのですが,まぁその辺は何が正解かはよくわからないので,あまり論じません。
というか,わたしが驚いたのは,地方都市を活性化させるために道路を作ろうという考えをしちゃうのだなぁ…ってこと。本当にそうなのか?と。役人らしい発想だけど,答えが先に無いか?ということです。政策とか予算とか業界とかその辺を見てる人なら,雇用とかしがらみとかでそう考えちゃうのはわかるんですが,技官とかもそういう風に考えちゃいますか?…って。
わたしは雇用確保のために公共事業をすること自体は否定しません。ですから,雇用確保のために道路整備が必要といわれたら,もっと長期的確保を目指すべきでは?と思うのだけど,まぁそういう狙いね…とは思います。でも本気で地方活性化で道路整備が必要っていう考えは結構地方ではまだまだ強いのだなぁと感じたのでした。
渋滞が地方活性化のネックになるなんて都会の人はたぶん思ってません。都会の人が地方の不便さを感じるところはもっと別のところにあるんですけどね。本当はその辺を地方在住者と都心在住者でしっかり議論するといいのにと思ったのですが,なんとなく今回わたしが話した人は,考えが固まっていて,議論する感じでも無いなぁ…という風に感じてしまいました。
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読書とpodcast

2007-12-26 07:56:42 | 社会
最近読書メモをあっぷしてません。というのは実際本を(漫画を除くと)ほとんど読んで無いのですが,その代わりにpodcastを聴いたり観たりしてます。読書の代わりになってしまうのは内容もそんな感じで,ここしばらく良く観てるのが東京大学の学術俯瞰講義です。実際に東大でやった講義を録画してアップされてもので,それをiPodに落として,電車での移動中とかに観たり聞いたりしてます。
以前はpodcastだとニュースとか,今の世の中のトピックの様な新鮮な話題が多かったのですが,学術俯瞰講義はわりと年輩の名誉教授とかやってるような人が,その分野の概論みたいな話をするので,割と内容も良くまとまっているというか…,まぁ本みたいな内容だなぁ…と聞いていて思ってます。
となると,こういうのは読書みたいなものだよなぁ…と思いますが,感想をアップしたものかどうか…とかちょっと考えたりもしてます。
よくよく考えると,これも一種の出版で,だれでもアクセスして内容を参照できるのであれば,それを人に紹介しても良い様に思います。論文の参考文献に引いてもよいのでしょうか?とか思ったりもします。
音楽でレコード会社が「出版」というのは,以前は楽譜を売っていたのの名残ですが,本も紙から,こういう録画とか録音になるというか,それも出版…になるような気がしてきました。もちろん,本はもっときちんと校正されていたりするのでしょうが,それも録画になれば編集や差し替えが可能ですから…。
ただ本の場合は自分のペースで読めるのが録画だと,止めるのは出来ますが,スピードを早くしたりとかそういうのはできないので,本を読むのが早い人には退屈だったりするのかしら?。
というわけで,今はこの辺の話を見て回ってるので,しばらくあまり読書はしないかもしれません。ぜんぜん本を読まないわけでも無いのですが…。
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ネットという社会の収縮

2007-12-24 15:41:19 | 社会
そう思ったきっかけは詳しくはかけないのですが,なんとなく最近…ネットの便利さが失われていくのを感じます。
一番思うのが,すでに電子メイルは使い物にならなくなりつつあるのではないか?ということです。SPAMがとにかく酷くて,フィルタとか使っているから,もしかしたら重要なメイルを見落としているかもしれない。遅延も酷かったり,もしかしたらエラーメイルでロストしてる可能性もあります。もちろん機密性は最初から無いのですが,危険性が増して,本当に機密文書は遅れなくなりました。
そういう中でSNSとかが出来ていて,ある意味電子メイルよりSPAMは無いし,携帯でも読みやすいし…と思いますが,たとえば最大手のmixiもなんとなく斜陽な感じがしてます。SNSやブログはWebベースなので,携帯やプロキシ内からもアクセスできたりと便利な反面,なんというか,仕事では使いにくい様にも思います。
実はmixiが大きく広がっていったときに,わたしはかってのネットニュースの様な広がり方を期待していて,つまり専門家とかが技術的な情報交換をしたりとか,音楽とかの趣味の語り合いをする場所とかそういうのになればいいと思ったのですが,実際はなってません。なぜなのかはわかりません。かってのネットニュースと違い,一般の人がメインのプレーヤだからなのでしょうか?。それとも携帯で書いたりする人が多いからなのでしょうか?。なんか深い話は書かれない場になり,そしてそのままコミュニティも廃れている気もします。
以前のネットニュースからMLへとネットコミュニティが移り変わっていくところで,次は掲示板か?と思っていてその後がSNSか?とかいろいろ考えているのですが,掲示板になったあたりから,技術者から一般に広がったせいか,逆に技術者とかが意見を交換し合う場が見えにくくなってしまったというのは何度も書いているのですが,やっぱりSNSでもなかったか…というのが今思うことです。
そしてSNSの次のメディアも提案されてますが,メッセージの交換速度が上がる方向に発展してるところからして,話が深まる場ではないのだろうな…とは思います。
/.jpやwikipedia?と思ったこともあるのですが,やっぱり違うのかな?と思ったりもしてます。
まぁ最近思うのは,そういう場が移り変わっていったというよりは,ネットニュースやMLの様な場が,あの時だけに現われた一時的なものだったのかしら?という気もしてます。そういうものなのかもしれないけど,就職してああいう場で人間関係を大きく広げた自分としては,ちょっと寂しいものだなぁ…と思ったりもしてます。
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虚礼を廃すと何が残る?

2007-12-11 12:48:41 | 社会
年末ということでお歳暮の時期でもあります。もしくは年末のご挨拶とか年賀状とか…。
毎年この時期になると会社とかでも「虚礼廃止」ということで,業者さんから金品を受け取らないでください…と念押しが出ます。これはわたしが社会人になった頃…10年以上前から行われていて,いい加減慣れたし,そのせいか実際に業者から物が贈られてくることはほとんどなくなりましたが,以前は,物が贈られてきたら,それを送り返すのがとても面倒でした。時には腐るお菓子すら送り返したこともありました。
まぁそれはいいとして,一方年賀状ですが,わたしは社会人になって以来,会社の上司とか業者さんに出したことは,ほとんどありません。これも別に必要ないことといえばそうでしょう。
今年は結婚をしたため,お歳暮を知人とかにちょっとだけ贈りましたがこれまでお歳暮というものもわたしは贈ったことがありませんでした。
これらは良く虚礼といわれ,不要のものだ…といわれます。まぁ業者は贈収賄の疑いがあるのでわかるのですが,会社の上司とか他,いろいろ仕事上とかで関係がある人にもお歳暮や年賀状をだすのは虚礼だ…みたいな話もあるでしょう。
とはいえ,じゃぁ虚礼を廃したら,何が残るのだろうか?とか考えることもあります。「友人」がそうじゃないか…と言うかもしれませんが,社会人をやっていると古い友人とはだんだん疎遠になっていきます。学生時代の友人とかもそれぞれの仕事や家庭の人間関係が濃くなり,古い知り合いとはだんだん交流はなくなります。会社の同期も仕事上の交わりが無いと疎遠になる場合も多いでしょう。趣味の知り合いとかがいたりするのでしょうけど,会社で異動とかが多かったりすると切れたりします。仕事上で新たな人間関係が出来る場合もありますが,仕事は利害関係があったりするので,それこそ「虚礼」につながりかねません。仕事以外の人間関係を広げるべき…というのかも知れませんが,それにしては現在の社会人は仕事にとられる時間が長すぎはしないでしょうか?。平日も深夜,休日まで仕事をさせて,仕事以外の人間関係を充実させろ…というのは矛盾しているように思います。
仕事上とは言いましたが,最近は会社の飲み会とかにも出ないという人も増えてきてるようです。まぁ仕事以外の人間関係が豊富で忙しくてとても付き合っていられない…というのであれば,それはそれでいいようにも思います。でも利害関係のある人間関係と利害以外の関係を築くことを廃していたら徐々に人間関係が希薄になっていくのではないか?という気もしないでもありません。仕事以外に知り合いを作れと言われても結構パワーがいるような気もするのですが,それって結構きついこと言ってるんじゃない?とか思うこともありますが,どうなんでしょうか?。
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エスカレータを歩くとは…

2007-11-29 17:33:48 | 社会
横浜市営地下鉄エスカレータで歩行禁止を呼びかけた話。
この話,数ヶ月前にNHKのクローズアップ現代でやっていて,ようやく具体的に他メディアも扱い始めたか?と。とはいえ,この記事だと,単に迷惑だから歩行禁止に読めます。クロ現でやっていたのは最近増えてるエスカレータでの事故の話の方で,そこでそもそもエスカレータは歩くことを想定していないので,事故が起きる…という話でした。
出てた人の意見は,歩いてダメなのに歩ける構造になってるとか,だったら歩いても大丈夫なようにすべきとかそんな話でしたが,わたしも同意見。エスカレータは立つことを想定していて,おそらく手すりにつかまることを前提としてるので,エスカレータの幅自体を広く出来ないという制約があるそうで,それが歩く場合立ち止まってる人にぶつかったり,端っこの方に立って,足が巻き込まれる…ということにつながってるらしいです。歩いたらダメなら,すべて一列にするとか,歩いていいなら,幅を広くするとか,端っこに足が行かないような構造にするとかをすべきなんでしょう。
というわけで,この記事だけだと,安全上の問題であることがわかりにくいな…と思いました。
エスカレータってわたしの記憶だと小さい頃はみんな歩いてなくて,でもそのうち歩き始めたのだけど,真っ先に歩き始めたのは,関西だった気がします(^^;)。それはひとつは動く歩道が出来て,さらにそこを歩く人が出てきて…っていう風になったと思います。動く歩道で歩く人が出てきて…っていうのがきっかけのような気がしますが,動く歩道は歩くことを想定してるのでしょうか?。同じようにしないと混乱が起きるとは思うけど,やっぱり全面禁止にするよりは歩けるエスカレータを作って欲しいな…と思います。やっぱり危ないのかなぁ…。
それから…ちょっと最近長いエスカレータが多すぎるのも,ちょっとどうかと思う。昔はエスカレータで将棋倒しとか結構あったので長いエスカレータは危険…という雰囲気はあったのですけど,その辺の意見は聞かなくなりましたねぇ…。
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トラブルを避けるにはルールよりマナーが必要

2007-11-25 10:07:03 | 社会
「痛いニュース」をリンクするのもなんですが(^^;),「電車のドア付近に座り込んで雑談の少女、背中を蹴られる→会社員逮捕」というニュース。
まぁこのニュースに限らないのですが,時々マナーが悪い人を注意したら事件に発展するというケースがあり,その場合,乱暴をしたほうが悪いといわれる一方で,そもそもマナーが悪いほうが悪い…とかいう同情も集まって良くわからないことになります。手を出すことは絶対的に悪いという理屈にも同意はしますが,マナー違反に不快な気分になっている人も多く,そっちにも非があるんじゃない?という考えや,いやそもそもマナー自体がおかしいとか,別に法律を違反してるわけでもないという考え方も出来ます。
…で,そういうことをあーだコーダ論じてるのを観ながら,わたしはどちらが正しかろうが,こういうことは起きるよなぁ…と思うのです。法律を守っていようがルールを守っていようが,周りの不快を買うようなことをやっていたら,怒られることはありえるし,行き過ぎも起きるでしょう。いやマナーを守っていても目立たずすごしていてもへんな人から乱暴を受けるということもありえます。でもやっぱり公衆の前で目立っていたら,そういう危険は増えるのではないでしょうか?。
女性はわかりませんが,そもそも男性…特に中学や高校の頃というのは,そういう感じではなかったでしょうか?。街を歩いていると,目が合っただけで「けんか売ってるのか?」と迫られたことがわたしはあります。路上で誰かを見て笑ったら「笑ったな」と殴られたこともあります。それはもちろん殴ったり怒鳴ったほうが明らかに悪いのでしょうが,だからといって,それを主張しても殴られた事実は変わりません。そういう中で人は,人を見て笑ったり,むすっとした顔で知らない人を見つめるのは,相手にとって不快である…と学ぶわけです。
マナーというのはルールと違って,約束ごとではないかもしれません。とはいえ,マナーを守るということは,周囲の人間を不快にしないようにして,トラブルを避けるためのものでは無いでしょうか?。またマナーに限らず,こちらが正しくても,たとえば紛争が起きてる現場にのこのこ出かけれいれば流れ弾に当たって死ぬことはありえます。あまりどちらが正しいということよりも,そもそもトラブルを避けるとかそのためには周囲を不快にしないとかそういう考え方はなくなってしまったのでしょうか?。
そういう意味では,誰が悪い…と言うことを議論してもむなしいだけの様な気もするし,ルールや法律じゃなくて,自分自身が自分をどう守るか?…とちゃんと学んだほうがいいように思います。
そういう意味では,確かに今回のような事件も乱暴を振るったほうが悪い…とはいえますが,電車で人の邪魔になるようなことをやっていたら,そういうことになるよ…というべきのような気がします。それを法治国家じゃないというのであれば,まだまだ世界は法治状態ではありません。
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