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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

リア充なんて都市伝説ですから

2012-01-03 07:22:59 | 社会
おそらく最近高校を卒業したと思われる人が書いた「リア充と僕」を読んでいてふと思ったのだけど,わたしが高校生だった25年位…じゃないかもう30年近く前,リア充なんていなかった。ってリア充戸いう言葉が無かったんだけど(^^;)。リア充って何か良くわからないで書き換えると,女の子と見るからに付き合ってる男なんて200人以上いる男性生徒の中で一割もいなかったと思う。いたとしてもたぶんこっそりだったと思う。

わたしが九州の片田舎(一応県庁所在地だけど)の公立高校の生徒だったからかもしれないけど,少なくとTVで見るような男子と女子がペアで登校なんてありえない世界だった。もしそんなことをしていたら,周りから冷やかされるか,もしくはTVの安っぽいドラマよろしく,不良にインネンをつけられるのがオチだった。今の学生は目だたず空気を読んで生きているらしいが,当時は空気を読めるやつは男女で登校などはしないし,というかそもそも多くの男子生徒は女性に告白する勇気もなかった。

もっとも,クラブ活動で男女が一緒で,放課後話をしたり,何かの大会で一緒に盛り上がったり,そういうのはたまにあって,それをリア充と言うのかもしれないけど,本人たちはそれを恋愛とかに結びつけるにはかなり高い壁があったというか,むしろ高校の頃に異性とつきあうのは同性の友人をなくすというリスクがあったかもしくは「不良」といわれるリスクがあった気がする。今考えると苦笑ものだけど。

まぁ人付き合いが得意不得意というのは人によりあったと思うけど,それより得意な相手,不得意な相手というのは誰でもあったんだと思う。ただ昔は外に友達がいないというのは自宅に帰ったらもう家族と位しか会話できないということで,ネットなんか無い時代,どこかに自分の意見を聞いてもらうとか不可能なことでした。でも当時も本ばかり読んでいる人とか,ラジオの投稿コーナーにひたすらはがきを書いている人とかいたから,まぁそういう人もいたんだろうけど。でも今の人が「自分は人と話すのが苦手だ」とネットに書くのに比べると,人と話せないことは,もっと孤独だったのだと思う。これもいいとか悪いとか言わないけど。

わたしが大学を出て社会に出た頃,世の中はバブルの終焉の頃で「私をスキーに連れてって」みたいな妙におしゃれな若者を演出する空気が出来ていたけど,なんかあの辺からリア充みたいな若者像を勝手にメディアが作って,そういうのが実際にいると信じているのが今の若者?って気がしないでもない。少なくともわたしの時代は若者像って言うと「俺たちの旅」ですから(笑)。太陽族じゃなくて。

というわけで,どうも本当にリア充なんているのか?という年寄りの戯言で一年を始めたいと思います(笑)。今年もよろしくお願いいたします。
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わかりやすい話は多分正確じゃない

2011-12-30 14:58:31 | 社会
ネットで話題になっていたNTTコミュニケーションズで出世する方法という文。中の人だとの事ですが,本当なんだろうか?。本当だったら,こういうこと書いて何もいわれないのだろうか?。

社名が実名なので話題になってるのか,書いてることはそんなに驚く内容でもなく,根回しが大事という話。まぁ件の会社の内情は良く知らないのですが;-p,大企業ではありがちな話です(苦笑)。わたしが知ってる大企業の人達も,心当たりがあるみたいな事を書いてました。でもふと思ったのですが,実際に社会人で似たような性質の組織にいる人達は「そうだよね」と思うのでしょうが,外にいる学生とかがこれを真に受けると,それは間違いなんじゃないか?という気がします。

というのは,確かに根回しとか人間関係が,要因になることはあるから,「そうだよね」と思うのでしょうが,それだけじゃないからです。でも外の学生とかは,この組織は根回しとか人の構成の把握をやると出世できるんだ…と思ってしまうかも知れません。そういうタイトルだし。それは多分違います。

こういうのは他の仕事も一通り良くできて,それでも出世する人としない人に差が出たら,そういう部分の違いでしょう,くらいの意味しかないのではないでしょうか?。わたしの感覚だと,出世する人はそれなりに仕事ができる人です。もっと書くと,上の人間が細い指示をしなくても,結果をきちんと出してくる人間,こういう人間が出世します。望まれる結果は,立場や職位で変わるので,若いときは出世していても,上になったらダメになる人もいますが。

指示をしなくても結果を出すのが好まれるのは当たり前の事のように思いますが,もしかしたら部下を叱咤するのが好きとか自分で全部案件を回すのが好きなトップがいる組織は,そういう人は嫌われるかも知れません。まぁでもそういう組織というのは小さい組織か,創業者とかが頑張ってる会社とかそういうのでしょう。

ちなみに会社の人間関係とかは,確かに会社によって違います。合併をした会社とかは,どっちの出身か?とかが影響するとかいう話もあるので,独自のものがあり,それが外から来た人からは奇異に見えるかも知れません。でも事前調整が重要というのは,大きな組織ではある程度当たり前で,それが不要というのは,平場で話しても結論が出るような小さい組織か,意志決定者が明確であるような組織でしょう。大きな組織になれてる方からすると,小さな組織ならともかく大きな組織でそれが出来るのは凄いなぁとか思います。

話がそれましたが,要はこういう話は中から見たら正しくても外から見た人が真に受けると多分嘘になる,そういうことって結構あるだろうな,と思いました。
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反体制と結び付いた意見は世代間に渡り継承されにくい気がする

2011-12-06 19:34:57 | 社会
森達也さんの「ごめんなさい。原子力安全神話は僕たちが形成した」という文は,さすが作家というか良くできていて,読んでいて引き込まれました。最初の仕掛けが最後にきちんと聞いてきて,うまいなぁという演出的な妙もあるし,あと内容も。本題である原子力安全神話もそうですが,今の若い人の態度…というのも,あぁこういう感じだよな…とか思って,こういう若者にどういう風に教育していけばいいんだろう…とか思いました。

さてこの中で若者が投げ掛けている,「どうして今の大人達は原発を安全と信じたのか?」という疑問は,少し難しい問題です。以前も書きましたがわたしは,数年前に,当時原発に否定的な意見が消えてしまったことに戸惑ってます。わたしの記憶では,わたしが学生だった頃,20年から30年前にはまだ原発に反対をしている人は沢山いました。特に学生運動や,反体制(当時的には左派でしょうか?)の人達が原発に反対して,建設中のどこか(北海道だったかなぁ?)の原発でデモをやったとか,そういう話を良く聞いてました。

ですから,原発が安全というのは世の中にすんなり受け入れられたわけでもないのです。ただ,当時の雰囲気をみていた少年だったわたしの視点では,その辺の運動は既に自分より上の年代の人達がやっていて,わたしたちの年代は,そこに入っていく…という感じではなかったように思います。この辺の感覚は,世代間断絶というか,例えば親がいいというものを子供はいいと
思えない,親が悪いというものを子供は素直に受取れない…みたいなものがあり,事実(原発は危険)がどうであれ,むしろ上の世代とは反対に意見は流れてしまうのかも知れません。我々の10年くらい上の世代までは,まだ学生運動の余韻が残ってましたが,その反動なんでしょう,我々の世代はノンポリと言われました。

そういう我々がそういう反原発運動をどうみたかというと,やっぱり少し白けていたように思います。なぜなら,彼らの主張は,原発も原爆も原子力空母も原子力潜水艦も反対で,内容を見て反対してるというよりは,原子力と見たら何でも反対…という風に見えてしまったからです。またそういう事に反対する人達は君が代斉唱や国旗掲揚にも反対しており,つまり,原発が危険だから反対というよりは,体制に反対してるだけじゃないのか?…という風にも見えたのです。

今になって考えると,原発の反対運動が,そういう人達の間でしか広がらなかった…という事がむしろ原発容認の空気をつくってしまったのかも知れません。例えば福島瑞穂さんが原発に反対していたとか思っちゃうと,単なる綺麗事の様に見えてしまうというか…。あぁ,なんか失礼ですね。すみません。

つまりそういう反体制運動の流れの中で取り上げられたから,反原発運動は
世代間を跨ぐことができなかった…とも言えるし,そもそもそこでしか広がらなかった事自体が,反原発思想自体が実はあるようで無かった…ということなのかも知れません。

ただそうやって上の世代の反体制派が原発に反対し,我々の世代が,それを知りつつ,無関心になっていった結果,いつのまにか,我々の後の世代は原発が危険だという発想自体を持てなくなっていたのは事実のようです。いや,原発なんて存在すら知らなかったのかも知れません。

…結論はないのですが,長期的な議論というのは難しいのかなぁと思いました。特に現状社会に利を産み出しているものを疑うというのは,よほど感情的な部分を除き訴えないと,次の世代には感情的に嫌われるのではないでしょうか。まぁ原発の事故の記録はこれから数十年伝えられるでしょうから,反原発派というのは,今後は息が長いと思いますが。でも一方で,津波への警戒は,いずれ忘れられるかも知れません。日本ではここ数十年の間に
何度も地震で人が亡くなってますが,でも地盤が弱いところとか海沿いに人は戻ってきてますから。
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ネットで広く意見を見ることはできないが,自分の気持ちはわかるのかもしれない

2011-11-30 06:07:45 | 社会
大阪首長選挙に対するネットの評判を開票前に見ていたところ,私には橋下氏に対してネガティブな意見が多くみられた。ネット住民は橋下氏に否定的なのか?と思っていたら,実際の選挙は圧勝だったので,やっぱりネットは世論を反映しないのだなと思った。…同じようなことは石原知事の今年の選挙の時も,石原知事に否定的な意見を多くみていて,でも石原知事は圧勝だったので,同じように思った。

ところが,今回の話,ネットでは橋下氏応援で盛り上がっていた…という意見を聞いた。どこの話?とも思ったけど,ちょっと良くわからなかった。若い人は橋下氏応援とも書いていたのだけど,2chの話だったのだろうか?。プロフとか言われたらもうお手上げだけど,Twitterとかなら目に入ってもおかしくないのだけど。

思ったのが,もしかしたら自分で偏った意見ばかり読んでいるのかもな,ということ。わたしの場合,Twitterは何人かをフォローしていて,そこからあちこちに飛んでいく場合が多い,世の中のブログも,アンテナに登録しておいて,そこから広がっていくfacebookもしかり。つまり情報の入り口は比較的狭いということになる。最終的にそこからニュースサイトにつながったりあちこちに行くんだけど,そこで広がるというのはたかが知れてるのかもしれない。友達の友達を7回つなげば誰にでもつながるみたいな話を聞いたことがあるが,案外そうでもなくて,自分の身近以外のグループまで届こうと思ったら,結構遠いのかなぁという気がした。

あと経験があるのだけど,自分が読んで不快な意見とか,そういうサイトはあまりちゃんと読まなかったりする。ブクマしておいても,はずしてしまったり,タイトルだけみてさっと避けてしまったりもする。だからネットで広く意見を読んでるつもりでも,あまり意識してなくても,取捨選択し,自分がフォローしてる人は,自分と意見があってる人ばかりになってしまう…ってことなんだろう。

…ではあるけど,わたしは石原都知事に投票したんだけどねぇ。自分と合わない意見も結構読んでる気がするんだけど…。石原氏の場合迷いながら入れたので,深層心理的には,批判していたのかもしれない。

というわけで,タイトル通り。ネットで世間を見てるつもりでも,実際はとても狭い範囲しか見てないし,そこには自分の嗜好が反映されているんではないかな?ということ。であれば,むしろそれは自分の深層心理であり,無意識の部分が案外見えてくるかもしれないなぁ,ということ。やっぱり人は自分が望んでいるものしかみない…というのはそうかもしれない…と思った。
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要求する資格が必要か?という価値観

2011-11-29 15:50:01 | 社会
結論は無く,ずっと以前からわからないなぁと思ってること。いまさらですがちょっと書きます。

タイトルの通りです(^^;)。要は自分が出来ないことを他人に要求するのは良いか?ということです。実は私はずっとよくないことだと思ってました。でも以前,ある人に「当然」の様にいわれてすごくビックリしたのを覚えてます。

確かに考えてみたら自分が出来ないことを人に要求していけないのなら,ほとんどのことを人に要求できなくなります。会社でも役割というかそれぞれの人に得意分野があって,その仕事をするわけですから,自分が出来ないことをその人にお願いするのは当然のことです。もっと広げると,会社の経営陣,そして学者,政治家にいろいろ人は要求をしますが,普通要求する人は自分が出来ないことを要求します。給料上げろとか,何かを作れとか…。

でも,やっぱり私はどこかで自分の出来ないことは,少なくとも当然のことの様には要求できない…とどこか思ってる気がします。そうしないと,人は矛盾したことを人に要求する様になったり,要求がエスカレートしていく様に思います。

今の世情で言うと,増税をせずに福祉を増やせとか,海外に物を売りにくい状況にしておいて,経済的には強くあれとか矛盾する要求がエスカレートしてますし,ある職業の人はミスをすることが許されなかったり,どんな時でも全力で仕事をすることを求められたりとかムチャな要求がまかり通るようになっているような気がします。

もちろん自分の専門以外のことをほかの人に要求するというのは,わたしもあるのですが,そういう場合はその仕事どれだけ大変なことか?というのは自分にはわからないものなので,あくまでもお願いするというのが正しいやり方の様な気がわたしはしてます。

自分が出来ないことを要求する人が増えて,そして自分が出来ないことを出来るという人にやらせようとする…その結果が今の日本ですから,やっぱり行過ぎるのはまずいんじゃないかなぁ…とか思います。
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機械の体

2011-11-08 01:38:55 | 社会
銀河鉄道999では鉄郎は機械の体をもらって永遠の命を得ようとしましたが,実際に機械帝国がくれるのは,機械帝国を支えるネジとしての体でした。なので鉄郎はそれを否定します。松本零士の作品には他にも同じようなプロットを使った作品(大純情くんとか)あります。永遠の命の批判と機械化された社会の否定,そのいずれもが人間性を損なうものだ…という思想を感じます。人間が社会に組込まれ機械のようになってしまうというのは,モダンタイムスにもみられる見方で,「機械(化)の社会に人が組み込まれる」ことはそういうことだ…という思想はずいぶん昔からあります。それを直接的にある意味表現したのがマトリクスでもあり,これは機械が人間を直接食い物(燃料)にしてます。

さて,ちょっと前に話題になったWeb2.0というのは,ユーザがネット利用しながら情報をアップしていくことでネットが進化していくというような考え方がみられました。いまはビッグデータという考えがありますが,これも世界中の巨大なデータを利用するという考え方の中にSNSの様なユーザが手を加えた情報や,ユーザの行動自身を利用するというのも含まれていて,そこからサービスを産み出すというような考え方があるような気がします。

こういう技術は別に新しい技術じゃなくて,アマゾンの様なネットサービスでは購買履歴を利用してユーザにセールスをかけたり,その統計情報を販売戦略に利用したりしていると思われます。検索サイトだって検索履歴を商売に利用してます。

つまり,ユーザはネットを(お金を払って)便利に使っているという感覚ですが,実際はネットでのサービス提供者に商売の種を提供してることになります。つまり彼らを支えているのはユーザの行動情報になります。

…なんとなくこれって,ユーザがネットを支える一部になっているって事だよな…と思いました。しかもそもサービス提供者から謝礼をもらってるわけでもない。まぁただで使えるサービスも多いですけど。

松本零士が描いた機械社会のネジになるとかいうのは,いかにも人間に辛い社会でしたが,案外機械のネジになる社会というのは,人間に気づかれない様にやってくるのかも知れないな…と思いました。まぁマトリクスでもマトリクスの社会の方が居心地がいいという人間もいましたから,ネジが悪いものとは限らないのかも知れません;-p。

iCloudでアップルは何をしようとしてるんだろうと思いながら,ふとこういうことを考えました。
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2chが日本のインターネットを変えた

2011-07-28 22:50:51 | 社会
なんか今日はネットを見ていて,ネットでの不適的発言に関する話題が目立った。

「47NEWS」のツイッターが不適切発言で閉鎖したとか,あと女子サッカーの熊谷選手関連の例の騒ぎの話も多かった。まぁ基本的には先日書いた用にネットで責任のある行動をとればいい,言い換えると実世界と同じように振舞えばいいとわたしは思うのだけど,medtoolzさんのいう2chの方がFacebookやmixiよりある意味やさしいというのを読んで,ある意味2chがこういうネット文化を創ったのか?という気もしました。

わたしがインターネットを始めた頃はネットは実名で書くのが常識どころか所属すら明らかにしてました。MLやネットニュースに投稿するのは,かなり神経を使ったものです。一方当時あったパソコン通信はハンドルという匿名で書いてる人が多かったようですが,まぁ一部のパソコンマニアがやっている狭い世界だったからか,今のような騒ぎになることは稀だった気がします。

Webが流行りだして掲示板とかが生まれてきて,徐々にパソコン通信やネットニュースは廃れましたが,考えてみたらある意味2chという匿名掲示板の出現は,ネットの常識を変えたのかもしれません。ネットのコミュニケーションが掲示板に移っていくのは,当時ひしひしと感じられましたし,掲示板というと匿名が基本でした。そしてそれを多くの人が集まる2chはネットのコミュニケーションの主戦場になり,時期を同じくして,ネットユーザが一般人という風になった気がします。つまり当時ネットに入った人は,まずネットは匿名でする場所だ…という常識になるわけです。

私自身は匿名で書く2chには魅力を感じず書き込みをしたことはありません。実名を書くというより自己同一性がわかりにくい(示す方法はあるけど)2chは自分がどういう人かを示す場としては使えなかったからです。

そういう意味ではmixiが出てきた時,わたしはかってのネットニュースの様な居心地の良さを当初は感じました。まぁこれも徐々にユーザが増えていくとその感じは変わるのですが,でも今でも特定の人とコミュニティをとってるという意味では,そんなに居心地は悪くありません。まぁでもmixiはすでに新しい友人を作らなくなって久しいなぁ。

今はfacebookとTwitterも使ってます。facebookはある程度自分の文章の公開範囲をコントロールできますが,mixiよりはしにくいし,実名なのでmixiより気を使います。twitterはもっと制御できませんが,実名ではないので,基本的に個人が特定できるような情報は書きません。というかまぁ無難なことしか書いてないので,今公開しても困らないというか。

つまり先日も書いた通り,インターネット初期の実名でやっていた感覚で接していれば,そんなにfacebookもtwitterもmixiも怖くないというか。と考えるとやっぱり2chの方が特殊だったんじゃない?という気がしてきました。

であればTwitterを2ch感覚で使うことがそもそも危険なわけです。個人のアカウントで書くわけですから当然といえば当然ですが。でも,2chでネットに入ってきた人は,ネットは何でもかける場所と勘違いをしてるのかもしれません。そんな気がしました。
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職業として実名をさらすということ

2011-07-24 21:15:13 | 社会
匿名日記でtwitterやfacebookで実名をさらすのは恐ろしいと言うのを読んで,そうだね…とは思ったんですが,一方で実名でやること自体を過度に怖がるのもどうかな?という気もしました。

facebookは実名が前提ですが,それ以外のTwitterやmixiは任意だし,ブログもそういう強制力はありません。ですが,そういうサービスでも実名でやっている人たちはいます。主に芸能人,文筆家,芸術家等。そういう人たちは自分の名前を広げることによって活動を広げます。ですから,公式ページは実名(芸名である場合もありますが)でやるのが当たり前です。そしてそういう人は一般にプロフィールが知られていたり自分で書いていたりします。もちろんそういう人たちが実名のページ以外に匿名で活動をしている場合も多いでしょうが,実名のページが誰でも観られるところにあるというのは事実です。

ふと思うと,そういう人たちはこういうメディアに出るような人以外にも結構います。特にネットじゃなくて,それぞれのメディアで名前は人となりが誰でも観られるところにあったりします。わたしの一番身近なところじゃ学者。論文を書いたことがある人なら,そこには名前と所属,そして略歴がオープンにされてます。そういえばTwitterとかでも大学の先生は実名でやっていたりしますが,こういう人たちは名前と人となりを隠さないことに慣れているわけです。他にも会社の経営者とかもそうです。よくよく考えると,実世界では結構その人の人となりをさらす必要がある立場の人っていうのはいるのです。

じゃぁそういう人たちはひどい目にあってるかというとそうでもありません。それは最初から自分の名前や経歴がさらされているから…という前提で行動しているからです。ネットでも軽口を吐いていても,叩かれるようなきわどいことは書きません。特定の人にあてたような文章もあまり書かないし,自分の家族や住まいが特定されるような事も書きません。当たり前ですが,違法行為をしたようなことも書きません。

そういう意味では,匿名でなくても,それなりの行動をすればそこまで危険ではないように思います。もちろん,そういう分別あるような事をするならネットをする意味がない…という人もいるでしょう。そういう人はやらなければいいだけだと思います。ただわたしの印象では,自分の名前をさらして仕事をする人の方が,社会的地位が高くなる傾向があり,リスクを負って分別のある行動をするということ自体が,利益があるようにも思います。

大学生が中学生にネットリテラシを教えるという記事を読んだのですが,ネットに個人情報を載せるメリットを考えろと言ったそうです。確かにそうで,まずはネットに個人情報を載せる怖さを知るべきですが,載せることとのメリットと,それでいて載せる場合に気をつけることまで理解して初めてネットの社会で生きていくという事のような気がします。

ネットの社会は変化が早くリテラシの考え方もどんどん変わっていきますが,実世界も含めて基本的な考え方はそんなには変わらないのかもしれません。実世界で名前を背負うことにメリットとリスクを考えれば,おのずとネットでのあり方も想像できるように思います。
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賃貸v.s.持ち家

2011-07-12 05:53:37 | 社会
最近ネットをみていて,急に持ち家のリスクが語られるようになったのを感じてます。昨日はこの記事をみました。

震災があって津波で家が流れたり,昨日のNHK特集でも湾岸の液状化で家が傾いたりとか,そういう話をやっているので,ローンを組んで家を買ったら家がなくなり借金だけ残るという想定が急に着目されているように思います。

もっとも,持ち家と借家の問題は,だいぶ前から語られていて,特に長期のデフレが続いている日本では,持ち家は経済的にも不利だ…という意見が強まっているように感じてます。わたしは今震災のリスクを考えて持ち家のリスクを語るのは,今までどれだけ暢気だったんだよ…という感想で,家を買った人が火災保険や地震保険に入ってないのか?…等と思ったりもします。

さて,わたし自身,社会人になって20年,いまだに借家住まいをしてます。若い頃は会社の寮に入ってましたが,ここ十年近くは民間の賃貸に入ってます。自分の職場には,30位で家を買っている人もいるし歳をとるに従い持ち家率は上がり,どんどん住宅を購入してるようです。そういう意味では世の言う持ち家のリスク…という話は,ちょっとわたしの周りでは無関係な気がします。

実際にわたしが感じるのは持ち家が得か借家が得かというのは一意には決まりません。わたしがいい歳をして借家住まいなのは,そもそも結婚が遅かったのと,職場の異動が多いこと,また現在の住まい(地域)を人生終焉の地と思ってないことが主たる理由です。職場でも家を買った後に異動をし,単身赴任をしたり長時間通勤をしてる同僚を沢山観てきましたが,わたしは通勤に労を重ねるのは主義に合わないと思ってるし,独身だと単身赴任もないので,異動したら住まいを気軽に変える…という方がいいと思ってました。まぁ同じ職場でも20年以上自宅から通える範囲にしか異動してない人もいるので,全員が異動が多い職場…ってわけでもないのですが。

そういう仕事やライフプランにより多分持ち家がいいかどうかというのは変わります。退職後に遠くに引っ越した先輩も仕事をしていた20年30年と一つの家に住んだ後はあっさり売っちゃったという人もいるので,家をもつことがそこに永住するという意味でもないでしょう。あと都心部と地方でも賃貸の価格,あと分譲マンション,一戸建ての価格のバランスは様々で,どっちが得とは一概に言えないのではないでしょうか?。

ただ長年都心で賃貸に住んでいて思うのは,ようやく賃貸が借手市場になってきてるかな?ということです。地下の価格はバブルで下がりましたが,賃貸の家賃はあまり下がってませんでした。ですが,ここ数年は下がりはじめている気がします。というか,そうでもないか…。思うのは賃貸で埋まってないアパートやマンションが結構多いな…と感じており,明らかに供給過多になってるなと思います。そういう意味では大家さん…大変だなぁ…と思います。古いアパートとかだと家賃が安くても,人は入らないし,建て替えるにはコストがかかるし,特に老後の財テクではじめた大家とか本当に大変だろうと思います。

そういう条件を考えると賃貸を借りることは以前に比べたら大分有利になってきてるのでしょうけど,実際にはあまり変わらない…というのも実感です。相変わらず敷金礼金の相場は変わらないし,連帯保証人をとるのが大変…という事もあり,今のように働いていて兄弟も働いている状況はいいのですが,歳をとって,だんだん天涯孤独になってきたときに,好きな住まいに本当に入れるのだろうか?とか思います。たぶん不動産業界のほうの問題でしょう。大家も死にそうな老人を入れたくないだろうし…。そういえば年齢制限があるアパートもあるよなぁ。

もちろん,高齢者になれば自治体がそれ用の団地とかをつくっていたりして,そういうところに安くはいれるのかも知れませんが,それって好きなところに住めるから賃貸がいい…という話とは違います。あと幾ら生涯に払う額が賃貸の方が安くても,歳をとってからの家賃をきちんと貯金しておかないと,歳をとってから月に数万の家賃をコンスタントに払うのは大変なわけで,そっちの方が計画的に生きないといけません。

というわけで,賃貸が良くても,本当に歳をとっても賃貸に住めるのか?という不安は多少あります。持ち家だと税金だけ払えば,あとは我慢すればボロ屋に住めるわけだし。あと,今持ち家が不利で賃貸が有利となれば,これから大家になる人は減っていくわけで,賃貸の供給バランスも長期的には変わるかも知れません。

いずれにせよ家をもつかもたないか?は人生設計に関係するわけで,今,地震が来たから,持ち家が不利という短絡的な発想で考えるべき話でもないように思います。
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facebook

2011-06-03 23:31:34 | 社会
ちまたで日本向きじゃないとかいろいろ言われているfacebookですが,実は同窓会の連中との連絡には結構便利に使っていて,それなりに利用してます。でも実名主義ですから,結構ふとしたことで別のところから見つけられて友だち申請をされることがあります。例えば職場の人だったり,ネットでの知り合いだったり,盛り上がっている以外の同窓生だったり…。

あまり使いこなしてないので間違ってるかもしれませんが,facebookは自分のところ書いたのは何も制限しないと,どの友だちにもその書き込みは見えるようです。また自分がコメントしたりイイねをつけた他の人の文も見えるようです。非公開のグループをつくれば,その中で閉じることができますが,まぁそれはそれで運用が難しい様に思います。

なんとなく思ったのが,例えば自分の友だちの友だちの書いたことまで見えてしまうと,それって嬉しいかなぁと。

実際の世界の話。わたしの知り合いに,自分の知り合いを脈絡無く集めてホームパーティをする人がいて,行くと,まぁ知らない人と知り合いにはなれるけど,お互いが初対面だから,最初はちょっとギクシャクするわけです。その中でホストの知り合いだけが,みんなを知ってる状態で,それってなんか少し違和感を感じてました。

正直に書くと,facebookにはそういう違和感を感じてます。友だちとのやり取りを他の違う系統の友達に見せるのってどうなんだろうと。

まぁこれは最近会社の人が友達申請をしてきて,下手に承認すると,プライベートな人間関係を会社の人に見せることになってしまうなぁとかそういうことを感じてるだけで,普段会わない知り合いはネットで行動を見られることにはあまり抵抗は無いのですけどね。むしろネットでの知り合いは,ネットで繋がっていることは重要だと思うので,facebookで友だちとするのは歓迎です。ただ,実際に職場であうような同僚に友だち申請をされるのはちょっとどう対処したものかね…。申請して無視しちゃったりするのも実際に顔を合わせるだけに面倒というか。…とか思ったりもします。
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