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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

脱原発関連で気になること

2011-05-30 06:07:30 | 社会
原発事故を受け,脱原発の意見が強まってます。個人的には,それについては賛成。ただ結構いろんなリスクがあるのに,それが議論されてないので,どこかで頓挫しないか?の方が心配だったりします。

ひとつがこれは指摘する人もいますが,原発を止めても現状電気は足りるという意見。私は無理だと思ってるので,原発を現時点で全部止めれば,停電をせざるを得ないと思います。そういう覚悟があっていうのであればいいのですが,停電の覚悟が出来てない時に停電がくると結構しんどいと思いますよ。

次が,太陽光,バイオマス,風力地熱等に主要発電を変えていくという話。これは長期的には賛成なのですが,時間がかかると思ってます。あと,これらが自然にやさしいというのも,本当か?という気はしてます。例えば太陽光も風力も設置面積をかなり取る。そうするとそこに利用できない土地が発生したり,どこかに建設物を作るということになります。それが自然破壊につながらなければいいのですが。ただしそれでも原発よりはマシというのは確かです。

じゃぁ自然エネルギーがすぐには無理なら,つなぎとしての火力発電が必要になります。確かに石油による発電はこれまでもやってきたことですから実績はありますが,二酸化炭素排出問題と,それよりも気になるのが,中東のゴタゴタに今いっそう振り回されたり,クビを突っ込む必要が出てくるのでは?ということ。これって覚悟できてる人ってそんなにいるんでしょうか。

以前,中東の戦争に日本が支援するだけで大騒ぎだったりとかありましたが,そういうことにますます関与せざるを得ないことにならないか?,わたしは結構気になってます。

脱原発とか卒原発とか賛成だけど,そんなに簡単なものじゃないし,そっちはそっちで覚悟が必要だと思います。なんにでも負の側面があって,それを見ずに今だけを否定していたら,また(消極的にでも)選んだ選択に失望するということになりかねない…と思います。
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経験

2011-04-29 11:31:35 | 社会
medtoolzさんの「悪い奴らは来なかった」いろんな示唆があって面白いのですが,その中に,処方がイマイチと思っていた上司(先輩)の立場に自分がなったときに,決断が出来ずに四苦八苦したという話が書いてます。

世の中には実際にやった経験がないのに聞いたり読んだりした知識だけで,実際にやってる人を批判するという人が結構多いです。おそらくそういう人達が,実際にする立場になったら,何もできないか大きな失敗をするというのはやっぱり多いのだろうな…と思います。机上で検討した案なんていうのは,いろんなところが単純化されていて,それでうまく行くと思うと,それこそ想定外だらけの状況になってしまうように思います。

原発の事故で,東電の幹部が現場を知らない人ばっかりだった…という話を聞きましたが,もしそういう会社で,なおかつ政策を決めるお役所もそういう人ばかりだったりして,こういう自体が起きたのかも知れません。まぁ大きい会社で出世をする人は書類書きがうまかったり説明がうまかったりする人で,コミュニケーション能力は高いのでしょうが,そういう人こそ,現実を無視して相手が喜ぶようなつじつまのあった計画をつくってしまう…って事は,どうもありそうな気がします。

そんでもって,今はそういう人達を避難しているネットやジャーナリストも,まぁだいたい同じようなもんで,「こうすればいい」とか前向きな案を出す人もいますが,多分それは穴だらけで,やったら大変なことになるんだろうなぁ…と思います。やらないよりマシならやらないとしょうがないのですが。

ところで,わたしは同じような技術分野にもう20年以上いるのですが,そうやってやってくると,雑務で仕事が忙しいのですが,その反面凄く短い時間で研究とかをやれるようになっている気がします。実際に手を動かして,設計したりつくったり,実験してる時間が短いという意味です。過去の自分と比較してもそう思うし,若い研究者と比べてもそう思います。

というか,いうか若い研究者と議論をしていて,もちろん新しい技術でなかなか理解出来ない場合もあるのですが,それをやると出来そう出来ない…の判断が割と早くできる。若い人がいろいろと迷ってるのを,最適な方法でやる道筋というのが,こっちは割と短時間に判断できる。もちろん失敗した場合の対策とかも。

結局はそういうのっていうのは経験であって,歳をとると頭の回転や記憶力は下がってくるけど,その少ないリソースで仕事を回す…って事自体は出きるようになるなぁ…という印象です。まぁ経験にないことはできない…という意味では,若い人以下なんでしょうけど。
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焦る人々

2011-03-14 08:17:48 | 社会
地震の被害にあわれた方,対処されている方は,ずっと大変な状況だと思いますが,東京くらいの状況だと,どうも一昨日よりも今の方がパニックぽくなって無いか?という気がしてます。一昨日は状況もわからずあたふたしていたのが,昨日になると,「行動しなきゃ」ってことで。ネットを観ていてもちょっと感じます。

スーパーで食べ物がなくなっていたり,ガソリンスタンドのガソリンが売り切れになっていたり。被災地の方々じゃなくて,我々が慌ててどうする…と思ったりもするのですが。

新型インフルエンザの時に一人で何百もマスクを買い占めた人の話を思い出しました。まずは自分の家族が大事…という気持もわからないでは無いですが,自分より深刻な状態の人が多い中,そこまでするのは…ちょっとわたしの美意識には合いません。

あとネットの方はデマが多い。地震と関係ないことを書くと,たたいて回っている人がいたりと,どうも殺伐とした感じが,強まっている気がします。歴史に学ぶと,非常時に言論を抑えるのは,ろくなことにならないと思うんですが。

わたしは昨日はいつもどおりの週末を過ごそうとちょっとお買い物に出かけましたが,お店は早く閉店だとの事。まぁ電気の無駄遣いになるから,それは仕方ないか。そして今日から計画停電。情報が錯綜して,いまいち本当にあるのか,何時からかわからないので,とりあえず,ゆったり待つとします。
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被害者を責めても自分は安全にはならない

2011-03-11 06:17:33 | 社会
熊本で幼女が殺された事件は,熊本ということもあり,多少気にはなっていいます。ただ,こういう事件はあまり自分の生活には参考になら無い,つまり自分がこういう事件に巻き込まれる可能性はゼロでは無いにしても,特殊ケース過ぎて,それを防ぐ上での参考になるんだろうか?という意味で,そんなに詳しく知りたいとは思ってません。というわけで,細かい状況は良くわかってません。

ただ,被害者の両親の想いを想像するといたたまれなくてとても辛いのですが,昨日Twitterをみていたら,「親にも責任がある」とかいう意見が出てるとか知りびっくりしました。そう思っていたら,fujiponさんが実際にそう言ってる人にあったと書いていました。今回のケースの詳細はあまり追ってないにしても,実際に今回のケースを予想して,子供から目を離さないなんて不可能だ…ということは,子供を持った事がある人だったらわかるはずです。でも実際にこういう風に,親が悪い…という人がいるらしいです。

最初,こういう人は実際を知らずに無知ゆえに,さらに誰でもいいから卑下したくて言ってるだけかな?…と思いましたが,よく考えて違う気もしてきました。

被害者の親を責める人は,そうすることで,自分だったらそうならないと思いたいのではないでしょうか?。確率的には対処を用意しようが無いほど特殊で稀なケースの場合,本来そういう想定で行動することは無いでしょう。でも,そういう事件が起きてしまったときに,自分はそうならないという確信が欲しい,だから被害者を卑下することにより,自分はそれとは無関係なんだ…と思いたいのではないでしょうか?。

でも実際は今回のケースは天災みたいなものだと思います。特殊すぎて対処しようが無い…という意味では,わたしは秋葉原の事件の時も,そう思いましたが,今回のケースもおそらくそういうケースです。ですから,おそらく今回の事件に遭うことは非常に稀ですが,仮に遭ってしまった場合避けることはむずかしのだろうな…と思います。

でも,被害者を痛めつけて,確証の無い自信や安心を得ても仕方がありません。わたしは今回の事件はぞっとすると共に,被害者やその両親の想いを想像するに辛さを感じます。そして自分には起きないようにと,その時は思う…それくらいしか出来ないのでは無いでしょうか。

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行政批判には何が何でも行政を悪いものにしたいという態度が感じられる

2011-03-07 22:15:36 | 社会
郵便局が電気自動車の発注をキャンセルしたのでメーカが破産したというニュースを観たときに,え?とは思ったのですが,状況が良く分からないので,なんとも言えないな…と思いました。おそらく郵便局の発注の要求を満たせなかったんだろう…とは思いましたが,そこにいたるまで,どういう経緯があったかは良く分かりません。

ですが,翌日ネットをみると郵便局が悪いみたいな意見が多くて,更にびっくりしました。これをみていて,「悪いのは行政か大企業」と短絡的に結び付ける人がいかに多いか…と思ったわけです。その後ネットをみてると自動車電気メーカ自体の技術が怪しい(コメントにあり)意見もあり,出来ない発注を受けてしまった…可能性もあるな…とも思います。

結局のところ真実はもっと深い調査をしないとわかりませんが,この件,あまり話題になって無いので,このまま消えていくかもしれません。

むしろ問題なのはニュースを観た人の態度。郵便局が悪いというのが思考停止で決め付けたようにいう人が多いようです。こういう事件は行政や大企業の方が悪い…という様な考え方がある様に思います。でもわたしはむしろ,行政や大企業方が,批難されやすいから慎重になるってことは多いんじゃないか?という気がします。慎重になるから,発注先に厳しくなる…という人もいるようですが,フェアじゃない競争を実施するわけにはいきません。発注先が問題がありそうなかいしゃでも,それを除外す根拠が必要となります。

行政や大企業に厳しい人のうち,郵便局の方が,業者融通を利かせるべきだったという人は,自らいってることが矛盾していることを知るべきです。行政に厳しいから,すべてが原理原則になり,実態に合わせて融通を利かせられなくなっているというのは多い気がします。大企業が融通を利かせるべきというのであれば,大企業の不正競争などは問題にしてはいけない…と思います。
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非を認めよというのは,少し非に優しくなって欲しい

2011-03-02 23:52:56 | 社会
岡崎の図書館のコンピュータが落ちたのがシステムに問題があったのに,アクセスした人が犯罪者の様に扱われていた件。コンピュータの設計に欠陥があったことは図書館はずいぶん前から認めていたのですが,被害届をいまだに取り下げて無い件で,犯人扱いされていた人が怒っていて,ですが,最近共同宣言を出し和解したということになったそうです。ですが,和解したのに被害届は出したままってことで,/.jpをはじめとしてネットでは異論が湧き出ているようです

被害届を取り下げない理由として今後職員が被害届を出すような事案があった時に躊躇するから…とのこと,この理由に納得いかない人が多い…ってことのようです。

確かに普通の感覚からするとなぜ被害届を取り消すと,今後出すのに躊躇するのだろう?…ということになるのですが,わたしが思ったのは,ってことは,こういう「取り消し」という行為をするとだした職員は何かのペナルティを被るんだろうか?…ということです。

「間違ったことをやった」こと自体が問題になるのか,それとも届出を元に警察などが動いたので,そっちの組織にも何らかの迷惑や借りが出来るんだろうか?っことです。

真実は良くわかりませんが,行政が「非を認めない」というのはよく見かけることです。基本的に「間違ったことはしない」という前提で動いているようなところがあり,間違いを認めるのは,結構な騒ぎになってからやるので,やっぱり誰かがペナルティ(懲戒とか)を受けるのかもしれません。

変な感覚だと思いつつ,一方で間違いが起きたら,とことんつるし上げを食らうのが行政だったりもします。あと,大企業とか,今だったら,医者とか…。これらの人たちは間違いが起きたら間違いの深刻度に関係なくとことん追求され,責任を問われる場合が多い様にも思います。現実の世界ではケアレスミスは起きるものなのに,起きると大変なことになります。

わたしは間違ったら間違ったで訂正すればいいとか,謝ればいいとか,そういう風に考えるタイプですが,そういう風に考えると,今のミスに対する厳しい社会というのは,逆に謝りにくい状況を作ってるよな,という風に感じてます。

というわけで,今回取り下げると次回から職員が躊躇するのはおかしいという人は,きっと行政がミスを犯しても,間違ったら訂正すれば良いよ…と言ってくださる人なんですよね?。そういう人が増えれば世の中優しくなっていいと思うんですが,どうも世の中は逆に向かっているような気もします。
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求人は一点買いじゃない

2011-03-01 22:40:01 | 社会
大学の先生が書いた「「自主的である=わがままである」ということを理解しよう」という文が気になりました。

以前から学生(大学も含む)が考える就職事情と企業が考える就職事情に乖離があるなと感じてます。わたしは大企業にいるので,そこからの視点になりますが,買い手市場といわれてる割には,そんなにいのままに望む学生が採れている訳じゃない…という気がします。優秀な人が少ないのでは?と考えることも出来ますが,そうじゃなくて,学生が採用されようとやる行動が,どうも企業側から見るとずれてるように見えたりします。

さて,今回の話は企業側が自主性がある学生欲しい…というのだけど,大学の方から自主性がある人っていうのは,わがままってことだよ…と反論してるってことです。

企業が「自主性がある人が欲しい」というのは,自主性を一番大事な能力としてみてるわけじゃないと思うのです。多分,自主性の他に,協調性やコミュニケーション能力なども必要だけど,それがあるのは当然で,それにプラスして自主性が欲しいと思う,…かもしくは,今の学生に協調性などは充分にあるけど,自主性が足りないから,自主性が欲しいといっているだけ,だと思います。ですから,その他の能力を犠牲にして自主性が欲しいわけじゃないでしょう。

ですが,自主性が欲しいというと,こういう風に自主性が一番大事な能力だ…と学生や学校は思うわけです。こういう誤解をして,自主性だけを身につけるような教育をしたり,またはそういうふりをして採用試験を受けたり…とかやるから,どうも頓珍漢な印象を受けるんでは無いでしょうか?。

余談ですが,毎年数人しか取らないような企業はそうじゃないと思いますが,数十人もとる大企業は,ある程度人物像に幅を持たせて採用します。同じ人間を数十人も採ってもしょうがないというのと,さらにそれが失敗だったとき,採った全員が失敗だと大変だから。ポートフォーリオ的な発想。そう考えても,どこかで誰かが言ったセリフを真に受けて,そこだけ目指してもしょうがないと思います。

最近の学生事情を見ていて思うのは,物事に答えがあると信じて,それを探しまくる…そして誤解する学生が多い様に思います。そもそもそこが間違いなんですけどね。
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救って欲しい人と救わなくていいんだろうか?という人

2011-02-14 22:44:28 | 社会
NHKで「無縁社会」というテーマでいくつか番組をやっているようです。今日もTV討論をやっていたようですが,わたしは観てません。昨日とかその前とかにちらちらとやってるのを少しだけ観ました。

無縁社会で救いを求める人の声をたくさん紹介していたようです。その人たちの境遇にはいろいろと本人ではどうしようもない不幸なものがたくさんある人も多いのかもしれません。ただ,少し気になったのが,TVで取りあげていた多くの声が,皆救いを求めている声だった…ということです。

一人暮らしで知り合いが少なかったり,派遣社員で将来に不安があったりとか,そういう人達が目立ちました。更に前に,派遣社員とかが経済格差で苦労している…みたいな話もやっていたので,なんとなくそういう流れなのかなという気もしました。

なぜ皆自分を不幸だと自覚し,助けてくれ…と救いを求めるのだろう?というのがわたしが不思議に思うことです。人と関わりたかったら,自分から関わるべきじゃないか?と思います。自分を救って欲しかったら人を救うのが一番の近道な気が,わたしはします。でも,TVで救いを求めている人は,ただ救って欲しいと言っているようでした。

30年くらい前でしょうか?わたしが思春期の頃,田舎暮らしの若者が都会に出て行くというドラマが良くあり,その時に彼らが言っていたのは,田舎は人付き合いが鬱陶しい…みたいな話です。そうやって都会に出て来た人達が結果的に一人で寂しいというのは,どういうことなんでしょう。ネットで人と付き合うのが楽しい…という人も出てきて思いましたが,なんとなく「自分に都合がいい付き合いをしたい」という人なのかな?と思いました。

人と付き合うといろいろ面倒なこともあります。あまり得意じゃない人とも付き合わないとその場に入れないこともあります。頼みを断れなかったりすることもあります。でも,人と付き合うというのはそういうことです。自分が人と付き合いたい時にだけ付き合うとか,助けてほしい時だけ助けてもらうというのであれば,それは孤立するでしょう。

それからちょっと思ったのが,確かに派遣社員とか将来が不安とかいうのはそうなんでしょうが,わたしは格差とかいうと真っ先に思うのは,山谷とかあいりん地区とかにいる日雇い労働者や飯場にいるような人たちです。以前それについてレポートした本を紹介しました。その時も書きましたが,わたしはある時期そういう世界に興味を持ってちょっとだけ見たりしていました。ああいう人たち,あとホームレスの人たち…そういう人たちが,まず働けるような場を作るのが先じゃないか?という気もしてます。

別にもっと生活が苦しい人達がいるから,我慢しろといっているわけではありません。ただ一時期批判されていた公共工事とか,そういうのが肉体労働者の仕事を奪ったりとか結構あったんじゃないかな?という気がします。国が無駄遣いしていると批判していた人たちは,もしかしたら経済的に困窮している人たちの仕事を奪っていたのかもしれません。

最近,いろんな部分で批判口調が世の中に多い気がします。しかし誰かを批判するという行動をみんながやれば多分自分達にも厳しい世の中になります。救って欲しいと思うのであれば,救いあう世の中にならないと難しいんじゃ無いかな?と思います。
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謝りすぎのマズイ世界

2011-02-12 23:18:05 | 社会
medtoolsさんがグルーポンとニコ動の謝罪について感心していました。この方はお医者さんなので,医療事故とかの時とかの謝り方とかかなり気にされている方でもあります。グルーポンとニコ動がどう良かったかは,書いておられるのを読めばよいかと思いますが,この二つの例は基本的には顧客がいて,顧客が迷惑を被り騒いだ例です。

一方で最近良く思うのは,明確な被害者が騒ぐ前にマスコミが大騒ぎして,迷惑かけた方も,対応を誤り窮地に堕ちるケースが結構あるな…って事です。今ふと思ったのが,大相撲。八百長問題から春場所が中止になり,再開の目処も立ちません。公益法人じゃなくなり…どうしたものか…という話があちこちで出てます。

最近の大相撲はその前に弟子への虐待騒ぎとか,賭事とか,もう次々と不祥事が出てきて,そのたびにマスコミが大騒ぎして,協会も理事が変わったり,なにか行動をしないと…とあたふたしているような気がします。

もしかしたら大相撲は謝りすぎたのではないか?…と思ったりもします。もちろん暴力騒ぎや賭博は法律に反することです。でもこれも関係者を破門にして終り…という手もあったかも知れません。八百長もガッカリした人は多いかも知れませんが法律には触れません。「これは神事だから,打ち合わせもありえる」という言い方も出来たかも知れません。まぁいいわけとしてはダメですが。

大相撲がダメかダメじゃないかは,本場所を開催して,実際に見に来てもらうお客さんに問うのが本来あるべきだったんではないでしょうか?。もし贔屓が今の状況に我慢がならないのであれば,単に客の入りが悪くなり,協会はそれでやっていけなくなるだけです。それも込みで相撲を楽しめるなら客は離れません。それで良かったのかもしれません。

大相撲をみていて思うのはは,どうも出口が見えないことです。マスコミは次々とあたふたする協会を面白おかしく伝えるだけです。同情論も出てきません。マスコミの無責任な終りのない非難にまともに対応しようとして,それでドロヌマに入ってしまったんではないか?…と思いました。もしこのままいつまでも本場所が開催されず,大相撲がなくなってしまったら…,それって大相撲ファンが望んでいることなんでしょうか?。

あとついでに謝りすぎて失敗してるなぁ…と思うのがNHK。不祥事は多いですが,なんかやっぱり民放が大騒ぎしたり,当のNHKが大騒ぎしたり…。これは顧客である視聴者が受信料を払わない…という状態になってるので,まぁ確かに顧客が怒ってるっていうのもあるんでしょうが…。お金を払いたくなくて騒いでいる人もいるでしょうし,一視聴者のわたしは,あんまり大騒ぎをするよりいい番組を作って欲しいだけ…と思います。

いま,日本は企業・団体がなにかをすると,かなりマスコミが大騒ぎして,その対応に失敗して,ドロヌマに落ち込む状況が結構多いです。こんな世の中でいいんでしょうか?。足の引っ張りあいをしてるだけのように見えるときもあります。
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地方再生

2011-02-08 06:16:25 | 社会
紙屋さんが地方経済の再生について考察しているのを読みました。氏は福岡在住の様にわたしは読んでますが,九州はわたしの田舎でもあるし,将来すみたい場所でもあるので,いろいろと考えてしまいます。

紙屋氏は地方経済を支えるものとして,富を生み出すもの,富を都会からもってくるもの,富を中で循環させるものという大きく三つの役割ついて論じているのですが,いずれにせよ明確な答えは(多分誰も)もってないと思います。

富の循環も重要だと思いますが,おそらくいまや地方でも日本でも普通にコンビニやネットでものを買うわけで,そのたびに首都圏や海外に富が流出してることを,結果的に自分達の仕事を減らしていることにほとんどの人が気づいてません。だから結局は難しく,わたし自身は,外から富を持ってこないといけないと思ってます。都会から富を持ってくるのは,公共事業や地方交付税などの政治史システムに頼るところが多いともいますが,何故かこの辺が,ネガティブに報道されるので,大手を振ってやれないところも結構苦しいと思います。

わたしは経済というのは交換だと思ってるので,富を生み出すには結局外部にものを売らないとダメだと思ってます。そうなると地方は都会や海外に富を流出させてるので,その分以上の富を外から持ってくるだけの何かを生み出さないといけないのでしょう。以前は安い土地価格と人件費で,安い生産物だったのでしょうが,それがもうだめだというとなんなんでしょう。紙屋氏が最後に(イ)~(ホ)であげている,イロハあたりがそうなんでしょうか。それも一理ありますが,一つ書くと,高付加価値製品は安価な大量生産があって可能,つまり層の厚さが重要だと思うので,この二つは相反するものじゃなくて,両方やっていくべきだと思います。そのためには,アジアの安いところと戦えるくらいの安い生産物で出した赤字を賄えるくらい,高価な同じようなものを出していく必要があるでしょう。そうなると,いろんなものを賄うことは無理で,もう少し生産物を絞る必要があるかもしれません。いや逆に生産物は絞らずに,組織を大きくして吸収する必要があるのかもしれません。

あと高付加価値を持たせるということは,文化を発信するということとセットだと思います。そうしないとすぐに真似されてしまいます。ただ日本全体の文化は海外では見直されてますが,その中に地方の由来を売りにしたものがほとんど無いのが残念です。B級グルメやゆるキャラがそうなのかもしれませんが,方法論じたいが全国共通なのが,かなり残念な感じがします。他の方法は無いのでしょうか。

答えは無いのですが,なんとか地方がもっと将来性を感じるところになって欲しいと思ってます。
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