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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

脳のなかの幽霊,ふたたび~見えてきた心のしくみ (V.S.ラマチャンドラン著)

2005-11-10 14:04:28 | 書評
週末にあった録画していたNHK BSの海外のドキュメンタリーを見ていたら,ラマチャンドランが出てきてびっくり。丁度会社で昨日その話をしていたので…。
というわけで,その番組で取り上げていた話題はわたしが先月読んだ本とダブるので,他のところに挙げていた,その本の書評をこっちにもコピーしておきます…。というわけで…。

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ラマチャンドランというと「脳の中の幽霊」という本を以前読みました。物凄くおもしろくいろいろと勉強になりました。前著は結構前の本なのに今年になってなぜかTVとかで取り上げられていてちょっと驚いたのですが,…で今回の本…。前著が話題になったせいか,まるで続編のようなタイトルがついてますが原題はThe Emerging Mindつまり「見えてきた心のしくみ」の方が原題に近いです。
この本はあるところでした講演の書き起こしらしいです。そのせいでかなりわかりやすい内容になっていると思いますが(後述),本人が最初に述べているように概論ではなく取り上げた幾つかの事象を深く考察してるのでかなり深い内容にもなってます。
つまるところ先に書いた茂木氏の「脳と創造性」と同じように脳科学の視点から哲学的疑問について語れていて,さらにラマチャンドラン氏は臨床医師ですので,例が具体的でかなりおもしろいです。脳のある部分に障害が起きてその結果いろんな認識,特に自己の認識等に変化が起きた例を挙げていろいろ自己とかアート(人間が感じる芸術の要素の分析は芸術好き人間のわたしにとってはかなりおもしろいです)とかいろんな事を考察してます。
深くてあまり具体的にわたしは書けないので,こういうことに興味がある人は是非読んで頂きたいのですが,いずれにせよ印象的なのは,こういう思考のしくみを説き明かすことが,あたかも「本当の心」が無くなることだと思いがちな風潮があるのですが,ラマチャンドラン氏にしても先述の茂木氏にしてもしくみがわかったからといって本物じゃなくなるわけじゃない…という指向なのが強く共感を受けます。別に人間が人間の心が大事なのは神秘だからじゃなくそれ自体が真実だからです(著者は中で「心のしくみが解明されて外から観察できるようになったら,『気持ちが単なる化学反応』というのではなく『実際に起きていること』という風に捕らえられるべきだ」というようなことを書いてます)。
そういう意味じゃこの本の範囲ではありませんが,人間が物質や単なる動物だとしても人の命が尊いものであることには違いありません。科学がどうも逆のように解釈している人が増えてる気がして,そう危惧をわたしは感じます。
ちょっと話がそれましたが,とにかくおもしろいです。ひとつだけちょっと苦言を書くと元々講演を記述した割りには,ちょっとわかりにくいところがあります。これは訳の問題じゃないのかなぁ…と思うのですが…,どうなんでしょう?。
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心理学化する社会~なぜ,トラウマと癒しが求められるのか(斎藤環)

2005-10-13 13:15:10 | 書評
斎藤環氏は以前「戦闘美少女の精神分析」という本を読んだことがあります。サブカルチャーに強い精神科医という印象です。
この本は現在TV等のマスコミで何かというと精神系の専門家がコメンテータとして登場し,また映画のストーリにはほとんどの作品で「トラウマ」が鍵となった話が多い…,そして巷には心や精神,癒し等をテーマにした本や題材が溢れている…という現状にたいして疑問を投げ掛けている本です。
わたくしごとですが,わたしも自分のページにココロに関することを書いたり自分の疑問を投げ掛けたりしていて,これを読んでかえって読んだ人に悪影響を与えることはないのだろうか?…というのはいつも感じてます。まぁわたしのページをそんなに真に受けている人がいるかという方の方が疑問ですが(^^;)…。
閑話休題…。斎藤氏は実際に本を書いたりTVにでたりしてるので,ご自分でも自分がやってることとこの本の中の疑問に綺麗に整合性が取れてないことは十分自覚されてます。しかしメディアで精神分析について話すことについてはメリットとデメリットがあって,悪影響があるから止める…っていうほど簡単な話でもないようです。氏はトラウマが既に物語りになっていろんなところに使われていることを指摘し,そして大衆のなかで消費されていくのではないか?という危惧も持ってます。またカウンセリングがブームになっているがそこにある問題点,事件報道での扱い,また脳ブームのことなどを語ってます。
詳しくはシンプルにまとまっているので本の方を読んで頂いた方がいいかとは思いますが,氏は危険性を指摘しつつも,すでにそういう手法から逃れることはできないという立場であり,精神医療や心理療法自体を否定しているわけじゃありません。
それから,書かれてましたが,臨床心理師と精神医師の違いをあまり意識したことありませんでしたが,そういや違いますよね。というか立場が違うというか精神科医の方はわたしが思っている以上に心をソフトというよりハード的なものだととらえてるなぁ…とも感じました。わかりやすくいうと薬理で治そうという傾向が強いという意味です。
どうもこの本の一番言いたいことをうまくわたしは書けてない気がしますが,つまりは何事も心の問題にしてしまう…,そして個人の中でもそれをいいわけにしてしまうとか,逃げ道にしてしまうとかそういうのも含めて(広い意味での)心理学が一種の信仰の様になっているな…という疑問を持つ人は読んでみたらいいかと思います。説明してる状況が具体的でとてもわかりやすいです。
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痛快!憲法学 (小室直樹著)

2005-09-28 11:25:30 | 書評
B5版の大きなサイズで表紙が江口寿史,本を開くと中には北斗の拳からのイラストがたくさん引用されて「おまえはすでに死んでいる」等と書かれているので,大変不真面目…な本かと思いきや内容はかなりまじめ。ただし,おそらく高校生とかが読んでも大丈夫なようにわかりやすい書き方になってます。著者である小室氏が編集者島地氏に講義するという形式で書かれているため,口語体で会話的に進んでいくために読みやすいというのもあります。島地氏の素朴な呆けなどもあり読んでいて飽きません。
しかしここに書かれていることは決してお気楽なことや楽しいことじゃありません。現在の日本において憲法が死んでいる(正しく機能してない)事や,そもそも日本人が民主主義や議会制度等を理解していないことが書き連なれています。小室氏は本の中でいろんな問いかけをし,それに対し島地氏が答え,その答えが間違っていると小室氏は怒るのですが,ほとんどの日本人は島地氏と同じような認識を持っていると思います。
例えば,法律は誰かに対して書かれているのですが,憲法は誰のために書かれているのか?,刑法は誰に対して書かれているのか?…等…。ちょっと回答を書くと刑法は犯罪者や被告人に対して書かれているのではなく,裁判官に対して書かれています。刑法には犯罪するな…とは書いておらず,量刑が書かれているだけだからです。そういう意味で言うと憲法は国民に対して書かれているわけではなく国家(権力者)を縛るために書かれているものだそうです。
この本では西洋で民主主義が成立するまでの歴史が丁寧に書かれており,そもそも議会制も憲法も民主主義とは無縁のところから生まれており,いろんな歴史があり徐々に民主主義へ変わっていったが,民主主義が悪いイメージだった時代もあったり,また平和主義が独裁者を産み出した時代もあったりで,我々があまり認識していない歴史がたくさん書かれていて,ショックを受けます。そしてその中で述べられているのが,現在の日本では憲法も死んでいるし,そもそも民主主義がうまく機能していないことに対してきつい警告を出しています。
たしかにそうで,日本では為政者が公約違反をすることに対して,国民が諦めているところがあります(西洋だと暴動が起きても仕方がない)。官僚が政治家(選挙で選ばれた人)の判断をあおがずかってに通達をだしたりしても,特に問題になりません。極めつけは裁判が時の世論や行政側の意見に大きく引っ張られ正当に行われていない。西洋では違法捜査があった時点で裁判は白紙に戻るそうなのですが,日本ではそのまま進んでしまう。
言われてみればその通りです。日本人は民主主義が国民(選挙民)と政治家(議員)の契約(選挙)であることを理解してません。だから契約(公約)を破ってもすぐに諦めてしまいます。本来は政治家は国民が作るものですが,日本人は「お上」は国民の言うことを聞いてくれないもの…と諦めて無責任にただ文句を言うだけです。日本においては国家はお上であり,我々の代表が動かしているという意識がないのです。
これは結局のところ西洋における契約社会という概念が日本に無いことが一番大きな原因で,西洋でそれが形成されるまでの歴史を考えると無理もないのですが,やはり少なくとも頭ではそれを理解していかないと,ますます国家の暴走,つまり憲法が機能していない状況は悪化していくように思いました。
というわけで,かなり読みやすくしかも知らないことが書いてあって新鮮な本でお勧めです。ただし,小室氏が日本の法律学者はダメだ…と書いているのであれば,逆に言うとここに書かれていることが定説なのかはわかりません。でも読みやすいし,西洋史も詳しく書かれているので,そっち方面に興味がある方にもお勧めします。
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脳と創造性~「この私」というクオリアへ(茂木健一郎著)

2005-09-20 18:10:19 | 書評
わたしは茂木氏の著作はそれなりに読んでいて,たしか5月に「脳の中の小さな神々」を読んだばかりなので結構筆が早いなぁ…という印象。まぁ前のはインタビューですけど。
で,今回の本。大変すばらしい。というか読んでいて痛快でした。
茂木氏というとバリバリの脳科学者でかつ物理系の人(違ってたらごめんなさい)なんですが,この本はタイトル通り「創造性」について書かれてます。コンピュータが発達してきて人間には単純作業ではなく創造性が求められる…という話から始まってその創造性とはなにか?…という話をあくまでも脳科学者からの視点で書いているのですが,トータルなメッセージは啓蒙書というか哲学書というか生き方というか…そういう風に私は捕らえました。つまり私が自然科学と別の方向として好んで読む「ココロ」の話の本のメッセージとメッセージ的にはだぶるわけです。
しかし痛快なのはそれがあくまでも脳科学の視点で説明されている。例えば人を愛するときに値踏みをする時に用いられる前頭葉の活動が低下する。つまり愛するときは物事を値踏みせず受け入れるという事,創造は批判することから生まれないということから愛と創造の間には関連がある…なんて書いてます。
これは宗教家や思想家が述べる愛の重要性とは全く違った説得力を持っており,データがないものは信じない…と言うような堅物な人でも「そうかも…」と思わせるような説得力があります。
他にも「一回性」について語られていて,人間は初めての体験というのはそれ以降とは全く異なる。なので一回性というのは大事なのだけど,個人レベルではなく大衆レベルに一回性を起こさせられるのが天才だとか,一回性ゆえにオリジナリティというのは高く評価されるというような話が書いてます。これも人間に初めての体験があると脳構造に変化があるという話から始まっていて,あくまでも科学です。
そして重要なのは創造というのはどんな人間にも可能で,いろんなレベルでの創造が人間の中では起きている…,そしてより良い創造が起きるために,人や物に多く触れた方がいいと言うような事も書いてます。
この様にこの本は一見脳科学の読めますがメッセージがかなり強い本です。その伝えてくるメッセージはわたしにも大きく共感するのですが,その説得性が脳科学からきているというのが実に新鮮でした。うーん,やっぱり科学も宗教も哲学も目指しているところは同じなんだなぁ…と。そして茂木氏はこれで自然科学を一歩上に引き上げてるんだな…という事を強く感じた本でした。
お見事。
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脳は物理学をいかに創るのか (武田暁著)

2005-07-19 05:26:26 | 書評
物理学が表現する我々の世界は,我々は確固として存在しており間違いがないものだと思ってます。しかしわたしは物理学自体が人間の脳が作り出したもの,つまり人間が物理学で示すやり方で世界を捕らえてしまうため,それを表現するためにつくられたのが物理の世界だ…と実は思ってます。つまりあるものをありのまま表現していると思われている物理学が実は脳の表現方法に従い世界を形式化したにすぎない…というのがわたしの考え方です。
この本のタイトルを読んだときに,同じような思想を感じました。実際に本の頭を読み始めたときには同じような野望を感じました。脳科学の最前線の研究成果を引用し,そして物理学の基本的な約束ごとを吟味していく。例えばこの本に書かれていてわかるのは,物理学の基礎といわれるニュートンのプリンキュアには時間と空間に関する厳密な定義はなく「誰でも知っていること」と言っているそうである。
つまり我々は時間と空間は実は厳密には定義されておらず,思考の癖の中で暗黙の了解を得ているものである。また,物理学がが行う「一般化」と「還元」つまり物事の中から法則を抽出しそれを他の事象に結び付けるについても物理学の基本的な思考方法であるといいつつ,著者はそれがどこか脳の癖というか構造に帰するものということをほのめかしている。
実はこの本のタイトルを読んだときにそういう物理学の法則が脳の構造から成るものだという話を期待しました。実際そういう内容だとは思いますが,さすがにかなり過激な話なので,その証拠を示すような内容にはならなかったようです。実際のこの本は膨大な脳研究の資料を引用し脳の動きを細かく解説しております。そしてわたしが期待した内容にもふれてますが,可能性レベルでありきちんと説明するレベルまでは至ってません。というかそれが出来れば物凄いことだと思います。
しかしこの本は,脳の構造の細かいレベルのモデル化(つまり数式で脳神経の動作を記述している)も試みており,その辺の言葉だけで脳の話をまとめる本に比べれば,かなり厳密に記された本だと思います。そういう意味じゃかなり専門書ぽい感じはするんですが…,物理学者として誠実で,見識の広いすばらしい本だと思います。
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靖国問題 (高橋哲哉著)

2005-06-09 07:11:18 | 書評
昨今問題となっている靖国問題。実は意外に等の日本人が靖国神社とはなんなのか?…というのを正しく理解していない。その歴史,存在理由,そして靖国参拝と宗教,政教分離等の問題,そして外交問題等…。この本は歴史学者や宗教家ではなく哲学者であるところの著者が哲学的な論理で靖国問題を論考するという本です。
靖国問題,靖国神社については,どれくらいの人がどれくらいの事を知っているかはわたしはしりませんが,わたしは一応明治にできた神社ということとか,戦没者が祀られているとか,A級戦犯も合祀されているとか,西郷隆盛は祀られてない…とか, 一宗教法人である…とかいうのは知ってました。で,そのわたしがこの本を読んで,知ったことというは結構あって,そういう意味では読んで良かったと思います。ただ感想としては,結局論理的思考でも(ちょっと不適切な言い方ですが)バイアスがかかるのだろうなぁ…ということです。
というのは,論理的思考で靖国のことを語ろうとしても結局は資料から歴史的事実を引用するので,その選択により論考が影響をうけてしまうということ,あと論理的に突き詰めるとある意味実現不可能なところまでいってしまって,痛み分けとかしゃんしゃんみたいなところに落せないという事です。
まずこの本でいっていることで,わたしが読んで知って比較的驚いたことを書くと,(1)靖国神社は戦前戦中戦死した兵士を祀ることにより,遺族・家族は悲しみを喜びへ昇華できた。これにより国に命を捧げることを喜びと感じるようになった。(2)A級戦犯は歴史認識の一部であり,本来は植民地主義こそが問題である。(3)首相の靖国参拝を合憲とした司法判断はこれまでない。しかし宗教法人を国がいじることは憲法上無理だし,靖国神社を非宗教かすることがかえって戦前の国体へ向かう危険性をはらんでいる。(4)死者を祀るという風習がたしかに日本にはあるが,敵を祀っていない,戦争で被害者になった民間人を祀っていないという意味で靖国は日本の伝統文化に即しているわけではない。というあたりです。
(1)は靖国神社は国に命を捧げる兵士を作る装置として作られた事を示してます。戦没者の遺族を国費で招待して天皇陛下が祈るという行事を戦前は何度も行っていて,この時に遺族達は恍惚を感じたようです。逆にいうと,それだけの栄誉を感じたからこそ,現在でも靖国にこだわる遺族は多いという事です。(3)の靖国の非宗教化の危険性というのは,明治に政府は神道を国家宗教としようとしたが,仏教とキリスト教の反対を受けた結果,「神社に詣るのは宗教行為ではない」ということにし,神道を超宗教にしてしまったということ。つまりある意味無宗教なわけで,無宗教な施設が国民の献身のよりどころになる危険性を既に表しており,このことから靖国以外の非宗教施設を作るとかえって危険である…ということを著者は指摘してます。
この辺はなるほどと思ったのですが,(2)の植民地主義の問題というのはわたしとしては,あまり共感しませんでした。つまりA級戦犯をさばいても,中国や韓国の人達を傷付けた人達がいるのは事実だということですが,それをいうと結局日本以外のアメリカやイギリスも植民地時代に不当に現地人を迫害していたわけで,植民地主義をしたすべての国が罪を償うべきという議論になり,あまり現実的ではないとわたしは感じます。また組織的に行った行為を個人におしきせるのはおかしいと思います。
そういうわけで,この著者がいう結論は,どうもわたしには日本は徹底的に謝罪して中国にずっと頭を下げつつける…という風に読めてしまって,そこだけが同意できませんでした。ただ戦前における靖国の機能を考えると戦没者記念施設ですらある意味恐ろしさを感じますが,ただアメリカやヨーロッパにもそういうものがあり国威掲揚というか国民の意識を高めるためには利用されているのです。哲学者的には,こういう国のような組織が国民の意思をコントロールすべきではないという意見なのかもしれませんが,人間はそんなに賢い人ばかりではないし,実際に国の周りには国民の意思をコントロールして他国に圧力をかけている国があるわけですから,国がまとまる事をすべて否定するには,現実は理想的ではないようにわたしは思います。
というわけで,結論的にはあまり賛同はできませんでしたが,読みやすいし,いろいろ新しいことを知ったので,まぁ読んで良かったかとは思います。
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「心理テスト」はウソでした (村上宣寛著)

2005-05-29 18:07:07 | 書評
血液型による性格判定,ロールシャッハ・テスト,YG性格検査,内田クレペリン検査,これらの検査が学術的,医学的,そして統計的に正しいという根拠は全くない…ということを富山大学の村上教授が言っている本。
実はこの本を読んで,「しまった…」と思ってしまいました(^^;)…。わたしも研究者たる端くれ,それなのに余り深いこと考えずに,「あなたA型っぽいよね」とか言ってました。大変恥ずかしい…。
というわけで,この本はこれらの検査法が正しいという根拠は全くない…と言うことを,かなりの毒舌っぷりで語ってます。 実名を挙げたり,これらを採用している人達を露骨に非難しているんですが大丈夫なのだろうか?…とか思ってしまいます。
そしてそれに加えて,「バーナム効果」という現象を紹介しています。バーナム効果は,乱暴に言うと「みんなが 当たってる」という様な心理テストをつくる方法というか,その手がかりとなる効果の事です。たしかにこの手法をきちんと考えれば,誰でも「割と当たってるなぁ」と思う性格判断テストがつくれそうです。良く占い師を信じ無い人が,当たる占いをいうコツがある…とか言いますが,おそらくそれと同じようなものでしょう。
とはいえこの著者は別に占いを批判しているわけではありません。そちらに対しては冷ややかですが,あまり言及してません。むしろこれらの根拠が薄い判定法が就職試験や人事評価に使われている企業が結構ある…ということに対して,強力な批判を行っているわけです。実際の事例で,血液型で 配属を決めていた企業もかってあったらしく,さすがにこれについては血液型の話をするわたしでさえ,行き過ぎだろう?と思いました。
ただちょっとドキッとしたのは,わたしの会社でも育成のいくつかのポイントで心理テストっぽいことをやっていたりします。もちろん心理テストだけで人事を決めてるわけではないし,実際は面談や上司の評価でやってるので,心理テストに左右される…ってことはほとんどやってないと思いますが…。
それからそうはいってもこの著者自身が性格判定のプログラムとかを開発してるって事はすべての心理テストを批判してるわけではなく,権威があるテストの中にそういうものがある…といってるだけです。実際この本の中には有効な心理テストの条件みたいな話も あるので,そういう事に気をつければ有効なテストもあるのかもしれません。
というわけで,読んでいて結構「アチャー」と思ったんですが,一つだけ言い訳させてもらうと,話のネタとして血液判定はあってもいいと私は思ってます。血液型により重要な何かを決める…ってことは確かにまずいのですが,人間は人を認識するときに,一旦類型化して把握しないと結構不安なものです。そしてその中から「A型だけど(一般に言われる)A型っぽくない」という風に認識される人格とかもあるのですから…。もちろんあくまでも人物把握のきっかけであり,そしてたわいもない会話レベルでですが。
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「聴く」ことの力-臨床哲学試論 (鷲田清一著)

2005-05-27 15:28:53 | 書評
わたしの狭い見識で述べちゃうと不適切で申し訳ないのですが,わたしが鷲田先生を知ったのはルネッサンスジェネレーション2001でありその時は身体論みたいな話でした。その後「モードの迷宮」や「ひとはなぜ服を着るのか」と いった著作を読み,まぁ人間が自分の体をどういうものとして認識しているのか?…というあたりの話をおもしろく読ませていただきました。
というあたりでわたしは先生を認識してましたが,本著作が評判であることは聞いていました。結構売れた…という話を聞いていたのでてっきり一般向けにわかりやすく書いた本かと思って軽く読みはじめたら,しっかりとした哲学の本…というか論文で大変でした(^^;)…。哲学の著作の場合,言葉に重要な意味があるので斜め読みとかしても誤読をしてしまうものなんでしょうが,しっかり斜め読みしてしまいました。すみません(^^;)…。
というわけで,あんまり内容を把握できている自信はないので,簡単に書きます(前置きが長いですね,すみません)。
哲学はこれまで「語る」ことを主な働きとしている。語ることで自分を省みたり,相手を変えることができる。しかし「聴く」ことでなにかが出来るのではないか?…という「試論」をここで行ってます。鷲田先生は哲学を机上のものとしない「臨床哲学」というのを提唱してますが,人に何か影響を与えるものとしての哲学という視点を「聴く」ということに着目し書いているといえるでしょう。
まぁ具体的にはカウンセリングみたいな話があったり,聴くことが相手や自分におこしている影響みたいな話をいろいろ哲学のこれまでの流れをふまえて試論してるという感じでしょうか。
あまり意識してませんでしたが,鷲田先生って現象学の人なんだな,と改めて思いました。まぁ現在の哲学者ってそういう立場の人が多いのかも知れませんが…。そして現象学ってそういうものかもしれませんが,ここでも「メタ」という話が出てました。
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脳の中の小さな神々 (茂木健一郎-歌田明弘(聞き手))

2005-05-23 19:19:12 | 書評
脳科学者(という表現があってるかわかりませんが)である茂木氏に対してライターである歌田氏が口頭インタビューするという形でつくられた本です。内容的には現在の脳科学がおかれている状況を歌田氏が外部からの立場として,そして茂木氏が 専門家以外にもわかるように丁寧にかつ正確に説明するという内容です。とはいえ最後の方には茂木氏自身が向かい合っている問題について徐々に触れられている…という感じでしょうか。
茂木氏の本は何冊か読みましたが,とてもおもしろいのですが,非常に感想を書きにくい…というか茂木氏自身は自分の問題をうまく言語化できているのかも知れませんが,こちらがそれをうまく租借できないため,どうも頓珍漢な感想を書きそうな気がして,うまく書けないなぁ…というきがしました。しかし今回はライターである歌田氏がその辺をうまく租借したり突っ込んでいただいているため,非常にわかりやすい本になっているように感じました。特に非常にうれしく思ったのが,過去の脳科学の流れから現在にいたる課題を実に丁寧に取り上げていること。とくにここ数年の大きな変化をきちんと述べられていることです。
こういう現在の状況をしると,「脳の時代だ」などと高らかに宣言して出版されている多くの他の書籍が実はすでに時代遅れの考え方で書かれているのだなとわたしは思いました。何せここ10年で従来の考え方は見事に壁にぶつかっているからです。
脳の機能を場所で説明するやり方はアプローチはいいとしても,そこから次の考えに移らないと結局問題は解けないという事 らしいです。
こういう一般にもわかりやすい内容で,かつ最前線の状況を説明してくれる本というのは非常にうれしいものです。音響ではこういう本っていま無いのですよね…。
なんとなく自分が今まで考えていたことの幾つかがそこまで的外れでなかった…とわかったこともあり,ちょっとうれしかったりもしました。いろいろ難しい分野かとはおもいますが,興味はつきません。
(読み終わった時期:05/05/03)
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魂の螺旋ダンス(ISBN:4807404164)

2005-01-13 06:45:55 | 書評
本屋で見つけたとかじゃなくて実は知り合いに奨められて読んだ 本なのですが…読んでみて…,すごくおもしろかったです。 この本はこれまで人間が(歴史的に)経験してた宗教に関する 考察の本です。

わたしは宗教の本,歴史だったり,思想解説だったり,その他諸々 だったり,とっても好きなのですが,なぜかというとそれは 宗教は人もしくは人々の思考の癖を反映したものだと思うからです。 この本は従来よくあるような宗教の思想解説だったり歴史ではなく もっと根本的な話,かって歴史上に登場した(そして 現存している)宗教が人にとってどういうものであったか?…,を 考察し,それを受けれ我々がどうそれに直面していくか?を提案している ものです。

本によると宗教はかっての部族社会の信仰から国家宗教,超越性宗教, そして絶対性宗教へ変化していく時,それは個と教えの関わりという在り方と, 集団と教えの関わりである間を螺旋のようにいったり来たりしながら 上昇しているとしている(単純ですが,これだけじゃわかりにくいので 本を読んでいただけるとわかります)。このモデルを元に今後どういう 次元に行くべきか?…という提案がされている。

さて,この本,当初「なんでこんなおもしろい本が,マイナーな 出版社から出ているのだろう?」…と思ったのですが,読んでいくうちに 実は結構過激な内容であることがわかり,ちょっと納得しました。 それはこの本はあらゆる既存の宗教を相対化する恐れがある…というか むしろそれを推奨しているからです。中には現行の宗教も解説しているため, そういう意味での過激さがあります。もっとも著者はあくまでも「一つの 考え方」というスタンスで論を展開しており,決して押し付けがましいところは ありません。

もう一つこの本のユニークなところは,宗教を神秘体験という側面から 論じているところです。これまでの宗教を解説した本は,主に教えの 内容,論理性,そして歴史だったりするのですが,神秘体験は言葉では 表現しにくいためか,ほとんど語られていなかった気がします。しかし この本ではそれを主軸に論じてます。考えてみたら宗教というのは 神秘体験がかなり重要なものなわけで,なぜ人がそれを信じるのか, 帰依するのか…というのを考えるときに,それを抜きに考えることは 出来ないかと思います。そういう意味では,それについてほとんど 扱っていない これまでの宗教解説書はある意味片手落ちだったとこの本を 読んで思いました。

著者のスタンスは,もともと根元的な神秘体験を少年自体に 体験しており,それが何かを知るためにいろいろな宗教を勉強し 自ら体験してきたというもの。それはある意味,なりたいものが 先にあって,そのために道を探す行為であり, 本質的なものだと感じました。

ところで,わたしは「科学」も宗教の一種だと思ってますが, この本では科学については扱っておりません。もっともそれについては 実際に自然科学の分野で生きているわたしなどが考察すべきことなのかな, と思いました。
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