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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

いーじゃん!J-POP(マーティ・フリードマン)

2008-05-17 06:33:26 | 書評
ちょっと前にニュースに紹介されていたこの本。読んで読みたくなって買いました。
マーティ・フリードマンはNHKの英語番組とか,いろいろ出てるようですが,わたしが見かけるのはもっぱらタモリ倶楽部で。元メガデスのギタリストという肩書きを良く見ますが,わたしはメガデスをしらないので,日本語がうまい日本在住の米国ギタリストという認識です。
この本は三部構成になっていて,一部がマーティの半生,二部がマーティが選んだ日本のJ-POPベスト40,三部が日経トレンディに連載しているJ-POP批評となってます。
第一部はなぜマーティが日本に住んでいるか,なぜあんなに日本語がうまいのか,もともと何の仕事をしていたのか?が書いています。わたしの中では変わった外人…という認識だったマーティが良くわかりました。二部は,ベスト40ですが,これは本人が書いているように日本人はランキングが好きなので書いてみたという感じ。ただ彼のJ-POPの好きな点が非常にわかりやすいです。
最初のリンクでもわかりますが,マーティはJ-POPが大好きで,それは,J-POPはスタイルの縛りがなくて何でもありって事,アメリカでは考えられないような音楽の要素の組み合わせがたくさんあって,とても面白いらしいです。
全体的に非常にポジティブに書かれいてとても気持ちいです。まぁ日本人は外国人から日本をほめられるととても喜ぶ…という感じだと思うので,読んでうれしくなるのもこっぱずかしいところもあるのですが,日本に住んでいると当たり前に思っている音楽性が外から見ると,そういう風に面白いのか…とわかるところはとても興味深かったです。もうすっかりJ-POPは聴かなくなってますが,紹介された曲も聴いてみたいと思いました。
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人体 失敗の進化史 (遠藤秀紀著)

2006-09-19 19:55:32 | 書評
著者の遠藤氏は動物の死体を解剖する学者らしい。死体の解剖というと人間の方は養老先生がそうだったりするのですが,実際に死体や体を手にしてる人というのは,一般の人とは違う独自の視点をもっていておもしろいと思います。

この本は著者が人間の進化…について書かれた本です。基本的には一見進化論の様なんですが,進化論というと,「その環境に適応した種(そのように進化した種)が生き残った」という風に,あたかも生物の方が環境に適応した…という様に読めます。しかしこの本は,同様のことを「その場しのぎで設計変更してなんとか間に合わせた」みたいなことを書いてます。
つまり例えば人間の耳の中にある耳小骨は元々耳のためにつくられていたわけじゃなく,頭が地面から上がって地響きじゃなくて空気経由で音を聴く必要が出来た際に,顎の骨の一部を無理やり変形して使用した…とか。また肺も浮袋変化させ間に合わせでつくった…とか…そんな話がたくさん書いてます。
無理やり間に合わせで設計変更したので,無理もあるわけで,特に二足歩行をする人間は本来の動物の設計方針からするとかなり無理をしているそうです。それが肩凝りや脱腸につながっていると。さらに,二足歩行とは別ですが,人間に月経があるのは,本来の成人女性は原始状態では,妊娠か授乳しいてる期間が長く,月経をしてる期間というのは短いのではないか?…と書かれています。実際アフリカとかの女性はそんな感じ(子供が3~5才くらいまで授乳している)らしいですし。つまり月経に苦しむというのは乳母とか哺乳瓶とかそういう文化から大きくなっていると…。

いろいろなるほどと思えることがたくさん書かれていておもしろかったです。

これを読んだとき個人的な状況から,本来の脊椎動物は内臓が背骨からぶら下がってるのだけど,人間は垂直歩行をするために,それが出来ず,それゆえに横隔膜にぶら下がったり,骨盤で受け止めている…っていう話が,非常に納得させられました(^^;)。
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階級社会~グローバリズムと不平等(ジェレミー・シーブルック)

2006-08-10 10:18:56 | 書評
…そういうわけで,折角ですので表題の本の書評をアップします。これは04年08月に書いたものなんで,ちょっと今だと違うこと書くかも知れませんが,読み直すのも面倒なので(^^;)…。


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王族貴族制度が解体されて階級社会がなくなったと言われる現在の西洋(作者はイギリス人)であるが,どっこいグローバリズムの中で富むものと富まざるものの格差は広がりつつある。先進国でのかっての労働者は現在ミドルクラスになりお金持ちはグローバルリッチとなり ますます富むものとなる。先進国での貧困層の消滅は単に発展途上国にその役割を押し付けたに過ぎない…。そういうことが書かれている本です。
資本主義は経済格差がないと成り立たないのでは?というわたしの疑問についてやっと書いてある本が見つかりました。もっともこれは現状を書いてあるだけで解決法が書かれているわけではありません。そして現在の世界を支配しているリッチ層がいかに巧みに我々(中間層?)をコントロールしているかも書いてあります。有権者である 中間層の不平を押さえるにはホンのちょっとだけ彼らを裕福にして上げれば良い,そしてその何倍もの富を彼らは得ている…。
階級制度が崩壊し,(少なくとも国内では)貧富の差が減るか?と思いきや,国内でも実は貧富の差(というか金持ちの資産が増えるという形で)が増えているとのことです。つまり明らかにグローバリズムは貧富の差を増やすように動いているとのこと。
階級制度が崩壊し誰もが同じ機会を持つようになったかと思いきや,実は人間は生まれた瞬間に才能のみならず機会にも不均衡があらわれます。そして我々には支配階級というものはありませんが,なにか目に見えない 力によって強制的に働かされています(みんな意識してないだろうけど)。その正体は何なんでしょう?。資本主義は我々の購買意欲,生活向上意欲を刺激する形の情報をバラマキそれにより我々を支配しているのです。
共産主義は崩壊し資本主義という形が世界を支配する現状,人間社会はどこに向かうのでしょうか?…と考えさせられました。
ちなみにイギリスで階級制度が崩壊した(普通選挙が実現した)過程を丁寧に書いていて,勉強になりました。つまり貴族制度は土地(農地)しか生産をしてなかった時代には土地を管理している貴族に力があるが,産業革命と交易で土地を持たないものにも富裕層が出てきたために,彼らにも力を与える必要が出てきて,更に生産者は労働者に投票権を 与えることにより,更に彼らに都合がいいように出来たということの様です。
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だから山谷はやめられねえ(塚田努著)

2006-05-26 10:52:16 | 書評
本著は大学院生であった著者がドヤ街に興味を持ち,山谷(ドヤ街)や飯場に泊まり込みで潜入した記録です。とはいえ,タイトルは「山谷」ですが,実際は飯場に泊まり込み働いた記録の方が多いです。
いずれにせよ著者自身の体験を書いてますので,時系列的にそれぞれの場所に行き,泊まり,そこの人と話したこと,知ったこと等を書きつつ,大学を出てサラリーマンになるという人生と,ドヤや工事現場にいる未修練の労働者の人生の違いをいろいろ考えてます。
わたしの個人的なはなしをちょっと書くと,わたしもドヤに興味を持ち山谷や横浜の寿町を観て歩いたことあります。なので著者が興味を持つのにも共感できるし,実際にそこで半年を過ごした経験は興味深かったです。こういうところに興味を持つのは決して差別や優越感を持ちたいというのではなく,自分達と違う社会常識で生きてる人間を見ることにより,自分達が今捕らわれている価値観をメタな視点で見たいという事の方が強いでしょう。同じような理由でホームレスの生活を観察したこともあります。
ただわたし自身がそういう事を考えた事があるせいか,はたまたこの著者が,まだ社会人経験のない学生のせいか,著者がこの世界を見て語る所感は,若干青いというか頭でっかちな気もしました。ただ本人の葛藤や問題定義は,間違った方向ではないとは思います。このあと著者は普通に就職して社会人になろうとしてるようですが,その経験を重ねた後に,この経験を省みたときに何を思うのか,また聞いてみたい気がします。
とはいえ,ドヤや飯場のしくみのレポート,またそこで出会った人の観察記録は純粋におもしろかったです。わたしはこの世界に興味をもったのは就職してからだったので,著者のように潜入して…っていうのは出来なかったので,興味深く読ませて頂きました。
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脳内汚染(岡田尊司著)

2006-05-08 15:46:03 | 書評
この本を買った理由は忘れましたが,/.jpにトピックとして挙っていたので,それで買う気になったのかも知れません。リンクでは,例によってトンデモ本扱いしてるコメントが多いのですが,中には「トンデモ本扱いする人こそ読まずに決めつけてる」と言ってる意見もあるので,それで読む気になったのかも。ちなみにサイコドクターぶらり旅さんの感想が,結構冷静で参考になります。

わたしとしては…,まぁわたしもゲームや映像メディアが少年少女の凶悪な事件の原因になってる部分もあるなぁ…とは思います。でもそれは新しいメディアが生まれれば,そういう要素はどんなものにもあって,やはり繰り返されてきたこと。映像メディアに限らない話なのでしょう。
読んでいてちょっとひどいな…と思ったのは,犯罪がアメリカでは1960年代から,日本でも80年代あたりから増加してるのに,ネットとビデオゲームを集中的に叩いていること。そのころはネットもリアルなゲームもありません…って:-p。もちろん,著者はテレビの影響も言ってますが,口調が全然違います。自分がテレビ世代だからテレビのことはあまり強く言えないって事でしょうか?。
あと,ゲームにのめり込む子供の事をまるで薬物中毒の様に言うこと。根拠で脳でドーパミンが増えるから…と言ってますが,別にゲームに限らず,スポーツやセックスやその他楽しく興奮するものはなんでも出ますって…。最近なんでも脳内物質とか脳の活動…とかそういうところにスポットを当てて語ろうとする傾向が強いですが,少し抵抗を感じます。脳を観ると人間の心がわかったようになる…っていうのもどうかなぁ…と。
で,まぁゲームをやってると脳が興奮してハマル…なんっていうのは今更ながら当然で,だったらなぜそれがスポーツやセックスより悪いのか?…危険なのか?…っていう辺りを語らないと話にならないと。個人的には著者も一応指摘してますが,はじめる年齢が低いと問題,あとスポーツとかと違って肉体的な限界が来にくい…っていう問題もあるかな…とは思ってます。
まぁそれはいいとして,ゲームだから危険…という考えはどうかな…と。どんなメディアでもどんな娯楽でもそういう要素はあるし,逆に「癒し」というか犯罪を抑制してる部分もあるでしょう。人間の心とからだの成長を促している部分もあるでしょう。情報や趣味にはそういう部分があるし,多様化してるので,旧来の常識が当てはまらない…って言う部分がふえてるのも想像できます。わたしはむしろそういう新しい情報から子供達を遠ざけるのは無理があると思うので,むしろそれに勝る強い社会規則のようなものをどうやって体や心に埋め込むか…とかそういう話をしてくれたらいいのに…と思います。まぁでも確かにゲームには悪いものもあり,小さい子供にはなにを与えるかは考えた方がいいだろうなぁ…とは思います。別にゲームに限らずTVや本もそうですが,子供がのめり込んで面倒観なくていいから…って感じで安易に与えるのはどうかとは思いました。

まぁ…とはいえ,反論だけ挙げてもつまらないので,比較的うなずけるところを書きましたが,基本的にはこの本に書かれてるのは「言いすぎ」だとは思います:-p。
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無思想の発見(養老孟司著)

2006-03-13 13:45:55 | 書評
大変おもしろく意義のある本です。わたしは養老氏のファンで著作は結構読んでいるのですが,それでもこの本はある意味がある気がします。最近出ている壁シリーズは一般向けの口述筆記の本ですが,この本は養老氏が直接書いたものです。養老氏の著作はたくさんありますが,「唯脳論」および「日本人の身体観の歴史」あたりを読むとだいたいの氏の主張は見え,他の本はその辺のを元にいろいろ脹らませた印象があるのですが,今回の本は,唯脳論から次の段階に進んだとの印象を受けました。
「唯脳論」の斬新性は従来だと観念論に似た世界観を「脳」という物体にリンクさせ,そして近代化,都市化を「脳化」と論じた事でしょう。そして「日本人の身体観の歴史」では氏の数々の主張の根源でもある肉体の実感が語られてます。
本作は導入部こそ現在の日本における近代的自我の問題,もともと日本には自我なんってものはなかったのに,明治以降慌てて取り入れたので,弊害が大きい…というところから始まってますが,この本の骨子は,日本人は無思想・無宗教であることと,無思想は思想における「零」であるということです。タイトルは「零の発見」をもじったものでしょう。
日本人が無思想・無宗教というのはいろんな人が指摘してます。また無思想自身が「思想」であるという見解も何人かの人が述べてます。それを「数字における零」の様なものでは?と言ったのがこの本の重要な点です。数字は零を導入することによって,記述法も簡易化されましたし,マイナスの発見にも繋がりました。無思想を零の様に思想に組み込むことで,思想を整理したら便利ではないか?ということです。
とはいえ,この本では無思想の特殊性もたくさん挙げてます。「思想」は概念的なものであり,反して日本人が持っている「無思想」は実践的なものです。思想や理論に基づかないのであれば,何によって行動しているかというと,「世間」とか「かたち」だそうです。日本には思想はないけど,世間に合わせる,かたちからはいる…というのはあると…。
おもしろいな…と思ったのは,確かに宗教や思想が声高に叫ばれている地域は実際の世間が荒れていて,とても合わせられないような状況だったりします。実際の世界がひどいので理想としての思想を語る,逆に世間が安定していたら思想など要らない…ということかもしれません。
また思想は概念であるが無思想は実践であり感覚であると…。頭で考えるのではなく五感で感じて答えを出すということを日本人はやってきたのではないか?…と。
これらの話は最近日記で日本人が何に対して一体感をだしているのか?という疑問を書いてましたが,この本を読むとそれは天皇ではなく,世間であると,そして世間主義(無思想)であるという気がします。
もう一つ重要なことを言っているのが,「反対があるのではなく補間である」ということ。例えば「同じ」と「違う」は反対ではなく,補間であると。だから対立するものではない。概念と感覚も対立ではなく補間であると。
というわけで,目から鱗が落ち読めました。もっともこの本にはそんなに説得力があるわけではありません。そもそも無思想なのですから,言葉で表現出来ません。氏も言葉でツメテ説明することは放棄してます。この放棄の仕方自身が養老節なのですが,この辺を胡散臭いと思うかも知れません。でも,元々養老氏は「言葉で言っても伝わらない」という人なので,それも彼の意図のうちでしょう。
この本を読むと,最近の日本はけしからん,昔の方が良かった…という主張と捕らえる人も多いかも知れません。しかしそうではありません。盲目的な過去回帰というよりは,盲目的な西洋思考信仰への反論…と言った方があってるでしょう。いずれにせよ,この本を読んで盲目的に信じることは本の主旨を誤解してます。自分で(考えてじゃなく)世間を感じて行動しなさい…というのが,一番あっているメッセージな気がします。
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スポーツ倫理学講義(川谷茂樹著)

2006-02-05 08:41:14 | 書評
実はこの本も紙屋研究所さんの批評で知った本です。
そこにも書かれてますが,哲学者である川谷氏が哲学的手法を用いてスポーツのエトス(本質)とは何かについて書いた本です。講義形式で書かれてますので,口語調です。扱ってる問題は例えば怪我をしている相手の傷を攻撃することはいいことか?,ドーピングの問題は?,ボクシングは?,等という良くスポーツで問題になるようなことがらを取り上げてます。
結論をいうと川谷氏はスポーツのエトスは「勝つこと」だといってます。それから「ルールを守ること」はスポーツをスポーツ足らしめるために必要だ…ともいってます。つまりルール内であれば相手を痛め付けたり(一般的に)卑怯といわれることをやるのは当然のことだと言ってます。そしてスポーツのエトスが勝つことであることを証明するためにいろんな角度からそして他の対論について考察してます。
非常に納得性が高い内容でした。おもしろかったのは,スポーツが語られる時,実はスポーツの中(スポーツのエトスにしたがった)の考え方とスポーツの外の考え方が混在して語られることが多い,故に上記に挙げたような混乱が起きる…と述べていることです。つまり相手の弱点をつくというのはスポーツのエトスには反してないが,スポーツの外の,つまり一般の社会では良くなこととされているので,その常識を持ち込んでいて話がややこしくなっているとのことです。なるほど…と思いました。
まぁそういう内容も然る事ながら,スポーツの本質というひとつの問題に対して一冊の本を使って考察するという手法の方もおもしろかったです。哲学ではそうなのでしょうが,数値データが存在する自然科学ではひとつの問題をこれだけいろんな側面から考察することはあまりないので,新鮮でした。というかデータを使わず論旨だけで証明するには(といっても数学的には証明されてませんけど)これだけを要するのだなぁと思いました。
あと,あとがきに書いてましたが,著者は小学生の時に一緒に野球をやっていた友人に「何がなんでも勝つ」というタイプの人がいたということ。わたしも大学の時に高校野球をやっていた友人がいて,彼からはいろんなことを学びました。趣味でしかスポーツやってない人と違って,本気でスポーツをやってる人間と話すというのは実はいろんな発見があるとわたしは思ってます。著者も小学生の時の原体験が,「勝つこと」がスポーツのエトスであるという実感をもたせるのでしょう。
おもしろかったです。
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S60チルドレン (川畑聡一郎先生のご冥福を祈ります)

2005-12-19 14:57:42 | 書評
現在発売中の週刊イブニンブの416ページを観て驚きました。今年の夏までに「S60チルドレン」という連載を行っていた川畑聡一郎先生が亡くなられたそうです。31才。桝田道也氏のところに訃報があります
正直に書くとわたしは川畑先生については「S60チルドレン」しかしりません。というかおそらくこの作品が初めての長期連載だったのではないでしょうか?。わたしは熱狂的なファンではありませんが,妙な味があるこのマンガを気に入り,一応単行本(全4巻)はそろえております。なので,作者のことはわからないので,マンガのことなどを。本来ここはマンガの感想を書くところじゃない(マンガの感想を書くところは別にある)のですが。

S60チルドレンという作品は昭和60年頃に鹿児島で小学生低学年を過ごしている少年少女達の日常の物語りです。なぜ鹿児島か?…というと作者がそこの出身だからだそうです。ですので,この物語りには当時の流行なども合わせて非常にその空気を持ち込んでいます。
このお話の秀逸なところは子供を人種として描いている,つまり大人とは別の生き物として描いている。もちろんSFじゃないので普通に親や先生と生活してますが,子供は子供の社会があり,そこの原理で動いているということです。そして主人公の男の子は,妙に物事に冷静な視点を持っているものの,クラスメイトの誘いに流されたり,変な虚栄心があったり…と実にその心情を丁寧に描いています。例えば馬鹿馬鹿しいと思っていても,友達とお菓子やそのおまけを買ったりとか,遠足にいくとなぜか周りになじまない自分を感じるもののどうしようもないと思ったりとか…。
いきなり自分の話をしますが,わたしは子供の頃自分は正しく(大人でいうところの論理的に)思考できてると思ってました。そしてそれが現在まで続いているところからして,現在のわたしの記憶では当時の自分はきちんと物事を考えていたと思ってます。しかし実際に例えば小学3年の子供と接したり,当時のとある行動面だけを思い出すと,やっぱり突拍子もない行動をしたり,変な顔とかをしたりとか…そういうことはやっていたように思います。つまり自分は過去の自分はちゃんとしていたと思っていても,実際はそうでないことが多いのではないか?…と思います。広げると人は自分の過去を過大に正しかったという記憶に書き換えてしまうのではないか?…と思います。
話がそれましたが,この作品でも主人公はおそらく大人になって思い返した作者の記憶が元になってると思います。しかし秀逸なのはそれでても子供故の大人とは違う思考をうまく表現できていて,それが大人である我々が当時の自分にうまく入っていける事になってるのだと思います。
この作品はギャグというよりは妙なノスタルジーがある作品で,おかしなことをやっていても笑うというよりは,どこか懐かしく寂しいい感覚をわたしはおぼえます。そしてその中にある子供の社会のシビアさ,ある人はクラスになじめず不良のグループに入ったり,ある人は塾に通って勉強するも頭がいい友人に勝てず,それでも自分のプライドを何とか保つとか,そういう子供なりの社会をうまく描いていると思います。
S60チルドレンはおそらく読む人によって胸に込み上げてくるものが違う作品だと思います。それゆえに良い作品だとわたしはおもいます。
そして,この私小説的な作品からどのように世界を広げていくのか?,これからが楽しみであった川畑先生が亡くなられたことをとても残念に思いました。ご冥福をお祈りします。
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ブエノス・ディアス,ニッポン~外国人が生きる「もうひとつの日本」(ななころびやおき著)

2005-12-13 17:47:47 | 書評
著者は現役の弁護士。主に…というわけではないらしいのですが,海外から日本に出稼ぎに来ている外国人からの依頼を受けることが多いそうです…といってもほとんど金にならないらしく稼いでいるのは別件だったりするそうで…。

ほとんどが著者担当した案件についてかかれています。主に海外から出稼ぎに来てビザが切れてオーバーステイになってという人があることで不具合を被る。それは法務局にばれて強制送還…という場合もありますが,事はもう少しややこしい場合が多いです。
…というかこれを読むまで実態がこうなっていることにわたしはあまりにも無関心というか知りませんでした。日本にラテンアメリカや東南アジアからの出稼ぎ労働者が多数いることは何となく把握してましたが,オーバーステイになってそのまま日本で数十年以上暮らし続けている人がかなりいるようです。数十年も暮すと当然結婚したり,子供ができて子供は日本語しか喋れなかったり…と,そういう状況で家族ともども強制送還になってしまったり,病気になっても保険に加入できなかったりとか…。
著者の案件は主にそういうものに永住許可を得るための裁判を担当したり…とかいうものが多いようです。
著者は本書のまえがきで以下の四つをこの問題の本質と言ってます。

「『専門知識,技術を持った外国人のみを受け入れる』という政府の方針は建前に過ぎず実際は外国人労働者の多くは単純労働者であり,実際は彼らから多くの恩恵を受けている」,
「漢字の文化が漢字圏以外の外国人の地位向上を阻んでいることへの 無自覚」,
「外国人が異なる存在であることを前提に,外国人管理をしようとし条件の違反に制裁を加えようとする」,
「在日外国人の問題を外国人を差別するのが当然という視点で管理していること」。

つまり我々の認識では海外から日本に働きに来てビザが切れても働いているのは彼らが悪い…,そしてそれで不利益を被り挙げ句の果てに非行や反抗に走るのは彼らが100%悪いとなっているように思います。というか申し訳ないけど,わたしにはそういう感覚がありました。しかし著者は海外から単純労働者を受け入れているという現実があるのに,彼らが被る不具合を解消していないため,彼らを追い詰めているのは国の方だと…。
実際に本の事例を読むと,そういう風に書いているからでしょうけど,かなり気の毒に思えるような部分があります。著者は弁護士だからそういうことに対してクレームをいいますし,それには「そうだよなぁ…」と感じます。
ただし一方でわたしの中には「そうは言ってもそういうルールなんだし,それを承知で入国してるのではないか」(もっとも法務局の運営基準も不透明らしい)とか,「外国人労働者が日本人なみに暮しやすくなることは,海外から大量の労働者の流入を招くことになり日本人の仕事を奪うことにならないか」とかいう感情もあります。正直わたしは著者がいうように実態に合わせて,いろいろ緩和することにすべて同意…いえ多分ほとんど同意出来ないように思います。もちろんそういう部分とは違って単純に改善すべき点で同意できるところもたくさんありますが…。
ただ著者に賛同していいか悩むところであはあるものの,わたしたちの目につきにくいところで,多くの人達が苦しんでいて,結果的に彼らを追い詰めてしまってたり,またわたしたちが無意識に彼らを差別し排除してしまっている現実はやっぱり知っておかないといけないのだと思います。

最近の現実の事例でいうとフランスでの移民系の若者の暴動,そして日本国内でも不法滞在者による犯罪などが話題になります。その際に安易にマスコミの情報で思い込みをつくらないためにもこういう本を読んでおく必要はあるのでしょう。
ちなみにこの本によると外国人の犯罪が必ずしも日本人に比べ物凄く多いとも限らない様です。また上記のわたしの感想を読むとなにか外国人が悪いことを犯した事ばかり書いているように思うかも知れませんが,実際は不法滞在であること以外は実に実直にひっそりと暮している例がたくさんあり,それでも非常に不利益を被っているという現実があるようです。
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下流社会~新たな階層集団の出現 (三浦展著)

2005-11-21 16:24:46 | 書評
大変売れている本らしい。もっとも最近はこの手の社会の不平等というか二極化というか一億総中流の崩壊とか,その手のことを書かれた本は結構出ていてそれなりに売れているようです。つまり社会的な関心が高いということでしょう。実際にフリーターやニート,ホームレス…などTVでもしょっちゅう話題に挙がってます。
もっともこの本,どこか学会で発表するような社会学者がなんか眉唾ぎみなコメントを書いてるのを読んだ気がするので,学術的に正しいことを書いているかどうかはわかりません。実際に読んでみるといろんな調査の数字を挙げて論を展開していますが,どうもわたしにはその数字が有意差があるような数字に見えない場合もあったり,あと都合がいいところばかり取り上げてるので,逆の説明が出来ないか良くわからないところもあります。
この本がやってることをひとことで書くとレッテル貼りだと言えるでしょう。日本人を幾つかのグループにわけ,それにレッテルを貼っています。しかし先に書いたようにデータの見せ方に疑問があるにしても,そのレッテル貼りはすっとわたしの中に入ってきました。ということはここに書かれていることは「物語り」として優れているか,普段わたしが考えていることに近いということでしょう。
ちなみに何が書かれているかというとタイトルから想像できるように,日本人の多くが現在,そして未来下流化していくと,一部の金持ちと多くの下流という風に二極化するということを書いてます。もっとも下流といっても食べるのに困るような生活ではなく,インターネットやTVゲームのようなものは持っている,ただ仕事に関して上向きな希望はないし,結婚できるかも結構危ぶまれる様な層とのことです。上向きではないがそこそこ幸せでいいのではないか?…それともこのままいくと大変なことになるのか?…についてはこの本では明言はされてません。ただ幾つかのグループの嗜好や考え方を考えて取り上げているだけです。
もう一度書きますが,ここに書かれているレッテルが正しいのかは現時点ではわかりません。ただし物語りとして良く出来ているとは感じました。問題はこういうのが事実であろうとなかろうと,物語りとして良くできていれば,こういう考え方が世間にどんどん広まっていく可能性はあります。そうすると人々の意識自体がそういう風になってしまいます。そうして自分がどのレッテルに所属しているかを明確に意識する様になりそうなるとそのグループ間の対立が起きるかも知れません。そういう意味で言うと日本で暴動やテロが起きないのは現在日本人がグルーピングされていないからであり,こういうグループ意識が高まることが果たしていいのかというと,少し疑問に感じるところです。
ところで,著者は男性の場合「ヤングエグゼクティブ系」「ロハス系」「SPA!系」「フリーター系」に分けてます。わたしの場合ロハス系なんだろうか?…と思いましたがSPA!もたまに立ち読みするんだよなぁ,サブカル好きだし(笑)。
わたしは自分が何流かと問われるとおそらく「中の上」と答えると思います。こういう自分が読んだ感想は上記の通りです。現在増えているといわれる中の下を意識している人がこの本を読んだときにどう思うのかはわかりません。
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