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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

死にいく事,残される事

2008-12-14 16:54:46 | 医療・福祉
朝日新聞に末期がんの妻を死なせた男性の話が載ってました。
最初朝日新聞はこういう男性に手紙を出すのか…とか思いましたが,実際男性も電話で語ったということは,男性のほうも何か世間に語りたいことがあったのでしょう。まぁその心情もわからないでもありません。
というわけで,記事を読んだのですが,かなり重いなと思います。なんかすごく悲惨なことの様にかかれてますが,わたしには全然特別なことに思いません。つまり悲惨なこと…と他人事の様に見えるのではなく,自分の未来のようにも見えます。
夫婦で暮らしてどちらかががんになり苦しんで,残ったほうが観てられない…なんていうのは,普通にありそうです。というか人間は必ず死ぬのですから。また子供達と別居していて,介護してもらえないという話もありそうです。
というか,この二点だけ見たらうちの親とかすぐにでもそうなりそうです。そういう意味で全然他人事ではありません。
この事件を起こした夫婦がなぜそうなったのか,わかりそうでわからなそうで…という気はします。自己破産に追い込まれて家も失ったことが,彼らを追い詰めたのか?。なぜそうなったのか,いろいろ考えてもいいのですが,まぁこの辺は実際のことなので,第三者があまり想像しても仕方ないのかもしれません。
とにかく,この方たちが大変だったのはわかります。残されたご主人は今後少しでも心安らかに過ごせたら良いと願います。
…。
一般論にしてしまいますが,自分のことを考えても,自分がまた病気になって治療にいろいろとお金がかかる場合に,いくらまで使うべきかというのは,わたしも非常に悩ましく思ってます。保険の範囲で行えばもちろん上限はありますが,差額ベッドや通院とか,保険以外にかかる費用もあります。わたしの親も田舎で病院にいくのにタクシーを使ったりもしてますが,お金は足りているのだろうか?,とか心配になります。また保険範囲で手に負えなくなったときに,保険外の治療に手を出すべきかどうかも非常に悩ましいです。この問題は混合医療が話題になったときも悩みました。
個人的には身近な問題ですが,まだ答えは出ません。自分の親のことを考えても自分のことを想像しても,死にいく人のためにどうお金を使うのか,残された人のためにどれだけの財産を残すのか,きっとそのときに走りながら考えるのでしょうけど…。
あとがんの治療の話で言うと,緩和治療とか死にいく人の苦しみの話もあるのですが,…,その話は今回はおいておくことはします。重要な話というか,そういうのもあるので,そのときにならないとわからない話でもあります。
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NHKスペシャル がんの話を観て

2008-12-02 22:41:56 | 医療・福祉
NHKスペシャル「さまよえる がん患者」をみました。実はこの番組の番宣を観たとき,とても怖い内容でみたらおびえてしまうのではないか?と少し不安だったのですが,実際見たらそうでもありませんでした。
番組の内容は,要は末期がん患者ががん拠点病院から追い出されて他の病院にいかざるを得ない状態になっているという話でした。
確かに怖い話ではあるけど,完治が見込めなく,さらに抗がん剤も効かなくなった患者というのは後は緩和処置になるので,がんを治療するための病院にいても仕方ない,というのは,少なくともわたしは以前からわかっていたことで,特には驚きません。怖いのは再発すること,抗がん剤が効かなくなることであり,病院の体制や処置というのは,あまりがんの悲惨さの本質ではないとわたしは考えます。
それに,国ががん対策基本法で拠点病院を作ったから,がん難民が増えてるというのは,つまりがんの治療強化の病院を作ったから,そこに入れない人がいるという,なんか言葉遊びの様にも思えます。強化をすれば,当然病院に差が生まれるのは当然で,その結果,治療の優先度が高い人が,そこを使い,治療方法が無くなった人がそこを去るのは,なんか当然の様にわたしには感じました。
むしろがんの怖い面を直視せず,国とか組織とか病院のせいにしてごまかそうという感じがしてそちらの方が少し不快でした。確かに抗がん剤も効かなく末期になった患者からすると,がん拠点病院を追い出されるのは,ものすごくいやでしょう。病人は些細なことで悩みます。そして家族も悩みます。でも,それは制度がどうであれ,完全には解消されない悩みです。常にそのとき最高の治療を受けたいというのが心情でしょうが,その治療がない場合の絶望だったり,最高をみんなが受けられない場合の絶望だったりするのですから。
がんの再発の怖さというのは,意外に…というかわたしもかってはあまり考えたことがありませんでした。そういう怖さを伝えるという意味では,今回の番組は意味があったのかもしれませんが,国の制度だけを責める様になっていたつくりにはあまり賛同は感じませんでした。むしろその怖さの中で,家族などの周りがどう支えていくか?,そして自分がそうなったときのことを少しは考える,そういうことの方が大事なことの様にわたしには思えます。
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専門用語がわかりづらいのは背景の理解まで求めるから

2008-10-22 09:15:10 | 医療・福祉
なんかTVや新聞で病院での専門用語言い換えの話が話題になっていたのでなんだろう?と思ったら国立国語研究所で「病院の言葉」を分かりやすくする提案の中間発表があったらしい。

わたしはこれまでもTVの報道とかで言われている,安易な専門用語の言い換えの推奨に関しては反対です。言い慣れた言葉に直すということは,かえって別のイメージが浮かんで誤解される可能性が高いと思うからです。と思って,国研の発表を見たら,まぁまぁ納得はいくものでした。やっぱりマスコミの端折った説明だとどうも不正確になるらしいです。マスコミはわかりやすく説明しようとしてるんでしょうけどね:-p。
IT用語やビジネス用語だって,どうしてわかりにくい言葉を使うのだろう?と思うのはたくさんあります。どうして「利益」といわず「ベネフィット」というんだろう?とか,「連携・提携」といわず「アライアンス」というのでしょうね?。謎です。たぶん利益とか連携とか言っちゃうと古いスタイルのそれを指すと思われるから,新しいやり方ぽくするためじゃないですか?。ソフトウェアだって,ライブラリとか,モジュールとかスタックとか似て異なるものがたくさんありますが,どうして簡単に言い換えないのでしょうか?。
おそらく新しい言葉を使うことで,言葉の文字面だけではなく,その周りに付随するような社会的背景まで相手に想像させることが可能だからじゃないですか?。
医学用語に戻るとわたしはなぜ,科学的根拠に基づく医療をいちいち「エビデンス」といわなくてはいけないのかわかりません。「科学的に立証されてる」といえば済むように思います。でももしかしたら「以前科学的に立証されている」とされていた条件の中には海外では「エビデンス」とはいえないものもあったのかもしれません。ってことは,新しいエビデンスという言葉を使うことにより,これまでとは違った新しいやり方であることを示すことになります。そうであれば,これを古い使い慣れた言葉に直すとニュアンスが変わってしまうのでしょう。
まぁそういうのもありますが,わたしがもともと医学用語を日常用語に言い換えるのに反対なのは,使い慣れない言葉を聞くと,わからないので調べて正確な意味を知ろうとするだろうからです。わかりやすい言葉に治せば調べもしないで,きっとこういうことだろうと思うように思います。医学は日々発達してるのですから,最先端を知るには専門書を調べるのが一番です。
言いかえが必要な言葉があるとしたら,日常の言葉と同じ言葉で意味が異なる医療用語で,頓服やショック,貧血とかそういうのはそうかもしれません。今回もそういう指摘は発表の中ではされているようです。

TVではメタボの意味が正しく理解されてないというのを報道してましたが,こういう新しい言葉で一般の人が知ってるのに意味を理解されてないとしたら,それはマスコミが間違った使い方を広げたからではないでしょうか?。そういう反省はないのでしょうか?
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遺族の心のケアを医療に求めないでほしい

2008-09-05 12:39:46 | 医療・福祉
一昨夜の9時のNHKのニュースを見ていたら,トリアージ関連の話をしていました。トリアージはwikipediaにもある様に災害時などの救命現場で,人手が足りないときに患者に優先順位をつけることで,軽症な人や,命が助からない人よりも,治療をすれば助かる危篤患者を優先することを指します。確かに患者を仕分けをすることや,こういう極限状態での医療関係者の判断基準とかいろいろ議論があるところで難しい問題というのはわかりますが,こういうことの必然性はわかります。助からない人にいつまでも手をかけるより,その手を手を施せば,生存確率が大きく好転する人を優先するのは,おかしなことではないと思います。
しかし昨日のニュースはおかしなことを言ってました。実際に電車事故だったか?天災だったか忘れましたが,多くの被害者が出た災害でトリアージにより黒いタグをつけられた人の遺族(確か親)を取材してました。その人の家族はその災害で死んだのですが,おそらく現場で手の施しようが無いと判断されたのか,黒タグをつけられていたそうです。しかしその黒タグには何も記入されてなかったことに気づき,…まぁいろいろ思うところがあったのか,その後,黒タグの場合も何かを記入しようという話になってました。
その番組では訓練で黒タグに記入する試みをやっていましたが,実際の災害の場でそういうことをやるだけの余裕があるかわからないで終わってました。
でも,そのコーナーの趣旨は,要は遺族の心を慰めるために,救急現場で,助かる可能性のある人を救うための時間を割いてくれ,と言ってることのようです。
わたしはトリアージの意味をわかって言ってるのか?と思いました。こういうことを勧めるような動きが広がると,結局災害時に死ぬ人が増えるかもしれないことをわかってるのだろうか?と。
そもそもなぜ,救急医療に従事している人が,怪我や病気で苦しむ患者ではなく,そちらを差し置いてまで,遺族の心のケアをしなければいけないかが良くわかりません。最近とてもそういう話が多いです。誰かが死んだら家族が誰かを責める。たいてい医療関係者か役人を責めます。再発防止を求めるならわかります。でもそういうわけではないように見えます。
今回のタグの件は責めていたわけではありません。でもやっぱり危険な考え方だと思います。大体この手の話にあるのは,遺族が大切な人を亡くしたことを納得できず「何か出来ないか?」と模索してることが原動力のような気がします。納得できないから誰かのせいにしたり,誰かに何かを頼んだり,運動をします。遺族が大切な人を亡くして正気でいられないのは当たり前のことですから,わたしはこういう行為を強く非難する気にはなりません。でも,そういうのをまともに受け取り,意向を他の人に押し付けるような周りの人やマスコミはおかしいと思います。彼らは正気ではないのだから,真に受けるなよ,と。周りの人のすることは,周りの人がケアをすることで,たしなめたり慰めたりすることでしょう?。それを助長してどうする…と。
本来大切な人が亡くなったら,それを遺族に納得させるために宗教があったのです。宗教に求めが行ったので,医療や行政がそれに手を割かなくても良かったのだと思います。
わたしはみんなが宗教に帰依すべきだとは思ってませんが,自分の大切な人の死を,他人や帰属社会に転嫁して,社会に支障を起こすのであれば,まだまだわれわれの文化は宗教から独り立ちするほど精神的成熟をしてないのだなと思います。
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償いなら医療行為でっていうのはありえないの?

2008-08-21 09:14:53 | 医療・福祉
福島・妊婦失血死の判決は無罪と出ました。驚くような結果ではなかったのですが,仮に有罪とかなっていたら大変だなと思っていたので,気にはなってました。遺族の方は納得いってない様で,悲しい気持ちかもしれませんが,標準的な治療をして患者がなくなったのが医者の責任になってしまったら,医者は医療行為ができなくなります。もちろん医療ミスとかで患者が亡くなった場合は,医者に責任がある場合もあると思いますが,それが医者個人なのかは,わたしには良くわかりません。
毎日新聞は「裁判以外の解決策を」と書いていて,確かに真実を明らかにするのは裁判以外でというのは同意なのですが,そもそも遺族が納得するようなことってありえるんだろうか?とも思います。
あまり遺族を責めるべきところではないと思いますが,一人が納得するために,医者を待っている何人もの人が命の危険に遭う事だってありえます。医者として不適切な医者であれば責任を問うべきでしょうが,医者として十分な実績があり,適切な医療行為をやっていて,何分の一の確率で起こりうるような事故になってしまう場合もあるでしょう。そもそも病院にいくというのは危険な状態なわけですから。
もし仮に医者に責任を負わせるのであれば,死んだ方の何倍もの人を救いなさいってことだろうと思います。そういう責任ならあるかもしれないと思いますが,日本の刑事裁判にそういう判決は出ようがないので,やっぱりここは医者一人が受ける裁判ではないと思います。
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病院と病気

2008-08-16 22:53:37 | 医療・福祉
2chのまとめサイトだから,2chに書かれていた内容ってことで,あまり真に受けるのもどうかと思いますが,うつ病は精神科医が作るっていうのを読んでいて,あぁ,そういうことはあるかも,と少し思いました。病院にいってからの方が,行く前より病人らしくなってるというケース。
いくつか考えられることがあって,ひとつが,処方された薬(治療)でより病人らしくなるケース。精神薬が効きすぎてかえって引き金を引いてしまう場合もあるだろうし,あってなくて悪くなる場合もあるでしょう。今までなんとなく体調が悪いと思っていたものが,薬で精神状態が変わるのを経験すると,あぁ,病気だったのだと思ってしまうというのもあるかもしれません。
それから,薬は関係なく「あなたは病気だ」といわれてしまうことによって病気になるケース。これは以前から病気というのは概念によって作られる場合があると思っているのですが,それにあたる場合。人は自分がどういう状態かわからないと,わかってる状態になろうと思うのですが,病人と思っちゃうと,あぁ,病人なんだ,じゃぁ病人として振舞おうと思う場合もあるんじゃないかな?と。
あとは,病院にいくストレスみたいので,悪くなる場合もあるかもしれません。治療によるストレスというのもあるかもしれません。
まぁ医者からしてみても,医者も単なる人間ですので,いろいろやってみて治療がうまく行ってるか確かめるので,特に精神科の場合,最初の治療が一番いい治療とは限りません。そういう意味じゃ,病院にいって悪くなるケースもあるでしょう。
とはいえ,じゃぁ鬱病気味のときに病院にいかないほうがいいか?というと,そうじゃないとわたしはあえて言います。確かに病院に行って悪くなるケースもあるでしょうけど,病院にいかないともっと悪くなる,最悪自殺してしまう可能性もあり,どちらがひどい状態を引き起こすかというと,行かない場合ではないでしょうか?。ただ,心の状態がおかしいときには,まず休んで,ストレスになっているものから自分を遠ざけて様子を見るのがまずすることで,そういうことをせずに調子悪いから病院にいって何とかしてもらおうとかいう考えは危険な気がします。休んでも調子がよくならないとか,症状がひどくなっている,ちょっと自殺願望とか出てきてやばいとかそういう場合は病院にすぐいくべきでしょうけど。
病気は違うけど,いまうちの親が調子が悪いというので,病院にいけというと「薬がない」とか言っていて,でも,生活習慣は変えようとしないのを見て,「死ぬ気か?」とか思いました。調子が悪くて薬がなくても,食べ物とかを改めるように医者に言われているのにそれをやろうとはしない。病気になったら病院にいって治療したり,薬を飲めば治る…,生活を改める必要はないと思っている人が結構今の日本には多いのかもと思いました。でも,結局,そういう考えは,最後には治療方法のない病気に追い込まれる気がします。病院を過度に信じるのも,病院を過度に嫌うのも,よくないと思いますが,病気になりかけているときは,まずは,自分の生活を見直すべきだと思います。
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いい加減な病気報道はかえって共感されにくい

2008-07-15 22:34:52 | 医療・福祉
自分や自分の家族が重たい病気にかかると,やっぱり病人は大変だなぁと思うし,医療を受けることの負担も実感としてはあります。だから,同じように重たい病気にかかってる人も大変だと思うし,行政とかが助けられるといいとは思います。ただわたしは病気に関して悪者探しをするのは賛同できませんし,ある病気を特別視するのも賛同できません。
世間に同情を訴えるのは,補助を得るために必要な場合もあると思いますが,それだけに的外れな訴えは反感も買うし,基本的にはお願いベースだと思います。
というわけで,先日読んだ「肝炎治療助成:「家を売るしか…」 治療ためらう患者も」という記事にも首をひねりました。
この文だけ読むと月一万の治療費を払うために家を売るしかないと言っているように読めます。いくらの家に住んでいるかわかりませんが,家売って数十万ってことは無いでしょうから,家を担保にお金借りるという手もあるよな。歳よりだから後50年も60年も治療するわけでもないだろうし…とか,この記事だけ読めば,そういうことを思う人もいるかもしれません。
自分の親の例とかを見てると,実際には医療費がそんなものでも,通院の手段としてタクシー代とかいろいろかかる場合もあります。タクシーが贅沢だというかもしれませんが,病気の具合や病院の位置次第では,バスで通院するのは無理なのが田舎の事情です。わたしの母も,どう考えても通院の交通費の方が治療費よりもはるかに高いようですから。
とまぁ,いろいろ大変な事情は想像できるんですが,どうもこの記事は,その大変な様子が,たぶん病気を経験してないとわかりにくい書き方。しかもその後に肝炎は不適切な医療により感染させられたとか言ってるから,ますます共感しづらいです。
肝炎訴訟は和解しちゃったので,どうもうやむやになってしまったのですが,実際どれくらいの人が不適切な医療だったのか。それも当時の基準でも不適切だったのか?良くわかりません。今でも,治療を受けたらとりあえずは助かるけど,長期的には病気になる可能性が高い治療法とかあるのだけど,そういうのは,不適切って言われるのでしょうか?。
肝炎訴訟に関しては,わたしはあまり原告側には共感できませんでした。でも病気にかかっている人や感染している人には気の毒だとは思います。
まぁそんなことで,最近は親の病気の話を聞きながら大変だなぁとか,金銭的なことに関して不安を感じたりもするのですが,だからこそリンクしたような記事には違和感を感じてしまいます。行政を動かすために世論を形成するのはいいのですが,だからこそ,実際の病人にさえ共感できない物言いはちょっとどうかと思うなぁという感じです。
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病気を適当に言い換えるよりは正しい解説をすべきでは?

2008-07-14 23:40:17 | 医療・福祉
忌野清志郎が癌の治療のため公演キャンセルとのニュースを知りました。つまり以前の喉頭癌の遠隔転移って事ですよね。これが意味するところは,癌の知識がある人ならわかると思います。わたしとしてはとても残念な気持ちです。治療が有効に働くといいし,また我々の前に姿を見せてくれればいいなと願います。
以前,清志郎が癌になったというニュースを聞いたときはショックでしたが,その後復活ライブをやったときに,行っていた治療が,手術や抗癌剤治療ではなく,たしか放射線治療と聞いた気がします。その時に,違和感を感じたので,復活ライブで喜んでいる人と違いわたしは不安に感じていたのですが,不吉な事を書くのも嫌なので,想いを消してました。今回の結果は清志郎本人は予想していたことなんでしょうか?。
さて,そういう事も考えると,病気への理解というのは,やはり患者や周りの人は正確にすべきだとわたしは思います。先日言い換えによる不正確さについて痛し痒しだなぁと書きましたが,本日粘るがん患者さんが言い換えについて書いていたので少し便乗して書きます。
わたしの今の想いでは,やっぱり理解が難しいのであれば,言い換えるのではなく,解説書をつくるとか,啓蒙活動をすべきじゃないか?という気がします。もちろん,それを医者がやるのは大変ですから,マスコミとか学者とか,行政とかが。
言い換えて間違えて理解するより,わかる人には正確に理解してもらうべきだし,わからない人,わかりたく無い人は多分どう言い換えてもわかりません。
例えば「寛解」を「完治みたいなもの」と理解していいのでしょうか?「全身化学療法」と「抗癌剤治療」はほぼ同義ですが,「局所治療」もあるという意味では違います。そういえば,悪性腫瘍がわかりにくいとか書いてますが,わたしは「悪性新生物」ってはじめて聞いたときはネットとかで調べました。いずれも癌みたいなものですが,厳密には範囲が異なります。
とまぁ,言葉がわかりにくいというのもあるんですが,もっと大事なのは病気のことを正しく理解するということ。言い換えで納得するって事は,病気のことも雰囲気で納得するって事でしょう。言葉の意味がわからなければ,調べるので,結果的に病気のことを正しく理解します。そっちの方が大事です。抗癌剤治療というと「薬で治すのだな」と思うでしょうが「全身科学治療」というと,全身に散った癌細胞は場所を特定できいないので,全身に抗癌剤が回るように治療を行うという風に理解できるかも知れません。癌は完治とは言わないということを理解すれば,癌治療の終りの判断が非常に難しいことが理解できるでしょう。
わかりにくい言葉を使っているのは,それだけ,一般の理解と病気の実情があってないからであり,言葉の方を合わせるのは間違って理解しろということになります。
話を清志郎のことに戻すと,今回の再発も放射線治療を続けているようです。わたしはあまり喉頭癌のことを調べてないし,放射線治療も自分とは無縁だったので調べてません。通常どれくらい利くのかな?と思いますが,無事安定するといいなと思います。まぁ癌でも結構長く安定する人もいますから。
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日本の医療かなり良い

2008-06-29 21:04:55 | 医療・福祉
先週,人間ドックを受けるためにとある大病院にいってました。この病院は二年前にわたしの病巣が見つかった病院で,まぁちょっと緊張します(^^;)。それはいいとして,そういうわけで,何回も来てるので勝手も知っていて,検査の合間に売店とかにいったりもしてますが,この病院も売店がコンビニだったりします。この病院は東京から新幹線で1時間くらい来たところなので,それなりに田舎ですが,病院の中はコンビニもあるし,エレベータもあるし綺麗です。一方わたしが手術を受けた病院はもちろん都心にある大病院で,病院の周囲にもお店は多いですが,駅の売店はやっぱりコンビニで,中にはレストランとかもあります。先日わたしの母が入院している熊本の病院に行きましたが,こちらも大きい病院で,中にはカフェとかもあり綺麗でした。
わたしは小さい頃に入院していた経験もあるので,病院なれしていて,病院でわりと快適に過ごせる方ですが,そういう意味で抵抗が無ければ,いまの病院はかなり快適です。売店もコンビニ形式で,何でもあるし,見舞い客のためにレストランとかカフェもあったりします。病室には,ベッド毎にTVがあったり,冷蔵庫が個人用にあったりするところもあります。正直ホテルでこれだけのサービスを受けようと思うと一泊いくらだろう?とか思ってしまいます。
これに加えて…というか病院としてはそっちが本分ですが,大病院の場合検査施設が充実していたり,いろんな課があったりします。
というわけで,どうも病院は大病院に限るといいたくなるのですが,一方でこれだけの規模やサービスのほとんどが患者の自己負担以外でまかなわれているとすると,当然経済的に回らないだろうと思うし,患者が集中すれば医者も足りなくなるでしょう。
で,そういう細かい検査や高度医療が必要ない人は町医者に行きましょう…というのがホームドクターなんでしょう。
実は大病院の場合,患者が多いというのもありますが,検査も専門的で検査ごとに分業して行われます。ですから,検査師は患者一人ひとりを覚えてないだろうし,主治医もそのデータを見るので患者の顔よりも検査結果を見ることが増えます。大病院は患者の顔を見ないといわれますが,これは致し方ないと思うし,そういうのがいやな人は,やっぱり町医者で行きつけを作るべきでしょう。普段の軽い病気は近所の行きつけを使い,細かい検査が必要なときに大病院にいくべきというか。
…というわけで,何がいいたいかというと,ここ数年病気になって思うのは,日本の医療は決して悪くないと思うってことです。もちろん,保険制度の行き詰まりからこれから悪くなる可能性もあるし,現在の医者の置かれている過酷な状況から,現状を維持できるかもわかりません。でも現状で医者や行政を批判することは無いのではないか?とも思います。良く医者が患者の相手をしないとか,検査ミスがあるとかそういうことはたまにあって,たまたま,それにあった人には悲劇だとは思いますが,事故とは起きてはいけないけど起きるものです。そして,すべての医者が同じように細かく患者を見れるわけでもないし,患者が望むものもさまざまだから,そのすべてに答えられるわけでもない。
大病院と町医者だってできることが違うわけで,患者が医者にすべてを求めるのもやっぱり違うように思います。
いや,正直,日本の病院は綺麗だし,すごいね…と思うのですよ。病院に通ってると。医者を叩く人は医者にかかるなよと素でいいたいくらいです。
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健康のハウツー

2008-06-23 22:37:02 | 医療・福祉
某本屋でオレンジページの健康の本がまとめておいてあったので見てみたら,免疫力がつくとされている食べものが,自分が普段食べるようにしてるものとおおむねあっていて,あぁー自分の知見はまぁあってるのだなと思いました。あまり体系的には自分の中では整理できてないので書けないのだけど。
わたしがなったガンは抗がん剤で予防するような類のものではないので,予防するには,ガンの原因になるべく触れないことと,自己の免疫力を落とさないことが重要だと思ってます。免疫力を上げる食べ物というと,緑黄色野菜とか,バナナ,魚,豆,海藻,ゴマ,芋とか茸とか乳製品とか。乳製品はあまりとらないのですがほかのは結構とってます。とってるのだけど,実はそれだけをまとめてとらないのもポイントだと思ってます。
科学的根拠には自信がないのだけど思ってるのは,いろんな種類の食べ物を食べること,ミネラルとかビタミンとか繊維類が多い食べものをとることとかです。ひとつのものを大量に取ると,それ自体が発がん物質になる可能性もあります(あるガンを抑えるものが,あるガンを引き起こす場合もある)。だからいろんなものを少しずつとるのが大事です。それから,お通じをよくする食べ物を食べる。これも食料がおなかの中に長く滞在すると腐って毒素が出るのでやっぱりよくない。そういうことを,考えると上記のような食べ物になるわけです。
食べ物についてはそんな感じなのですが,もっと気をつけているのは,体を冷えないようにすること。体温が高いほうが免疫力は強いです。血行が悪いのはよくないです。血が体にうっ血しないようにほぐすような運動を軽くすること。
それからけっこう馬鹿にならないのが寝ること。人間は寝ている間に免疫力が上がるらしいのですが,それ以外にも寝てる間にはいろんなことがおきてるようです。たいていの軽い病気は寝てるだけで治りますが,逆に起きていると薬を飲んでも治らなかったりします。たぶん昼寝とかもやったほうがいいんだろうなという気がします。体調が悪いとその悪さの変化を敏感に感じますが,寝るとかなり変わり,寝るほど体調はよくなります。ですから最近は朝起きたときが一番元気だったりします。横になるのもいいけど,本当に意識を失う様に寝るというときって,なにか体にいろんなことがおきて,よくなってる気がします。
あと,ストレスは体に出ます。ストレスは免疫力を下げますし,ガンの原因になることもあるようです。
そして,最後に体の声を良く聞くこと。体は結構饒舌に訴えてきます。わたしは疲れがたまってくると,あちこち痛くなってくるのですがそれでも動いていると,どうやら「口で言ってもわからん」と体が思うようで,腰が痛くてたてなくなったりします。
というわけで,今,腰が痛いです。休めってことみたい。あぁーあ。
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