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たろの日記ページ,gooブログ版

http://taro-r.sakura.ne.jp の分家です。一部内容が重複してます。

病気の情報を真剣に欲するのは病人だったりする

2008-06-17 22:45:11 | 医療・福祉
先週のためしてガッテンはガンの転移の話った。…ってホームページ見て気づきましたが「徹底予防術」っていうのは内容に違った言い方じゃないか?…。まぁ良いけど。
予告を見たときは「転移」の話ということで興味を持ってましたが,ガンが発生したり広がるメカニズムって感じでした。ガッテンでは今まで何度もガンの話はやってるので,ガン発生のメカニズムは正直食傷気味でもあるんですが,今回はがんの原因自体にはほとんど触れず,ガンが広がる過程に重点を置いたといういう意味では,ちょっと新しかったかしら?。あと大腸がん転移をおさえる新薬の話も興味深かったです。
でもこの薬もホームページの最後にしっかりリスクも書いていて,番組中では,この辺,ほとんど印象が残らなかったので,ちゃんとリスクを伝えられていたのかな?という気はします。
実は先週番組の予告を見た時に「転移」ではなく「再発」のことかと思ったのですが,そうじゃなかった。でも転移と再発は関連が強い話なので,まぁ参考にはなったかしら?て少し思いました。
というのは,TVでガンの話をやるときって大体ガンの原因とか発生メカニズムの話をしますが,ガンにかかったこと無い人は大体他人事なので,単に「へー」って思って聞く程度じゃないでしょうか?。個人的にはガンのリスクが0%の人っていないと思うので,原因をいくら明らかにしても,ガンを無くすことはできないと思います。むしろ今ガンにかかっている人,過去にかかって再発の恐れがある人のほうが,なんとかしないといけない。というかそういう人たちは,ガンにかかってない人より,再発とかの情報を真剣に欲してるわけです。でも経験からするとTVではどうもその辺をあまりちゃんと説明した番組が少ないのですよ。
とうわけで,今回のガッテンは扱ってる話は結構狭かった様にも思うのですが,結構真剣に見ました。いつもと少し違うし,ガン患者には重要な情報をいくつも含んだいい視点だったのではないでしょうか?。もう少し転移とか再発について,掘り下げた番組をまた作ってほしいものです。
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だらしなさの強調は何のため?

2008-06-07 07:38:06 | 医療・福祉
粘るがん患者さんのところに肺がんになってもタバコを止められない人の話が載ってました。そういうニュースがTVで流れていたと。
ニュースで言われている内容については,わたしもがん患者さんと同じ意見です。肺がんになったのにタバコを止められず,その止められないのをあたかも禁煙治療が保険で受けられなかったことが悪いかのような言い方をするのはあまりに自分勝手な様に思います。そしてそういう報道をするNHK自身が,国民は馬鹿だし,馬鹿を救わなければいけないという風に言ってる様で,そりゃ違うだろう,と思います。
ただ,もう一歩突っ込んでみると,おそらくこういう報道を見て,多くの人は,この禁煙できなかった肺がん患者に同情をしないのでは無いか?ということ。むしろ,病気になって騒いでいる人は,こういう人ばかり,もしくは年金生活者か生活保護者はこういう人ばかりという印象を,ニュースを観た人に持たせるのではないか?ということです。
別に生活保護者や年金生活者はこういう人ばかりじゃないのだけど,なんか妙な差別意識を観てる人に持たせようとするのが,この報道の真の狙いではないか?という気がして,あまり真に受けてはいけないのではないか?という気すらします。どっちなんでしょう?
ところで,タバコにせよお酒にせよ薬物にせよ,確かに中毒を治す治療というのは,ある人には必要だとは思いますが,これって保険適用にする必要があるのでしょうか?という気はします。まぁいろんな事情でそうなってる人がいるから,中には手を差し伸べるべき人も多いんでしょうけど。個人的にはわたしはがんになって,それまで20年間,ほぼ毎日飲んでいたお酒を,ぱったり止めたので,やっぱりがんになっても止められない人にはあまり同情しないのですよねぇ…。
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医療制度と敬意とお金と消費税

2008-05-21 23:15:05 | 医療・福祉
この間の週末の朝,TVを見ていたら後期高齢者医療制度に怒る高齢者自民党議員が出ていまいた。自分達が賛成した制度に怒っている…というのは,滑稽以外の何者でもない…と思うのですが…。そのあとも与野党のこの制度に対するやり取り,たしか医療制度改革には賛成していたのに,代案も出さずに廃止だけを要求する野党第一党と,本当にいい制度と思ってるのかどうかわからないけど,とにかく理解をお願いする与党の図は,なんともわけがわからず,思わずチャネルを変えてしまいたくなります。
最初の滑稽な老人の言い分を聞くと,法律が成立するとどうしてこういう運用になるのかわからないとらしいのですが,だったら,運用の問題なのか?。それでも制度やお役所を庇うのは,成立させた手前,さらに変更すると,信頼を失って票を失うと思ってるのかしら?。一方の,某野党も廃止してどうするつもりなのかしら?。国が傾いていくのを黙ってみておけとでもいうのでしょうか?。
高齢者医療制度の話の時に,年寄だけつれてきて,議論するのは良くわかりません。制度を支えるのが若い世代なのであれば,両方を交えて,意見を聞くべきじゃないか?。確かに年寄を目の前にして若い人が,「死んでください」とは言いにくいとは思いますが,子供を育てたり教育をうけさせるのにも困る,それこそワーキングプアの若者をつれてきて,議論させて欲しいです。少なくとも,そういう番組をながした後に,きれいな一戸建てに夫婦二人で住んでいて,海外旅行とかに行ったりするのを別の番組だけど流す局は,わざとなのか,無神経なのか良くわからないけど,世代間抗争を扇ろうとしてるんですかね?と思いました。
この制度,なかなかわかりにくくて,結局は誰の負担がどれくらい増えているのか?とか改革の骨子はなんなのか?というのがわからないまま,反対してる人が多いので,今一つ賛成も反対もしずらいのですが,今の医療制度がこのままで行かなくなってるだろうな,というのはわたしもソウ思います。そういうなか,実際の現場の医者から見た意見で,「6000円ルールを悪用するとしたら」という話は,ちょっとなるほどと思いました。もう一つ,こちらは姥捨山化に危惧する意見も実際にかかるであろう医療費の話や,他人事ではない末期患者の家族とかの感覚とかいう点ではとても参考になります。でも,これでも全貌じゃないという気はします。
後者の意見は,結局,いまの若い人と現場の医療関係者を救うためになにかしなくてはいけないけど,年寄りを見殺しにする葛藤を感じさせます。でも確かに歳を取ることが喜ばしいという「建前」が失われているというのはそうですが,医療を受けさせることが年寄を敬うことなのか?という気がしないでもありません。いくらお金をかけられるか?が,敬意なんですかね?。幸せってお金なんですか?。
いずれにせよ,難しい話だとは思うのですが,なんとなく世の中「消費税上げてもしょうがないよね」という世論が形成されているようにも思えて,ちょっと戸惑いを感じてしまいます。いや個人的には,それもありかとは思うのですが,そういうのは是非今の制度の取り下げを反対している野党第一党から提案して欲しいものです:-p。そうしないと無責任なだけですから。
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人間と自然淘汰

2008-05-06 11:22:18 | 医療・福祉
先週上野にダーウィン展を観にいった時に,ダーウィンがマルサスの人口論に影響を受けたというのを知り,人口論を初めてしったのですが,その後調べると様は,人間界における淘汰というか,食料と人口調整の話のようでした。ダーウィンの進化論は生物が変異するということは新規性があったわけではなくて,自然淘汰が起こるというところが新しかったそうです。人口論は人口増加が食料増加量を超えると,戦争や飢饉や病気のような人口調整が働くということがキモの様で,これも進化とは関係ありませんが,淘汰というモデルでしょう。
ちなみに少子化や晩婚化も人口調整の様ですが,あの当時すでに晩婚化とか少子化が問題になっていたということでしょうか?。
…で,自然淘汰の話は冷静というか論理的に考えれば違和感がなくて,当たり前だよな…と現代科学の常識を持っている人なら思うのでは無いでしょうか?。当時の人が,そう考えなかったのは,当時の人の知識が足りないということよりは,やはり宗教的な刷り込みによりブロックされていたからなのかな?と思いました。どうも人間は人間を同じ自然の仕組みに組み込むことに関して,いろいろと思考的抵抗があるように思います。
ここしばらく,日本の社会における少子化とか,高齢化とか,あと,格差社会とかをかんがえていて,どうしてここで淘汰の話が出てこないのだろうか?…というのを思ってました。でも,こう書くとものすごい批判を受けそうだなぁ…とかやっぱり思うので,思考的抵抗というか,社会的抵抗があるのだろうな…と思います。
淘汰というと,弱者が滅ぶのは当たり前…とか,種を存続させる仕組みが優先されるとか,そういう思考に言ってしまうのですが,それを言い出すと,いろんな意味で今の日本の社会…の前提がひっくりかえるのだろうと。
もっとも,動物の世界では淘汰のルールは,腕力だったり,性的魅力だったりするのでしょうが,人間の世界では,もっとルールは複雑で,社会を安定させるために長年気付きあげてきている社会システムの上にそのルールは乗っかってます。だから,子供や,老人,もしくは病気で働けない人とかいう弱者を大事にするということ自体も,おそらく種を存続させるために有利なルールとして育ってきたのでしょう。
そういう意味でいうと,わたしがここで,動物的な強者のルールを人間界に置き換えるとどうよ?…とかいうこと自体が,古い話題なのかもしれないのですが,どうもそうなんだろうか?…,ちゃんと一周考えてから,今の議論にいたってるのだろうか?と思ったりもします。どうなんでしょう?。
ちょっとわかりにくいかと思いますが,最近の病人や社会的弱者が政府に求める福祉というか社会保障が,少し要求が高すぎて,それが元で社会自体が不安定な方向に向かっていないだろうか?とかそういうことをふと思います。もっともグローバリゼーションとか自由経済は,むしろそういう社会的なルールを緩めて,もっと強者のルールで物事を進めようということだったので,ここ数十年でみると,むしろ強者側にルールが振れているのを,弱者側に戻そうとしてるのかもしれませんが。
いずれにせよ,こういうルールが振れる事とかルールが作られること自体もメタ的には淘汰の仕組みなんでしょうけど…,あまりそういう視点では語られないのが,そういうものなのかなぁ…とか思ったりもしてます。
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皮膚のいろ,癌とはなんのためにあるか?

2008-04-22 22:26:41 | 医療・福祉
最近の日曜のNHKスペシャルは病気の起源というのをやってるのですが,昨夜は肌の色にかかわる病気の話でした。例えば肌の色が濃い人が,緯度の高いところにいくと,日光をうまく吸収できずビタミンD不足から発育不良が起きるということ。一方肌の色が薄い人が高緯度のところに住むと日光が強すぎて,皮膚癌になるということ。
オーストラリアの皮膚癌の多さはちょっと驚きましたし,ヨーロッパに住む褐色の肌の人達がそこまで深刻な状況というのにも驚きました。
人間というのは,地球上のどこにでも住めるのか?と思いきや,意外に駄目…というか環境に対しては決してタフじゃないのだな…と。あと,エスキモーの様に北極圏に住む有色人種は日照不足によるビタミンD不足を魚の内臓を食べたりして補っていた様だけど,食の西洋化でやっぱり問題がでてるとの事でした。
つまり,食生活の近代化や,グローバリズムが人間にしっぺ返しをしてるという点では,エコ論者や反グローバリズム論者が喜びそうな話でもあったのですが,まぁその視点は置いておきます。
ちょっと思ったのは,癌というのは…エラー処理なのかも知れないな…ということ。環境適用が出来ない結果訪れるのが癌なのかな…という気もします。悪いものを食べたり,ストレスを受けたり,そういう物も含めて人間は環境に適用して進化していくわけですが,その中で適用が出来なくて,淘汰される遺伝子もあるわけで,その淘汰の具体的なやり方が癌…かと。
そういう意味で言うと,わたしはすでにエラーを起こしているのかもしれません。わたしの場合はなんだろう?。毎日お酒を飲むのには耐えられなかったということか?。
高齢者の癌はエラーというよりは寿命なのかもしれませんが,若年で癌になる場合自分の遺伝子を残せないので,やっぱりエラーだったんだろうなと思います。
わたしは癌は病気というよりは,プログラムされているものと感じることもあるのですが,今回の番組でもそう思いました。
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メタボ政策に対する引っ掛かり

2008-04-14 14:02:32 | 医療・福祉
最近メタボの話題を良く見るのだけど…。何となくずっと引っ掛かっていてすっきりしません。メタボの基準の85cmが不自然とかそういうのもありますが,そもそもの前提として,「肥満になるかならないかを国に面倒を見てもらうってどう言うことなんだろう?」ってことです。本当は肥満かどうかじゃなくても,病気予備軍かどうか…ってことなのでしょうが,それにしても健康かどうかを国に管理してもらう…ってことになり,やっぱり引っ掛かります。
国に管理してもらうってことは,逆に「肥満になったのは国の政策のせいだ」とか言い出すやつが出てくるんじゃないか?とか思ったりも:-p。国の免責事項って無いんですか?。冗談ですが,冗談にならない気も。
本来は医療費削減のために,なるべく国民に病気になってもらいたくないので,健康指導をする…ってことなんでしょうけど,どうもビジネスの種になってるところを見ると,だれか儲かる人がいるんでしょう。ってことはだれかの出費が増えるってことになるようにも思います。特保で儲けようと思ってる話を読むと消費者から金を取ろう…と思ってるようにも見えますが,何か他にも検診とかで企業とかからお金を稼ごうとしてるところもあったようにも思います。
というわけで,どうもメタボ検診がビジネスチャンスになってるって感じで,医療費削減とか言ってるわりには,増えてないか?,実は産業振興策なの?っていう疑問を感じます。
ちょっと次元が違う話ですが,健康のために特保というのも食品は薬じゃないのに…という感じ。しかも薬と違って処方せんも無くて規定量がわかりにくいので,たぶん健康を気にして食べられるだけ食べたり飲めるだけ飲む人が出てくるんでしょうねぇ。。なんか薬売るよりも儲かるんじゃない?って気もします。というか食べたら治る病気とか食べれば食べるほど聞く薬とかって無いんじゃないの?って思うんですが,特保流行りは,ちょっとそのうち食べすぎて体を壊すとか,変な弊害が出てくる予感を感じてます。
というわけで,どうもメタボがらみの話は,いろいろとすっきりとしないことばかりです。あとメンタルヘルスの件もちょっと引っ掛かるんですが,そっちまで書くと話が発散するので,また別途…。いずれにせよ,健康政策って…,ってすっきりしないです。
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誰が老いた我々を大事にするのか?

2008-04-05 21:11:41 | 医療・福祉
首相『ネーミングよくない』後期高齢者→長寿に」っていうのはジョークなんだろうか?。
今月から75歳以上の高齢者だけ年金から保険料を取るらしい。1日のTVのニュースで困惑する…というより怒っているお年寄りをたくさん映していた。確かに当事者からすると困惑するわなぁ…。嫌だろうなぁ…と思う。
でもある老人が「年寄りは死ねというのか」という言っていたのを聞いて,これは「ハイ」と答えられたらどうするんだろう?とちょっと思った。もちろん年寄りは死ねばいい…とは思わないけど,「年寄りであるだけで大事にされる」時代ではとっくになくなってるとは思う。年寄りが経験からいろいろアドバイスをくれる希少な人…という時代は終わってるかもとか思った。もちろん,そういうお年寄りも一杯るけど,そうじゃない普通のお年寄りも一杯いる。これまで一生懸命働いてきて,これから楽できる…と思ったのに…という話かもしれ無いけど…,一生懸命働いた結果,今の時代は若者が苦しむ時代…なのであれば,若者からすると,こんな時代に誰がした…という事なのかも知れないなぁと。一生懸命働いて税金や年金掛け金はしっかり納めたかもしれませんが,別に後世に感謝されるようなことをやったかどうかは良くわからない。
TVで戸惑う年寄りを映してましたが,夫婦暮らしで,ある意味わたしには優雅に見えた。もっと貧困生活をしている年寄りを映すと印象が変わったかもしれませんが。
もっとも,思ったのは,年寄りが大事にされるのは,自分の家族,子供や孫達にじゃないのか?と言うこと。子供達と一緒に住まなかったら,そりゃ赤の他人が大事にしてくれるわけでも無いだろうに…という気もする。
私は別に年寄りを疎ましく思うわけでもない。ただ若者と年寄りの対立があることが,変な時代になってるなぁ…という印象。昔は若者と年寄りで線が引かれていたのではなく,ある階級とある階級の様に「家」単位だったのではないか?と。そしてその家の中では,年寄りはそれまでの家を支えてきた人として,顔が見える存在として,尊重されていたようにも思う。
わたしも言ってるうちに年寄りになるだろうから,年代別に断絶があるのは,ちょっと薄気味悪い。自分は親を大事にしたいと思う。確かに社会が自分の親を支えてくれるとありがたいけど,じゃぁ自分の子供世代が自分の若い頃以上に大変になるのかと思うと,ちょっといろいろ複雑な心境ではある。日本は社会保障制度が高度に完成してると思うけど,それで世代の断絶が進んだと思うと,皮肉なもんだな…と感じた。
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患者にリスクが発生しないなら,寄付は悪くないと思うのだが…

2008-04-02 08:50:09 | 医療・福祉
知り合いが取り上げていた記事,「高血圧、糖尿病、メタボ…指針作成医 9割に寄付金」というのをしりました。
その知り合いはメタボの基準が厳しいのはこのせいでは無いか?と問題提議してました。なるほど確かにメタボの基準とされている男性の85cmはちょっと不自然じゃないか?という気がしないでもありません。まぁでもよくわからないのですよね。メタボとされると,何が変わるんでしたっけ?。不勉強ですみません。薬を買わされるんですか?。
メタボに関しては,そういうのを国がとやかく言うようになった…という話を聞いたときに,国が肥満の心配までするのか…大変なことだな…とちょっと呆きれたものです。医療費抑制のため…で,要はメタボでかかる病気…(生活習慣病でしょうけど…)って医療費がかかるって事か?。人間って100%死ぬはずですが,どうやって死ぬのがお金が一番かからないのでしょうね?。どうやって死んで欲しいと国は思ってるのでしょう?。
等とちょっと余計なことを書きましたが,今回書きたいのは,そういうことじゃなくて大学への寄付金の話。医療関係はこういうお金の動きが大きいのか良く問題になりますが,「寄付金」自体は合法ですよね?。賄賂じゃありませんから。確か賄賂の定義は「(直接的な)見返りを期待している」かどうかだったと思いますから,確かに境界はグレーです。でも寄付金は賄賂はやっぱり違うものでしょう。そして寄付金をまるで悪の様に書かれると,そうか?という気がします。つまり見返りがなく他人にお金を渡すと問題でも?…ということです。
わたしの危惧は寄付金もNGになったら,医療研究は立ち行かなくなったりしないか?ということです。お金は必要じゃないの?必要なお金はどうするの?。税金から持ってくるの?。そんな予算あるの?ってこと。寄付金は医療の発展のために必要なものじゃないの?…って。
問題は寄付じゃなくて賄賂になること。そして寄付金を払うところの利便のために,患者にリスクを背負わさせること。実際に薬害とかで医療とメーカの癒着みたいのが問題になりましたが,あれは患者にその害が行ったから問題だったのでは無いでしょうか?。
寄付が駄目というなら他にうまくお金が回る方法をちゃんと提案しないといけません。お金がなくては医療の発展は無いでしょう。お金が無いと実験も出来ないし,そもそも人が集まりません。医者に無理して働け…なんて事をいう人は医者にかかるなよ…といいたくなります。税金もそうですが,お金が動くことが問題じゃないと思います。お金の使われ方と,なにか大きなリスクが弱者に転嫁されることになると問題なのだと思います。よく会社や誰かが儲けてるからけしからん…とかいう人もいますが,ある程度美味しいことが無いと,人は一生懸命働きません。がんばる人とか,新しい価値を生み出した人が少し美味しい思いをするのは当然だと思います。その人のがんばりのおかげで,我々がいい思いを出来るのであれば,その人が美味しい思いをしてもいいんじゃないか?とわたしは思います。WinWinの精神はなぜこういうところでは語られないのでしょう?。
ですから,寄付がけしからん…っていうのはちょっとおかしい様にも思います。寄付が問題じゃないし,医療機関とメーカの協力がおかしいわけでもないと思います。その結果,患者や国民に変なリスクが発生していないか?…ということでしょう。問題にするとしたらそこだと思います。
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献体する気持ち

2008-03-31 20:48:19 | 医療・福祉
先週新聞に献体希望者が増えているとかいう記事が載っていました。最後に「社会の寂しさは、だれが治療するのだろう」というわけのわからない締めの文で終わってるんですが,要は献体が増えるのは社会の寂しさが増えているからとでもいいたいのでしょうか?。
一方この記事を取り上げたいやしのつえさんの文を読みました。この方は確かお医者さんだったと思います。献体が増えた理由に「家族関係の希薄化」とか書いていて,なるほどとは思うのですが,わたし自身も実は献体とかしても良いかな…と思っていて,でも理由はちょっと違うかな…とも思ってます。
さびしいとか家族関係の希薄化というよりも死後の「肉体」に特別なこだわりをもってないから…かな?と思ってるのですが,他の人はどうなんでしょうか?。死ねば肉体は単なる肉の塊だから,切ってもらっても,葬式の時になくてもかまわない。それでもって一応その肉は,生前の自分のものだから,遺族というより自分が使用方法を決めてよくて,折角だから人の役に立つなら使ってもらいたい…。ぐらいの意味です。人の役に立ちたいというのを「さびしい」といわれたら,はぁそうですか?…って感じですが,そういう思いもさびしいのかね?…とも思います。
もっとも,単なる肉と思うのは,魂は別のところにある…というわたしの考えであり,それが現代人的な考え方なのかどうかはわかりません。決して魂の否定とか,死後の世界の否定というわけでもないんですよね。それはそれであるけど,別に肉体がなくなったら成仏できないわけでも無いし,遺族の記憶から消えるわけでも無いだろう…っていう考えです。
昔は死体を切り刻むと成仏できない…と思われていたのなら,信仰のあり方が変わってきてるとはいえるかもしれません。
もっともいやしのつえさんが「解剖は減ってる」と書かれているのは,そうなんだ…っていう感想で,自分の死体を役に立てて欲しいと思っていても,どういう風に使う道があるのかをちゃんと調べたわけでもない…って事なのでは無いでしょうか?。つまりそこまで真剣に他人に役立てたいわけでもない…と。なんとなく雰囲気で,献体というものを知って,じゃぁ使ってもらってもいいよ位の意味とか…。
わたしが献体というのを意識したのは養老先生の本を読んだからで,実は献体と解剖の違いもいまひとつ良くわかってません。病気で死んで死因を調べる時が解剖で,教育用が献体ということですか?。
わたしの場合,もう内臓移植とかは出来ないのかもなぁ…というのがあるので,そっちはあまり思ってません。でも以前は献血とかも盛んにやっていたので,まぁ自分の健康に害が無い程度であれば,人の役に自分の体を使ってもらったら,そりゃーいいことだと思うし,うれしいかといえばそうだよね…という位のいみかなぁ。
そういう意味でいうと,あんまりこだわりが無いし,無いゆえに献体しても良いよ…という気持ちです。実は死後の面倒を見てほしいとかいう気持ちは無いので,そういうことをいう人の気持ちはよくわからないのですが,そちらは死に直面して,単に戸惑ってるだけではないかな?という気はちょっとしました。
献体したいという気持ちってそんなに変なのですかね?。
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タバコを週一本とか出来ないのだろうか?

2008-03-18 21:01:02 | 医療・福祉
最近出張とかで外で昼食を食べる事が何度かあってるのですが,お店に入るとタバコを吸っている人がいて,一瞬,うぅ…と思います。禁煙じゃないところでタバコを吸う人を批判するつもりはないので,黙ってるのですが,不快といえば不快です。やっぱり食事するところなので…。
タバコを吸う人にとっては,そとですえなくなってる分,お店で吸わないとたまらないのでしょうが…,タバコ吸って,食事してうまいのかね?…とか思ってしまいます。
タバコが体に良くないことはもう定説で,たばこの有害性を訴える広告とかあったりしますが,やっぱり吸う人は吸います。その辺はその人の責任だから批判はしませんが,もし将来肺癌になったら「吸わなきゃ良かった」とか思うんでしょうか?…とかとは時々思います。今吸う人はいつかなるけど今吸いたいから吸ってるのでしょうか?。そんなこと無いですよね?。たぶん自分は癌にはならないと思って吸ってるんでしょうね。
わたしが癌になったのはたぶん酒の飲みすぎだろうと思ってるのですが,
酒をあれだけ…というかせめて半分くらいの頻度で飲んでいたら癌にならなかったかもねぇ…と時々思います。今も遺伝子レベルでは,酒によって傷ついてる部分は結構あるんだろうなぁ…とか思います今はお酒は月に2回くらい飲むこともあるのですが,手術をして一年くらいは飲むのが怖かったし,ぜんぜん美味しいとは思いませんでした。
酒は体にいい部分もあるので,週一回くらい軽く飲むのは悪くないのでは?と思ったりはします。タバコも周りの迷惑はともかく,リラックスするって点はあるのかもしれませんが,むしろ問題なのは,週に一本とか,そういう吸い方が出来ないことも大きいのでは?と思います。出来ませんよね?。
タバコも税金を載せて高くするということをいってますが,それでも10本単位で売るのはなぜなんでしょう?。一本単位で売れば少しは吸うペース変わるのでは?とは。
まぁタバコは,ニコチンを切らすことがつらくてすってる人が多いんでしょうから,そういう吸い方は無理なのかなぁ…。
でも特定の化学物質が恒常的に体の中に残るのはやっぱり非常に体に悪い気がします。癌ってならないって漠然と思ってる人多いと思いますが,なると結構怖いですよ。
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