昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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100年前の沖縄の住宅文化

2007年05月18日 | 沖縄の旅
「八重山民俗園」にある「森田邸」を見学しました。
1900年(明治33年)に建てられた旧士族の邸宅で、沖縄の伝統的な形式の住宅だそうです。

■この記事の最後に「森田邸」玄関の脇に掲示されていた説明文を転記しています。



「森田邸」を正面(南)から撮った写真です。
石灰岩の石垣で囲い、門には扉がありません。



「森田邸」の門の横にあった屋敷の配置図です。
中心にある建物がウーヤ(主屋)で、トンガワ(台所)はウーヤの西側に接続してあります。
東側に庭園が作られていますが、東側に客間となる「一番座」と縁側がある関係のようです。



「森田邸」のウーヤ(主屋)の間取りを写真を見ながらおおざっぱに作って見ました。
部屋は、南側を「表座」、北側を「裏座」と言うようです。
又、東から西へ「一番座」「二番座」「三番座」と並び、西側にトンガワ(台所)が配置されています。
かっての沖縄の住宅は、「二棟造り」が基本で、トンガワ(台所)はウーヤ(主屋)の西側に分離して造られていたようで、そのなごりのようです。



門を入ると正面に「前城(ピーフン)」があります。(一般的には「ヒンプン」と言います)
魔よけ、目隠し、風除けなどの目的で作られているそうです。
「ヒンプン」の左右を通り、中に入れますが、右(東)は地位の高い人、左(西)は地位の高い人が通っていたようです。



屋根の上のシーサーをズームで撮ってみました。
デザインもユニークで、なかなかの名作です。



塀の中から取った「森田邸」の主屋の全景です。



南東にある扉のない玄関です。
廊下から続く雨戸を締めるようです。
玄関の奥が客間となる「一番座」で、部屋の北側には床の間があります。
かって沖縄の一般住宅には玄関がありませんでした。



玄関の西側に「二番座」「三番座」が続いています。
「二番座」の北側には仏壇があります。
「三番座」は、普通お茶の間で使われたようです。


南西に少し突き出でた台所です。




西北(豚小屋前)から主家の裏側を見た景色です。
縁側は、主家の南側・東側にあるのが一般的ですが、「森田邸」の主屋には西側・北側にも縁側がありました。

又、沖縄民家建築の特徴の一つで、庇が長く軒を柱で支えた軒下の空間を「雨端」(アマハジ)と言うようです。


カー(井戸)です。
円筒形の縁の材料は、石灰岩のように見えますが、よく分かりません。


これは天水槽(天水タンク)だそうです。
沖縄の土地は、保水力の少ない隆起サンゴ礁のため、昔から水不足に悩まされていました。
かっての沖縄の各家々では雨水を濾過して利用する「天水槽」と呼ばれる装置を備えていたようです。



敷地の西北にある豚小屋です。


■「森田邸」玄関の脇に掲示されていた説明文を転記しています。
<森田邸>
家屋寄贈者 森田孫栄氏
(1984年現在石垣市文化財保護審議委員長)
八重山における旧士族の邸宅
1900年(明治33年)に建てられた

(構造)
イヌマキ材による寄棟造り赤瓦(本瓦)葺平屋建て、面積154㎡
(形式)
順沖縄風に則り、一番座、二番座、三番座、炊事場などを南西にしつらえ縁側とアマバシと称する深い軒の出をゆったり張り廻し、それら表座敷に対し各々に付属的に裏座敷が設置されている。

該屋敷は、かって石垣市の中心地大川278番地に存在していたものであるが、1984年7月八重山民俗園へ移築復元した。


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