昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.17 浜中町 恵茶人から羨古丹の風景

2011年08月21日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)午後、根室半島の先端「納沙布岬」から「花咲岬」と見物、「道道142号を「霧多布岬」を目指して走っていました。



道道142号が根室市から浜中町へ近づいた辺りで、道の向こうが水に濡れたように見える場所があり、停車して撮った写真(ズーム)です。

水に濡れたように見える場所は、道路が少し下りの傾斜に見える場所で、その先は再び上りの傾斜になっているようです。

「逃げ水」と呼ばれるこの現象は、蜃気楼の一種だそうです。

子供の頃に見たマンガで、探検隊が砂漠の向こうにオアシスを見つけ、目指して歩くものの、なかなかたどり着けない物語を思い出しました。

地平線や、水平線の向こう(下)にある通常では見えない風景が光の屈折で(上に)見える現象を「上位蜃気楼[しんきろう]」と呼び、砂漠で見るオアシスはこれに該当するようです。

この「逃げ水」は、空が下の地面に映った現象で、「下位蜃気楼」に分類されます。

古代中国ではこれらの現象を「蜃[しん]」と称する架空の生物が「気」を吐くと高い建物「楼」が現れるとして「蜃気楼」の名が出来たようです。



北海道東部の地図です。

蜃気楼を見た場所は、落石岬付近から赤枠までの間で、道路が内陸部を通る場所でした。

以下に紹介するのは、東端の納沙布岬から太平洋岸を西へ進み赤枠の付近で見た風景です。



道道142号が根室市から浜中町へ入り、海岸線が見え始めた右手の丘の上に放牧された馬を見つけ、停まって見た風景です。(地図に「牧場」と記した場所)

広い牧場にのびのびと草を食む馬の姿は見飽きません。

この辺りの地名は、浜中町の「恵茶人」[えさしと]と呼ばれ、北海道に多い難読地名です。

北海道の地名は、アイヌ語に由来した地名に類似した音の漢字を当てはめたものが多く、意味不明な難読の地名となったようです。



牧場の前の道から進行方向の西に北海道らしさを感じる海岸の風景が見られます。

下り坂の向こうには砂浜の海岸線が始まり、道路の左側の丘に小さな神社が見えます。



浜中町の海岸を4~5Km走った右手に「恵茶人沼[えさしとぬま]」があり、ここにも放牧された数頭の馬が見えました。(地図に「恵茶人沼」と記した場所)

タンポポが咲き乱れる「恵茶人沼」の畔に馬があそぶ風景には安堵感の様な心地よい気持ちを感じさせられます。



「恵茶人沼[えさしとぬま]」の畔に立つ馬をズームで見た風景です。

馬は、自然の草以外に積まれた干草の固まりにも食欲を示しているようです。

ゆっくりと歩きながらひたすら草を食む馬の姿を眺めていた旅のひと時は、素敵な想いでになりました。



「恵茶人沼」の東側に果てしなく続く牧場の風景が広がっていました。

こちらにも所々に馬の姿が見られ、馬は広大な牧場を自由に移動しているようです。

この写真には映っていませんが、意外にも沼の中に立って釣をしている人の姿がありました。



道路を挟んだ「恵茶人沼[えさしとぬま]」の海岸の風景です。

浜辺に小さな河口のようながものが見え、「恵茶人沼」から続いているように思われます。

「恵茶人沼」にどんな魚が棲んでいるのか興味のあるところです。



ちょっと立ち寄った「羨古丹[うらやこたん]駐車公園」の風景です。

レンガが敷き詰められているものの、駐車位置の白線等もないシンプルな駐車場でしたが、意外な歴史の場所でした。

「恵茶人沼」から道道142号は再び海岸を離れ、再び海岸に近づいた辺りに案内標識があり、立ち寄ったものです。(地図に「羨古丹駐車」と記した場所)



「羨古丹駐車公園」の標識の向こう(南東方向)に浜中湾が広がり、目指す「霧多布岬」が長く伸びています。(地図をご覧下さい)

この標識の隣に案内板があり、夕焼けの浜中湾の風景を背景に「史跡ウラヤコタン異国船上陸の地」の歴史的事件が書かれていました。

■案内板の説明文です。
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史跡ウラヤコタン異国船上陸の地
西暦1831年(天保2年2月18日、午後4時頃)オーストラリアの捕鯨船、レディーロウエナ号(2400~2500石積、240~250トン)がウラヤコタンの海上1里半、霧多布へは海上半里の地点に停泊し、同船乗組員が上陸した地点である。
  浜中町
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■「北海道の歴史 県史」(山川出版社)の年表欄にも事件が掲載されていました。
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1831天保2 2 アッケシのウライネコタンにオーストラリアの捕鯨船来航、松前藩兵と戦闘となる。
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「アッケシ」とは松前藩が商人へ交易利権を与えた「厚岸場所」で、当時イギリスの植民地だったオーストラリアからはるばる北海道まで鯨を獲りに来ていたようです。

厳寒の冬、食料や燃料に困り、上陸して略奪などをした結果の戦闘だったのでしょうか。

別の本には、3月4日退去とあり、2月18日から2週間も停泊していたようです。



海岸の東方向を見た風景です。

坂の上にある駐車場から砂浜のある美しい風景が見渡せます。

オーストラリアの捕鯨船乗組員との戦闘はこの辺りだったのでしょうか。

穏やかなこの風景に意外な歴史がありました。



駐車場の東方向を見た風景です。

砂浜の後方に小さな集落があり、かつてアイヌの集落「ウライネコタン」の場所だったのでしょうか。

駐車場の街灯にカラフルな海鳥「エトピリカ」の飾りが見られます。

浜中町の鳥でもある「エトピリカ」は、赤い部分が口ばしで、白い部分に目があります。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
旅のブログ (なりひら)
2011-08-21 21:42:35
はじめまして。宝塚のなりひらと申します。猫2匹と一緒に暮らしています。北海道の雄大な自然の写真と文章によって、私も旅にいざなわれます。しかもindexを見ると、全国各地を旅されて。求めていたブログに行きあいました。これからも素晴らしい景色と旅の経験を教えてください。
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はじめまして (tako_888k)
2011-08-22 08:01:10
なりひら様

ブログをごらん頂きありがとうございます。
リンクから、なりひら様のブログを拝見しました。
社会への熱い想い、猫たちへのあふれる愛情がよく伝わってきました。

現在、8日間の北海道旅行で撮った写真や、パンフレットを整理しながらマイペースでブログを書いていますが、半年近くかかると思われます。
めまぐるしく変化する世間から離れ、旅行の想い出を振返るひと時は、とても楽しいものです。

猫さんたちにもよろしくお伝え下さい。
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