昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

祖納「新盛家住宅」の間取りと、「節祭」の関係

2007年06月18日 | 沖縄の旅
「新盛家(シンモリケ)住宅」を見学させて頂きました。
「新盛家住宅」は、沖縄県内に現存する最古の木造茅葺き民家で、建物には釘や金具を使用せずくさびで締めてあるそうです。又、木材は西表島産のものが使われているようです。
平たいサンゴ石が、長い歳月で黒くなり古民家の風格を感じさせてくれます。



「前泊の浜」から北に歩いて行くと、右に「新盛家住宅」が見えてきます。
「新盛家住宅」は、北と西が路地に面しています。
「節祭(シチィ)」ではこの道をミルク(弥勒)の行列が通り、そのことが建物の造り方に大きく影響しています。

西表島の「節祭」は、10月~11月頃(旧暦の9月~10月頃)行われますが、農作業の年度が変わる大切な区切りで、神の国の正月行事と考えられているようです。
島の人々は、「節祭」で今年の豊作への感謝と、翌年の豊作祈願を祈るそうです。


石垣の間に幅の広い石段がありました。
意外に屋敷の高さがあり、土地の傾斜があることを感じました。
北側の道の高さは、ほぼ敷地の高さのようです。


石段を上がった家の南側です。
縁側にの手前には土間があり、上がり口になっています。
縁側の突き当たりには木の臼と、杵が置かれています。
沖縄では軒下を「雨端(あまはじ)」と言い、家の壁から軒先の柱までの間が1m前後ありますが、この建物にはありません。
庇(ひさし)の下が縁側になって、「雨端(アマハジ)」がないのがどうも不自然な感じです。


通りに面している建物の西側です。
路地に面して幅広の高い石塀があり、防風林を作っていません。
(屋敷の北・東・南には木が植えられ大きく育っています)
建物には南側と同様に「雨端」がなく、縁側があり、家の正面の感じがします。
ミルク(弥勒)の行列が通る道を強く意識したもの思われます。


南西に位置する部屋ですが、床の間があります。
一般的には東南に位置する「一番座」が南西に造られています。
ミルク行列を強く意識して台所・豚小屋などを東側に作り、「一番座」を西側に配置したようです。
8畳間ですが、南側の2畳分は柱と敷居で仕切られた感じになっています。
東の「二番座」も6畳間ですが、南側の1.5畳分は同様に仕切られた感じになっています。(残念ながら写真には写っていません)
なんだか家の外周の「雨端」部分を増築したようにも思えます。


南東に位置する部屋ですが、仏壇があります。
一般的には南西に位置する「二番座」が南東に造られています。


「二番座」の天井の様子です。
部屋の庇に近い側が斜めの天井になっており、縁側の上は屋根の裏が見えています。


家の南側を東から取った様子です。
家の南正面に土間があり、その左右が縁側になっています。
妻が、来場者の記帳をしているところです。


東側の縁側から撮った台所です。
普通は西側に作られます、
家の中は、数年前まで生活されていたような様子でした。


屋敷の北の道に面して裏門があります。
門は、屋敷の北東部にあります。


家の東に豚小屋のような施設があり、一部壊されているようです。
(普通、豚小屋は屋敷の西に作られます)
もしかしたら昔の「フール」(豚便所)だったのでしょうか。


家の東側から撮った写真です。
向かって右側が家の北側になります。
この家は、南・西が表側の感じに対して、東・北は裏側の感じです。


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