7/16 北海道旅行3日目 9:25、利尻島鰊泊の白い鳥居の神社を後に、頂上が見え始めた利尻山気にしながら島の東岸を南進して行きました。
鬼脇に近づくと、道路脇に「石崎灯台」が見えて来ました。
紅白の縞模様は、ノシャップ岬の「稚内灯台」や、「宗谷岬灯台」と同じです。
岬とは思えないこの海沿いの道路脇に、なぜ灯台があるのか理解できませんでした。
灯台のすぐ横には二階建の小さな白いビルが見えています。
近づくと、なかなか大きな灯台です。
驚いたことに「石崎灯台」は、塔高32.23mで、日本第7位でした。
対岸のノシャップ岬の「稚内灯台」が、塔高42.7mで日本第2位ということは有名です。
北海道で塔高第1・2位を占めるこの二つの灯台が、利尻水道を挟んで建っていることを知り、実に興味深く思いました。
「石崎灯台」が造られたのは1943年(昭和18)10月で、太平洋戦争開始2年後のことだったようです。
この「利尻水道」が、かつて最北日本領土だった「南樺太」を結ぶ重要航路と考えられたことによるものだったのでしょうか。
何気なく通り過ぎそうなこの「石崎灯台」は、実に意外な灯台でした。
利尻島と、利尻水道を挟む北海道の北西端の地図です。
「石崎灯台」は、利尻島の最東端「石崎岬」に立つ灯台でした。
地図で利尻水道を見ていたら、対岸の稚内市抜海村夕来にあった記念碑「稚内~利尻(利尻水道)遠泳達成記念」を思い出しました。
このブログ「北海道旅行№5」の記事に掲載していますが、記念碑にはここ石崎岬が遠泳の出発地で、直線距離 19.5Kmを9時間56分09秒で泳いだことが書かれていました。
写真は、利尻富士町鬼脇にある「利尻島郷土資料館」の入場券です。
巨大なヒグマを前にして、中央で猟銃を持って誇らしげに立つ男性を見ると、クマ仕留めた猟師の記念写真のようです。
しかし、事実は違いました。
ヒグマのいない利尻島でヒグマの足跡が発見され、島民が警戒していた矢先、利尻海峡を泳ぐ巨大なヒグマが発見されたそうです。
漁師達は、ヒグマを追い、舟で囲み、斧で仕留めたそうで、「漁師」が「猟師」になった物語でした。
前述の稚内市抜海村夕来の遠泳達成記念碑には、確か1980年代の遠泳と書かれていました。
それに先立ち、灯台もなかった明治時代、利尻水道の遠泳をしたヒグマさんの記念碑も建ててあげてほしいものです。
■「利尻島郷土資料館」で展示されていた北海道新聞夕刊の切抜き記事の一部です。
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1989年(平成元年)2月14日(火)
「利尻・礼文にヒグマはいなかったか」
・・・「遊泳にも巧み」 さて、ヒグマが遊泳にも巧みなことを示す事例に利尻島にまつわる話がある。それは明治四十五年(1912年)五月二十四日、北海道本島から利尻島鬼脇まで約十九キロの海上を泳ぎ渡り、再び海に泳ぎ出たのを、漁師が舟で追い殺獲した雄クマの例である。・・・
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鬼脇に近づくと、道路脇に「石崎灯台」が見えて来ました。
紅白の縞模様は、ノシャップ岬の「稚内灯台」や、「宗谷岬灯台」と同じです。
岬とは思えないこの海沿いの道路脇に、なぜ灯台があるのか理解できませんでした。
灯台のすぐ横には二階建の小さな白いビルが見えています。
近づくと、なかなか大きな灯台です。
驚いたことに「石崎灯台」は、塔高32.23mで、日本第7位でした。
対岸のノシャップ岬の「稚内灯台」が、塔高42.7mで日本第2位ということは有名です。
北海道で塔高第1・2位を占めるこの二つの灯台が、利尻水道を挟んで建っていることを知り、実に興味深く思いました。
「石崎灯台」が造られたのは1943年(昭和18)10月で、太平洋戦争開始2年後のことだったようです。
この「利尻水道」が、かつて最北日本領土だった「南樺太」を結ぶ重要航路と考えられたことによるものだったのでしょうか。
何気なく通り過ぎそうなこの「石崎灯台」は、実に意外な灯台でした。
利尻島と、利尻水道を挟む北海道の北西端の地図です。
「石崎灯台」は、利尻島の最東端「石崎岬」に立つ灯台でした。
地図で利尻水道を見ていたら、対岸の稚内市抜海村夕来にあった記念碑「稚内~利尻(利尻水道)遠泳達成記念」を思い出しました。
このブログ「北海道旅行№5」の記事に掲載していますが、記念碑にはここ石崎岬が遠泳の出発地で、直線距離 19.5Kmを9時間56分09秒で泳いだことが書かれていました。
写真は、利尻富士町鬼脇にある「利尻島郷土資料館」の入場券です。
巨大なヒグマを前にして、中央で猟銃を持って誇らしげに立つ男性を見ると、クマ仕留めた猟師の記念写真のようです。
しかし、事実は違いました。
ヒグマのいない利尻島でヒグマの足跡が発見され、島民が警戒していた矢先、利尻海峡を泳ぐ巨大なヒグマが発見されたそうです。
漁師達は、ヒグマを追い、舟で囲み、斧で仕留めたそうで、「漁師」が「猟師」になった物語でした。
前述の稚内市抜海村夕来の遠泳達成記念碑には、確か1980年代の遠泳と書かれていました。
それに先立ち、灯台もなかった明治時代、利尻水道の遠泳をしたヒグマさんの記念碑も建ててあげてほしいものです。
■「利尻島郷土資料館」で展示されていた北海道新聞夕刊の切抜き記事の一部です。
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1989年(平成元年)2月14日(火)
「利尻・礼文にヒグマはいなかったか」
・・・「遊泳にも巧み」 さて、ヒグマが遊泳にも巧みなことを示す事例に利尻島にまつわる話がある。それは明治四十五年(1912年)五月二十四日、北海道本島から利尻島鬼脇まで約十九キロの海上を泳ぎ渡り、再び海に泳ぎ出たのを、漁師が舟で追い殺獲した雄クマの例である。・・・
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