昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.10 稚内港から利尻島へ

2010年08月18日 | 北海道の旅
7/16 北海道旅行3日目、いよいよ利尻島・礼文島を目指して稚内港を出発です。

隔日で宿泊する稚内のホテルで、レンタカーと、大きなスーツケースを預って頂くことが出来、安心して島へ出発できました。



5:50頃に稚内港に到着、フェリー乗場2階の改札口で行列待ちをしている風景です。

6:30発・8:10着の利尻島 鴛泊港[おしどまりこう] 行きと、6:20発の礼文島 香深港[かふかこう]行きの行列が出来ていました。

6時過ぎには礼文島行きの改札・乗船が始まり、利尻島行きも6:10頃に始まりました。



最果ての島とは言え、意外に大きな船でした。

船体に「フィルイース宗谷」とあり、ハートランドフェリーのサイトによると全長95.7m、巾15mの船で、旅客定員は632名と紹介されていました。

乗客数は、定員には遠く及びませんが、冬季は日本海の厳しい荒波を越えなければならず、やはりこの大きさの船は必要なのでしょうか。



離岸したばかりの港を船の後部から見た景色です。

山の上には「開基百年記念塔」がそびえています。



稚内港の北側にたくさんの柱が並ぶ長い風変りな防波堤が続いています。

この防波堤は、長さ427m、海面からの高さ14mで、柱が72本も並ぶ世界に例のない建築物だそうで、稚内の名所だそうです。



一段高い通路から見た「稚内港北防波堤ドーム」で、島の観光から帰った7/17夕方に撮ったものです。

すぐ前に階段があり、断面の形や、ドーム後方の様子を見ることが出来ます。

この防波堤のなかった昭和初期までは、強烈な高波で乗船客の転落事故が続いていたようで、安全な防波堤は、稚内港関係者の悲願だったようです。

■防波堤の端に黒い石板に刻まれた説明文です。
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稚内港北防波堤ドームの由来
この防波堤は 戦前 稚内~樺太との定期船発着所として築設されたもので アーチ型構造物として立案され 昭和6年に着工し 昭和11年に完成したものであるが 激浪のため老朽が進み 昭和53年より改良施行し 完成は昭和55年である この構造物の名称は 古代ローマの柱廊を思わせる独特の外観から通称「ドーム」と呼ばれ世界で唯一のものである
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稚内港を出港して約20分、北西から見たノシャップ岬の景色です。

丘の上に球形の自衛隊のレーダーが見え、左手にはかすかに稚内灯台も見えます。

この辺りは利尻富士が見える場所ですが、相変わらず曇って見えませんでした。



ノシャップ岬付近を航行していた時、船の後方デッキの座席からすぐ近くを飛ぶカモメを見つけました。

近くの女性が、船べりに行き、お菓子を投げるてやると上手にキャッチして食べていました。



船のすぐそばを飛ぶカモメを妻が撮った写真です。

カメラ目線で写るこのカモメさんは、やはりエサを期待しているようです。



船内の通路の壁に「フェリー航路 サハリンへの道」と書かれたポスターが貼られていました。

稚内港からサハリン観光とは意外で、複雑な思いでした。

以前から最果ての島、礼文島・利尻島へあこがれ、やっと実現しようとした時、同じ稚内港から更に北のサハリンの宣伝に出会うとは・・・。



利尻島へ近づきいて来ました。

好天にもかかわらず、利尻山(利尻富士)は、いぜんとして雲に隠れています。



船が利尻島の鴛泊港[おしどまりこう]に入り、北側に見えた「ペシ岬」です。

この岬の山の形がとても印象的でした。

鴛泊港は、丸い形の利尻島の北東に位置し、「ペシ岬」が北を囲む鴛泊湾にあります。

ちなみに鴛泊の「鴛」は、鴨の仲間「オシドリ」ですが、ここにも「オシドリ」が飛来するのでしょうか。



正面に鴛泊港の接岸場所が見えて来ました。

予定の8:10頃下船、予約していた地元のレンタカー会社の人が迎えてくれました。

いよいよ利尻島観光の始まりです。