昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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北海道旅行No.8 日本最北端の「宗谷岬」に立つ

2010年08月12日 | 北海道の旅
7/15 17:10、今日最後の目的地「宗谷岬」に到着です。



海岸沿いにある広い無料駐車場に車を止め、国道238号の最北端の信号と、南方向の丘の景色です。

信号付近から丘に登る道があり、右手の丘の上には紅白のストライプの「宗谷岬灯台」が見えます。

白一色の灯台が多い中、「稚内灯台」や、利尻島の南部の灯台も同じ紅白のストライプでしたが、なぜでしょうか??

紅白の建物と言えば、以前、漫画家の楳図かずおさんの自宅「まことちゃんハウス」も紅白の建物で、付近の住民から景観問題で訴えられていましたが、問題なしの判決だったようです。

逆の判決だったらこの灯台の壁の色も変わっていたのかも知れませんね。



海岸近くに立つ三角形の塔が、「日本最北端の地の碑」です。

階段のある円形の台に三角形のモニュメントが立っています。

手前に立つのは「間宮林蔵の銅像」で、以前は2~3Km西の「間宮林蔵渡樺出航の地」に建っていたものを移設したようです。



宗谷岬の信号から少し東にある給油所で頂いた「日本最北端給油証明書」と、記念品です。

旅行の下調べで、この「日本最北端給油証明書」を知りましたが、想い出グッズになりました。

この付近は、何もかもに「日本最北端」が付き、観光協会の「日本最北端到着証明書」も販売されているようです。



「日本最北端の地の碑」の東側に「宗谷岬音楽碑」があり、近づくと音楽が流れて来ます。

■黒い石板に楽譜と、歌詞が白い文字で刻まれていました。
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「宗谷岬」
吉田弘作詞、船村徹作曲

流氷とけて 春風吹いて
ハマナス咲いて かもめも啼いて
はるか沖行く 外国船の
煙もうれし 宗谷の岬
流氷とけて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬

吹雪が晴れて 凍れがゆるみ
渚の貝も 眠りがさめた
人の心の 扉を開き
海鳴りひびく 宗谷の岬
流氷とけて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬

幸せ求め さいはての地に
それぞれ人は 明日を祈る
波もピリカの 子守のように
思い出残る 宗谷の岬
流氷とけて 春風吹いて
ハマナス揺れる 宗谷の岬
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この詩を見ながら音楽を聴いていると、とても懐かしい気持ちになってきます。



国道の南に沿って「宗谷岬神社」が建っていました。

祭神や、由緒書がなく、賽銭箱も見当たらなかったので、参拝に少し躊躇しました。

よく見ると正面の引き戸に郵便受けの穴があり、内側に賽銭箱が置かれていました。

日本最北端の賽銭泥棒を警戒した対策だったのでしょうか。



宗谷岬の信号から坂道を上がった所にある「宗谷岬平和公園」から見下ろした景色です。

おぼろげに見えるサハリンの島影や、岬の先端に建つ「日本最北端の地の碑」を見ていると、最北端の地に来た実感が込み上げて来ます。



向かって左の二枚の黒い石板が立つ石碑を見て、宗谷海峡の国際的名称が「ラ・ペルーズ海峡」であることを初めて知りました。

1787年(江戸時代中期)にフランスの探検家ラ・ペルーズが、欧米人として初めて日本海を航行し、宗谷海峡を通過したことから名づけられたようです。

この「ラ・ペルーズ顕彰記念碑」にはラ・ペルーズが横を向いた胸像が見られます。

向かって右にスタイルの良い男女のブロンズ像「あけぼの像」があります。

昭和46年7月に北海道の牛乳生産量100万トン突破、飼育乳牛50万頭突破を記念するモニュメントだそうですが、この南に広がる「宗谷岬肉牛牧場」に関係するものでしょうか。

この施設の南に「宮沢賢治文学碑」もあり、宗谷岬周辺は記念碑であふれています。



「宗谷岬平和公園」の東側には、昔の戦争に関わる施設や、記念碑がありました。

左手から「旧海軍望楼」、「平和の碑」、「宗谷海域海軍戦没者慰霊碑」と並び、右端の標識は、国内外の友好都市や、姉妹都市などの方角が示されています。

「平和の碑」は、四角錐の台に茶色の玉が載せられ、太平洋戦争で、宗谷岬沖で撃沈されアメリカ合衆国海軍の潜水艦ワフー号の戦死者80名と、それ以前ににワフー号が撃沈した5隻の日本船舶の戦死者696名の遺族、関係者によって設立されたようです。

■「平和の碑」の横に建つ説明板を転記します。
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平和の碑
1943年10月11日 宗谷海峡において5時間に及ぶ日本海軍とアメリカ合衆国海軍との間で悲痛な戦いが繰り広げられた。
この場所より、北東12マイルの宗谷海峡にアメリカ潜水艦ワフーSS238号乗組員80名のアメリカ人が眠っている。また、この戦いより多くの日本人の戦死者が日本海に眠っている。
この碑は、日本側の人々とワフー号に眠る乗員の家族とによって設立されたものである。
かつての敵は、今日、兄弟として出会い、両国の平和が尽きることのないよう、また、我々が今あたためている友情が決して再び壊れることのないよう、献身したい。
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向かって右の石碑「宗谷海域海軍戦没者慰霊碑」は、太平洋戦争の時、宗谷の防備で殉職した人々を慰霊するものだそうです。

特に、稚内港と樺太間を航行する宗谷丸を海防艦第112号が護衛中、米軍潜水艦の攻撃を宗谷丸の身代わりとなって殉職した152名の慰霊が中心となっているようです。



「旧海軍望楼」の階段を二階へ上がってみました。

石造りの円形の壁に窓が並び、宗谷海峡を双眼鏡で監視する旧日本海軍を彷彿とさせます。

「旧海軍望楼」は、ロシアとの緊張が高まる日露戦争開戦の前々年、1902年(明治35)に宗谷海峡を監視する施設として造られた施設のようです。

その後、1920年(大正9)の尼港事件(アムール川河口)の時は、無線通信基地で使用、太平洋戦争では対潜水艦監視基地として使用されたようです。

■建物の横に白い案内板がありました。
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稚内市指定文化財第十九号
  史跡 大岬旧海軍望楼
明治七年、樺太千島交換条約が成立し、樺太はロシア領となりましたが、宗谷海峡における日露のの緊張は高まるばかりでした。当時の日本海軍はこうした情勢下で、明治三十五年(1902)宗谷岬に望楼を建設しました。この望楼は、宗谷海峡を一望のもとに見渡せる位置にあり、その形も船のブリッジを形づくる異色のもので、石材をコンクリートで固め、いかにも国境の備えにふさわしい監視所でした。
建設以来、風雪に耐えて当時のおもかげを今につたえる貴重な文化財です。
大切にしましょう。
  稚内市
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公園の南側を見ると、真白な鶴が両羽根を広げ、空に向って長い首を伸ばしているような折り紙風のモニュメント「祈りの塔」が目に飛び込んできました。

現在のロシアがソビエトだった時代にあった「大韓航空機撃墜事件」で亡くなった人々の慰霊碑です。

広い花壇に盛りを過ぎたアルメリアの小さな花が咲いていました。

■「祈りの塔」の横にあった案内板です。
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大韓航空機撃墜事件
1983年9月1日ニューヨーク発アンカレッジ経由ソウル行き大韓航空機007ボーイング747型旅客機は定められた航路を大きくそれ ソビエト領空を侵犯しソビエト戦闘機のミサイル攻撃によりサハリンモネロン島付近で撃墜された 日本時間9月1日午前3時26分頃 同機に乗っていた乗客240名と乗員29名計269名の全員が死亡した
 日本人の犠牲者は28名 在日韓国人1名 乗客の国籍は16ヶ国に及び 平時の民間航空の参事としては史上最大級のものであった
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「祈りの塔」の左手に茶色のモニュメント「大岬中学校跡地の碑」も見えています。

地元にあった中学校が閉校になり、造られたモニュメントのようです。



「祈りの塔」の南に二つの鐘の施設が並んでいました。

赤い柱の鐘楼には、「世界平和の鐘」があり、鐘をつく撞木[しゅもく]もあります。

同じ鐘が三つ造られ、1号鐘が国連本部、2号鐘がここに、3号鐘が沖縄県石垣市に設置されているそうです。

■鐘楼そばに説明板がありました。
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世界平和の鐘
この世界平和の鐘は、平和を願う世界八十一カ国の協力により提供されたコインやメダルをもって鋳造したものです
世界平和はすべての国の国民の永遠の祈願であります
当会は、思想・信条・政治的立場を超え平和を願う全世界の国民と共に、各国の首都にこの鐘と同じ鐘を設置し、世界平和の日に打ち鳴らす鐘の響きにより、未来永劫にわたり恒久平和を祈願しようと言う目的で運動を進めています
この度世界平和の鐘の栄えある第一号が稚内市の協力により日本最北端のこの地に設置されるに当り、当会より鐘を寄贈し、鐘楼は遠別町出身の鹿野光雄氏より寄贈していただきました
   一九八八年六月吉日
 ワールドピースベルアソシエイション(世界平和の鐘の会)
       会長  久保文苗
   協力 稚内市長 浜森辰雄
 世界平和を祈願して
   一つ打つと世界平和の響きあり・・・・・
   二つ打つと日本の平和の響きあり・・・・
   三つ打つとあなたの平和の響きあり・・・
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左手の白いモニュメントに吊り下げられた鐘は、「子育て平和の鐘」だそうです。

隣の鐘と同様にお寺にあるタイプの鐘で、稚内市民が十円玉募金で建立したそうです。

■鐘の前に説明板がありました。
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子育て平和の鐘
稚内市は、家庭平和・地域の平和・国の平和・世界の平和・を願うとともに、未来の平和な国際社会に大きくはばたく子供達の健やかな成長を希んで、国際平和年の昭和六十年六月に子育て平和都市を宣言した。
これまでの市民ぐるみの子育て運動と平和を希求する取組みの灯が、より一層輝くことを永遠に願い、開基百十年・市制施行四十年・子育て平和運動十年の記念すべき年に、稚内市民の総意に基づく十円玉募金によって、ここに子育て平和の鐘を建立する
  昭和六十三年六月吉日
    稚内市長 浜森辰雄

この鐘をうつときの
    三つのねがい
 一つ 子どもの健やかな成長を願って
 二つ 家庭と地域の平和を願って
 三つ 日本の平和・世界の平和を願って
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「宗谷岬平和公園」から更に坂道を上った所にオランダの風車を模した建物がありました。

■稚内市の観光案内のパンフレット「来ないば稚内!」の説明文です。
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ゲストハウスアルメリア
岬の展望台にあり、宗谷海峡と宗谷丘陵を一望する展望台からの眺めは雄大そのもの。
レストランでは、地元のブランド牛・宗谷黒牛のステーキが食べられます。
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18:00近くになり、宗谷岬の南にある雄大な宗谷丘陵を見ながら稚内のホテルへ帰ることにしました。