昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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古代信仰の磐座か?

2007年03月07日 | 山陽地方の旅
写真は、巖山観音堂から数十メートル東にある岩壁です。

写真を下から上にスクロールさせて見て下さい。
写真下は、正面から見る角度ですが、岩の頂上は約10m上を見上げた写真になっています。

これは合成写真で、複数の写真の結合部分をごまかしていますが、お判かりですか。

岩壁に碑が彫られており、拝む場所となっていました。
山の形と、この岩壁位置を調べてみないと分かりませんが、古代にはこの岩壁が、神山信仰の「磐座」(いわくら)だった可能性もあるのではと思いました。

「磐座」は、古代信仰で、祖霊が鎮座される場所とされ、山の頂上から中腹にある岩を麓から遥拝する祭祀が行われていたと考えられています。

又、「磐座」の前でも祭祀が行われた事例もあり、祭祀の場所の地中には埋納された銅鐸・銅剣などが発見されることがあります。

「磐座」を遥拝する場所や、その山の中腹に神社が造られていることも多く、神仏習合が多かった昔には、寺院が造られる例も多かったようです。

有名な事例では、宮島の「厳島神社」の外宮とされる対岸の「地御前神社」は、宮島の神山「弥山」(みせん)を遥拝する神社だったと考えられています。
宮島の「弥山」の山頂付近には「磐座」があり、奥宮の「御山神社」が建てられています。

古代は、祖霊のお座りになっている「磐座」に向かって遥拝することが大切な儀式だったものが、次第に神社の建物や、本殿に祀られているご神体が主役になってしまったと考えられます。

神社のご神体に石が祀られていることがあります。
古代、「磐座」から「遥拝」する場所まで祖霊をお招きして一時お座り頂く「依り石」だったと思われるものもあるようです。

又、「磐座」は、神となって天(あるいは太陽)にいらっしゃる祖霊が降臨される場所とも考えられ、更に祭礼の時には目の前の「依り石」までお招きする儀式があったものと推察しています。

弥生時代には「依り石」に代わって青銅器(銅鐸・銅剣など)が使われるようになったと思われ、埋納されている理由は地中を通って磐座から通われる祖霊のためだったのではないかと考えられます。

古代に「深津島」からこの岩壁を「磐座」として遥拝していたのではないかと想像しながら山道を「深津島」が見える見通しの良い山の上に登って行きました。