昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

平安座島の悲願の物語

2007年03月24日 | 沖縄の旅
 
平安座島について少し調べてみました。

写真上は、浜比嘉島のアマミチューの墓(下段の写真の下にあります)から見えた平安座島です。
沖に見える島の左右が少し高くなって二つの山の頂上になっています。

左に見える山の頂上付近にイリーグスク(平安座西城)、右に見える山の頂上付近にアガリグスク(平安座東城)があり、御嶽として島の集落の信仰場となっているようです。
イリーグスクは、標高115.6mで平安座島の一番高い山だそうで、旧暦3月3日から5日にはサングヮチャー(竜宮祭)が行われるようです。

写真下段は、海中道路・平安座島・宮城島・伊計島付近の地図で、黄色い地域は平安座島の石油基地建設で埋め立てられたものです。
(埋立の黄色いエリアは正確ではありません)

かって平安座島と与勝半島の屋慶名までの間は、約4Kmの浅瀬の海で、干潮になれば干潟が出来、歩いて渡ることができたようです(徒歩で約1時間)。
海中道路の名の由来はどうも整備される前の干潟の道ではなかったかと推測しています。

干潮は、昼夜で2回ありますが、歩いて渡るのはなかなか不便で苦労があったようです。
渡る途中で潮が満ちてきたり、干潟の深みにはまったりして溺れ死ぬ人も絶えなかったそうです。

戦後まもない1947年の平安座島にエンジン付きの渡船が運行を始め、干潮時は波の高い浜比嘉島の東岸が航路だったようです。
しかし、1953年8月29日高波で渡船が転覆して7名の犠牲者が出る悲しい事故がおきて、海中道路建設の悲願が島の人々に高まったようです。

平安座島の人々は、海中道路建設に向けて1958年から1世帯毎月50セントを積み立て、1960年からお年寄りや、女性を中心に自分たちで石を運び埋立を始め、1961年には3分の1まで基礎工事がすすんだようです。

しかし、その年9月、翌年10月の台風の高波で壊滅的な被害を受けて悲願の工事は挫折してしまったようです。

1971年6月巨大な石油基地進出の見返に海中道路は完成、平安座島の人々の悲願は達成されました。
しかし、信仰の中心であった二つのグスクがある場所、北東部の海など大切なものが石油基地に呑み込まれてしまいました。(石油基地内のイリーグスクには自由に行けるようです)

「アマンチューの墓」の方角にちなむ史跡にはめぐり合えませんでしたが、何も知らず、観光道路と思って走っていた海中道路に悲願の物語があったことを知りました。